龍馬伝42 ~いろは丸事件~
「慶3年4月23日、瀬戸内海を航行するいろは丸。讃岐沖に差し掛かった時に、船を衝撃が襲います。慌てて甲板に飛び出した龍馬が見たのは、突っ込んで来る巨大な船でした。驚愕の声を上げる龍馬。」
いろは丸が明光丸と衝突したのは、23日の午後11時頃の事でした。いろは丸は明光丸の右舷灯(緑色灯)を右斜め前方に認めたので左に避けようとしたのですが、明光丸は右旋回を続けた為にいろは丸の右脇腹に衝突したとされています。この右舷灯はドラマでも再現されていましたね。
「翌24日朝、鞆の浦の海岸に佇み、前夜の出来事を思い出している龍馬。」
「いろは丸に衝突して来たのは紀州藩の明光丸でした。懸命に乗客を助ける龍馬達。乗員と乗客は明光丸に乗り移り、無事でした。しかし、160トンのいろは丸に対して明光丸は887トン、二度衝突されたいろは丸は瀬戸の海に沈んでしましいました。」
明光丸は二度いろは丸に衝突したとされます。その理由としては、本当はいろは丸を救おうとしたのですが、操船技術が伴わなかったためにかえって致命傷を与えてしまったと言われます。これもドラマの中で紀州側の主張として出てきましたね。明光丸はいろは丸を鞆の浦まで曳航しようとしたのですが、結局は沈んでしまったのでした。
「鞆の津。乗員と乗客は船宿に入り、乗客に対しては龍馬が詫びを入れ、金と大阪までの足の手配をすると約束してやります。」
いろは丸に乗客は居たのでしょうか。手持ちの資料には記述が無く、調べた限りでは出てきません。そういう研究があるのでしょうか。何となく、龍馬の人間性を出す為に演出した様に思えるのですけどね、確証はありません。
「そこに紀州藩の岡本覚十郎という藩士がやって来ました。彼は龍馬に対して見舞いを言うと共に、見舞金として千両を置いて立ち去ろうとします。それを聞き、これで終わらせ様とするのかと激昂する海援隊士達。その中で、千両は受け取り、乗客達の為に使うと言う龍馬。その一方で彼は、衝突の原因を突き止め、賠償額を決めなければいけないと岡本に詰め寄ります。天下の紀州藩に脱藩浪士が吠え掛かって来るとはと龍馬達を見下し、ここに止まっている暇は無くこれから長崎に向かうと相手にしない岡本。では長崎でお目に掛かりましょうと追い打ちを掛ける龍馬。」
鞆の浦での宿は升屋清右衛門方でした。龍馬はここを根城に紀州藩と談判し、決着が付くまでは出航しない様に要求したのですが、紀州藩は主命があると言って言う事を聞きませんでした。龍馬は当座の資金として一万両を要求したのですが、返済期限を巡ってもの別れに終わり、長崎で決着を付ける事になったのです。
この時、龍馬は大阪の同志に手紙を送り、紀州藩は主命があると言って自分たちを鞆の浦に置き去りにした、この恨みには報いざるを得ないと言い、いずれは血を見る事には収まらないだろうと記しています。航海日誌の写しも一緒に送っており、この手紙と一緒に小松帯刀や西郷、さらには中岡慎太郎に回覧する様に頼み、紀州藩と一戦交える際には世間にこの事実を知らしめておきたいのだと記しています。
「4月27日、長崎、引田屋。大洲藩の重役と宴席を設けている弥太郎。その才覚を持ち上げられ、得意になっている弥太郎。そこにいろは丸沈没の知らせが入りました。驚く弥太郎と大洲藩重役達。」
「土佐商会。象二郎を前に、庭でひれ伏している龍馬。そこに怒鳴り込んできた弥太郎。彼は大洲藩に船の代金3万両、積荷の代金1万3千両を返さなければならないと龍馬を責めます。その時、象二郎が借金は弥太郎が何とかしろ、その代わりにこれからはお前達にはわしの言う通りに動いて貰うと言い捨てて去ろうとします。」
「その背中に向かって、金は全額紀州に払って貰うと叫ぶ龍馬。戻ってきて、紀州と喧嘩をするつもりかと吐き捨てる象二郎。ぶつかって来たのは明光丸であり、このまま泣き寝入りはしないと言い張る龍馬。御三家相手に勝てるはずがないと叫ぶ弥太郎。」
「この事故は汽船同志で起きた初めての事例であり、先例となる、このままでは力の弱い者が泣き寝入りをしたと思われる、土佐がそう思われても良いのかと象二郎に迫る龍馬。弥太郎に談判に加われと命じ、もし負けたら腹を切れと言い渡す象二郎。わかりましたと受ける龍馬。」
この下りの象二郎はあまりにも冷たいですね。実際には龍馬と弥太郎、それに象二郎は結束して交渉に当たっています。
「長崎、紀州藩邸。本の虫干しをしている勘定奉行茂田一次郎。彼に相手は脱藩浪士だと報告する岡本。」
「引田屋。積荷の主達を相手に、大阪で売った時の金額を聞く弥太郎。天下の紀州藩相手では、どちらに非があると言っても通じない、金が取れない時は土佐藩が払ってくれるのだろうなと念を押すお慶。泣き寝入りかと脅す乾堂。金が取れなければ命が無い、こんなところで潰れてたまるかと叫ぶ弥太郎。心配そうなお元。その時、女将がお元に龍馬からの書き付けを手渡します。」
「5月15日。長崎、聖徳寺で開かれた海援隊と紀州藩の談判。元紀州藩士の陽之助を気遣い、ここに居なくても良いと言ってやる龍馬。自分は紀州藩を捨てた、今は海援隊士として日本の為に働いていると答える陽之助。」
実際には陽之助はこの談判には出席していない様ですね。そもそも、紀州藩を脱藩した彼が顔を出したりしたら、その事だけでも大もめにもめるのでは無いでしょうか。紀州藩は彼を捕まえようとするでしょうし、龍馬達はそれを阻止しようとするでしょう。とてもではいけれど、交渉の馬としては成り立たなくなるでしょうね。
「遅れてやって来た明光丸船長、高柳楠之助以下紀州藩士達。冒頭、いろは丸に非があると言い出す紀州藩。始めに明光丸の見張りが近づいて来るいろは丸を発見し、衝突を避けようとした。しかし、いろは丸はそのまま直進して来たため衝突が起きたという主張でした。その上にいろは丸にはルーフランプが点いていなかったと付け加える紀州藩。いろは丸の水夫に聞いたという紀州藩にその水夫の名前を言えと食い付く弥太郎。」
「弥太郎を黙らせ、明光丸が先にいろは丸を見つけたというのは嘘ではないかと言い出す龍馬。彼は衝突直後に明光丸に乗り込み、航海日誌を見た。しかし、そこには見張りが居たとは書かれていなかったと主張する龍馬。しかし、その馬にあった明光丸の航海日誌には、見張りを立てたと記されていました。それを見て席を立つ紀州藩士達。これは墨の色が違う、改ざんされたものだと叫ぶ隊士達。」
「紀州藩士に向かって、なぜ二度も明光丸は衝突して来たのかと叫ぶ龍馬。彼は、一度だけならいろは丸は沈まなかった、正しい指示が出せなかったのは見張りの士官が居なかったからではないかと食い下がります。龍馬を無視して立ち去ろうとする紀州藩士達。彼らに向かって、土佐藩は紀州藩に対して8万3千両の弁償を求めると叫ぶ弥太郎。あまりの額に驚く紀州藩士達。」
「これ以上の談判は無駄、ここから先は長崎奉行の判断を仰ぐと言い捨てて立ち去る紀州藩士達。追いかけようとする惣之丞を引き留める龍馬。彼は次は必ずあると謎の様な言葉をつぶやきます。」
ドラマでは一日で終わった様になっていますが、実際には翌16日にも続けて談判が行われています。その場において、ドラマでは最後に弥太郎が言っていた二箇条、すなわち明光丸には見張りの士官が居なかった事、二度に渡っていろは丸に衝突し鎮めた事が了解事項として認められました。
「引田屋、小梅の間。紀州藩士達が今日の談判の事で弥太郎、龍馬を悪し様に罵っています。もう決着は付いたと一同を宥める高柳。その時、よさこい節が聞こえてきました。」
「梅の間で歌うお慶と商人達。「船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る。」という歌詞を聴き、これは自分たちの事ではないかと気付く紀州藩士達。歌うのは誰だと激昂する藩士達。あの歌は誰が作ったのかとお元に桐お慶。いつの間にかお客様達がととぼけるお元。」
「丸山中で歌われるよさこい節。」
これもおそらくですが、ドラマで歌われていた歌の後半部分、蜜柑を食べるという下りはどの資料にもなく、このドラマにおける創作でしょうね。でも、こうした歌が流行ったのは確かで、流行らせたのは龍馬だという事で定説となっています。
「海援隊本部。世界の航海法を調べる隊士達。」
「目を閉じて座っている龍馬。」
「紀州藩邸。紀州藩を揶揄する歌の報告を聞く茂田。放っておけと言う茂田ですが、このままでは世間が悪いのは紀州藩だと思ってしまうと憂慮する岡本。」
「土佐藩邸。紀州藩は怒り狂っている、もう打つ手は無い、お前も弥太郎も終わりだと言い捨てて去ろうとする象二郎。その背中に向かって、必ず紀州藩は談判を申し入れて来る、その時には象二郎も談判に加わって貰いたいと頼む龍馬。海援隊の後始末をどうして自分がと相手にしない象二郎に、土佐藩は日本を変える要になると決めたはず、たかが紀州藩一藩に怯んでいる様では幕府を倒すのは到底無理だと挑発する龍馬。」
「この衝突は土佐藩と幕府の衝突である、この談判の行方を薩長を始めとする諸藩が見ている、自分が勝てばさすがは土佐藩と喝采を受け、流れは一気に変わると見通しを語る龍馬。勝ち目はあるのかという象二郎に、負け戦はしないと自信ありげに答える龍馬。」
先に掲げた手紙にあった様に、龍馬は意識して事実経過を世間に漏らす様に努めており、中でも薩摩藩とは最初から緊密に連絡を取っていました。龍馬は場合によっては紀州藩との戦争になるかも知れないと覚悟しており、その時には薩摩藩を始めとする世論を味方に付けておくつもりだった様です。
「長府、龍馬からの手紙を読む三吉。そこには自分に万が一の事があれば、お龍を土佐の坂本家に送って欲しいと認められていました。」
この時の龍馬は死ぬ覚悟であったらしく、ほとんど遺書の様な手紙を書いています。これとは別に、下関で世話になっている伊藤助太夫に宛てては、彼らの部屋である自然堂には誰も近づけてはいけないと頼み、またお龍の身の上については三吉と印藤の二人に計って欲しいと依頼しています。つまりは、自分が居なくなった後の事を想定して頼んでいるのですね。
「紀州藩邸。才谷梅太郎とつぶやく茂田。」
「5月22日、聖徳寺。紀州藩から申し入れてきた二度目の談判。龍馬達と向かい合う茂田以下の紀州藩士達。勘定奉行直々のお出ましとは恐れ入ると頭を下げる龍馬。あの歌を流行らせたのはお前達だろうと聞く茂田。あれは勝手に流行り始めたのだと相手にしない隊士達。紀州藩に喧嘩を売るとは、恐れを知らぬやつらだと苦笑する茂田。」
「前の談判ではっきりした事が二つあると言い出す弥太郎。その声を遮り、衝突を避けようとした明光丸にいろは丸が向かってきた事によって事故が起きたと言う岡本。いきり立つ惣之丞達を尻目に、衝突を回避すべきは小回りの利くいろは丸の方だったと二つ目の主張をする岡本。そして彼は、二度目の接触は、明光丸の乗員がいろは丸を救おうとして起きたものであると3つ目の主張までもします。」
「沈没まで至った事故を触ったで済まそうとするのかと食い付く弥太郎。では、これ以上のやりとりは意味がない、後は幕府の判断を仰ぐのだと言って談判を切り上げに掛かる茂田。」
「そこに異論を挟む龍馬。彼は船同志の衝突事故は世界共通で定められている公法で裁かれるべきではないかと主張します。彼はアメリカで出版された万国公法という本を取り出し、これから日本が世界で認められる為には、まずこの法を守るところから始めなければならないと言い、それでもまだ幕府に頼ると言うのなら、紀州藩士は野蛮人だと世界から笑われるだろう、それこそ帝の名を汚す事になると挑発します。」
「ここで万国公法を持ち出してくるとはと、龍馬を認めた茂田。しかし彼は、今の日本に万国公法を持って裁きを下せる者は居ないと言い切ります。その言葉を聞き、陽之助に象二郎を呼べと命じる龍馬。」
「象二郎と共に入ってきたのは、イギリスの海軍提督であるヘンリー・ケッペルでした。龍馬の願いで、間に立って貰うべく来て貰ったと説明する象二郎。」
「船の衝突は世界中で起こるものである、だから必ず世界共通の航海法で裁かれなければならない、それが世界のルールだと説明するケッペル。」
「龍馬を見据え、お前は何者だと聞く茂田。自分たちはただの脱藩浪士だと答える龍馬。談判は仕切り直しだと始める弥太郎。明光丸に見張りは居なかった、いろは丸に二度衝突したと自分たちの主張を読み上げる弥太郎。」
万国公法とは、現在の国際法と同義と見て良いのでしょうか。龍馬は鞆の浦の段階から公論によって決着を付けると主張しており、最初から万国公法に乗っ取って処理する事を考えていました。ドラマでは茂田が万国公法を裁ける者は日本には居ないと言っていましたが、実際には後藤象二郎がこの事を言っており、英国海軍提督に裁定を請おうと主張したのも後藤でした。ただし、実際にはそこまでには至らず、非を認めた紀州藩は薩摩藩に裁定を求めたのでした。
薩摩藩では五代才助が対応したのですが、元より龍馬から事情を聞かされており、当然ながら海援隊寄りの裁定を下しました。最終的に賠償金を紀州藩に飲ませたのは薩摩藩のあっせんがあての事でした。
「事故の原因は明光丸にあると認め、8万3千両を支払う事を約束した紀州藩。」
「海援隊本部。紀州藩に勝ったという知らせに沸く隊士達。弥太郎に向かって、4万両も上乗せしおってとあきれる龍馬。いろは丸がこれから先稼ぎ出したはずの金を上乗せしただけだと嘯く弥太郎。さすが弥太郎だと賞賛する龍馬。」
この4万両の上乗せについては、龍馬が武器弾薬を乗せていたとはったりをかましたと言われています。一種の詐欺ではないかとの批判もあるのですが、ドラマではこれを弥太郎がやった事にして龍馬を救ってやったのですね。
「紀州藩に勝った事で、日本中に響き渡った海援隊の名。」
「京都、薩摩藩邸。これで土佐は勢いづくだろうと叫ぶ西郷吉之助。」
「長州、萩城。容堂候はどう動くつもりかとつぶやく小五郎。」
「土佐、高知城。手紙を読む容堂候。彼は京に上る、象二郎にも急ぎ京向かって発つ様に伝えよと命じます。」
「長崎、海岸の岩場。一人佇み、「船を沈めたその償いは」と歌う龍馬。その背後から近づくお元。彼女は龍馬のために海援隊の勝利を祝います。杯に酒を注ぎながら礼を言い、金が入ったら分け前を貰ってくれとお元に杯を渡す龍馬。金は要らない、大嫌いなこの国を変えてくれる龍馬は自分の希望だと答えるお元。お前は何も悪い事はしていない、異国の神様は決してお前を見捨てたりはしないと言って、お元の肩に手を置く龍馬。顔を伏せて泣くお元。」
「その時、覆面をした三人の男達が襲ってきました。おもわず坂本さんと口走るお元。才谷ではないのかと驚く男達。たちまち相手を取り押さえ、覆面を剥ぐ龍馬。現れたのは紀州藩の岡本でした。これが御三家のやり方かと吐き捨てる龍馬。敵わないと見て走り去る岡本達。」
次週は船中八策なのですね。そして龍馬が再び京都へ帰ってくるようです。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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