新選組血風録の風景 ~沖田総司の恋 その3~
(沖田はさりげなく、近くの掛け茶屋の床几に腰を下ろした。土方もそれに倣ったが、まさかそれが沖田の企みだったとは気が付かなかった。)
(沖田は茶屋の小女に餅を頼んだ。その様子に慣れたものを感じた土方は、内心この小女が沖田の目当てではないかと目星を付けた。土方は木漏れ日が差す風情に気を良くし、俳句をひねり始めた。)
(沖田はそんな土方を余所に、ひそかに周囲に目を向けていた。やがて滝の側に居た娘を見つけた。医者の娘である悠である。彼女はかがんで滝に向かって手を伸ばし、柄杓で水を汲んでいた。彼女の側には老女が居た。)
「このあたりは、小説ならではのデフォルメを感じます。つまり、滝の近くにしゃがんで普通の柄杓を伸ばした位では、滝までは届きそうにはないのです。今は滝の裏から水を汲むのが一般的ですが、それでも相当に長い柄杓が用意されています。ましてや、滝壺の周囲からではさらに長い柄杓を持たないと無理でしょう。まあ、あるいは寺に用意してあったのかも知れませんが、正直言ってあまり絵になる姿ではありませんね。」
(沖田が二度目に玄節の家に行った時、入り口で悠とすれ違った。その時悠は手桶を持っており、怪訝そうな沖田に向かって、八の日にはお茶を点てますと言って出て行った。何の事か判らない沖田は玄節に、京都では手桶で茶を点てるのかと聞いた。すると玄節は笑いながら、あれは音羽の滝に水を汲みに行ったのだと教えてくれた。沖田はきっと悠は八の日になれば同じ時間に音羽の滝に行くのだろうと見当を付け、清水寺に通う様になったのである。)
(沖田は茶屋の奥から盗む様にして悠を見ていた。しかし、悠の方からは暗がりになるので沖田には気付かない。その時、俳句が出来た土方が、笑いながら沖田に声を掛けた。しかし、沖田の目は悠に張り付いている。土方はそんな目で他人の娘を見るものではないと笑い声を上げた。その声に振り向いた悠は、そこに沖田が居る事に気が付いた。)
(悠は老女に休んで行きましょうと声を掛け、茶屋の中に入ってきた。悠はあもをと小女に頼んだ。何も頼んでいなかった土方もそれに倣って、あもをくれと注文した。思わず吹き出しそうになる小女と悠。あもというのは、餅を指す女児の幼児言葉だと土方は知らなかったのである。運ばれてきた餅を見て、なんだ餅かと言いながら仕方なく食べ始める土方。)
「お餅の事を「あも」と呼ぶのはあまり聞いた事がないですね。ただ、子供の頃近所のおばあさんが「あもさん」と言ってお餅をくれたのは覚えています。ですから、やはり京言葉の中に餅を指す「あも」があるのは確かなのでしょう。今の女の子達が使うかは疑問ですけどね。」
(その間、悠は沖田に話しかけていた。父は寝ていろと言ったはずなのに、こんな所まで歩いてきて良いのかと聞く悠に、普段は寝ているが今日は気晴らしのために出て来たのだと答える沖田。それを聴きながら、昨日祇園車道で浮浪の徒を斬ったばかりではないかと不審に思う土方。)
「この小説を読んで、ずっと気になっていたのが祇園車道という地名なのですね。どう考えても思い当たる場所が無いと思っていたのですが、やっと見つけました。縄手通と白川が交わる地点から南に下がったところにある道が、車道と言う様です。縄手通から川端通に抜ける短い道路なのですが、かつては牛車が通る様な道だったのでしょうか。それにしても、著者は何でこんなマイナーな地名を使ったでしょう?馴染みの店でもあったのかしらん?」
(気晴らし程度なら良かったと言う悠に、八の日のこの刻限に来ますと答える沖田。すぐ様その意味を悟り、うなじに赤みを上らせた悠。彼女は老女に促されるままに立ち上がり、黙って頭を下げて出て行った。)
(沖田と清水坂を下り始めた土方。彼は石段下で提灯を借り、担保として印籠を置いた。そして、この男が次の八の日に返しに来る、それ外はいつも寝ているそうだと沖田に向かって言った。)
(坂を下りながら、土方は労咳だったのかと沖田に聞いた。土方や光を心配させたくない沖田は、ただの疲れだと誤魔化したが、土方は労咳だろうと目星を付けていた。その一方で、あの娘が目当てかと問い掛ける土方。あんな良い娘が自分を好いてくれるはずがないと答える沖田。そこまでは聞いていないと土方。)
「昨日紹介した勇五郎の回想録では、沖田はこの娘の話になるといつも涙ぐんでいたとあります。泣く子も黙る剣の達人も、純情な一人の青年だったという事なのでしょう。作者はこのエビソートを元に、沖田を爽やかな好青年として描いたものと思われます。そして、この作品によって、沖田のイメージが固まったのでしょうね。著者の豪腕、恐るべし、です。」
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