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2011.06.26

江~姫たちの戦国~24 利休切腹

(小田原攻めの論功行賞を行う秀吉。秀次には尾張、北伊勢など100万石、家康には北条氏の旧所領関東6カ国240万石を与え、代わりに旧所領は召し上げとするという沙汰でした。)

なぜか省略されていましたが、この間に入ったのが信雄でした。つまり、家康の旧所領に信雄が入り、その後に秀次が収まるという玉突きだったのですね。ところが、織田家ゆかりの尾張を離れる事を嫌がった信雄は、この沙汰を断ろうとします。怒った秀吉は沙汰を取り消したばかりでなく、その所領を召し上げてしまったのでした。ここに信雄の家は一度滅びるのですが、家臣とはいえ旧主筋の家柄相手にも遠慮が無くなった事を示す象徴的な出来事と言われます。

それにしても、何かにつけて織田家を滅ぼすつもりかと秀吉に食ってかかっていた江達にとっては、その憂慮が現実のものとなった訳で、もっと大騒ぎしても良い出来事だったと思うのですが、完全スルーとは意外でしたね。

(利休の茶室。駿遠三信は耕し尽くした、関東を新しく開くのも楽しかろうと家康。家康を恐れるからこそ京、大坂から遠ざけたのだろうと利休。買いかぶりだと家康。新しい本拠は江戸に置くと家康。)

(茶頭を辞めたいのは本心かと家康。秀吉が手放すとは思えないがと気遣う家康に、今まで誰かに縛られて茶を点てた事はない、信長に対してもと言い切る利休。そしてもし辞められなかったら、これが家康に出す最後の茶となると謎かけの様な事を言い、これから京に帰るのでと誤魔化す利休。)

(利休と秀吉の関係について秀勝に相談する江。自分に会いたかったからではなかったのか残念がる秀勝。彼はもっと近づく事が出来ないのかと江に問い、戸惑う江を残して去っていきました。彼は新しく賜った甲斐の国に下る所だったのです。)

秀勝が賜った甲斐は、家康の旧所領の一つです。一度は勘気を蒙ったとは言えそこは一門であり、一躍国持ち大名に抜擢されたのでした。

(その話を近くで聞いていた秀忠。二人がそんな仲になっていたとはとからかう秀忠。そんな仲なんてと慌てる江。自分は利休と秀吉の事を言っているのだがととぼける秀忠。怒る江。彼は江戸に行く、もう会う事もないと言って去っていきます。小賢しいと面白くない様子の江。)

(9月の始め、京に戻った秀吉。関東の先、陸奥までも平らげたとなかに自慢げに報告する秀吉。何やら他人事の様のなか。もっと喜べと拍子抜けする秀吉。彼はおねよりも鶴松と淀殿の方が気になる様子でした。)

(歩きを始めた鶴松を抱いて相好を崩す秀吉。そこに現れた江。彼女は家康が江戸に移る事について、所領を取り上げるとはと秀吉を非難します。そしてさらに利休との関係を問い質す江。困惑した様子の秀吉。)

(目を海外に向けた秀吉。朝鮮使節との会見に臨んだ秀吉は、膝の上に鶴松を抱いていました。あきれる諸将。怒る使節。その使節に対して、自分は日輪の子だと言い出す秀吉。日輪は天下をあまねく照らす、いずれは天竺、南蛮までもが自分に服する事になる、朝鮮には明国を攻める自分の先鋒として馳せ参じよと居丈高に命ずる秀吉、困惑する使節達。その時、鶴松が粗相をしてしまい慌てる秀吉。その様子を見て、怒って席を立ってしまう使節達。無礼なと怒る秀吉。)

(利休の茶席で、秀吉を諌める秀次と官兵衛。反発する秀吉。神の子と言った事について、信長は同じ事を言っても全てを天下泰平の為に捧げるつもりだった。欲望のままに動く秀吉とは違うと怒る江。)

(神たる者、そう言った事が本能寺の変を引き起こしたのかもしれない、秀吉もまた同じ道をたどるのかもと利休。不吉な事を口にするなと叱責する三成。それを無視して、いつ茶頭を辞めさせて貰えるかと利休。不快げにまだその様な事をと怒り、竹筒の花入れを見て詰まらぬと壁に投げつける秀吉。そこにやって来た古田織部。彼は落ちている花入れを見て、何という事をと驚きます。彼を自分の愛弟子と言い、自分が辞めた後は引き立てて欲しいと頼む利休。怒りを抑えて黙り込む秀吉。)

(天正19年始め頃、重体に陥った鶴松。都中の社寺に加持祈祷を命ずる秀吉。そこに悲報が飛び込みます。)

(大和郡山城。危篤状態に陥った秀長。見舞いに駆けつけた秀吉に、関白の弟は辛い事も多かったが楽しい事も多かったと秀長。そして、耳に痛い事を言ってくれる者を信じるのだぞと秀吉に語りかける秀長。それは利休の事かと秀吉。かすかにうなずき、鶴松の事は自分が抱えていくと言って息を引き取った秀長。)

秀長については、ドラマでも言っていたとおり、豊臣政権を陰で支えていた重鎮でした。彼と利休とは仲が良く、秀吉に救援を求めてきた大友宗隣に対して、内向きの事は利休に、表向きの事は秀長に聞けばよいと語ったと言われます。つまり、利休とは車の両輪の関係にあり、この二人が仕切っていたからこそ、豊臣家が円滑に回っていたのだと言われます。その二人を相次いで失なった事で政権のバランスは大きく崩れ、迷走が始まったのでした。

(秀長の死を嘆き悲しむなか。その一方で、健康を回復した鶴松。)

(三成が利休の事をあれこれ言っているらしいがと江に語りかける淀殿。しかし、三成に言われてどうこうする秀吉ではない、二人だけの問題なのだと淀殿。)

(利休に不穏な動きがあると告げる三成。大徳寺山門の二階を寄進し、そこに自分の雪駄履きの像を置いた事について、その下を通る者はたとえ関白と言えども自分の足の下を通れと言っている、無礼極まりない。秀長の死も鶴松の病気もそのせいかも知れない。また、名人の名の下に道具に法外な値を付けて売りさばいている、それを捨てておけば悪評が立ち秀吉の名が廃る、何らかの仕置きをと迫る三成。考え置くと怒鳴り返す秀吉。)

三成が言っていたのは、利休切腹の理由として今に語り継がれているものです。事実としては、山門の上の利休の像は大徳寺が勝手に置いたもので、利休本人は預かり知らなかったとも言われますが、その後の処置を考えると秀吉の怒りを買った原因の一つだった様に思われます。でも、その怒り方はあまりにも子供っぽく、既に老人性痴呆性の症状が出ていたのではないかという気もしますね。

それにしても、この三成は損な役回りをさせられています。言いがかりとしか思えない事を声高に言い募る様子には切れ者と言われた面影はどこにもなく、ただの愚かな讒言者にしか見えません。そういう演出だから仕方がないけれど、何だか三成が可哀想になってきます。

(一人考え込む秀吉。その様子を遠くから見守る江。)

(夜遅く、利休の下を訪れた秀吉。その部屋に秀吉が投げ捨てた花入れが置いてありました。割れた花入れが置いてあるのを見て、自分への当てつけかと詰る秀吉。ひびかあるから良いのだ、すがしい風の音が聞こえると利休。自分には判らんと秀吉。)

(自分の茶頭を辞めたいのかと問う秀吉。今すぐと答える利休。ここで見聞きした事は一切他言しないと利休。そんなことを言っているのではないと怒鳴る秀吉。)

(利休は自分には判らない事が判る、仰ぎ見るしかない格別な相手だ、ずっと自分の側に居て言いたい事を言って欲しいと頼む秀吉。自分が茶頭になったのは、秀吉が面白い人だったからだ、しかし今は違う。子が出来て可愛い、朝鮮の人を呼びつけてと日輪の子だと言う。しかし、そんな事はどうでも良い。好きな人の為に茶を点てるのが自分の生き方、秀吉の為に点てるのが嫌になったのだと利休。ならば、望み通りにしてやろうと言って、切腹を申しつける秀吉。微笑で答える利休。)

最後は利休の生き方のと天下人としての意地のぶつかり合いという結末になりました。確かにこの方が、山門の上の木像などという詰まらぬ問題よりもすっと入ってきますね。無論創作ではあるけれども、こんな相克があったのかも知れないという気はしました。

(利休切腹と聞いて、自分が止めると江。)

どこにても顔を出し口を出す江ですが、このドラマの演出にも慣れて来たので何も思わなくなりました。有り得ない話ではあるけれども、主人公の特権というやつですね。彼女が絡まないとドラマにならないから、まあ仕方が無いのかな。

それにしても、サブタイトルからすると今日切腹してしまうと思っていたのに違いましたね。まさかもう一週引っ張るとは思いませんでした。そのサブタイトルが「愛の嵐」。利休の切腹が霞んでしまいそうな気がするのですが。うーん、大丈夫なのかしらん?

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