龍馬伝 高杉晋作縁の地~祇園白川~
高杉晋作と言えば、長州を破滅の淵から救った一代の風雲児として知られています。活躍の舞台は主として江戸や長州藩内ですが、文久年間の一時期に京都に居た事がありました。その頃の事績として、文久3年3月11日に行われた賀茂行幸の際に、行列に供奉していた将軍家茂公に対して、「いよ、征夷大将軍!」と声を掛けた事は良く知られています。
もっともこれは後世の創作とも言われますが、高杉ならやりかねないと思うのは衆目の一致する所なのでしょう。
その高杉が京都で贔屓していたのが井筒屋の芸妓小梨花と言われます。祇園新橋地区にある立て札に依れば、井筒屋は巽橋の北詰にあったとされ、高杉は人目を憚ることなく小梨花を連れて祇園を闊歩していたと伝わっているそうです。これもまた、如何にも風雲児らしい景色だと言えましょうか。(ただ、井筒屋は縄手通四条東入る北側にあったはずで、この立て札の説明書きと矛盾します。もしかしたら、井筒屋は二軒あったという事になるのでしょうか。)
祇園白川には、高杉縁の地がもう一つ存在します。それが以前に龍馬縁の店として紹介した鳥新がある場所で、幕末の頃には魚品楼というお茶屋があったと推定されています。この魚品楼には多数の長州藩士が出入りしてたとされ、中でも高杉晋作が特に贔屓にしていたと言われています。
井筒屋跡からここまではおよそ150m程の距離になるのかな、まずごく近所と言って良いでしょうね。つまり、京都時代の高杉はこの界隈を根城にしていたという事になるのでしょう。
鳥新について言えば、幕末の頃には四条小橋で営業していたのですが、明治中頃になって祇園縄手通四条上がるの現在の位置に移転しました。現在も同じ屋号で商売を続けておられますが、経営者の系譜は替わっている様です。また、魚品楼とも直接の関係はなく、建物を受け継いでいるという訳ではありません。
その鳥新は夜の営業がメインで、さすがに祇園にあるだけに結構な予算が必要となるのですが、昼なら手軽に食べられるメニューがあります。それがこの親子丼ですね。750円とリーズナブルな値段で、鶏肉専門店だけの事はあるおいしさでした。平日で20食、土日は30食程度と数量に限りがあるので売り切れの事もあるというのが難点ですが、開店直後(正午)に行けばまず大丈夫でしょう。
鳥新は二重の意味で龍馬伝縁の地となる訳ですが、特にその事を表に出して宣伝するという事はされていません。また、龍馬は鶏肉が好きだったとされますが、親子丼を食べたという事実は無い様です。というのは、親子丼という料理が考案されたのは明治の中頃の事らしく、幕末にはまだ存在していなかった様なのですね。
ではあるのですが、ファン心理としては龍馬縁の店で、縁の鶏肉を使った料理を食べる事には思い入れを感じてしまいます。お店にとっては迷惑な事なのかも知れないですけどね。
幕末の二人の立役者を偲べる場所として祇園白川を訪れてみるのも、一興ではないかと思います。
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コメント
勉強になりますわ( ..)φメモメモ
幕末~明治維新の頃の歴史が苦手だったんですが
龍馬伝のおかげでボチボチと歴史が埋まってきてますヾ(^^;
投稿: Milk | 2010.09.12 20:58
Milkさん、
井筒屋に関してはネクサスが設置している立て札に書いてある事でして、
口碑とあるので要するに言い伝えですね。
ですから、どこまで史実と言って良いのかは判らないのですが、
高杉晋作が祇園に出入りしていた事だけは確かな様です。
そのあたりは割り引いた上で覚えて下さいね。
投稿: なおくん | 2010.09.13 00:11
私も、食べてきました。
龍馬くんが、親子丼もおいしかったけど、
やっぱり食べ損ねた鍋を食べたいなどと言い出して、
困っています(^^)
投稿: zuzu | 2010.09.14 21:20
zuzuさんも行かれましたか。
ここはご実家の近くですよね。
龍馬くん、143年前に食べ損ねた軍鶏鍋に、
未だにご執心ですか。
ここは一つ作ってあげて下さい。
あっ、そうそう、慎太郎くんの分も忘れずにね。
最近影が薄いと評判ですから。
投稿: なおくん | 2010.09.14 22:11