龍馬伝41 さらば高杉晋作
「長崎、小曽根邸離れ。同志達を前に海援隊結成を告げる龍馬。約規を示し、赤・白・赤の隊旗を掲げさせ、表向きはビジネス、そして本当の目的は大政奉還を実現させる事にあると宣言します。」
この時期の龍馬の方針は何も大政奉還一本槍だった訳ではなく、武力倒幕も視野に入っていました。主軸は土佐藩の事情に合わせて大政奉還路線に置いてはいるけれども、情勢に応じて動くという柔軟性を合わせ持っていたのです。
ドラマではスルーされましたが、龍馬はもう一つの主題として蝦夷地の開拓事業を進めたいと願っていました。後で出て来るいろは丸についても、当初は蝦夷地開拓の為に使いたいと考えていたのです。結局は実現しませんでしたが、文久の頃より龍馬が抱いていた主要な構想の一つがこの開拓にあり、後で掲げる海援隊の規約にもこの事が明記されています。
「そこに現れた弥太郎。彼は象二郎の命によって海援隊の会計を任されたのでした。金の出し入れから給金までを仕切ると言う弥太郎に、龍馬は早速亀山社中が抱えていた借金の返済を押しつけます。そしてさらに、海援隊が乗るべき船の手当までをねじ込んでしまいました。」
独立採算制を謳う海援隊でしたが、実質的には土佐藩に負うところが多かった様です。船に関しては、これも後で書きますが、確かに土佐藩が代金を用立てています。ただし、いろは丸ではありませんが。また、給金に関して言えば、薩摩藩に依存していた亀山社中当時は3両2分だったのが、海援隊では5両に増えたそうですね。やっとまともなスポンサーにありついたというところなのでしょうか。
それにしても、このシーンは漫才みたいで面白かったです。
「長崎奉行所。奉行に呼び出された象二郎は、犯罪を犯した土佐脱藩浪士坂本龍馬の身元を聞かれます。しかし、象二郎は龍馬は歴とした土佐藩士であり犯罪を犯すはずがない、伏見に居た龍馬とは彼の名を騙る偽物に違いないとはね付けました。では龍という女はどうかと聞かれ、そんな女は知らぬと突っぱねた象二郎。」
この象二郎は頼もしかったですね。敵に回した時は憎々しいばかりの男でしたが、味方にすればこれほど心強い奴だったのかと見直しました。これがまた崩れなければ良いのですが。
「土佐商会。お慶を相手に商談する弥太郎。アメリカの南北戦争が終わり間もなく綿花は暴落する、これからは石炭だ、あるところで石炭が見つかった、日本が自前で賄えるようになったら大もうけだと目先の利く所を見せる弥太郎。そこに現れた才谷こと龍馬。」
「龍馬に船が見つかった、大洲藩のいろは丸だとカタログを示す弥太郎。これは良い船だと喜ぶ龍馬。船は買い取りでは無く、大洲藩から借り入れる予定でした。交渉はこれからだという弥太郎の声も耳に入らない様子の龍馬。」
「海援隊。隊士達に新しい船が手に入った、いろは丸、160トンの蒸気帆船だと披露する龍馬。歓声を上げて喜ぶ隊士達。そこに英四郎がやってきます。彼は象二郎の伝言と言って、お龍の事だと告げます。」
「その夜、龍馬の部屋。お龍に背中を揉んで貰いながら、何やら考え込んでいる龍馬。彼はお龍に下関に行かないかと誘います。始めは嫌がっていたお龍でしたが、龍馬の説得にやっとうなずきます。」
お龍が龍馬と共に下関に移ったのは慶応3年2月10日の事でした。その理由は、三吉慎蔵宛てに龍馬の手紙に依ると、家内の置き所に困ったので、やむを得ず同行したとあります。これだけでは良く判らないのですが、お龍を小曽根家に置いておけない理由が出来したのでしょうか。それとも、龍馬が下関に移る事が主題であり、結果としてお龍を長崎に置いておく事が出来なくなったということなのでしょうか。ドラマでは、これを長崎奉行所のせいにして、上手くまとめていましたね。
「慶応三年、冬の終わり。下関にやって来た龍馬とお龍。とある離れ座敷に通された龍馬達。そこに三吉慎蔵がやってきます。懐かしさに笑顔であいさつを交わす三人。木戸に会いたいという龍馬に、高杉の見舞いに行っている、彼の具合がもう、と言葉を濁す慎蔵。」
下関における宿は、伊藤助太夫という土地の有力者の屋敷の離れでした。三吉慎蔵と印藤聿という長府藩士が保証人になったとも言い、以後ここが龍馬の本拠地となります。龍馬はこの離れを「自然堂」と名付け、後に「自然堂」という署名も使っていますね。
「高杉の家。激しく血を吐く晋作。別室で痛ましげに座っている木戸準一郎こと小五郎。蒼白な顔で、脇息にもたれつつ席に着く晋作。」
「お龍と共に高杉家にやって来た龍馬。彼の到着に微笑む晋作。晋作に海援隊を作った事を報告する龍馬。この海援隊で大政奉還を目指すと言う龍馬に賛同する晋作。小五郎に向かって、土佐藩と共に大政奉還を目指して欲しいと頼む龍馬。容堂候はまだ知らないと聞き、朝敵である我らには無理だと断る小五郎。」
「その小五郎に向かって遺言だと思って聞いて欲しい、龍馬は奇跡を起こした、大政奉還は奇跡かも知れないが、その奇跡にもう一度賭けてもらいたいと訴える晋作。言い終えて激しく咳き込む晋作。いたたまれずに出て行く小五郎。後を追う龍馬。」
「晋作の余命はと聞く龍馬。桜を見せてやりたいと答える小五郎。晋作が見たいのは新しく生まれ変わった日本だと迫る龍馬。その為には武力倒幕しか無いと叫ぶ小五郎。その時、晋作を訪ねて村人達がやってきます。彼らは晋作を見舞いに来た奇兵隊の者達でした。口々に晋作に会いたいと願う村人達。見舞いの卵を受け取って彼らを帰す小五郎。彼らと晋作の事を思い、涙する小五郎。」
大政奉還の構想を小五郎が持っていた事は以前に書いたとおりですが、晋作がどう思っていたかは伝わっていないですね。彼の事績からすると、武力倒幕の方がよほど相応しいという気はするのですが。
「長崎、引田屋。大洲藩の重役を接待する弥太郎。いろは丸を貸して貰えたら、賃料の他にいろは丸で儲けた分の何割かを渡すと好条件を示し、最後は手を突いて頼み込む弥太郎。」
いろは丸の借り上げについては弥太郎がやった事ではなく、亀山社中の当時に薩摩藩の仲立ちで乗員と水夫を大洲藩に貸し出した事がきっかけだった様です。社中として慶応3年3月半ばから4月一杯にかけて借り上げるという契約が出来ていたのですが、その後海援隊が結成された事によって、改めて土佐藩と大洲藩の間で賃貸借契約が結ばれたのでした。
「下関。晋作を連れて海に来た龍馬。」
「おうのと二人残って、晋作の薬を擂るお龍。龍馬と晋作は良く似ている、二人とも何時命を絶たれても良いという覚悟をした目をしていると語り合うお龍とおうの。」
「海援隊とは、海から日本を助ける隊だ、この海援隊が目指すのは、日本を幸せにしようとう高い志のある者が政を行う世の中だと語る龍馬。賛同する晋作。晋作が作った奇兵隊には身分の差が無かった、これこそ新しい日本の形だと確信したと礼を言う龍馬。夢を託せる相手が居た、日本を頼むと頭を下げる晋作。」
「もう高杉晋作の出番は終わった、これからは酒を飲んで、三味線を弾いて面白可笑しく暮らしたい、あの世でねと悟った様な口ぶりの晋作。そうかえと答えてやる龍馬。」
龍馬は確かに上は大名から下は庶民に至るまでの人々が参加する議会制度を夢見ていました。ただし、それは奇兵隊を見たからではなく、諸外国の制度を聞き知ったところから来ているのでしょうね。一方、晋作がどのような世の中を目指していたのかは判りませくん。彼は世の中の流れをひっくり返す様な大仕事はしましたが、来るべき世の中をどのような形にすべきかは示していない様です。それこそ、そこから先は自分の役割ではないと割り切っていたのかも知れませんね。文字通り、自分の役割を果たしてこの世を去ったと言えるのでしょう。
「龍馬の部屋。人は何故死ぬのか、天がお前の役目は終わりだと思うからだろうかと問い掛ける龍馬。そうかも知れない、けれども人の死は終わりばかりではない、志を受け継いだ者にとっては始まりでもあると答えるお龍。その通りだ、どんな時も前に向かわないと行けないのだと龍馬。」
「そこに中岡慎太郎が訪ねて来ました。お龍に席を外させる慎太郎。彼の用件は、陸援隊を作る、その目的は力に依る倒幕だという事でした。目指す所は幕府を倒して新しい日本を作るという所にある、お互い信じる道を行こうと誓う二人。」
久々に現れた晋作太郎は、いきなり龍馬のライバルになっていましたね。この二人はこういう対比をされる事が多いのですが、実際にはそう単純なものではありません。また、陸援隊と海援隊は本来兄弟の様なもので、目指すところは本藩の応援でした。
「長崎、海援隊。弥太郎が初仕事を持ってきました。大洲藩船のいろは丸を操り、4月19日に長崎を発ち、5日後に大阪の大洲藩の蔵屋敷まで人と荷物を運ぶというものでした。積荷は、米、砂糖、乾物、帰りには生糸と酒をのせて長崎に帰って来る、うまく行ったら大もうけだと檄を飛ばす弥太郎。がぜん張り切る隊士達。」
いろは丸の積荷については、龍馬は後に小銃等の武器弾薬も積んでいたと主張するのですが、近年行われた海底調査の結果に依れば武器らしき物は発見されていません。実は当時の証言の中にも、積荷は米と砂糖が主なものだったというものがあり、武器があったというのは龍馬のはったりではないかと言われています。ドラマでは、現在確からしいと言われている説の方を採ったのですね。
「下関。汽笛に耳を澄ませるお龍。」
「下関。龍馬からの手紙を読む晋作。そこに奇兵隊の隊士達が見舞いに駆けつけました。彼らと共に、三味線を弾いて花見に興じる晋作。」
「長崎、出航準備が整ったいろは丸に、晋作から奇兵隊の旗が届きます。」
「下関。一人で浜辺に出た晋作。」
「出航を命ずる龍馬。」
「海に向かって手を広げ、波打ち際に座り込み、手を突いて泣き声を上げる晋作。」
「晋作から貰った布をロープに結びつけ、晋作に別れを告げる龍馬。」
「波に打たれながら坂本さん、頼みましたとつぶやく晋作。慶応3年4月、晋作没。」
以下、海援隊と陸援隊の成り立ちについて記します。
海援隊の成立は慶応3年4月の事とされます。正確な日付までは判りませんが、長崎においてまず後藤象二郎と福岡孝弟が合い、海援隊の設立を決めたと言われます。これには陸援隊もセットになっており、約規も同時に定められています。海陸を合わせて翔天隊と言い、土佐藩を外部から応援する組織として規定されています。その規約を次に掲げます。
陸援隊、海援隊約規(皇慶応三丁卯四月)
出京官
略
陸援隊
略
出崎官
参政一員
付属書生二員
右書生、当時出崎官ノ自撰ヲ許ス。外藩応接ノ際並海援隊中ノ機密ヲ掌ル。
海援隊
隊長一人 風帆船属之。
脱藩ノ者、海外開拓ニ志アル者皆是ノ隊ニ入ル。国ニ付セズ暗ニ出崎官ニ属ス。
運船射利、応接出没、海島ヲ拓キ五州ノ与情ヲ察スル等ノ事ヲ為ス。
凡海陸両隊所仰ノ銭量常ニ之ヲ給セズ。其自営自取ニ任ス。但臨時官乃給之。固
無定額。且海陸用ヲ異ニスト雖モ相応接、其所給ハ多ク海ヨリ生ズ。
故ニ其所射利ハ亦官ニ利セズ。両隊相給スルヲ要ス。或ハ其所営ノ局ニ因テ官亦
其部金ヲ収ス。
則チ両隊臨時ノ用ニ充ツベシ。右等ノ処分京崎出官ニ討議ニ任ス。
海援隊約規
凡嘗テ本藩ヲ脱スル者及佗藩ヲ脱スル者、海外ノ志アル者此隊ニ入ル。
運輸、射利、開柘、投機、本藩ノ応援ヲ為スヲ以テ主トス。今後自他ニ論ナク其志ニ従ッテ撰入之。
凡隊中ノ事一切隊長ノ処分ニ任ス。敢テ或ハ違背スル勿レ。若暴乱事ヲ破リ妄謬害 ヲ引ニ至テハ隊長其死活ヲ制スルモ亦許ス。
凡隊中忠難相救ヒ困厄相護リ、義気相責メ条理相糺シ、若クワ独断果激、儕輩ノ妨ヲ 成シ、若クハ儕輩相推シ乗勢テ他人ノ妨を為ス、是尤慎ム可キ所敢テ或犯ス勿レ。
凡隊中修業分課ハ政法、火技、航海、汽機、語学等の如キ其志ニ随テ執之。互ニ相 勉励敢テ或ハ懈ルコト勿レ。
凡隊中所費ノ銭糧其の自営ノ功に取ル。亦互ニ相分配シ私スル所アル勿レ。
若挙事用度不足、或ハ学料欠乏を致ストキハ隊長建議シ、出崎官ノ給弁ヲ竢ツ。
右五則ノ海援隊約規、交法簡易、何ゾ繁砕ヲ得ン。モト是翔天ノ鶴其ノ飛ブ所ニ任ス。 豈樊中ノ物ナランヤ。今後海陸ヲ合セ号シテ翔天隊ト言ハン。亦究意此ノ意ヲ失スル 勿レ。
ここに掲げられている様に、海援隊士となる者は脱藩浪士である事が前提となっていました。そして、海外開拓の志を持つ者が有資格者となるのです。
その業務は、運輸(船による輸送業)、射利(ブローカー的な商売)、開拓(主として蝦夷地)、投機(相場に対する投資)と並べられています。今の総合商社の走りとでも言うべき存在でしょうか。そして最後に本藩の応援が掲げられています。つまりは土佐藩の政治(場合によっては軍事)活動を外からサポートするという事ですね。
原則として土佐藩からの資金提供はなく、海陸両隊の自営に任かすとなっています。ただし、陸援隊には資金を稼ぐ機能はないため、実質的には海援隊が稼ぎ出す利益が翔天隊の運営資金となる事になります。もっとも、どうしても足りない時は出崎官に建議してその給弁を待つとありますから、最後は土佐藩が面倒を見る事になっていました。ドラマで社中の借金を押しつけたのは、この規定を前提にしているのでしょう。
また、海援隊の持ち船である大極丸は、薩摩藩の保証で亀山社中が買い取る事になっていたのですが、その1万500両という代金がどうしても工面できず、結局土佐藩が買い取っています。この事からも海援隊は表向きは独立採算制を謳いながらも、土佐藩を事実上のスポンサーにしていたという事が伺えますね。
これに先立ち、2月には龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪が許されており、この4月には二人に対して正式に赦免の通知があると共に、海援隊長と陸援隊長にそれぞれ任命されています。ただし、陸援隊が正式に発足するのはこの年の7月の事でした。
その陸援隊の業務としては、
天下ノ動静変化ヲ観、諸藩ノ強弱ヲ察シ、内応外援、控制変化、遊説間蝶等ノ事 ヲ為ス。
とあり、土佐藩の遊撃隊という位置付けになるのでしょうか。
海陸両隊は土佐藩の影響化にありながら、独立性も有しているという特殊な位置にありました。「国ニ付セズ暗ニ出崎官(出京官)ニ属ス。」という微妙な表現がそれですね。しかし、やはりスポンサーの意向は大きく、より鮮明にその意向に沿ったのが龍馬であり、その結果が大政奉還路線だという見方が出来ると思います。陸援隊もまた、色々と紆余曲折はたどりますが、結局は龍馬と同調したのはそのあたりも一因だったのではないかと思われます。
何度も言いますが、そう明確に白黒と割り切れないのが幕末史の面白さだと思いますよ。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉、「お龍さんの長崎日和」 小曽根育代
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