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2011.02.28

新選組血風録の風景 ~菊一文字 その3~

(その内に有力な情報が入った。西三本木の床見世の主人が陸援隊に居ると密偵に話したのである。背丈は5尺5寸、面長であごがのどまで垂れているのが特徴だと言う。土方は沖田に、そんな面相だったかと聞いてみた。しかし、沖田は後を見ずに逃げたので覚えていないと言う。)

(陸援隊は土佐藩を母藩とした勤皇集団である。土方は近藤に討ち入るかと持ち掛けた。しかし、近藤はそれは無茶だと言う。土佐藩の実権を握る容堂候は熱心な佐幕家であったが、その配下の下級武士には過激な勤皇派が多かった。脱藩して勤皇活動に身を投ずる者が多く、新選組が斬った浮浪の中では土佐脱藩浪士が最も多い。この複雑な藩情を持つ土佐藩を幕府は刺激したく無かった。)

土佐藩の藩情が複雑だった事は、龍馬伝の中で何度も触れられたとおりです。繰り返して言えば、土佐藩では土着の士族である郷士が下士として卑しまれ、関ヶ原の後に掛川から来た支配者たる山内家とその与党である上士と対立していました。幕末期においては、山内容堂を初めとする上士層は主として佐幕派だったのに対して、下士は主として勤皇派に属しており両派はことごとくに反目しあっていたのです。そして、勤皇派の多くは脱藩して浪士となり、長州藩や薩摩藩を頼って勤皇活動を続けていました。

新選組血風録においては新選組は殺戮集団であるかの様に描かれていますが、その主任務は過激派の捜索と捕縛にあり、実際に「浮浪」を斬ったのは10数人です。その大半は池田屋事件におけるもので、それ以外だと本当に数名程度ですね。

ただ、斬られた志士の中で割合的に土佐藩士が多いのは事実で、石川潤次郎(池田屋事件)、北添桔麿(池田屋事件)、大利鼎吉(ぜんざい屋事件)、藤崎吉五郎(三条制札事件)が斬られています。これに池田屋事件で負傷し切腹して果てた望月亀弥太を加えれば5名になりますから、およそ三分の一は土佐藩士だった事になります。

(近藤は陸援隊のある白川屋敷は土佐藩の別邸であり、襲えば戦になると言う。土方は利口になったものだと皮肉を言う。かつては池田屋に斬り込み、その後の蛤御門の変を引き起こして京都を灰燼にしてしまった事がある。その近藤が土佐藩への配慮などと言っているのが土方には片腹痛かった。あの頃とは時勢が変わったのだと諭す近藤。)

作品中の時期の設定については何も書かれていませんが、陸援隊が白川別邸に入ったのが慶応3年7月の事ですから、それ以後という事になりますね。この頃の情勢は、武力討幕を狙う薩長と大政奉還路線を推進する土佐藩という構図があり、幕府としては土佐藩を敵に回す訳には行きませんでした。

一方、陸援隊は明確な討幕指向を持っており、新選組としては目障りな存在だった事でしょう。しかし、陸援隊は土佐藩の支援を受ける組織であり、その隊長である中岡慎太郎は正規の土佐藩士、その本部は土佐藩別邸でしたから、無闇に手入れをする訳にも行きませんでした。その対策としてか、新選組は陸援隊に密偵を入れて情報を探っていた様ですね。

池田屋事件の頃にはまだ幕府の屋台骨も残っていましたし、薩摩藩は友軍として振る舞っていました。切り込んだ先は民間の旅籠ですし、取り締まる相手は京に居るはずのない長州藩士と「浮浪」でしたから、条件がまるで異なります。

作者はこうした背景を踏まえて書いている訳で、現実の土方もこんな無茶は言わなかった事でしょう。

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(土方は道伯を屯所に呼んだ。沖田のために菊一文字を買い上げるつもりだったのである。値を申せと居丈高に言う土方。むっとしながらも、1万両と答える道伯。舐められたと声を上げそうになる土方。その機先を制して、まずは聞いて貰いたいと手を上げる道伯。)

(1万両とは、道伯が菊一文字に惚れ抜いた気持ちを表したもので売値ではない。道伯は沖田にも惚れており、気に入ったのなら差し上げるつもりで居た。今その気持ちが確かめられたので、改めて沖田に貰って頂くと道伯。毒気を抜かれた土方は、隣室で寝ている沖田に声を掛けた。)

(沖田は隣室で話を全て聞いていた。しかし、土方がいきさつを説明するのを聞いて無邪気に喜んで見せた。土方から花橘町の一件を聞いた道伯は、沖田が持って生まれた才能に比べれば菊一文字など下品だと言い、竹刀でも使い捨てるつもりで使って欲しいと言う。沖田は自分の物だと思えば苦にはならないと答える。)

(しかし、沖田はその後も菊一文字を使わなかった。刀は良い物を使わなければならないという持論を持つ近藤は、しつこく菊一文字を使う様に勧めた。それでも沖田は使わない。)

(沖田は労咳という死の病に罹っている。あと余命はいくらも無い事も知っていた。傍目には明るく振る舞っていた沖田だが、心の奥底では別な感情が生まれていた。菊一文字は700年もの間生き続けた。刀は戦闘に使われるものである事を考えれば、それはほとんど奇跡に近い。沖田は自らの死が近い事を受け入れつつ、菊一文字はあと700年も生き続けよと祈る様な気持ちになっていたのである。)

先日北野天満宮に行った時に、宝物館で備前の古刀と一文字派の古刀を見る事が出来ました。無論菊一文字とは違うのですが、大きく見れば同じ系統に属する刀で、興味深く見せて頂きました。確かに細身で反りが浅いですね。以前に見た和泉守兼定などとは趣を異にしている事は確かで、激しく打ち合うと折れてしまいそうな感じはします。しかし、繊細な美しさを有しており、どちらかというと美術品的な感じがしますね。

見るからに鋭利そうではありますが実戦向きとは思えず、だから大事に保管されて来たのではないかという気がしました。これが則宗ともなると一層この傾向が顕著だと思われ、沖田ならずとも人斬りに使いたいとは思わない事でしょうね。

以下、明日に続きます。

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