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2010.09.12

龍馬伝37 龍馬の妻

「薩摩藩伏見藩邸を取り囲む伏見奉行所の役人達。ここに龍馬が運び込まれるのを見た者があると言って、引き渡しを要求しています。そんな者は居ないと要求を突っぱねる藩士達。」

「寺田屋。龍馬が捕り方を殺したと言ってお登勢に拳銃を示し、薩摩、長州の者と会っていたのかと問い質す与力。」

先週のドラマの描写では龍馬は威嚇射撃をしただけと思っていたのですが、今回は意外な事に捕り方を殺した事になっていましたね。そんなシーンはありましたっけ。史実はまさにそのとおりで、龍馬は二人の同心を射殺したとされとており、後に近江屋で襲撃されたのも表向きの理由はこの時の殺人罪でした。こうなって来ると、最後の暗殺の裏舞台がどう描かれるのか、俄然楽しみになってきました。

「薩摩藩伏見藩邸。意識を失っている龍馬に、口移しで薬を飲ませるお龍。」

「着の身着のままで龍馬を看護していた慎蔵とお龍。特に慎蔵は返り血を浴びた凄まじい姿です。二人が見守る中、意識を回復した龍馬。」

この二人は確かに献身的に看護をした様ですね。特に慎蔵に至っては、持っていた旅費の全てを龍馬の治療費に費やしたとも言われています。

「身動きの取れない龍馬を甲斐甲斐しく看護するお龍。両手を怪我している龍馬は、食事も一人では食べる事が出来ず、何もかもお龍に頼るしかありませんでした。」

「梅が咲く庭先に出て、お龍に包帯を取り替えて貰っている龍馬。そこに吉之助がやってきました。小五郎からの託された文箱を手渡し、小五郎は既に京を離れた、龍馬も京を出て鹿児島の温泉に浸かって傷養生をするが良いと勧める吉之助。」

「不自由な手で文箱を開けようとしている龍馬。みかねて開けてやるお龍。中に入っていたのは、盟約を成文化した小五郎の手紙でした。お龍の手助けを受けながら、のたうつ様に手紙の裏書きをする龍馬。」

ドラマでは省略されていましたが、実際には龍馬達は一度京都藩邸に移動しています。伏見藩邸では手狭であり、また用心にも悪いという理由からにでした。ですから、龍馬が裏書きをしたのは京都藩邸においての事です。

日付は2月5日となっており、襲撃を受けてから10日以上が経過していました。ドラマではお龍が介助していましたが、実際にはどうだったのでしょうね。しかし、ドラマの描写はリアルではありました。お龍でなかったとしても、不自由な手で裏書きをするには、誰かの助けが必要だったでしょうからね。

この裏書きの全文を記せば次のとおりです。

表に御記被成候六条ハ小西両氏及老兄龍等も御同席ニて談論セし所ニて毛も相違無之候。後来といへとも決して変り候事無之ハ神明の知る所ニ御座候
丙寅 二月五日              坂本龍

このうち小西両氏とは小松帯刀、西郷隆盛(吉之助)、老兄とは桂小五郎(木戸貫冶)の事を指します。また「毛も」とあるのは「すこしも」と読みます。

「龍馬はもう自分が守れる様なお方ではない、自分は寺田屋に帰ると言い出すお龍。一緒に薩摩に行こう、夫婦になるのだと言う龍馬。自分で良いのかと言うお龍に、お龍でなければ駄目だと答える龍馬。うれし泣きにくれながら、龍馬に寄り添うお龍。」

あれだけ献身的に看護されれば、誰でもくらっと来るでしょうね。元々お龍に関心のあった龍馬とすればなおさらだったでしょう。お龍にしてもさぞかし嬉しかった事でしょうね。

なお、お龍の回顧談に依れば、二人が祝言を挙げたのははるかに以前であり、元治元年8月1日の事でした。お龍は二人は大仏の隠れ家で出会い金蔵寺で祝言を挙げたと語っており、寺田屋で襲われた時は歴とした夫婦だったという事になります。

「長州、山口城。藩主に拝謁し、薩長の間で盟約が結ばれた事を報告する小五郎。彼は書状の裏書きを示し、立会人として坂本龍馬の名を告げました。」

「薩摩藩伏見藩邸。龍馬達が薩摩に旅立とうとしています。」

「薩摩藩京都藩邸。薩長同盟を仄めかし、長州攻めを止めようと、大阪で騒ぎを起こす事を画策する吉之助と帯刀。」

「大阪城。薩摩と長州が手を結んだという町の噂を聞き、驚く慶喜。」

「長州。これで長州攻めはなくなったとつぶやく小五郎。」

こういう工作を薩長がしたという説があるのでしょうか。手持ちの資料には記述が無く、肯定も否定も出来ません。でも、もし工作が事実だとしても、この程度で長州征伐を回避出来るとは思っていなかったでしょうね。せいぜい後方攪乱くらいが狙いだったのではないでしょうか。

少なくとも長州藩は戦争覚悟の上で盟約を締結したのであり、今更回避に走るとはとても思えません。

「長崎奉行所。警告を発したのに役立たなかったと憤る奉行。もっと確かな情報は掴めなかったのかとお元に八つ当たりをします。」

「伏見。薩摩藩士に守られながら、駕籠に乗って京を脱出する龍馬達。」

細かい事ですが、ナレーションで京を脱出したと言っていましたが、ドラマの設定では伏見から出立しているのですから、京を脱出したというのはおかしいですね。今は京都市伏見区となっていますが、元々は伏見は独立した町であり、京ではありませんでした。ですから、伏見を離れたとでも言うのが正しいのかな。

「土佐藩、高知城。報告どおりに薩摩と長州が手を結び、御公儀は狼狽えていると象二郎を褒める容堂候。嘆かわしい事だが、風向きが変わってきのだと状況を分析する容堂候。」

久しぶりに出てきた容堂候ですが、相変わらず酒浸りなのですね。そして、依然として先を見通す目を持っている事も変わりない様です。

「象二郎の屋敷。弥太郎を前に大殿様に褒められたと上機嫌の象二郎。良く薩長が手を結んだ事を調べてきたと褒める象二郎ですが、公家がしゃべっているのを聞いたというのは嘘だろうと弥太郎を問い詰めます。龍馬に聞いたと真相を白状する弥太郎。なぜ捕らえなかったと怒りを露わにする象二郎に、薩長の間に立ったのは龍馬である、東洋も龍馬を認めていたではないかと言い返す弥太郎。日本の行く末を考えろと言う龍馬の言葉に従い、自分も藩のため日本の為になる仕事をしたい、もう材木屋は止めると宣言する弥太郎。」

なるほど、この下りを入れたいが為に弥太郎を京に上らせ、さらには新選組に捕まらせたのですね。龍馬が新選組屯所に走った訳もこのための伏線だったとやっと理解出来ました。でもねえ、こんな展開にしなくても描ける内容ではないのかな。薩長同盟の回を犠牲にしてまで描く価値がある様には思えないのですが。

「長崎。薩摩に行く途中、長崎に寄港した龍馬。彼はお龍を連れて亀山社中に帰って来ました。いきなりの帰還に驚く社中の面々。」

「龍馬はまず薩長が手を結んだ事を同志達に知らせます。これで長州が救われる、日本が変わると喜ぶ一同。次いで、お龍と結婚した事を一同に告げる龍馬。よろしくお願いしますと手を突いて挨拶するお龍に、慌ててお辞儀を返す面々。」

「もう一つの知らせとして、薩摩藩の援助でワイエウルフ号という風帆船を手に入れたと告げる龍馬。ついに船を得たと大騒ぎする同志達。龍馬はその船長として蔵太を指名しました。」

龍馬が薩摩に行く前に長崎に寄ったというのは創作ですが、亀山社中がワイエウルフ号を手に入れたというのは事実です。社中の運用になるはずだった桜島丸の代替措置として薩摩藩が用意してくれた船で、二本マストの風帆船でした。そして、その船長として池内蔵太が任命されたのも史実にあるとおりです(追記:船長は別に居たのですが、この航海のときにのみ内蔵太が志願したと言われます。また、内蔵太は船長を補佐する士官だったとする説もあり、どちらかと言えばこの士官説の方が有力ですね。)。

「龍馬達が話をしている間、庭でポンペンを吹いて待っているお龍。そのお龍にこれから出かけて来るからここで待っていろと告げて出て行く龍馬。」

「グラバー邸。グラバー、乾堂、お慶と麻雀卓を囲む龍馬。既に薩長同盟が結ばれた事、その仲立ちをしたのが龍馬である事を知っているお慶達。これから何をするのかというお慶達に、薩長をもり立てて幕府を倒す、出来れば戦をせずにと答える龍馬。驚くお慶達に、むこれからますます金が必要となるのでよろしく頼むと依頼する龍馬。それに答えずに、高杉に良く似ていると言い出すお慶。彼はここに居ると聞き驚く龍馬。」

いくら相手が信用の出来る商人達とは言え、薩長同盟ほどの重大事を大勢の前でぺらぺらとしゃべったりするものなのでしょうか。こういうところが、このドラマのリアリティを損ねているのですよねえ。

「グラバーに案内されたのは、屋根裏の隠し部屋でした。階段を伝って、部屋に上がる龍馬。晋作は藩から千両を貰って、世界を見て回るのだと告げます。将来は一緒に大それた事をやろうと誓い合う二人。その時、晋作が急き込みます。気遣う龍馬に、風邪を引いただけだと答える晋作。」

「引田屋。お龍を囲んで社中の面々が歓迎の宴を催しています。上機嫌のお龍と同志達ですが、一人すていねる陽之助。彼は龍馬が女とうつつを抜かしていた事が気に入らない様子です。さらには自分ではなく内蔵太が船を任された事が面白く無い様でした。」

この下りも創作ですが、陸奥陽之助とお龍が不仲だった事は事実の様です。お龍はその回顧談の中で、陽之助を悪し様にこき下ろしているのですよ。余程相性が悪かったのか、それとも具体的に憎み合う原因があったのでしょうか。そこまではお龍も語り残していないので、良くは判りません。

「そこにお元が入ってきました。お元に向かって、今日は龍馬の祝言だと言ってお龍を紹介する同志達。酌をしろと言われてお龍の側に座るお元。酒を注ぎながら、お龍にこれまで何をしていたのかと聞くお元。伏見の船宿で働いていたと答えるお龍に、少し見下した様な表情を見せるお元。」

「その時、龍馬がやってきました。お龍の横に座った龍馬に、酒を注ぎながら娶るのなら武家の娘だと思っていたと聞くお元。脱藩浪士の身でありながら、武家の娘を貰う事など考えもしなかったと答える龍馬。それを聞き、脱藩浪士でなかったらどうしていたのかと絡むお龍。こうして生きていられるのはお龍のおかげ、感謝しても仕切れないと宥める龍馬。これからよろしくお願いしますと、改めてお龍に酒を注ぐお元。」

「舞を舞い始めたお元。その彼女と彼女を見つめる龍馬を見比べるお龍。」

「厠から出てきた龍馬。廊下で待っていたお元。包帯をした手を見て、御公儀に逆らう様な事をしたのかと聞くお元に、奉行所の手先は止めたのではないのかと問い返す龍馬。自分の為を思ってくれるのならと龍馬の手を握り、いっそ身請けして欲しいを迫るお元。その時お元の手に力が入ったのか、悲鳴を上げる龍馬。奥方を貰ったばかりで、出来るはずないですよねと言って、去るお元。」

お元に関しては少し調べたのですが、ほとんど何も判らないというのが正直なところです。長崎における現地妻だったとも言いますが根拠はありません。そこまでは行かなくても、馴染みだった事は確かな様ですけどね。

「小曽根家。乾堂に龍馬とお龍を部屋に案内したと報告する英四郎。龍馬には深入りするな、商人はしょせん商人、世の中を変える為に命を懸けても、誰も褒めてはくれないと忠告する乾堂。」

「小曽根家の一室。龍馬の包帯を取り替えながら、お元は龍馬に惚れていると言い出すお龍。お前でもやきもちを焼く事があるのかという龍馬に当たり前だと答えるお龍。お元を呼んだのは社中の同志達で、精一杯のもてなしをしてやろうと考えたのだととりなす龍馬ですが、社中の中でも自分を快く思っていない人が居る、本当に自分は龍馬の役に立っているのかと問い掛けるお龍。自分には時が無い、お龍が居てくれればどれだけ心強いかと言い、母から貰ったお守りを手渡します。世の中を変えるという自分の望みを叶える為に一緒に戦って欲しい、自分たちは一つだと告げる龍馬。」

「大阪城。雨の降る夜空を見上げて笑みを浮かべる慶喜。」

「グラバー邸。留学を取りやめるという晋作。藩に貰った千両で軍艦を買いたい、その船に乗って長州に帰ると告げて席を立つ晋作。なぜだと叫ぶグラバー。何も答えずに外に出る晋作ですが、突然血を吐いて倒れてしまいます。」

「大阪城。雷鳴の轟く中、反撃を決意する慶喜。」

瓦版程度で攻撃を見合わせる訳は無いと思いましたが、やはり第二次長州征伐を無かった事には出来ない様ですね。そうすると、龍馬は参戦するのかな。幕長戦争をどういう描き方をするのか、興味のあるところです。

ここで、お詫びと訂正です。

まず龍馬伝24で、お龍が月琴を京都時代から弾いていたのかは判らないと書いたのですが、寺田屋から故郷に宛てて出した龍馬の手紙の中に、月琴を弾く面白い女とちゃんと書かれていました。

次に、龍馬伝35で、萩口というのは本当にあったのかと書きましたが、幕府が薩摩藩にあてがおうとしたのは、確かに海上からの萩攻撃でした。これを薩摩藩は断ったのですね。

以上2点について誤りに気付きましたので、お詫びして訂正します。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎

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