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2011.05.01

江~姫たちの戦国~16 関白秀吉

(大阪城。母、姉、妹の再会を喜ぶ秀吉。)

(秀吉の身内のみすぼらしさに顔をしかめる初。あいさつに行こうと言う江。同意する茶々。)

(江達にぎこちなくあいさつする木下家の人々。江達を紹介する秀吉。ざっかけない秀吉の身内達。彼女達を前に将軍になると宣言する秀吉。あきれる人々。百姓出が将軍になれる訳がないと斬り捨てるなか。)

(一人、秀吉は将軍に相応しいと主張する三成。身内の中でただ一人賛同する旭。たわけがとあきれるなか。)

(秀吉のねらいは茶々にあると龍子。なるほどと思う江達。そうなれば気持ちが傾くかと聞かれ、懸命に否定する茶々。)

(江に将軍になるための知恵を出せと迫る秀吉。無理だと断る江。なんとかせよと命ずる秀吉。無理矢理、前の将軍義昭に頼めと答えを出す江。怒りながらも、なるほどと思う秀吉。)

(秀吉を猶子にと頼まれ、怒りに震える義昭。百姓上がりが源氏などなれるはずもないと秀長に向かって居丈高に断る義昭。)

この頃、義昭は毛利氏の庇護を受けて備後の鞆に居ました。実はそこまでは知らなかったのですが、Wikipediaに依れば、この時はまだ征夷大将軍の座にあったのだそうですね。すると、秀吉が義昭の養子になろうとしたのは、ドラマの様に単に源氏の一族になるという訳ではなく、足利幕府の16代目将軍になろうとしたというニュアンスになるでしょうか。ただし、この話は有名ではありますが俗説という意見もあるらしく、どこまで史実かは判りません。

(江とおねを前に、怒りにまみれる秀吉。おねから諫めて欲しいと頼まれた宗易。義昭を一泡吹かせる手はないかと言い出す秀吉。義昭より偉くなるより無いと江。帝にはなれないと秀吉。帝の次に偉いのは誰と聞く江。それは関白だと答える宗易。その為には五摂家の養子か猶子になるしかないと聞き、関白にならなれるかも知れないと気付く秀吉。無理だと諫めるおね。無理は人の心が作るものだと宗易。それを聞き関白になると宣言する秀吉。)

(猿が関白になれるわけが無いと初。同意する茶々達。)

(近衛龍山に養子の件を持ち込んだ秀吉。その引き替えに孫を前子を養女に迎え、行く行くは帝の后に据え、そして近衛家には千石を寄進すると条件を提示する秀吉。そして、手みやげとして豪勢な金銀を持参したのでした。)

(近衛家に取り入った事を知る家康。あいさつに行った方が良いのではないかと進言する正信。その必要はないと家康。彼は本拠を駿府に移し、北条や伊達と結ぶつもりだと日本を二分する構想を披露します。)

(大阪城で畑仕事をするなか。摂関家の養子になったと自慢する秀吉。無関心ななか。)

(養子の次の手を考える秀吉。立身出世はもう沢山だと言うおね。ここまで来て止められないと秀吉。)

(秀吉の下を訪れた忠興とたま。彼は復縁を許してくれた礼に訪れたのでした。鷹揚に構えながらも、たまの美しさに目を付ける秀吉。)

これもどこまで史実かは判りませんが、秀吉はたまの美貌に目を付けていたと言われます。忠興はその秀吉の好色から守る為にたまの外出を禁止し、事実上の軟禁状態にしていたとされますね。そのあたりのエピソードが今後出て来るのでしょうか。

(たまに会いに来た江達。父、光秀が本能寺の変を起こした事を詫びるたま。女には関係の無い事だと水に流す茶々。かつての日々を懐かしむ江達。幽閉されていた日々の苦しさを語るたま。それを救ってくれたのは耶蘇教でした。今は何よりデウスが大事と語るたま。江にも信心の道をと進めるたま。今暫くは自分の力を信じてみたいと江。もっとキリシタンの話をとせがむ初。)

(宗易に茶道を習う忠興。忠興に関白になるための手だてを相談する秀吉。二条関白に龍山の息子、信尹が隠居を迫っており、このままでは朝廷を巻き込んだ争いになるかも知れないと伝える忠興。それだと礼を言う秀吉。)

(近衛家に行き、自分が関白になった後はいずれその地位を信尹に譲ると切り出す秀吉。なぜ百姓風情が関白にと見下す信尹。前に倍する金銀を見せる秀吉。二条と近衛で争えば恨みが残る、しかし前例の無い武家関白なら禍根は残さないと三成。さらに他の摂関家にも500石寄進すると秀吉。)

摂関家の争いに秀吉が乗じたのは史実の様ですね。さらに調べてみると、その争いの原因となったのは他ならぬ秀吉に対して与えられるべき官位にありました。

この時、秀吉の官位は内大臣だったのですが、天下人には軽すぎるとして右大臣に任命しようとする動きが朝廷内にありました。ところが、秀吉がこれを嫌がったのです。信長が討たれた時に就いていた官位が右大臣で、縁起が悪いと難色を示したのですね。その代わりとして、秀吉は一足飛びに左大臣への昇任を要求したのですが、この時の現役の左大臣が信尹でした。朝廷では秀吉の権勢に逆らう術はなく、信尹に辞任を求め、いずれ二条関白が引いた後は彼を関白に据えようと考えた様です。二条関白は就任後まだ半年で、信尹と一緒に辞職を求めるには早すぎたのでした。

ところが、今度は信尹が難色を示します。関白への就任にあたっては、「前」左大臣という肩書は前例が無いというのです。そこで彼は二条関白に隠居を迫り、早期の関白就任を目指したのでした。しかし、二条関白にしてみると、わずか半年で関白を退いたという前例が無く、やはり譲る訳には行かないのでした。

この内紛に目を付けたのが秀吉で、ドラマにあった様に自分が関白に就く事で事態を収め、その後は信尹に譲るという案を示して近衛家の了解を得たのでした。

(関白宣下の内示を受けた秀吉。)

(衝撃を受けて倒れる義昭。)

(関白宣下に驚く茶々達。そこに公家姿で現れ、関白になると告げる秀吉。祝いを言う茶々。その言葉を聞きたかったと秀吉。わざわざそのために京都から戻ったのかと驚く江。身内のためだと茶々。それはこれからだと答える秀吉。)

(秀吉の本気を知りとまどう茶々達。ますます秀吉が嫌いになったと茶々。その一方で、関白とてはたいしたものだとも言う茶々。不安を覚える江。)

ドラマでは茶々に認めて貰うために関白を目指したと描かれていましたが、無論史実ではなく、政権のバックボーンとして朝廷の権威を利用しようとしたのですね。武家政権の象徴である征夷大将軍には源氏しかなれず、それに代わるものとして朝廷に目を付けたのでした。

このドラマの筋書きでは、関白就任が非常に矮小化されている印象を受けてしまいますね。浅井三姉妹に焦点を絞っているのでこうなるのでしょうけど、少し茶々にスポットライトを当てすぎているという気がします。

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