龍馬伝38 ~霧島の誓い~
「吉井幸輔の案内で霧島を目指す龍馬とお龍。」
「塩浸温泉で療養する龍馬。指を曲げようとすると傷が痛むらしく、顔を顰めています。」
龍馬が負った傷は概ね回復したのですが、左の人差し指だけは上手く曲がらなくなった様です。手紙では外見上特に見苦しくないと言っている龍馬ですが、実は苦にしていたのではないかという説もありますね。
「湯を出た龍馬。そこにやって来たお龍。彼女は龍馬が霧島山に登ると聞き、自分も一緒に行きたいと頼みに来たのでした。しかし、霧島山は女人禁制の山であり、無理だと断る龍馬。女房になったのに、龍馬の事は何も知らない、龍馬の行く所ならどこへでも行きたいと言い張るお龍。霧島山に登るのは、この大事な時に療養をしなければならない自分を奮い立たせる為だとお龍に言い聞かせる龍馬。」
日本初の新婚旅行と言われるこの薩摩行きですが、ドラマの二人は少しも楽しそうでは無いですね。せっかくの旅行なのに何だかなあという感じなのですが、実際の二人は大いに楽しんでいた様です。乙女に宛てた手紙には、薩摩の珍しい景色を楽しみ、渓流では魚釣りをし、山に入ってはピストルで鳥を撃って遊んでいたと記されています。これでこそ新婚旅行と呼ぶに相応しいと思うのですけどね。
「薩長と近づき始めたイギリス。フランスとの関係が悪化する幕府。自分の腹は決まっていると凄みを見せる慶喜。」
「長崎。ワイルウェフ号の練習航海が決まったと沸く亀山社中。船は自分に任せろと得意になる内蔵太。天草灘は波が高く、薩摩の沖は風が強く吹いている、内蔵太で大丈夫かと疑問を呈する陽之助。まだぐちゃぐちゃ言うかと食ってかかる内蔵太。間に入って止める惣之丞。」
内蔵太がワイルウェフ号に乗ることになったいきさつをもう少し詳しく記すと、薩長同盟締結のために龍馬と行動を倶にしていた内蔵太でしたが、締結後は龍馬と別行動を取り、恐らくは薩摩藩大阪藩邸に向かったものと思われます。その後、寺田屋で襲われた龍馬が京都藩邸を経由して大阪に現れ、再び内蔵太と合流しました。そこには中岡慎太郎の姿もあった様です。
慶応2年3月5日に、龍馬、お龍、内蔵太、慎太郎、三吉慎蔵などの一行は、薩摩藩の三邦丸に乗って大阪を出立します。翌6日に下関に着き、ここで慎太郎と慎蔵が下船します。龍馬達もここで一泊したと言いますから、一度は下船したのでしょうか。
8日に船は長崎に着きます。ここで内蔵太は下船しますが、龍馬は上陸していないようですね。その代わりに龍馬は、社中の同志であり甥でもある高松太郎に宛てて、内蔵太を社中に迎えてユニオン号に乗せたいという旨の手紙を書いています。つまり、内蔵太が亀山社中に加入したのはこの時点からとなるのですね。
その内蔵太が実際に乗ったのは、ユニオン号ではなくワイルウェフ号でした。この間の事情は判りませんが、歴戦の勇士である内蔵太は、船に関しては素人であったにも関わらず、船長を補佐する士官として乗り組んだ様ですね。このあたり、ドラマの様にいきなり船長になったとする説もあるのですが、その根拠がどこにあるのかは判りません。
「引田屋。龍馬に身請けを持ち掛けた事を思い出しているお元。そこに訪ねてきた内蔵太。彼は船を任された事を告げ、自分の夫婦になってくれとお元の手を取ります。身請けの為の金は必ず用意する、それまで誰のものにも成らないで居て欲しいという内蔵太の願いに、今は心だけを預けると承知するお元。」
お元と夫婦になりたいと言った内蔵太ですが、じつは既に妻帯者となっていました。龍馬の手紙では玉の様な嫁御とあり、かなりの美人であった事が伺えます。まあ、相手が事歴の判らないお元ですから、こういう創作も許されるのでしょうけど、いつもながら唐突な印象は否めません。
「吉井幸輔の息子幸蔵の案内で高千穂峰を目指す龍馬。その後を付けてきたお龍。驚く龍馬に、自分も一緒に登ると宣言するお龍。ここは女人禁制だと遮る幸蔵に、だから男装をしてきたと答えるお龍。お龍の勢いに押された龍馬は、一緒に登ろうと同意してしまいます。困り果てて、山の神様に許しを請う幸蔵。」
吉井幸蔵という人は、歌人の吉井勇の父親なのですね。子供の時に幸輔と共に龍馬とお龍の旅行に同行したという語り残しがあり、それを勇が文章にして残しているのだそうです。それに依れば、お龍は結構気分屋だったらしく、仲良く寄り添って歩いていたかと思えば急に起こった様に離れてしまって口もきかなくなる事もあったのだとか。龍馬はお龍の事をお龍さんと呼び、喧嘩の後の仲直りの際には、じっと手を握って涙を流していたとも言います。龍馬の意外な側面を見た様な気がしますね。
お龍が男装していたという資料は見た事がありませんが、それもここに書かれている事なのでしょうか。
「土佐、象二郎の屋敷に呼び出された弥太郎。日本のため、土佐の為に働きたいという願いを叶えてやるという象二郎。弥太郎は長崎で土佐の物産を異国相手に商売をする、その世話役をしろと命じられたのでした。前の失敗を繰り返さないためにも、英語が判る通事を付けて欲しいという弥太郎の願いに、ジョン・万次郎を引き合わせる象二郎。」
弥太郎が開成館長崎出張所に赴任したのは慶応3年3月の事でした。ですから、ドラマの時期とはかなり差がありますね。土佐藩は樟脳を外国に売り、その代金で武器を購入するという事業を行っていたのですが、トラブルが頻発しており、その調整役として弥太郎が起用されたのでした。彼は最初は下役として登用されたのですが、三月で主任に抜擢されるに至っており、その働きが抜群であった事を窺わせます。
ジョン・万次郎については、弥太郎に協力したという事は無い様ですが、この時期は開成館に属しており、象二郎と共に上海に行って軍艦の購入に当たったりしていた様です。
「高千穂峰の急峻を登る龍馬達。ニニギノミコトが日本を治める為にこの山の頂に鉾を突き刺されたという天の逆鉾伝説をお龍に語り、その逆鉾をこの目で見たいと言う龍馬。自分も見たくなったと先を急ぐお龍。」
「馬の背の様な尾根を歩き、頂上に着いた龍馬達。日本を変える為に先頭に立つと宣言し、逆鉾を引き抜く龍馬。そして、決意の証として再び逆鉾を突き立てたのでした。」
逆鉾を引き抜いた事は龍馬の手紙にも記されています。ただし、ドラマの様な決意表明ではなく、まったくの悪ふざけであった様ですね。これにはお龍も手を貸しており、如何にも新婚らしいはしゃぎ振りという気もします。
「1866年(慶応2年)6月7日、長州に攻め入った幕府軍。」
「開戦の知らせを聞き、小松帯刀邸を訪れた龍馬。薩長が手を結んだ事を幕府に知らせたにも関わらず、戦争が始まってしまったと聞き慌てる龍馬。高杉が先頭に立ち戦っていると聞き、イギリスに留学しているはずと信じられない龍馬。さらに、長州軍4千に対して幕府軍は15万と聞いて、薩摩は援軍を出してくれたのかと問い掛ける龍馬。まだ出していない、薩摩が兵を出すのは幕府を撃つ時、江戸城を落とす時だと答える吉之助。それでは日本中が戦場になると翻意を促す龍馬ですが、幕府と戦わずに日本を変えるのは無理である、これは小五郎も同じ考えであり、それが嫌だと言うのなら、龍馬という役者には舞台から降りて貰うしかないと言い放つ吉之助。呆然として取り残される龍馬。」
この下りは違和感の固まりでした。以前にも書いた様に薩長同盟はあくまで薩摩藩は後方支援を行う事を決めたものであり、直接援軍を送るといった内容は入っていません。その事はドラマの中でも吉之助が言っていたし、龍馬も聞いていました。なので、援軍を送らないのかという問い掛けはあり得ない事なのです。
それに、援軍を送れと言っておきながら、幕府と戦う事はならないとはどういう理屈になるのでしょう?このドラマの龍馬は、長州における局地戦なら幕府と戦っても良いが、倒幕の為の戦いは不可と考えているのでしょうか。そもそも、ここで薩摩が参戦すれば薩長と幕府の全面戦争に突入し、日本中が内乱状態になってしまうと思うのですが。言っている事が矛盾しまくりですよ。
「長崎。亀山社中に戻った龍馬に告げられるワイルウェフ号の遭難。船長の内蔵太も船と共に海に沈んだと聞き、嘆き悲しむ龍馬。」
ワイルウェフ号の遭難については、ドラマにもあった様に航海訓練中に起きた海難事故でした。ワイルウェフ号は、ユニオン号と共に長崎を出て薩摩に向かっていたのですが、この時ユニオン号が積んでいた米とは、ユニオン号購入の見返りとして長州藩から薩摩藩へ提供される兵糧米でした。つまり、長州藩は武器が不足していたのに対し、薩摩藩は領内の不作によって兵糧が枯渇しており、それぞれの不利をカバーし合う形で同盟の基礎が築かれたのでした。この兵糧米はその仕上げとなるはずのものだったのです。
風帆船であるワイルウェフ号は船足が遅く、速度を合わせるため蒸気船であるユニオン号がロープで曳航していました。ところが甑島までたどり着いた時に暴風雨に遭い、沈没の危険が出てきたため、ユニオン号はやむなくロープを断ち切りました。単独航行となったワイルウェフ号はなすすべもないままに漂流を続け、ついには五島列島の潮合崎沖で座礁し、やがて沈没してしまったのです。
乗組員16名のうち助かったのはわずかに4名であり、内蔵太を含む12名は海に沈んでしまいました。内蔵太は船長を務めていたとも言いますが、実際は士官だった様ですね。この時の船長は黒木小太郎という鳥取藩浪士だった様です。
「その夜、一人考え込む龍馬。やがて立ち上がり、何かを断ち切るかの様に刀を振るいます。」
「翌日、社中の同志達に、長州と共に幕府と戦うと宣言する龍馬。戦をせずに日本を変えるという志を曲げるのかと口々に反発する同志達。戦は既に始まってしまった、今立ち上がらなければ日本が終わってしまう。自分たちは、日本人としてこの国の為に戦う、舞台から降りる訳にはいかないと同志を説き伏せる龍馬。」
ここもおかしな話で、この展開だと吉之助からの脅しに龍馬が屈したという事になりますまいか。日本の為に戦うのだと言いますが、幕府を敵に回す事には変わらないはずですが、何が違うと言うのでしょう。
吉之助に負けて志を屈した龍馬というのではあまりに格好悪いと思うのですが、ここからまた新たな展開になって行くのかな。
「下関。戦闘の指揮を執る晋作。下知を下しつつ、血を吐く晋作。幕府に占領された大島に援軍を差し向ける小五郎。」
「長州海軍の船に乗り、幕府海軍むと戦う晋作。」
「寺田屋で忙しく働くお登勢。」
「長崎。土佐藩の商売を任された喜びを噛みしめる弥太郎。」
「十字架を内側に描いたかんざしを手に、海に向かって内蔵太の為に祈るお元。」
「ブーツを履き、戦いに出かける龍馬。その龍馬を励まし送り出すお龍。」
「写真館に寄り、写真を撮る龍馬。手にしたピストルを見つめ、これから始まる戦に思いを馳せているかの様でした。」
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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