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2011.04.17

江~姫たちの戦国~14 離縁せよ

(近江、安土城。江の婚礼の日、妹の事を案じる姉たち。)

(尾張、大野城。婚礼の席で気を失った江。その原因は初夜の心得を書いた枕絵にありました。)

(事情を知り、江に優しく接する一成。嫁に来て良かったとつぶやく江。)

(信雄の下にあいさつに訪れた一成と江。上機嫌で応じる信雄。織田家を継げるのは自分のみ、いよいよその時が来たと言う信雄。そこに家康が来客として現れました。)

(家康との席上、秀吉が尾張に攻めてくると言い出す信雄。そんなはずはない、自分は戦にしない為に嫁いだのだと抗議する江。しかし、秀吉の先鋒が京を発ったという知らせが入ります。一成に向かって寝返りは許さぬという信雄。自分は織田の人間だと答える一成。羽柴には姉たちが居ると訴える江。そんな事をここで言うなと一喝する信雄。)

(戦となる事を知りながら自分を娶ったのかと問い質す江。織田を一枚岩とする為だと答える一成。姉たちはどうなると問う江に、今はすまぬとしか言えぬと答える一成。)

(安土城。秀吉に向かって戦を止める様にと手紙を書く茶々。姉妹の間をつなぎ止めるべく江に書くと言う初。)

(1584年(天正12)4月、開戦。初戦から負け戦が続いている秀吉勢。一成はなぜ寝返らぬと苛立つ秀吉。そこに届いた茶々からの戦を止めて欲しいという手紙。茶々を可愛く思いながらも、家康が敵方に居る限りそうは行かないとつぶやく秀吉。)

小牧・長久手の戦いと呼ばれるこの戦は、秀吉軍10万、信雄・家康軍3万の軍勢が対峙したと言われます。もっとも、実数はもう少し少なく、秀吉軍8万、信雄・家康軍1万6千程度ではなかったかともされています。どちらにせよ秀吉軍が圧倒的に有利なはずだったのですが、実際には不利な戦いを強いられました。

まず、3月13日に、信雄方として犬山城に入っていた池田勝入斎(恒興)が、秀吉方に寝返った事から戦が始まります。これに対応すべく3月15日には家康が小牧山城に入りました。この動きを知った森長可が、小牧山城の攻略を目指して動き出したのですが、羽黒という所まで進出した時に徳川方の酒井忠次と榊原康政に急襲されて敗退してしまいます。この戦勝によって、家康は楽々と小牧山城の野戦築城を開始する事が出来ました。このあたりの戦いまでを小牧の戦いと言うのですね。

実のところ、秀吉は戦いが始まっても前線に出る事が出来ませんでした。彼は築城中であった大阪城の普請の監督を行うと共に、家康が敷いた秀吉包囲網、つまり四国の長曽我部元親、紀州の雑賀・根来衆、越中の佐々成政といった周辺の敵に対する手当てをせねばならず、大阪から離れる事が出来なかったのです。森長可の行動などは制止すべきものでしたが、大阪からでは指示が徹底せず、長可が独断で動いた結果の敗戦でした。

秀吉が前線に着いたのは3月27日の事でした。家康は既に陣地の構築を終えており、秀吉側から平押しに攻めるのは無理な状況と判断した秀吉は、自らも長大な陣地の構築を始めます。こうして、戦線は膠着状態に入りました。

(本陣に駆け込んできた秀次。彼は空になっている家康の背後を衝くべきだという作戦を持ってきたのでした。危ぶみながらも、秀次の立場を考え許可を与える秀吉。勇んで出陣する秀次。)

(数日後、敗退した秀次軍。)

(戦勝に盛り上がる信雄の陣営。舞い上がる信雄に危うさを感じる一成と家康。)

(帰陣した秀次に目通りする秀吉。厚かましくも言い訳をする秀次を折檻する秀吉。その果てに戦は止めだとつぶやく秀吉。)

前線の家康の隙を衝き、その本国に攻め入るという「中入り」という策を献策したのは、秀次ではなく池田勝入斎だったとされます。彼は信長の乳兄弟であった人で、清洲会議の時には織田家の宿老の一人として参加し、秀吉に有利になる様に動いた事で知られます。織田家にあっては名門であり、秀吉などは格下と見下していました。秀吉にしても織田家譜代の勝入斎は扱い難い相手であり、無碍にその策を断る事が出来ないという事情がありました。

中入りは成功すれば効果は大きいのですが、途中で発見されれば孤軍となるため、大きな危険を伴う策でした。秀吉とすればとても採用する訳にはいかなかったのですが、勝入斎に対する遠慮からか遂に許可してしまいます。

これに参加するのは勝入斎のほか森長可、堀秀政等でした。長可は勝入斎の娘婿であり、勝入斎は先の羽黒の戦いの雪辱をさせてやろうとこの作戦を立てたのだとも言われます。秀吉はなおもこの策を危ぶみ、秀次の兵8千をこれに付けて、彼を総大将としたのです。数を増やし、かつ、指揮権を自分の方に置いておくつもりだったのでしょう。

総計2万の兵が、戦線を迂回して三河を目指します。しかし、これだけの兵力が隠密裏に動けるはずもなく、すぐさま家康の知るところとなってしまいました。秀吉軍の先鋒は勝入斎、2陣が長可、3陣が秀政、そして4陣を秀次が率いていました。家康は康政らに命じてこれらの軍を追尾させ、白山林というところで最後尾の秀次軍に襲い掛かります。

秀次には自分たちこそ奇襲する側という意識があり、家康軍の動きには全く注意を払っていなかった様です。そして、無防備に朝食を摂っているところを急襲され、あっという間に壊乱してしまいました。秀次は乗馬も失い、命からがら徒歩で逃げ帰ったと言います。

この壊乱を前を行く諸隊は知りませんでした。その中でも、秀政は遅ればせながらも敗報を知ると行軍を止め、徳川軍を迎え撃ってこれを撃退しています。しかし、家康が本軍を率いて急行中である事を知ると、これ以上の戦いは不利であるとして撤退してしまいました。

残された勝入斎と長可の隊は悲惨でした。家康出現の報に接した彼らは引き返そうとしたのですが、その行く手を家康軍が塞いでしまったのです。この時、勝入斎達が陣を敷いた場所が長久手でした。激闘は2時間に及んだのですが、長可、勝入斎が討ち取られるに及んで秀吉軍の大敗で終わっています。

(一成からの手紙を読み、戦は勝っていると喜ぶヨシ。どちらが勝っても困った事になると弱る江。そこに初の手紙が届きます。江を思いやる姉の手紙に心が安まる思いのする江。)

(1584年(天正12)年12月。信雄に和睦を申し入れた秀吉。官兵衛と応対する信雄。城と領地は返す、大納言に推挙すると次々に好条件を示す官兵衛にその気になる信雄。反対する一成に、戦には納め時があるのだと一喝する信雄。全ては秀吉の策略でした。)

(信雄和睦の報を聞き、兵を引く家康。)

(和議がなったと喜ぶ江。)

(大阪城に招かれた茶々と初。その豪華絢爛さに驚く二人。彼女達を出迎えた秀吉。)

(江の婚家を攻めた秀吉を責める茶々。既に和議がなった、全ては過去の事と誤魔化す秀吉。彼は彼女たちの部屋を用意したと言い、これからはここに住むのだと言い渡します。)

(江が居ないと物足りないと言う秀吉。姉たちに会いたいだろうと気遣うおね。それだと手を打つ秀吉。)

(豪華な部屋を見て、何を考えているのかと憤る茶々。)

(茶々に謝るおね。彼女は部屋の豪華さは秀吉の詫びの気持ちだと伝えます。そして、共に大阪城で住める事は喜ばしい事だと言い、茶々もまたおねに会うと何も言えなくなってしまうと答えます。)

(大野城。帰城した一成を喜んで出迎える江。増水した川を渡れない家康を助けたと伝える一成。)

(名実ともに夫婦になる決心は出来たかと聞く一成。答えられない江。そこに届いた初の手紙。そこには茶々が重い病に罹ったとありました。すぐに見舞いに行く様にと勧める一成。礼を言って部屋を出る江。)

(大阪城に着いた江。そこで見たのは庭で雪遊びをする茶々と初の姿でした。いぶかる江達。手紙は秀吉が書いた偽物でした。)

(江に城を見て欲しかったのだと言う秀吉。こんな城は、品のかけらもないと怒る江。そんな江に、この城から出ても帰るところは無いと告げる秀吉。いぶかる江に、一成とは離縁となった、は既に一成の領地を召し上げ、城からも追放したと告げる秀吉。理由は、一成が家康の撤退に手を貸したという事でした。驚き怒る江に、自分は養父だから何とでも出来るのだと嘯く秀吉。一成との日々を思い、惑乱する江。江に攻められながらも、江が帰ったと嬉しそうな秀吉。)

江を呼び戻す為に偽の手紙を使ったという説は確かに有るようですね。その一方で、一成が敗将の礼として江を実家に送り返したとする説もあります。

また、江が秀吉の下に戻ったのは5年後の事だとする説もあります。その説では、江と一成の間には二人の娘があったのですが、江が離縁となった後に、一人は悲嘆のあまりに入水し、もう一人は盲目となって出家し、京都の嵯峨野に庵を結んで暮らしたと言われます。

このあたり、後に徳川将軍家の嫁となった人物にしては情報が錯綜していますね。

いずれにせよ、江を政略結婚のための持ち駒として扱った事は確かですね。これは当時としてはさほど珍しい事ではなく、例えば秀吉は自分の実の妹「朝日姫」に対しても同様の事をしています。秀吉は朝日姫を夫の佐治日向守と無理矢理離縁させた上で、家康の正室として送り込んだのです。それほど閨閥が重視されていたとも言えますし、女性の扱いが軽かったとも言えます。当人にとってはたまったものではなかったと思いますけどね。

なお、所領を没収された一成は悲憤のあまり自害したとも言われていましたが、実は織田信包に仕えていました。そして、66歳まで生きて京都で生涯を終えています。

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