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2010.11.06

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か2

さて、龍馬と中岡慎太郎を襲った犯人ですが、当時から様々な推測がされています。

まず、疑われたのは新選組でした。これは、慎太郎が仲間に残した「相手が斬りかかってくる時、こなくそ、と言った。これは四国の言葉である。」という証言、そして当日現場に残っていた刀の蝋色の鞘について、伊東甲子太郎が新選組の原田(四国松山出身)のものに似ていると証言したこと、さらに近江屋に残っていた下駄が新選組が多く出入りする先斗町の瓢亭のものと思われたためでした。

土佐藩では後々までこれを疑わず、さらに海援隊では新選組を動かしたのはいろは丸事件で恨みを持つ紀州藩であると断定し、天満屋事件を起こすに至ります。しかし、当初から新選組ではこれを否定しており、また、当日の夜に近藤勇は妾宅に居たという証言がある事、下駄についても瓢亭のものではなく、祇園中村屋(中村楼)と下河原かい(口偏に會)々堂のものとする同時代の資料がある事などから、現在では否定されているようです。

次に、明治になって見廻組の今井信郎、渡辺篤らが、自ら行ったと認める供述を行っており、今ではこれが定説になっています。

まず、今井信郎は幕臣の出で、天保12年(1841年)の生まれですから、龍馬暗殺時には28歳だったということになりますね。直心影流の免許皆伝者で、講武所師範代を務めた事もある腕利きです。神奈川奉行所や関東郡代岩鼻陣屋を経て、慶応3年10月に見廻組に着任したばかりでした。

今井は戊辰戦争を函館まで戦い抜き、そこで囚われの身となります。そして、取り調べにおいて龍馬暗殺に関わった事を認め、その経緯を口供書として残しています。それを箇条書きにまとめれば次の様になります。

1.龍馬を襲撃したのは見廻組与頭佐々木只三郎の指図に基づく公務である。
2.その目的は謀反を企てた龍馬を召し捕る事にあった。
3.一度は伏見で取り逃がしているため今度こそ捕り逃がしてはならず、もし手に余る様な事があれば討ち取っても良いと命令されていた。
4.当日出動したのは佐々木只三郎を筆頭に、桂早之助、渡辺吉太郎、今井信郎、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の7人だった。
5.、昼頃に一度近江屋を訪ねたが留守であったため、改めて夜8時頃に行った所在宅していたので踏み込む事にした。
6.真っ先に入ったのが佐々木で、桂、渡辺、高橋の3人がこれに続いて2階へと向かった。自分は土居、桜井と共に階下で控えていたので、二階の様子は知らない。
7.やがて二階から降りてきた佐々木が様子を語るには、召し捕ろうとしたが3人が居て果たせず、やむなく討ち取ったとの事であった。
8.すぐに立ち退けとの命令だったので、一同は近江屋を出て、それぞれ見廻組屋敷や旅宿に戻った。

今井はこの供述に基づき、龍馬暗殺に関わった事及び旧幕府軍に加わって新政府に対して抵抗した事により禁固に処せられました。これが明治3年の事でその2年後に特赦によって出獄しています。

ところが今井はさらに明治33年になってから実歴談を発表し、実は龍馬を斬ったのは私だと先の証言を翻しています。

その実歴談に依れば、龍馬を暗殺した理由は、幕府の為にも朝廷の為にもなせらない、ただ世間を混乱させるだけの悪漢だったからだと言い、渡辺、桂、それともう一人を誘って近江屋を襲撃したのでした。

近江屋の二階には龍馬と慎太郎のほか3人の書生が居り、誰が龍馬か判らなかったので、「坂本さん、お久しぶりです。」と話しかけ、「はて、だれでしたかいのう」と答えた人物を龍馬と即断して斬り付けたのたでした。そして龍馬を倒してから慎太郎に斬りかかり、これも倒した上で引き上げたとあります。

これは結城礼一郎という人物が今井から聞き取った事をとりまとめたもので、まず甲斐新聞に掲載され、後に近畿評論という雑誌に転載されて全国に知れ渡たりました。

この記事については、土佐藩出身の谷干城が多数の事実誤認があると言って騒ぎ出し、これは悪質な売名行為だと言って今井を攻撃するという事態を招いています。谷は暗殺当日に現場に駆けつけた事もあって事情を良く知っており、かつ龍馬を殺したのは新選組の犯行であると信じていた事が攻撃の主な理由でした。

しかし、谷が指摘した事実誤認の部分については別に理由がありました。実は筆者である結城によって、事実が改ざんされていたのですね。この事は結城自身が認めており、特に襲撃の部分についてはより劇的になる様に加筆したと言っています。ただし、どの部分をねつ造したのかまでは語っておらず、どこまでこの実歴談を信用して良いのかは判っていません。その点が惜しまれますが、襲撃の際に龍馬を特定するために、まず坂本さんと呼びかけて返事をした人物を襲うというパターンはこの実歴談から出ているのですね。

以下次週に続きます。

(参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊 

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