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2011.06.25

江~姫たちの戦国~ 浅井家の菩提寺 養源院

Yougenin1106281(写真はすべて以前に撮影したものです。)

私事ですが、今週もまた京都に行く事が出来ませんでした。これで3週連続となり、さすがにストレスを感じてしまいます。しかし、嘆いていても何も始まらないので、今週もまた過去の写真のストックからの構成と致します。京都の最新情報を求めて来られる方には申し訳無いのですが、よろしくお願いいたします。

さて、今日の記事は養源院、淀殿が創建し、江が再建した浅井家の菩提寺です。

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ドラマの「父母の肖像」の回にあった様に、淀殿が両親の供養を行ったのが1589年の事でした。そしてさらに5年後の1594年に、長政の二十一回忌に追善供養の為に建てたのがこの養源院です。開山は成伯法印という叡山の僧侶、寺号は長政の法名から付けられました。また、成伯法印は長政の従弟に当たる人物だそうですね。まさにドラマの台詞のごとく、淀殿が浅井家の菩提を弔う為に建てた寺なのです。

Yougenin1106283(江の供養塔。娘の和子によって建てられました。)

この前年に淀殿は秀頼を産んでおり、鶴松を産んだ直後に行った追善供養と同じパターンとも言えるのでしょうか。ドラマではそのあたりをどう描くのかな。また跡継ぎを産んだ事に対するご褒美という事にするのかしらん?何にしても、ここまで浅井色を押し出した寺を秀吉が許したのは、淀殿に対する傾倒が著しかったからに他ならないのでしょう。

Yougenin1106285

養源院はその後程なく火災に遭い、本堂を失った様です。秀吉の墓である豊国廟を暴くなど、徹底して豊臣時代を否定した江戸初期にあっては養源院も衰退の運命にあったとしてもおかしくはなかったのですが、それを救ったのが江でした。江にとっても浅井家は実家ですからね、その菩提寺の復興とあっては文句の付け様も無かったのでしょう。

本堂が再建されたのは1621年の事であり、伏見城の遺構が移建されました。その天井に、関ヶ原の戦いの時に伏見城で討ち死にした鳥居元忠以下の諸将の血が染みこんだ廊下の板が使われており、血天井の寺と呼ばれている事は有名ですよね。

ただ、浅井家の位牌はそのままあった様ですが、寺の性格は徳川家の菩提寺として位置付けられました。二枚目の写真にある三つ葉葵の御紋はその象徴ですね。将軍の御台所の力を持ってしても、淀殿が建てた寺そのものとしては存続を計りがたかったのでしょうか。

その養源院の境内には、秀吉縁の木が残されています。それがこのヤマモモで、秀吉が伏見城に手植えしたものを、後にここに移植したのだそうですね。でも、秀吉は浅井家にとっては仇、徳川家にとっては全否定をした前政権の主であり、この木がここにあるのは何だか不自然な気もするのですが、なぜでしょう。

淀殿が移植させたのだとしたら徳川家の手によって伐られていたという気がするし、明治以降に移植されたのなら方広寺の方が良かった様な気もするし、何の説明も無いので判断の仕様がありません。あえて言うなら、宥和の象徴なのかしらん?

秀吉手植えの伝説が正しいとするなら樹齢は400年以上、確かにそれだけの風格がある大樹である事は確かです。


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コメント

こちらのヤマモモは立派ですよね♪

宝石のような実がたくさんなるのは
見ていて楽しいです(*^_^*)

投稿: Milk | 2011.06.26 10:43

Milkさん、

ヤマモモの実が成るのは今頃でしたっけ。
この木の実が成っている所はまだ見た事が無いですね。
今度時間があったら寄ってみようかな。

投稿: なおくん | 2011.06.26 21:42

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