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2011.05.30

新選組血風録の風景~胡沙笛を吹く武士 その2~

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(小つるは祇園町の髪結いだった。住まいは建仁寺町の路地奥にあった。鹿内とはその後三度逢い、その都度祇園林の茶屋に行った。しかし、鹿内は故郷の話を面白可笑しく話すだけで、小つるの手も握らなかった。)

今は祇園町と言えば写真の花見小路周辺をイメージする人が多いでしょうけど、ここが開けたのは明治以降の事で、幕末の頃までは主として四条通以北が賑わっていました。南側はと言えば、四条通に沿って水茶屋などが軒を並べていた様ですね。

一方、建仁寺町という地名は今の地図では見あたりませんが、かつては大和大路通以東、四条通から南側一帯を指す地名だった様です。要するに上の写真の界隈一帯がそうで、主として建仁寺の境内になっていました。ただ、その周辺では江戸時代の半ばから宅地開発が進んでいたらしく、町家も多く建てられていた様ですね。

つまり、小つるは今の祇園町北側の置屋などを得意先とし、住まいは南側の町家の中にあったというイメージになるのでしょうか。

(こつるは鹿内を観察するのが楽しかった。鹿内がこつると会ってから際だって変わったのが服装である。粗末な紋服は止めて、黒羽二重の羽織袷を着る様になっていた。ただ、袴までは手が回らないらしく、相変わらず薄汚れた小倉の白袴のままだった。)

(小つるは、仙台平の袴を仕立ててやった。四度目に逢った時、鹿内に穿かせてみた。堂々とした体躯の彼にはとてもよく似合っていた。)

前回吉村貫一郎からは、その出身地だけを拝借したのだろうと書いてしまいましたが、そうではなかったですね。この堂々とした体躯という描写は、新選組始末記にある「背の高いしっかりした体格」という記述から来ている様です。小つるが最初に鹿内に会った場面で、鹿内が「長い足を草の中に投げ出している」という描写があるのも、同じでしょうね。

(鹿内の変化に気付いたのは、小つるだけではなかった。彼の組頭である原田左之助もまた鹿内を良く見ていた。)

(原田は気の荒い一徹者として知られている。しかし、彼は鹿内の剛胆さを愛していた。)

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(元治元年三月、長州系の浪士十数人が、密かに入京して来た事がある。探索の結果、彼らは寺町丸太町の伊吹屋という旅籠に泊まっているらしい事が判った。原田は組下の者を率いて急襲したのだが、浪士達は既に出立しており、空振りに終わった。しかし、鹿内は浪士達はまたここに戻って来るのではないかと思い、原田にその旨を具申した。原田はまさかと思いながらも、土方に取り次いでやった。土方もまた鹿内に好意を寄せており、手柄を立てさせてやれと言って、隊の機密費を渡してやった。)

(鹿内は、奥州塩竃の禰宜に変装し、伊吹屋に泊まった。待つ事15日、果たして四人の浪士達が舞い戻って来た。宿の亭主に以前と同じ浪士と確かめた鹿内は、小者を使って隊に知らせると共に監視を続けた。ところが、夜になると浪士達は出立の用意を始めた。)

(鹿内は意を決して廊下に出、浪士達の部屋の唐紙を開けた。驚いて振り向く彼らに、新選組の鹿内というものだと名乗ると、ぱっと抜き打ちに斬ってきた。鹿内はその相手を一刀の下に倒した。以下、乱闘になった。)

(鹿内は室内戦となる事を考慮し、一尺九寸という長脇差を使っていた。その脇差で三人までは倒した。後の一人は窓の手すりを乗り越えて、外の丸太町へと飛び降りた。その敵が待ちかまえている事を知った鹿内は、脇差を投げつけて怯ませた隙に地上に降り立った。切り結ぶ内に突きに転じようとした時、刀のぼうしが欠けている事に気付いた。鹿内は、やめだと言って刀を引いた。相手はほっとして逃げ出して行った。)

(土方は鹿内の功績を大とし、すぐに助勤に昇格させようとしたが、近藤が同意しなかった。その理由は、鹿内の風采が上がらなかった事、そしていざと言う時に聞き取りにくい程の奥州なまりがあるため、指揮役は無理だろうという事であった。)

上の写真は今の(と言っても3年ほど前に撮ったものですが)寺町丸太町の様子です。当然ながら伊吹屋という宿はなく、何の変哲もない街角といったところでしょうか。場所としては京都御苑の東南角にあたり、近くには下御霊神社があります。

浪士達が朝廷工作のために潜入したとするならロケーション的には悪くないのですが、御所の周辺は警備の最重点区域だったはずであり、あまりに大胆に過ぎる行動と言うべきでしょうか。無論こんな事件は実際には無く、作者による創作である事は言うまでもありませんが、モデルとなった浅野薫は探索方を努めていた事があり、その経歴を下敷きにしているのかも知れませんね。

また、剣の達人という描写は、吉村が剣術師範頭を勤めていた事を踏まえているのかも知れません。元来が医者で、かつ学才に長けていたという浅野よりも、この颯爽とした姿は吉村にこそ相応しいという気もします。

(その鹿内が人変わりした様に垢抜けてきている事に、原田は不審を覚えた。しかし、彼には女が出来たのだろうという見当も付いていた。彼自身、仏光寺の仏具商の娘、おまさと所帯を持ったばかりであり、既におまさの腹には子が宿っていた。)

(土方もまた、鹿内の働きぶりが冴えてきている事に気付いていた。土方は原田にその事を言い、原田は女が出来ているらしいと答えた。土方は女はほどほどな薬になるらしいと言い、この事が隊内に広まり、以後鹿内の女を薬と呼ぶ様になった。)

(しかし、鹿内は小つるの手にも触れていない。奥州生まれの彼には王城の地の女という幻想があり、むくつけく振る舞って嫌われる事を恐れた。だから話ばかりをし、服装もあらためた、ただそれだけのことであった。)

原田の妻がまさという名であった事は良く知られています。新選組!ではぜんざい屋を切り盛りしていましたが、実際には仏光寺通堀川東入るに住んでいた菅原長兵衛という町人の二女でした。菅原家は名字帯刀を許されていた由緒正しい家柄で、高嶋屋という屋号で商いを営んでいました。ただし、それが仏具商であったかどうかは定かではありません。また、原田がどうやってまさと知り合ったのかも謎ですね。

まさは当時18歳、原田は26歳でした。ただし、所帯を持ったのは屯所が西本願寺に移った直後とされている事から、慶応元年3月か4月ごろと推定されます。この小説ではまだ池田屋事件が起きる前に設定されていますから、1年近く時期が合わない事になりますね。

以下、明日に続きます。

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