京都・洛西 京都紅葉事情2010 ~宝筐院 11.27~
平成22年11月27日の宝筐院です。この日はまさに見頃であり、大勢の拝観者で賑わっていました。
宝筐院は清涼寺のすぐ近くにあり、紅葉の名所と呼ばれる事は知っていましたが、中に入るは初めての事です。もっとこぢんまりとした寺かと思っていたのですが、意外な程広い敷地を有しているのには驚きました。
創建は平安時代に遡り、白河天皇によって建てられました。当初の寺名は善入寺と言ったのですね。その後一時荒廃していたのですが、南北朝時代に黙庵周諭禅師が入って再興し、以後は臨済宗の寺となります。
この黙庵禅師に帰依したのが足利二代将軍義詮でした。義詮は禅師のために善入寺を整備し、大寺といえる程に殿舎を揃えます。そして、義詮の死後は彼の菩提寺となり、八代将軍義政の時代になって義詮の法名である宝筐院に寺名を改めています。
しかし、応仁の乱以後は再び衰退し、江戸期には天竜寺の末寺としてかろうじて存続していたものの、幕末には廃寺となってしまいました。その宝筐院が50数年後に再建される事になります。
そのきっかけとなったのが、皇国史観に基づく勤皇思想でした。この寺は小楠公と呼ばれる楠木正行に縁があったのですね。
正行は南朝方の武将として活躍した人ですが、四条畷の戦いで北朝軍と戦って討ち死にしてしまいます。正行は生前に黙庵禅師と交流があり、その縁から禅師が彼の首級を引き取って善入寺に葬ったのでした。これを聞いた義詮は正行の人柄を褒め称え、自らの死後はその隣に葬る様に禅師に依頼したのです。
明治24年になって、この故事を知った当時の京都府知事の北垣国道が、小楠公の遺跡が人知れずに埋もれている事を惜しみ、欽忠碑という石碑を建立しました。これがきっかけとなって小楠公の遺跡を守ろうという運動が起こされ、大小の伽藍が整備されて大正6年に完工したのが現在の宝筐院です。
今ではそうした故事を知る人は希で、年に一度紅葉の時期にだけ公開される寺として訪れる人がほとんどでしょう。せめて正行と義詮の墓所に手を合わせる事くらいはしてあげたらと思うのですが、大半の人は紅葉に気を取られて気付かずに通り過ぎて行く様です。
それも無理は無いと思える程、境内はもみじで埋まっていますね。ここは紅葉の名所と呼ぶに相応しいスポットである事は確かです。
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コメント
最後の紅葉を見に光明院へ行くか宝筐院へ行くか迷ったんですよねA^^;
だけど出発がお昼前になったので東山になりました。嵯峨野は来年のお楽しみにします(*^_^*)
投稿: Milk | 2010.12.05 09:47
なおくんさん、こんばんは。
宝筐院、私は29日に行ってきました。
なんとか見頃後半に間に合いました。
散り紅葉も鮮やかで充分堪能できましたです。
なおくんさん、ここは初めてでらっしゃったとは意外です。
私は2~3年おきぐらいに訪れてるかなぁ。
いつも黄色~オレンジ系の様々な色のグラデーションが素晴らしいです。
私も今回初めて知ったのですが、
最近、境内の奥のほうが整備されて広くなったのですよ。
以前は直線的な参道を行って帰るだけだったので
今以上に混雑してました(^^;)
投稿: まきぼう | 2010.12.05 21:01
Milkさん、
私は光明院には様子見に行っただけで、盛りの時は見逃してしまいました。
3日の風雨が無ければ土曜日に行くつもりだったのですけどね、
さすがに駄目になっただろうと諦めました。
お互い、来年の課題、と言うより楽しみが沢山残りましたね。
投稿: なおくん | 2010.12.05 22:03
まきぼうさん、
宝筐院の前は何度も通っているのですけどね、
時間が無い時がほとんどで、入る機会に恵まれませんでした。
そうなんだ、庭は広くなっていたのですか。
直線部分と言うと、正行の墓のあるあたりまでの往復だったのかな。
一番綺麗な部分ではあるけれど、
混雑は相当なものだったのでしょうね。
出来れば来年も行ってみたいポイントです。
投稿: なおくん | 2010.12.05 22:11