新選組血風録の風景 ~菊一文字 その2~
(新選組屯所。土方と話をしている沖田。)
(戸沢に襲われた後はどうしたのだと聞く土方。逃げたと答える沖田。その理由は菊一文字を傷付けたくなかったためだろうと見当を付ける土方。)
(一度この刀の姿を見てしまったら、とても血を吸わせる気にならないと言いながら菊一文字を抜き、床に置く沖田。自分の和泉守兼定を抜いて菊一文字の横に並べる土方。二本の刀には格段に品位の差があり、隠君子の風情がある菊一文字に対して兼定は野武士の相好であった。)
(そこに近藤が入ってきた。虎鉄をここに並べてくれと頼む沖田。気軽に言うとおりにしてやる近藤。虎鉄には怒味と無骨味があり、如何にも人切り包丁という凄味を持っている。しかし、鎌倉古刀である菊一文字の持つ、神韻縹渺とした品位はまるで無い。)
(近藤の目には菊一文字は細すぎると映った。しかし、沖田が気に入っているのなら隊費で買ってやれと土方に言う。しかし、折角持たせてもと花橘町の一件を話す土方。物惜しみする子供の様な奴だと笑う近藤。少し違うなと土方。)
(白川、陸援隊本部。戸沢が沖田の噂をしている。戸沢はこれまで何度か新選組隊士に戦いを挑み、その都度倒して来たという履歴がある。沖田は新選組随一の使い手であり、戸沢を前にして背を見せて逃げせしめたというのは何よりの手柄であった。)
陸援隊本部があった土佐藩邸は、今の京都大学農学部のあたりだとされます。京都時代MAPという資料に依れば、この写真の左手のあたりに本部があった事になりますね。戸沢は創作だとしても、ここを中岡慎太郎が根城にしていたのかと思うと感慨深いものがあります。
(戸沢の得意技は、すれ違い様に刀を跳ね上げて顔をかすめ斬りにし、相手が怯む隙に右袈裟に斬るというものであった。戦った相手は、この技で必ず倒して来た。今夜は沖田を遁走させた事で、自慢の声が一段と高い。)
(その戸沢の気勢を削ぐ様に、鼻の大きな男が「危うし、危うし」と言う。戸沢がなじると、剣技には絶対の強者は居ない、達人と言えども格下の者に撃たれる事もありうる、剣は容易に弄るものではないと忠告する。しかし、戸沢には通じない。)
(鼻の大きな男は熟蝦夷先生と言った。羽前の人で、無関流という流派を編み出したという人物である。清川八郎が同郷の縁で京都へ呼んだが、志士活動はせず、国学の塾を開いて暮らしていた。陸援隊が結成された時、その隊長である中岡慎太郎が客分として招いたので今は白川に居る。)
「熟蝦夷」って何だろうと調べてみたのですが、古代の東日本に盤踞していた蝦夷の中でも、大和政権に従順だった種族の事を指すのだそうです。それを雅号にしているというのはどういう事なのでしょう?羽前の人という設定ですから、蝦夷の血を引いている人物という意味でしょうか。それとも、見かけは穏やかだけれども、実は本性は勇敢で一筋縄では行かないという謎かけか。あるいは単に語感だけで付けたとも考えられますね。
無関流というのは、槍術や柔術にはその名の流派が実在している様ですが、剣術には見あたらない様です。如何にもありそうな名前なので、もしかしたら過去には存在していたのかも知れませんね。
(しかし、道場に出て一人で型の稽古をしているだけで、他には何もしないで居る。せいぜい陸援隊の看板に文字を書いた程度であった。戸沢などが稽古のためと言って立ち会いを求めても、防具の付け方も知らないと言って相手にならない。なので、誰もその実力の程は知らなかった。)
(新選組屯所では、土方が戸沢を捜せとやっきになっていた。隊士が何人も犠牲になっており、すべて顔をかすめ斬りにされた後、右袈裟を斬られている。戸沢の仕業である事は明かであった。)
私の知る限りではですが、巡察中に殉死した隊士は一人も居なかったと思います。隊士の死亡率は確かに高いのですが、その死因は池田屋事件などの作戦行動あるいは戦争に依る死傷、または内部粛正などの事例がほとんどで、まれに病死がある程度かな。基本的に巡視は複数人で行われており、単独行動はまず無かった事でしょう。
では私的な時間ならどうかと言うと、間男に襲われた田内知の事例があります。彼の場合は斬り殺されはしなかったものの相手を無傷で捕り逃がしており、後に士道不覚悟の科で切腹を言い渡されています。
また、他の事例としては、沖田、永倉、斉藤といった三人の猛者が、土佐藩の片岡源馬と十津川郷士の中井庄五郎の二人組みに絡まれて四条橋で斬り合ったという事件があります。この時片岡達は酔っていたがために沖田達に挑んで行ったのであり、相手が新選組隊士であるとは全く気付いていませんでした。
恨みによる襲撃を受けた例としては、近藤が御陵衛士の残党に狙撃された事件が挙げられるでしょうか。相手を新選組隊士である事を知りつつ路上で襲い掛かったのは、この一件だけかも知れません。ただ、これも内部抗争の延長だとも言えますけどね。
いずれにしても、この作品の様に新選組隊士を相手に襲撃を繰り返していたという史実は無い様ですね。
参考文献:新選組徹底ガイド 前田政記
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