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2011.06.12

江~姫たちの戦国~22 父母の肖像

(天正17年正月、聚楽第。家族で正月を祝う秀吉。初めての子を授かり、有頂天の秀吉。おねを気遣う秀吉ですが、反対にひたすら無事の出産を願うおね。病気もふっとぶと喜ぶなか。出産までは駿府に帰らないと言い張る旭。そんな中、城を造ると言い出す秀吉。)

(江も呼び、新しい城を説明する秀吉。それは淀城でした。そしてその城は産所という意味も持っていました。)

(そこに運び込まれてきた子供用の道具類。それは全て男の子用ばかりでした。あきれる江。男の子を産むと言う茶々。そして、もし男の子なら願いがあると言う茶々。)

(茶々の子が秀吉の子でないという戯れ唄を見る秀吉。その犯人を捕らえて首を刎ねよと命ずる秀吉。しかし、犯人が見つからず、警戒を怠ったという理由で門番17人を処刑してしまった秀吉。さらには、罪人を匿ったとして二つの村を焼き払い、60人余りを処刑したのでした。)

(秀吉の暴挙を面罵する江。逃げたという事は罪人だと認めたという事だと傲然と言い放つ秀吉。子に罰が当たると諌める江に、茶々の子が別の男の子だと揶揄されたのだと迫る秀吉。そこにはかつての思いやりのある秀吉の姿はなく、暴慢な男に成りはてた醜い姿があるだけでした。何かあったら秀吉のせいだと言い捨てて去る江。)

(二度とこの様な事はしないと秀吉に誓わせたと江に言う茶々。そして、この子の親が秀吉である事には間違いないと言い切る茶々。)

(必ず男の子を産むと言い張る茶々。しかし、なぜか男の子かと聞かれても理由を答えません。)

(3月、淀城が完成。現れた江を見て皮肉を言う秀吉。甥か姪が生まれるのだから見守るのは当然だと答える江。意外にもよろしく頼むと頭を下げる秀吉。驚く江に、茶々がこの城の主となるのだと答える秀吉。これで茶々をおねと同格の正室と認めた事になるのだと言う三成。そして、彼女は淀殿と呼ばれる様になったのでした。)

淀城については先週の江紀行で紹介されていたとおり、妙教寺という寺のあたりにあったと推測されています。今日のドラマでも少し言っていましたが、古い城があった場所でもあり、天王山の戦いの時には光秀が拠点の一つとした事もありました。

その性格はこれもドラマで言っていたとおり、産所として築かれた様ですね。かつては出血を伴うお産は穢れであるとされており、母屋とは別の産所に籠もってお産を行うという習慣がありました。秀吉はその産所を大々的に築き上げたという訳ですね。

産所とは言いながら城下町もあったと言われ、万事派手好きの秀吉らしいエピソードと言えるかもしれません。

(5月27日、淀城。廊下でうろうろとする江と秀吉。産みの苦しみを味わっている淀殿。ひたすら男の子を望む秀吉。取り乱す秀吉を、それでも関白かと叱りつける江。今は子の誕生を待つ一人の父だとつぶやく秀吉。)

(やがて聞こえてきた産声に手を取り合って喜ぶ江と秀吉。そしてその子が男と聞き、秀吉の喜びは頂点に達しました。)

(赤子を抱き、棄と名付けると言う秀吉。それは捨て子は良く育つという言い習わしに従ったものでした。子煩悩さを見せる秀吉と淀殿を見て和む江。)

(三月後、大坂城。棄を抱いて喜ぶおね。わずか三月で棄を大坂城に移したのは軍略だと言うおね。子の誕生を祝い、商人や大名達の祝いがひっきりなしに訪れているのでした。)

(子の名を鶴松に改めたと言うおね。それは、豊臣家が末永く繁栄する様にという願いが込められていたのでした。)

(高次と共に現れた初。子を抱いて泣かれ、驚いて侍女に手渡す初。そんな事では母にはなれないとからかう高次。そんな二人を見て、初も妻になったのだなと感慨に耽る江。)

(高次が現れたのは戦の相談のためでした。次は関東の北条攻めだと言う高次。)

(小田原城。秀吉からの書状を見て憤る氏政。返り討ちにしてくれるといきまく氏直。その自信は小田原城の堅固さを背景にしたものでした。秀吉を成り上がり者と見下し、書状を破り捨てる氏政。)

これもドラマで言っていましたが、かつて武田信玄と上杉謙信という二人の名将が小田原城を攻めた事がありました。しかし、二人共にそのあまりの堅固さに手を焼き、落とす事が出来ずに引き上げたという事実があります。北条氏の自信はこの城にあったのですね。

城下町全体を城壁で囲い込むという惣構がその強さの源とされ、城壁の総延長は20数キロメートル、例え敵に囲まれていても、中ではふだんどおりの市民生活が営まれていたと言いますから、その凄さが窺えるというものですね。

(大坂城。聚楽第行幸に参加しなかった事、秀吉の命に背いて真田と戦を始めた事など、北条の罪を並べ立てて、これは帝に背いたも同然と断定する秀吉と側近達。)

北条氏が真田を攻めたというのは名胡桃城事件の事でしょう。名胡桃城のある沼田の地は長年に渡って北条氏と真田氏との間で領有を巡る争いがあった地であり、秀吉によって沼田の三分二は北条、名胡桃城を含む残り三分一は真田氏の地と裁定されていたのです。これを不服とした北条氏は謀略をもってこの城を奪い取りました。

この事は秀吉の命に背いたという事であり、北条を攻める格好の名分に使われてしまったのですね。

(鶴松が生まれた事を機に北条を討ち、天下を平らげた後に家督を譲ろうと考えていると言う秀吉。それでは鶴松のための戦だと諌める秀長に、それの何が悪いと聞く耳を持たない秀吉。)

(是非先鋒をと願い出る秀次。先鋒は家康に決めているとにべもない秀吉。如何と聞かれて、この上なき誉れと答える家康。家康の娘である徳姫は北条家に嫁いでいたのですが、即刻離縁させると言い切る家康。徳川を頼りにしていると言われ、平伏する家康。)

(利休の茶室で茶を飲む家康。茶一服で大名の首根っこを押さえてしまう天下の茶だ言う家康に苦笑する利休。)

(一畳半の茶室もあると聞き、なぜそちらを使わないのかと訝る家康。その茶室は3人、4人の時に使うのだと答える利休。その訳は大勢だと狭さが極まり、かえって広さを感じるのだと言う。)

(茶碗について、以前は歪んだ茶碗に美があると思っていたが、今は黒茶碗に惹かれると言う利休。しかし、それを秀吉は好まない様だと吐き捨てる利休。二人の仲はもっと近いものだと思っていたと意外そうな家康。政を思う心と茶を思う心が同じ間はそうだったと意味深長な事を言う利休。それは子が出来た事が大きいのかと問う家康に笑って答えない利休。そして、何時の日がうっとうしがられる日が来るかも知れないと予言めいた事を言い出します。)

(近いがゆえに最も遠いと一人ごちる利休。それが秀吉との仲だという事かと受け取る家康。)

(一人、月を眺める江。)

(江が歩いて行く先の部屋で、おねに向かって愚痴を言う秀次。居場所が無いと嘆く秀次に、短慮はならぬと諌めるおね。しかし、秀吉はあたりはばかる事無く、天下を平らげるのは鶴松のためだと言い放ったと言い募る秀次。その様子を障子の外で聞いていた江。その江を見とがめたおね。)

(どうしたと聞かれ、姉の初たちがべたべたとしていて居場所が無いのだと答える江。それに淀殿も、子が出来てからは幸せそうでと言いかけて、秀次にがさつ者とたしなめられる江。鶴松は豊臣の子だととりなすおね。)

(信長の姪だからと言って上手い事立ち回っていると江を皮肉る秀次。そちらこそ、秀吉の甥だからこそここに居るのではないかと言い返す江。二人とも止めよとたしなめるおね。)

(淀殿の部屋で鶴松を抱きながら、天下が定まったらすべてはお前のものだと言い聞かせる秀吉。)

(秀吉に願いをとせがむ淀殿。その願いとは、母の七回忌、父の十七回忌の追善供養をしたいというものでした。その二人はこの家の仇敵ゆえ、古来そんな例は無いと口とを挟む三成。しかし秀吉は、思う通りにせよと認めてくれたのでした。)

(12月、大勢の僧侶を呼び、父母の供養を行った淀殿。その仏前に供えられている二巻の巻物。)

(その巻物は長政と市の肖像画でした。初めて見る父の顔に見入る江。)

(淀殿に礼を言う江。これからも浅井家の菩提を弔うのが自分の勤めだと心得ていると淀殿。)

(豊臣にとっての仇敵である浅井家の供養を認める事は武家のしきたりに背く事、それをも覚悟して認めてくれた秀吉の恩は忘れてはいけないと諭す淀殿。これでようやく秀吉という仇を許す事が出来た、そしてやっと夫婦になれたという気がするとも言う淀殿。感慨深げに姉たちを見つめる江。)

(一人座っている江。そこに現れたヨシ。ヨシを相手に、姉たちには大切な人が出来たのだなと話す江。いつかきっと、江にも大切な人が見つかると言い聞かすヨシ。)

(駿府城。家康の帰りを迎える竹千代。その息子に向かって、いよいよ初陣となると言う家康。それはなぜと聞く正信に、北条攻めを命じられたと答える家康。それは良かった、父が好きな戦がまた堂々と出来るではないかと口を挟む竹千代。しかし、北条とはよしみを通じてきた間柄で娘を送った相手でもある、そこに戦を仕掛けるのかと言い出す竹千代。何が言いたいと聞く家康に、兄を秀吉に差し出した父らしいと思ったまでと答える竹千代。不機嫌そうに見つめる家康。)

秀忠って、こういう人だったのでしょうか。イメージとしては家康の言う事には一切逆らえなかった2代目なのですが、こんな批判眼も持っていたのかしらん?正直言って、この人の性格まではノーマークだったなあ。まだゲゲゲの印象が強く残っているのだけれど、これからは向井理の演技に注目したいと思います。

(駿府と大坂、遠く離れた地で空から舞い落ちる雪を見つめる竹千代と江。)

今週は人変わりを始めた秀吉が描かれました。かつて人たらしと呼ばれた面影は失せ、暴君としての面影が見えてきます。この秀吉との関係に暗雲が漂い始めたのは秀次と利休の二人でした。

甥であり、跡継ぎの第一候補とされていた秀次は、実子が生まれた事によって俄に立場が危うくなってしまいます。一方の利休は、茶のあり方について秀吉との対立が明確になりつつありました。共に豊臣家の柱石とも言うべき二人を疎み始めた時から秀吉の天下が揺らぎ始めるのですが、我が子可愛さに目の眩んだ秀吉にはその事が見えていません。

天下を取るまでの秀吉と取った後の秀吉の二人が別人の様に見えてしまう、このあたりがこの人物の不可思議なところなのですよね。古来様々な説明がされていますが、このドラマではどう描いていくのか注目したところです。

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