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2011.06.19

江~姫たちの戦国~23 人質秀忠

(天正18年1月14日、聚楽第。旭危篤の知らせに駆けつけた江。その場には秀吉の他に竹千代が居ました。彼は旭の義理の息子にあたるのでした。家康にも会いたかったと言い、兄を頼むとおね達に伝えて息を引き取った旭。)

(一人悲しみに耽る江を見かけた竹千代。旭は秀吉のために身を捧げた様なものと言い、竹千代に、身を捧げて自分の父の妻になったのかと言われて慌てる江。彼は見舞いに来たのではなく人質になりに来たのだと江に告げます。)

(翌日、竹千代の元服の儀を執り行う秀吉。彼の髪を整える役をなかに行わせる秀吉。震える手で前髪を切るなか。本心を隠し、礼を言う竹千代。素朴に見舞いの礼を言うなか。)

これってドラマの演出っぽいのですが、史実なのだそうですね。時系列的にもドラマのとおりで、旭の死の翌日に元服式を行っています。そして、その式に大政所が立ち会い、秀忠の前髪を落としたのだそうです。何だか凄い展開だったのですね。

(群臣が居並ぶ中、竹千代に一字を与えて秀忠と命名した秀吉。)

(翌日、秀忠とまた出会った江。秀忠は前髪を切る役は本当は旭にやらせたかった、しかし亡くなってしまったので代役をなかに頼んだ、そこまでして恩を売りたかったのだと言う秀忠。そこまで酷い人ではないと抗弁する江。)

(信雄の娘を嫁に娶ると言う秀忠。それも秀吉の策略だと言う秀忠ですが、自分の父親も似た様なものだ、自分の娘を嫁がせた北条を裏切ったのだからとも言います。家康はそんなに酷い人ではないと言う江に、何故判ると問う秀忠。)

(彼はもう会う事もないと言って帰っていきます。人質の件は、父が彼を差し出した事で満足したらしいとの事でした。)

表題が人質秀忠だった割には、あっさりと帰ってしまいました。描き方も淡泊で、今回の主題ではなかったという事ですね。要するに、江との出逢いの場面を描きたかったのでしょう。それにしても廊下で出会うというパターンは、高次、秀勝と同じなのですが、他に工夫の仕様はないものなのかしらん?

(浜松城。帰って来た秀忠に、母や秀吉の側で亡くなった事は旭にとってはせめてもの慰めであったと言う家康。京で官兵衛と会ったかと問う家康に、代わりに江という面白い女に会ったと答える秀忠。)

(すっかり人が変わってしまったと嘆く家康。兄を殺した事、次兄を人質に差し出した事が気に入らないのだろうと推量する家康。)

(北条攻めに利休も従軍せよと命ずる秀吉。年だからと断る利休。信長に対してもそうだったのかと問い詰める三成。秀吉を見下しているのではないかと詰問する三成にそんな事はないとゆるりと交わす利休。諸大名とつきあい、政にまで口を出し、大きな力を持つのはどういう事かと追求する三成。三成は自分が嫌いな様だと苦笑する利休。やはり小田原に来て貰えないかと取りなす官兵衛。)

この回から三成が豹変しました。これまでは遠慮がちにしかものを言わなかった彼がこんなに強気になったのは、淀殿が子を産んだ事が影響しているのでしょうか。彼にとって淀殿はかつての主筋でありかつ密かにあこがれている相手です。その淀殿と子の将来を守る為には、障害となりそうな人物を取り除いて置かなくてはならない。ひいては、自分が筆頭の側近として力を得なくてはならないという心理描写なのかな。何にしてもあまりに唐突で、分かり難い演出ですね。

(利休が秀吉に使った茶碗は、秀吉の嫌いな黒茶碗でした。これは嫌いなものだと判っていないのかと怒り、茶椀をひっくり返して席を立つ秀吉。子が出来てから気が短くなったのだと秀次。秀吉を怒らせる様な事はするなと忠告する官兵衛。)

(淀殿の部屋で鶴松を抱きながら、小田原城を取ったらそちにやるとあやす秀吉。あきれる江。)

(3月1日、秀吉出陣。20万の軍勢で攻め込み5万5千の北条方を圧倒、たちまちのうちに小田原城を囲んでしまいます。支城を次々と攻められているとの報に慌てるなと物見を出す氏政。)

北条氏は関東一円に勢力を張り、その支城は各地にありました。本城を中心におのおのが連携して機能すれば強固な崩御網となったのでしょうけど、秀吉は本城には手を付けずに支城の方を個々に攻め潰して行ったのです。

のぼうの城で知られる忍城もその一つですね。成田氏の居城で、この戦いの時には当主の氏長は小田原城に籠もっており、守っていたのは家臣以下三千の兵でした。ここを攻めたのが他ならぬ三成なのですね。

この城は沼沢地にある水城で、攻めにくい堅城として知られていました。三成はそれを逆手に取って長大な堤を築いて川の水をせき止め、水攻めにしようとします。彼の主人である秀吉が、備中高松城を攻めた時と同じ手法ですね。

三成は短時間の内に堤防を築き上げ、水攻めを開始しました。順調に水かさが増えていき、水攻めが成功するかと思われたその時、大雨が襲ったのでした。川の水量は激増し、せっかく築いた堤防を破壊してしまったのですね。このため、三成の軍は被害を受けてしまい、功をあせった三成は力攻めに切り替えました。

ところが、そうなると事前に予想されたとおり沼沢地が障害となって思うようには攻められず、手間取っている間に小田原城の方が開城してしまったのです。忍城は、その小田原からの指令を受けた事で開城しています。

ドラマでは秀吉の側にあって軍議に参加していた三成ですが、実際には攻城の司令官として野戦の地にあったのですね。そして、この忍城を落とせなかった事から、彼の戦下手という評判はその後もついて回る事になったのでした。

(小田原城を見下ろす山の上に城を築いてはどうかと進言する官兵衛。樹木で見えない様にしておき、完成後一気に木を切れば突然城が現れるという仕掛けでした。上機嫌で許す秀吉。)

(秀吉に呼ばれた淀殿。次の子が欲しいのではないかと推量するヨシ。行きたくないと困惑する淀殿。仕方がないと言うヨシ。)

(5月末、淀殿と一緒に小田原に来た江。久しぶりに再会した秀勝。)

(利休の茶席に招かれた秀勝と江。そこに現れた秀忠。驚く江。良くここに茶を飲みに来るのだと利休。元服したばかりの子供に茶の味が判るのかと皮肉る江。跳ねっ返りの娘に判るのかと言い返す秀忠。二人は言い交わした仲なのかと問う秀忠。私はそれでも良いと答える秀勝。余計な事を言うなと怒る江。いいがげんにしなさいと叱りつける利休。)

秀忠は天正7年の生まれですからこの年12歳、とてもそんなふうには見えないのにあえて子供としての演出をしています。江と同じ手法だからもう慣れたけれど、ものすごく無理があるのも確かですよねえ。ちなみに、この時江は18歳、こちらはやっと違和感がなくなって来たというところです。18歳と12歳の口げんか、画面を見ないで台詞だけを聞いていればなるほどとは思います。

(そこに現れた家康。これで失礼すると茶を飲まずに立ち去る秀忠。苦笑する家康と利休。)

(利休の下に家康が頻繁に訪れていると報告する三成。それどころか、大名達や遊女達までを裏でまとめて秀吉を陥れようとしているのではないかと推量する三成。利休が妬ましいのかと秀次。言い争う二人をほ叱りつける秀吉。)

(完成した城の樹木を切り払わせた秀吉。一夜にして現れた城に動揺し、10日も経たずに落ちた小田原城。)

小田原の一夜城として知られるこのエピソードは史実と言われています。正しくは石垣山城と言い、小田原城を眼下に見下ろす笠懸山の上に80日間で築かれたと伝わります。その名の通り石垣を用いた本格的な城で、本丸、二の丸、西曲輪、馬出し曲輪などを備えていました。ただし、天守閣まであったかどうかは判らないそうですね。

小田原城は町を丸ごと抱え込んだ惣曲輪と呼ばれる造りで、領民こぞっての籠城中も兵糧を初めとして何一つ不自由する事は無かったと言われます。その気になれば1年は持ちこたえたと言われますが、実際には3ヶ月での開城となりました。その理由は、相手の強大さを思い知らされた為なのでしょうね。

秀吉は城を包囲すると長期戦の構えを取り、陣中に遊女を呼んだり、猿楽を興行したりして将兵を倦ませる事の無いように勤めました。そして、大名達には陣中に妻女を呼ぶように勧め、自らは淀殿を呼んだのです。つまりは、秀吉にとって小田原攻めは、もはや物見遊山程度のものでしかないという演出をして見せたのです。

その空気が城中にも伝わり、相手の強大さが実感されて次第に厭戦気分が漂う様になりました。謙信や信玄と戦った頃は戦国時代の真っ只中であり、相手にも他の敵が居て、保ちこたえてさえすればいつかは去って行ってくれると判っていました。ところが、今度の相手は何時までも居座わる構えであり、北条氏の味方となるべき勢力はもはやどこにも存在しないと思い知らされたのです。一夜城はその止めの効果があったのでしょう。

開城にあたっては、北条氏の重臣たちの間で徹底抗戦か降伏かについての対立があり、堂々巡りの長い会議があったと言われます。これが小田原評定という言葉の元になったのですね。

開城後は、氏政、氏照兄弟が切腹を命じられたほか、当主の氏直は家康の娘婿であったという事から命は助けられ、高野山に追放されています。戦後処置としては寛大で、人を殺すのを好まなかった秀吉らしいやり方と言えるのでしょうか。

(かつてはあちら側に居たと淀殿。戦は嫌だと江。)

(戦勝に沸く城内を歩く江。もっと嬉しそうにしろとからむ秀吉。秀勝の側に行こうとして秀次に絡まれる江。)

(江を連れて利休の茶室を訪れた秀吉。そこには先に家康が来ていました。祝いの時に酒ではなく茶かとからむ秀吉。)

(戦勝を祝う家康。奥州の大名衆も従い、天下は秀吉のものになったも同然と言祝ぐ家康。祝いの茶ですと言って、黒茶碗を出す利休。驚く秀吉。息を呑む家康達。黒茶碗は嫌いでしたなと言って、赤茶碗を取り出す利休。そして、黒きは古き心、赤きは雑な心やと言って秀吉を睨みます。茶頭の分際でと怒りに震える秀吉。その茶頭を辞めて境に帰りたいと言い出す利休。死ぬまで自分のために茶を点てるのだと許さない秀吉。それならもう死にますかな、それとも殿下に殺して頂くかと答える利休。)

実際に利休は、ある時の茶会でこう言って黒茶碗を秀吉に勧めたそうです。万事派手好きの秀吉は、黒茶碗は好みではなかったそうですね。客人の前で恥をかかされた秀吉は利休を恨み、賜死の一つの要因になったとも言われています。

それにしてもこの利休と秀吉の対立の描き方は唐突で、見ている側は訳が判らないですよね。先を急ぐのは判るけれど、もう少し説明があっても良いのではないかしらん。淀殿との仲はあんなに時間を掛けているのにね。まあ、脇役とあっては仕方がないのかな。

次回利休の切腹をどう描くのか、楽しみではあります。

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