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2011.04.24

江~姫たちの戦国~15 猿の正体 

(一成と無理矢理離縁させられた怒りから、大阪城から逃げ出そうとする江。しかし、あまりの広さ故に、出口が判りません。)

(悔し紛れに、姉たちに怒りをぶちまける江。なだめる様に、妹との再会を喜ぶ茶々。)

(一成が信包に仕えたという知らせをもたらしたおね。しかし、江はもう一成の下に戻る事は出来ないのでした。)

(江が生娘のままである事を確かめ、喜ぶ初。自分を大事にしてくれた一成が好きだったとつぶやく江。)

(伊勢、上野城。一成と感慨に耽る信包。江に手を付けなかったのは、秀吉の思惑を考えての事だったと告白する一成。驚く信包。しかし、可愛い嫁だったと江を偲ぶ一成。)

(もう後は振り向かないと決意した江。)

(復讐のために秀吉の身辺を探ると言い出す江。秀吉はたたの成り上がり者だと吐き捨てる初。)

(秀吉には養子が多いと教えるヨシ。秀家、秀勝、秀康の姿を遠くに見る江。秀康は家康の息子で、実は人質だと聞き、気の毒がる江。ところが秀康は秀吉を父と呼び昵懇の様子である事が見て取れ、いぶかる江。)

(浜松城。本田正信に竹千代の後見を頼む家康。竹千代の素質を引き出してやってくれと頼まれ、引き受ける正信。)

(大阪城。三成に秀吉の事を聞く江。機転が働き、人を見る目が確かだと答える三成。彼は自分が見いだされた時の逸話を語ります。ただの自慢話だと切って捨てる江。)

(秀長の下を訪れた江。秀吉のおかげで自分は人がましくなれた、身内を一番に考えて思いやる、それが秀吉だと答える秀長。)

(官兵衛に、秀吉には弱点などは無いのかと聞く江。血を嫌う事か、戦でもなるべく戦いは避け、敵を降参させようとすると答える官兵衛。では隙の様なもねのは無いのかと聞く江。あるとすれば優しい事か、養子達があんなに懐いているところを見ても判る、それが人たらしと呼ばれる所以だと言う官兵衛。)

(秀次とぶつかりそうになる江。昼から酒臭い秀次ですが、秀吉は天下をいずれ取る、百姓上がりが天下人になるとは愉快なご時世だと言って去っていきます。)

(側室達はどうかと言う江に、既に調べてあると答えるヨシ。彼女の調べでは、悪口を言う側室は一人も居ないのでした。)

(龍子に恨みは無いのかと聞く江。昔の事を言っても始まらないと答える龍子。不満は無いのかと江に聞かれ、強いて言えば新しい着物が欲しい事かと言って江をあきれさせます。)

(おねに、夫婦になった頃の事を聞く江。百姓上がりからおねの夫になった事でやっと武士の身分に潜り込んだ事、ずっと貧しい生活が続いた事、何日も家を空けた事、訳の判らぬ連中を泊めた事、今でも養子を次々に取り、その世話をまかされている事、さらには数多くの側室を迎え、彼女たちとも仲良くしろと言われた事などを語るおね。なぜ辛い事を楽しげにはなせるのかと江に聞かれ、秀吉が格別な者と思っていてくれるからだと答える江。)

(最後に宗易の下を訪れた江。秀吉に復讐したいのだと聞き、難儀な事だと嘆く宗易。秀吉は成り上がりで身内思いで、人たらしだと言う江に、秀吉はそれだけの人ではないと答える宗易。それを知るには、自分の目で確かめるしかないと言われ秀吉の部屋をそっと覗き見る江。)

(部屋の中で紀州攻めの軍議をしている秀吉達。副将を命じられながら、どこか自信なさげな秀次。)

秀吉に依る紀州攻めは、天正13年3月から4月にかけて行われました。当時の紀州には大名は存在しておらず、根来寺や高野山といった宗教勢力、雑賀衆といった地侍集団が割拠する地でした。信長の時代には石山合戦を経て協力的になっていましたが、秀吉の時代となると再び割拠主義に戻り、小牧・長久手の戦いの時には家康方に付いて、秀吉に叛旗を翻したのです。

秀吉はこれを許さず、10万の大軍を催して攻め入りました。秀次はドラマにあった様に、副将を勤めています。ただし、自軍に大きな損害を出すなど、あまりぱっとしない戦い振りだった様ですね。

紀州攻めが終わったのは4月末頃の事で、ドラマで桜が出ていたのはその時期を現していたのでした。

(秀吉に呼び出された江。紀州を取ったと自慢する秀吉。存じていると答える江。娘であるからには、おめでとう位は言えとなじる秀吉。戦は嫌いだと答える江。自分の周辺を探っているのは自分の首でも欲しいものかと聞く秀吉。そうだと答える江。笑い飛ばす秀吉。その江に知恵を貸して欲しい、秀次の不甲斐なさを何とかしたいと相談する秀吉。全てを秀次に背負わせてしまえば覚悟が定まるのではないかと答える江。せめて父と呼べと言う秀吉。いやだと答える江。)

(秀吉が病だと聞き、驚く江。彼女は秀吉の見舞いに出かけます。)

(ところが、秀吉の病とは四国攻めを秀次にやらせるための仮病でした。すべてを秀次にまかせて大丈夫なのかと聞く江に、失敗したらそれで構わない、今回は江の言葉を信じたのだと答える秀吉。信長も百姓出の自分を信じてくれた、それに比べれば秀次は身内だ信じぬ訳には行かないと言われ、とまどう江。)

(そこに四国攻めの知らせが入ります。秀次が次々に戦功を上げていると聞き喜ぶ秀吉。これで秀次も自分の力で何かを越えただろうと江に礼を言う秀吉。戸惑う江。)

秀吉に依る四国攻めは、天正13年6月から開始されています。当時、秀吉は病にあったとされ、総大将は弟の秀長が勤め、秀次は副将でした。相手は四国を統一した長曽我部氏であり、紀州勢と同じく小牧・長久手の戦いの時に家康に味方していたのでした。

秀吉軍は10万以上の兵力で、伊予、讃岐、阿波の三方面から攻め込み、秀次は秀長と共に阿波の戦線を担当しました。圧倒的な兵力差によって秀吉軍は優位に戦いを進め、秀次も諸城を攻略しています。

(これで自分も一つ越えられた気がすると言う秀吉に、信長は越えられないと突っかかる江。その様な大それた思いはないと一蹴する秀吉。ではなぜ信雄を攻めたのだと迫る江。一つには、三法師の為だと言う秀吉。信雄が織田家の嫡流たる三法師の後見である自分に刃を向けた、これを許せば家中が乱れるばかりだったからだと答える秀吉。それは嘘だ、いずれは織田家を滅ぼすためではないのかと責める江。そんな事はない、その証は信雄の命を助けたと言う秀吉。)

(実は、信長に似ている江が怖いと告白する秀吉。嫁に出したのは、江を遠ざけたかったからかも知れないと言う秀吉に、本当は茶々が欲しかったからだろうと反駁する江。うっかり、それもあると言ってしまう秀吉。睨み付ける江。それだけではない、そなたが恐ろしかったのだとしょげる秀吉。)

(戦で死ねば良いと思って嫁に出したのかと迫る江。そんな事はない、それなら呼び戻しはしなかったと答える秀吉。それならなぜ呼び戻したと聞く江に、信長に似た江が居ないと寂しいと思ったという秀吉。信長に少しでも近付きたい、今の自分を見せたいと思った、それゆえ江を養女にしたのかも知れないと言う秀吉。あきれる江。勝手な思いで勝手な事をしたと謝る秀吉。そんな事で許すと思うかと憤る江。ひたすら謝る秀吉。数々の振る舞いを許すわけがあるまいと言って、涙ぐむ江。それほどまでに苦しめて済まなかったと謝る秀吉。泣きながら江を抱きしめる秀吉。秀吉に抱かれながら泣き崩れる江。)

(姉達の下にかえって来た江。そこにもたらされた黄金の猿。腹が立った時は、これを殴るなり蹴るなりせよという秀吉の思し召しでした。秀吉は大嘘つきだ、しかし、その大嘘の中に真実がある、その真に人は動かされてしまうと姉たちに告げる江。)

ドラマの大筋は秀吉に対する一般的な評価であり、12歳の少女があんな事を言うかといういつもの部分を除いては、とりたててどうこう言う所はありません。いわゆるツンデレと言いますか、最初は違和感があっても最後はみんな良い人になってしまうというこのドラマのパターンですね。まあ、こんな事だろうとは思っていましたが。

次回は秀吉の関白就任が描かれるようです。これにまた江が絡んで行くのだろうなあ。完全な創作部分だけに、自由闊達に動くのでしょうね。

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