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2011.02.13

江~姫たちの戦国~6 光秀の天下

「本能寺の変の知らせに驚き悲しむ市達親娘。しかし、すぐに江が京に居る事に気付き、惑乱する市。」

「伊勢、上野城。光秀の軍勢が攻めて来るとの情報に、清洲城へ逃げる準備に忙しい市の周辺。何やら手紙を書いている市。菓子の選別をしている初。自分の荷物は人に任せ、江の荷物を選んでいる茶々。それを見て、自分も江の荷物の仕分けを手伝う初。」

「準備を急かせる信包。江は家康と共に居るはずと言う信包に、家康宛の手紙を託そうとする市。無理だと断る信包。届けて貰わなければここを動かぬと迫る市。やむなく請け合う信包。」

「伊賀山中。家康に向かって、これからどうなるのかと問い掛ける江。織田家の跡目を巡って乱れるだろうと予測する家康。光秀はなぜ謀反を起こしたのだろうかと問い掛ける江。こればかりは判りかねると答える家康。」

「近江、坂本城。織田の残党狩りの様子を聞く光秀。京はほぼ押さえたと答える利三。毛利、上杉、北条、長曽我部は味方に付くはずと見通しを語る光秀。安土城に入れば、上様が天下人になったと世間も認めるはずと利三。まだ上様は早いのではないかと光秀。そんな事はない、朝廷からの使いも訪れる手筈になっていると答える利三。」

「そこに、焼かれた瀬田唐橋の修復が進まないとの知らせが入ります。安土に入るには是非とも必要な橋だ、今日中に修復せよと命ずる光秀。」

瀬田唐橋は、京と東国を結ぶ重要な橋です。事件後すぐに織田方の手によって焼かれたのですが、完全には落ちなかった様ですね。光秀はすぐに修復を命じでおり、早くも6月4日には通れる様になっていた様です。もっとも、琵琶湖には舟運があり、橋の修復を待たずに軍勢は安土に向かっていた様ですね。

「さらに凶報が続きます。盟友であるはずの細川親子が味方になる事を拒否して来たのでした。さらに、信長の菩提を弔うべく出家したとの知らせに呆然となる光秀。」

「丹後、宮津城。たまの追放を迫る藤孝。せめて領内での監禁をと願う忠興。謀反人の味方など出来るものかと、襖越しにたまに向かってどなる藤孝。じっと耐えるたま。」

細川藤孝は光秀にとって足利義昭に仕えていた頃からの盟友であり、信長の下では組下大名として最も頼りにしていた人物でした。自らの娘をその長男である忠興に嫁がせており縁戚でもあったので、本能寺の変を起こせば一も二も無く味方してくれるはずと思っていた様です。しかし、現実は違っていました。ドラマにもあった様に、藤孝は息子と共に信長の菩提を弔うためと言って出家し、たまについては領内の味土野に幽閉しています。

光秀はこの出家した藤孝に対して手紙を送っており、そこでは藤孝の態度に一旦は腹を立てたが、よく考えると無理もない事であったと翻意を促し、恩賞については摂津を考えていたが若狭、但馬を望むのならそれでも良いと利を持って迫り、さらには50日、100日の内には地盤を固める事が出来る、その後は自分の長男と忠興に後を譲って隠居するつもりだと記しています。ほんとんど哀訴と言って良い内容で、光秀が置かれていた窮状が文面に良く現れていると言われています。

藤孝にすれば、これほどの大事を何の相談も無く起こした事を限りなく不快に思い、かつ、光秀の前途に見通しがないと見限ったのでしょうね。光秀の手紙は自らの定見の無さをさらけ出した様な物で、藤孝にすれば尚のこと味方になる事は出来ないと思った事でしょう。

「備中・高松。信長敗死の知らせに、身を投げ出して嘆き悲しむ秀吉。手をつかねて見ている秀長と勘兵衛。ひとしきり嘆いた後、近江に帰って信長の仇を討つと言い出す秀吉。彼は秀長に毛利との和睦を進める様に命じ、勘兵衛には信長と信忠は無事、秀吉もすぐに戻る、共に光秀を討とうという書状を織田の諸将に出す様に命じます。」

有名な中国大返しが始まります。この時本能寺の変の知らせを秀吉にもたらしたのは、皮肉な事に光秀が毛利氏に向かわせた使者だったと言われます。使者は不慣れな土地故に道に迷い、誤って秀吉の陣に紛れ込んでしまったのだと言われます。これが予定通り毛利氏の陣にたどり着いていたら秀吉の運命はどうなっていたかは判らず、その後の歴史も変わっていたかも知れませんね。

「伊勢の浜。無事にたどりついた江と家康の一行。家康は戦支度のために三河に戻ると言い、江には上野城に戻る様にと勧め、警護の者達を付けてやります。信長の仇はきっと取るという家康に、仇?と聞き返す江。光秀めだと答える家康に、そうでしたと浮かぬ顔の江。」

「上野城。馬を飛ばして帰城した江。彼女を待っていた留守居の家臣達から、市達は清洲城に行ったと聞く江。その時、一本の矢が家臣を襲います。野武士が襲ってきたのでした。多勢に無勢で勝目が無いと知るや、自分が出て行くからお前達は逃げろと命ずる江。」

「一人、両手を広げて出て行く江。自ら信長の姪と名乗り、頭に向かって光秀の下に連れて行けと命じます。その代わり、家臣達を助けよと言う江ですが、その背後で切り伏せられてしまう家臣達。約束が違うと言う江に約束などしていないと嘯く頭。」

このあたりは全て創作ですが、数え年10歳の少女がここまでするかという疑問はついて回ります。なので、年齢不詳の演出がされているのでしょうけど、どこまで行ってもこの無理は収まらないですね。実年齢に追いつくには後10数年、初夏の頃まで待つしかないのかな。

「清洲城。江の安否を気遣う市達。」

「中国路。一路京を目指して駆ける秀吉勢。」

「安土城。秀吉の軍勢が一日半で姫路まで来たとの知らせにあせる利三。そして、中川清秀、高山右近、池田恒興ら摂津の諸大名がことごとく離反したとの知らせが入ります。いきどおる利三ですが、光秀は何やら手紙を読みながら意外に落ち着いています。そして、まずは京に入って帝に味方してもらうのだと下知を下す光秀。」

光秀と繋がりのあった公家としては吉田兼見が居た事が知られます。光秀は兼見を通して朝廷工作をしていたらしく、事件後に朝廷に対して銀子500枚を献上してその意を迎えようと努めていました。結果として秀吉の攻勢があまりに早すぎた為ほとんどその効果は現れませんでしたが、人心収攬の手の一つとして光秀が朝廷を重視していた事は確かな様です。

「そこに江を捕らえたとの知らせが入ります。人質として使える、あるいは首を晒せば皆の者への脅しに使えると喜ぶ利三。」

「江と対面する利三。後ろ手に縛られている江。名を聞かれて斉藤利三と答える利三。光秀に会わせよと命ずる江。立場が判っていないと脅す利三。そこに現れた光秀。彼は頭に命じていましめを解かせ、利三と共に下がらせます。」

この場面は、ずっと後日のための伏線でしょうか。つまり、利三の娘である春日局が江の息子である家光の乳母となり、次男の忠長を可愛がる江と対立したという構図があるからなのですが、このドラマでは江が悪者になる様には描かれないでしょうね。このあたりをどう描くのかは、秋になってからのお楽しみでしょうか。

「江と対座した光秀。さぞ自分を恨んでいるでしょうなと問い掛ける光秀。恨んでいるからこそ自ら望んでここに来たと答える江。なぜ謀反などと問う江。わからぬと答える光秀。言葉にすれば、辱めを受け、領地を取り上げられ、明智家の長としてぎりぎりのところまで追い詰められていたのだと語る光秀に、天下布武の本当の意味は世に泰平をもたらすという事だったのと説く江。その信長の願いを、武力でもって砕いてしまったのが光秀だと責める江に、一通の書状を見せる光秀。それは蘭丸が書いた信長の本心、後を託せるのは光秀を措いて他にないという言葉でした。」

「もし、その文を先に読んでいたら謀反など起こさなかったのかと詰め寄る江。判らない、天が決めた事に従っただけなのかもしれないと答える光秀。言い訳にしか聞こえないと非難する江。」

「そこに、秀吉が東に向けて動き始めているとの知らせが入ります。何も判らない自分にも一つだけ判る事がある、それは信長の大きさ凄さだ、皆が皆、信長を助けて付いていこうとしていた、この光秀には誰もついて来ようとはしないと嘆く光秀。彼は利三に向かって、江を清洲城に送り届ける様に命じます。自分が心底敬い、お慕いした方の姪御だとつぶやく光秀。」

実際、事件後の光秀は孤児同然でした。最も頼りにしていた藤孝には裏切られ、同じく縁戚として期待していた筒井順慶にまでも見限られてしまったのです。味方になってくれると期待していた高山右近や中川清秀も秀吉側に走り、周囲に居るのは敵ばかりという状況になっていました。これは光秀の計画性の無さを表すと共に、天下人としての器を備えているとは認めて貰えなかった証とも言えましょうか。

「別れを告げる光秀に、もし天下を取ったなら、世に泰平をもたらす事を約束して欲しいと願う江。微笑で報い、去っていく光秀。悲しげに見送る江。」

この辺りも全て創作ですが、作者は光秀に対する思い入れが強いのでしょうか。ただの謀反人として始末するには忍びないという配慮がそこかしこに見て取れます。蘭丸がそんなに優しい人物だったとは思えないけれど、もしそんな配慮が少しでもあったら、光秀はずっと楽になっただろうなとは思いますね。でも、そんな時代ではなかっただろうしなあ。

「山城、山崎。川を挟んで秀吉の軍勢と対峙する光秀の軍勢。敵は4万、我が軍の倍以上かと見積もる光秀。戦は数にあらず、軍略、駆け引きで勝ち目はあると励ます利三。何としても秀吉をこの地で食い止めるのだと檄を飛ばす光秀。」

「戦は数だ、兵の多い方が勝つとつぶやく秀吉。陣形も我が方に有利と見る勘兵衛。勝つなと言う方が無理と言って、本軍を街道沿いに進ませよと秀長に命ずる秀吉。」

「秀吉軍が動いた事を知る利三。今だ、総攻めを掛けよと命ずる光秀。」

「尾張、清洲城。無事に戻った江を抱きしめる市と茶々。茶々から貰った櫛を示し、このお守りのおかげだと涙ぐむ江。私の櫛はどうした、京のみやげじゃと毒づく初。謝る江を抱きしめる初。」

「姫様と叫びながら駆け寄るヨシ達。侍女の一行は宗易のはからいにより、無事に清洲に戻っていたのでした。再会を喜ぶ江とヨシ。」

「山崎。降りしきる雨の中、床几に腰を掛け目を閉じている光秀。そこに味方が敗勢であるとの知らせが入ります。」

太閤記に依れば、秀吉軍は総勢4万、対する光秀軍は1万6千であったとされます。この数字にどこまで信憑性があるのかは判りませんが、概ねこの比率ではなかったかと考えられています。実は光秀は有力な配下である秀満の軍を坂本城に残しており、この期に及んでまだ全力を戦場に注ぎ込んでいないのでした。

戦いは6月13日の早朝から始まったとも、午後3時頃に始まったとも言われます。山岳戦や城郭戦ならともかく、基本的に平地での戦いでしたから兵力の差は絶対であり、奮戦むなしく光秀の軍は総崩れとなってしまいます。

「清洲城。江から光秀に会ったと聞き驚く市。さらに、信長の「そちは生きよ」という声を聞いて助かった事を聞き、感慨に耽る市。どうしても光秀を憎む事が出来ないと言う江に、憎むべきは人ではない、戦を生む世の有り様なのだと諭す市。難しい事は判らないけれど、もう誰にも死んで欲しくないと悲しむ江。」

「山城と近江境の山中。坂本城を目指して落ちていく光秀の一行。もうすぐ坂本城だと励ます利三に、勝ちたいとは願っていない、ただ泰平の世であれば良いとのみ思っていた、信長の様にとつぶやく光秀。その時、光秀の腹を貫く竹槍。馬から転がり落ちる光秀。群がる土民達。」

光秀が亡くなったのは小栗栖とされています。しかし、確実な資料があるわけではなく、同時代資料には山科の辺り、あるいは醍醐のあたりと漠然とした地名が記されているだけの様ですね。このドラマでも地名を登場させなかったのは、その辺りの事情があるからなのでしょうか。

「土民を追い払う利三。助け起こされた光秀は、もはや先には行けぬ、せめて武士として死なせよと命じます。」

「川に向かって切腹の座に着く光秀。最後に浮かぶ江の顔と言葉。姫様、約束を果たせなかったと最後の言葉を残して腹を切る光秀。」

光秀が最後に思い浮かべたのは江でした。うーん、そうだったのかって納得出来る訳もありませんが、まあやはり主役ですから仕方が無いでしょうね。

光秀の首は本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも言われますから、秀吉の手に渡った事は確かなのでしょうね。その首塚と伝わるものが粟田口に現存します。路地の奥にある小さな祠がその場所で、首塚と伝わる石塔も祀られています。史上その名を知られる人物にしては粗末な五輪塔なのですが、謀反人として葬り去られた以上仕方がない事なのでしょうね。

「清洲城。光秀敗亡の知らせを告げる信包。明智の三日天下と皆が笑っているとの信包の言葉に、堪りかねた様におやめ下さいとつぶやき、飛び出していく江。」

「馬に乗って城門を飛び出した江。彼女は悲しみに暮れながらどこまでも駆けて行きます。」

光秀という人物は、その出自と言いその最後と言い、謎の多い人物です。謀反を起こした事は確かであり、倫理的には誹られこそすれ褒められる事は無いはずなのに、なぜか悲劇の人物として描かれる事が多いですね。非常に優秀な人物であった事は確かであり、信長もまたその能力を高く評価していた事は事実とされます。それ故に、信長を襲った事は史上最大の謎の一つとされ、古来様々な説が説かれてきました。

主なものを挙げれば、朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説、徳川家康との共犯説、さらには秀吉との狂言説なんていうのもあったかな。いずれも根拠があって面白いのですが、客観的に見て衝動的な事件だった事は間違いなく、信長を殺した後のビジョンは何も持っていませんでした。事件後誰も味方する者が居なかったのは、このビジョンの無さが一番の原因だった様に思えます。だって、これだけの事件を起こしておきながら、後の事は何も考えていないと言われて付いていく気にはなれないでしょう?

光秀に対して同情的な見方が多いのは、彼が非常に優秀な人物であった事、領民や家臣に対してはとても思いやりのある主君であったと伝えられる事などがその理由として挙げられるでしょうか。そして何より、信長が残虐とも言うべき強烈な個性の持ち主であった事が光秀への同情に繋がっているのかも知れません。それに、司馬遼太郎氏の国盗り物語の影響もあるかも知れませんね。

信長も光秀も死んで、時代は秀吉の天下取りへと続いていきます。次回は清洲会議が描かれる様ですね。そこにはまた江が絡んで行くのかな。ちょっと心配ではありますね。

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