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2011.02.03

新選組血風録の風景 ~沖田総司の恋 その4~

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(坂の下では、京都の町に灯りともり始めていた。それを眺めながら、「京の秋の灯ともしごろというのは、いいものだなあ、総司。みんな生きてやがるなあ、てえ感じがする。」と語りかける土方。)

「この作品中で、私が一番好きなシーンがここなのですよ。京都を離れて数年経った頃、この一節を読んだ時に目の前に故郷の景色が広がった様な気がしたのです。矢も盾もたまらず、今すぐ京都に帰りたいと思ったのを覚えています。」

「以来、秋の灯ともしごろになると、清水坂に出かけてみる様になりました。ただ、小説の様なシーンは、残念ながらほとんど見えないのですよね。屋根越しに一部見える場所もありますが、感慨に耽るという程ではないのです。」

「ですので、小説のシーンを思い浮かべるには、清水寺の高台に立つ外はありません。特に西門の南側はお薦めですね。あと、場所は違うけれど、霊山の坂本龍馬の墓の前、あるいは高台寺駐車場なんかも良い眺めです。」

(あの娘を貰うが良いと言う土方。そんなんじゃないと答える沖田。彼は自分が新選組隊士であるとは悠に告げていなかった。京の人間が自分たちをどう見ているかを、沖田は痛い程知っていたのである。しかし、土方や近藤にはそれが判らない。)

「新選組隊士が「壬生浪」と呼ばれて蔑まれていた事は良く知られています。当時の京都の人にしてみれば、余所者が警察権を持って我が物顔に振る舞うのが片腹痛かったのでしょう。しかも、その前身がただの浪人集団であった事を知っている訳ですから、歓迎される理由には乏しかった事が想像されます。」

(屯所に戻ってから、土方は近藤に今日の一件を報告した。そして悠の事に触れ、機を見て近藤から玄節の方に縁談を持ち込んではどうかと持ち掛けた。これには沖田家の相続の事情も絡んでいた。)

(沖田は長男として宗次郎という名を貰っていた。姉の光もまた、沖田が成人した後は家督を継がせるつもりで居た。しかし、林太郎という義兄が既に家を継いでいる事に遠慮した沖田は、名を総司と改め、跡継ぎである事を示す宗の字を捨ててしまった。この事を知っている近藤達は、沖田にはいち早く嫁を持たせて、沖田家の跡取りとなる子を設けさせるべきだと考えたのである。)

「沖田の幼名は、惣次郎と言いました。これは、日野の八坂神社に奉納されている天然理心流の献額に記されている事から確認出来ます。この額が奉納されたのは1858年(安政5年)の事で、天保13年生まれ説を採れば17歳の時となりますね。」

「その後、1861年(文久元年)に塾頭となった頃、惣司と改名している事が判ります。理由は判りませんが、人の上に立つ立場となった事で心機一転をしたかったのかも知れません。」

「なお、彼の墓は東京麻布の専称寺にありますが、そこには宗次郎と刻まれています。小説ではこの事実を踏まえて、跡継ぎである事を放棄したと創作したのでしょう。」

「余談ですが、この専称寺があるのは、六本木ヒルズのすぐ近くになります。私が行ったのは20年以上前の事なのでヒルズはまだ無かった頃なのですが、当時も十分賑やかな場所でした。そんな華やかな場所から少し外れただけで、江戸の香りがするお寺があったのですね。既に出入りは禁止されていて外から眺めただけでしたが、屋根が付いているのですぐに判りました。千羽鶴がかけてあったかな。小説の彼方にあった人物が急に目の前に現れた様な気がして、しばし見とれていたのを覚えています。」

(翌日、近藤は玄節の家を訪れた。玄節は新選組の局長の来訪に驚いたが、きっと自分が西本願寺の侍医を務めている事を知り、その嫌がらせに来たのだろうと見当を付けた。彼はあしらってやるつもりで近藤を座敷に通した。ところが、近藤は丁重な態度で臨んで来る。あてが外れて戸惑う玄節。)

(しかし、近藤の用件が悠の縁談である事、その相手が沖田であり、彼も又新選組隊士である事を知るに及んで玄節の驚きは頂点に達した。本願寺との関係がある以上、新選組とは関わりを持ちたくない玄節は、悠は医者の娘らしく医者に嫁がせるつもりであると言って婉曲に断った。玄節の本心を知りながらも大人しく引き下がった近藤。)

(屯所に帰り、事の顛末を沖田に話す近藤。驚いて、もう半井家にはいけやしないと冷や汗をかく沖田。相手は西本願寺と関わりのある医者だ、新選組の幹部が相手にすべきではないと諭す近藤に、私はただ遠くで見ているだけで良かったんですと答える沖田。何も言うなとしたり顔でうなずく近藤。)

「勇五郎の回想録では、近藤は縁談をまとめようとしたのではなく、沖田を諭して娘と別れさせたとあります。そして、娘には別の縁談を持ち掛けて、堅気の商人の下に嫁がせたのでした。近藤が反対した理由は判りませんが、沖田の相手には不足だと考えたのだとも、沖田が不治の病に罹っている事を考慮したのだとも言われます。」

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(夕方、一人で清水寺まで出かけた沖田。彼は誰も居ない音羽の滝の側まで行った。今日は八の日ではないので、想う人が来る事はない。それでも日が暮れまでじっと座っていた。やがて、奥の院に灯明が灯る頃になっても、沖田は座ったままで居た。そして、時々滝に手を伸ばしては水に触れてみた。悠もまた、こういうそぶりをしていた。)

(灯明を持った僧が近付いてきて、ご苦労様ですと言って立ち去った。夜参りの信徒の一人だと思われたに違いない。)

「前にも書いた様に、沖田は医者の娘の事を思うと涙を浮かべていたと言います。その気持ちを思いやってこの下りを読むと、切ないものがありますね。寂しいけれど、綺麗な良いシーンだと思います。」

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「沖田の女性関係と言えば、京都の光縁寺に墓碑がある沖田氏縁者が知られています。元々は過去帳に記載があっただけなのですが、広く世間に知られると見せて欲しいという問い合わせが重なったため、当寺の御住職が判りやすい様にと墓碑を建てられたのでした。」

「この女性が沖田とどういう関係にあったのかは判りませんが、ちゃんとした戒名を持つ事、その戒名は沖田がつけてやったのだろうと推測される事から、内縁の妻だったのではないかとも推測されています。まあ、これは想像の域を出ないのですが、もしこれが事実だとすると、薄幸の美青年というイメージからは少し遠のきますね。」

「もう一人、江戸に居た頃に一方的に惚れられた事があるとされています。その相手とは近藤の養女であったとされ、沖田の押しかけ女房になろうとしたのですが相手にされず、遂には喉を突いて死のうとしました。幸い命は取り留めて、結局は別の人物の妻に収まったと言われるのですが、何やらストーカーじみていますね。」

「史実はいつか明らかにされる時が来るかもしれませんが、私としてはこの小説のストーリーが好きですね。沖田総司のイメージは、やはりこうでなくちゃと思っています。」

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