龍馬伝35 ~薩長同盟ぜよ~
「大阪、大和屋。長次郎の遺品を持ってお徳の下を訪れた龍馬。長次郎が腹を切ったのは、誰よりも自分に厳しかったからだと伝えます。長次郎の志を継いで日本を良くしてくれと頼むお徳。必ずと約束する龍馬。」
龍馬が長次郎が腹を切った事を知ったのは薩長同盟がなった後の事で、それ以前に大和屋に寄る事はあり得ません。後から書きますが、龍馬が大阪で立ち寄ったのはもっと別な場所でした。
「大阪城。第二次長州征伐に向けた軍議が開かれています。各方面の割り振りが決められ、薩摩藩は萩口と決められました。薩摩が出兵するのかと危ぶむ家茂公に、参戦するより道は無いと自信を見せる慶喜。」
萩口というのは初めて聞きましたが、薩摩には海上から攻めさせるという構想があったのでしょうか。確かに発想としてはありそうな気がしますが、実際には行われていません。たぶん下関を押さえられている以上、回航が難しかったのではないかと思われますが、実際にはどうだったのでしょうね。
「京都薩摩藩邸。木戸貫治と名前を改めた小五郎を始めとする長州藩の一行が着きました。越前藩士と偽名を使っていた彼らでしたが、その情報はすぐに幕府方に伝わってしまいます。直ちに、薩摩藩邸の周囲の警備を強化する様に命ずる松平容保。」
「ついに西郷との対面を果たした小五郎。にこやかに出迎えた吉之助は、家老の小松帯刀の前を勧めますが、あえて吉之助の正面に座る小五郎。ようやく会えたときわどい皮肉を言う小五郎に、あの時はすまなかったと素直に詫びる吉之助。彼は早速用件に入ろうとしますが、小五郎は立会人としての龍馬が来るまで待つと言い出します。」
これも後から書きますが、薩長同盟はすぐには結ばれず、遅れてきた龍馬が立ち会う事で初めて結ばれた盟約です。そこに龍馬の歴史的役割があった訳ですが、決して小五郎が龍馬を待とうと提案した訳ではありません。話し合いは行われたものの平行線に終始し、決裂寸前になったところに龍馬が現れたという経過を踏んでいます。龍馬もまた両藩の間をあっせんするという役割は終えており、京都に着いた時には既に密約が成っていると思っていたはずです。
「小五郎を追って京都に着いた龍馬と慎蔵。しかし、新選組が藩邸の周囲を厳しく取り締まっており、近づく事が出来ません。一方、象二郎に命じられて上洛していた弥太郎が新選組に捕まってしまいました。」
これほど露骨に薩摩藩邸の出入りを取り締まっていたかというと、まずあり得ない話ですね。基本的に各藩邸には幕府の権力は及ばないのが原則で、その出入りを規制するとなれば半ば宣戦を布告したのも同然と言えるでしょう。無論、伏見港や大阪八軒屋といった交通の要衝では取り締まっていたでしょうけど、藩邸の門前で人払いをするなどあり得ない事です。実際には、周辺に密偵をばらまいておく程度だったものと思われます。
「土佐、岩崎家。弥太郎に隠密の真似が勤まるのかと危ぶむ家族達。」
「新選組の屯所で吊し上げられる弥太郎。始めは様々な偽名を使って言い逃れようとしていましたが、ついに本名を名乗り、象二郎から命じられてやって来たと白状してしまいます。当てが外れたのか、こいつはしゃべり過ぎると更に責め続ける近藤。」
新選組にしても見廻組にしても、正規の藩士相手に無闇に捜査権を振りかざす事は出来ませんでした。幕府は諸藩の頂点に立ってはいても、いわば大名達の盟主という立場であり、主人ではなかったのですからね。藩士を裁く事が出来るのはあくまで藩主だけでした。ですから、弥太郎が土佐藩士を名乗ったからには、それ以上の拘束は出来ないはずです。ましてや参政の名まで出しているのですからね、土佐藩と一戦交える覚悟が無い限り、弥太郎に危害を加える事など出来るはずもありません。
「寺田屋。やって来た龍馬の顔を見て、土佐の浪士を探しに新選組がやってきた、ここに居ては危ないと忠告するお龍と登勢。逃げる訳にはいかないと聞かない龍馬。」
龍馬が寺田屋に泊まったのは、薩摩藩が寺田屋に依頼したからでした。文久2年に薩摩藩士が同士討ちをした寺田屋事件があって以来、寺田屋と薩摩藩の絆はより強くなっていた様です。その薩摩藩から頼まれた故に、お登勢も危ない橋を渡ったのですね。
「龍馬は何者かと問い掛ける慎蔵。自分は土佐も捨てたただの日本人である、しかし力の無い者でも本気で声を上げたら必ず日本を変える事が出来ると諭す龍馬。」
「薩摩藩邸。なぜ一介の浪士に過ぎない龍馬を立会人にしなければならないのかと不満げな吉之助。この密約の立会人は龍馬でなければならない、なぜなら自分は龍馬を信じている、あなたもそうだからここに居るのではないかと答える小五郎。」
小五郎が龍馬を信頼していたのは確かです。なぜなら、後にこの盟約の裏書きを龍馬に頼んだ位ですからね。一方、吉之助の方はというと、これも龍馬を深く信頼していました。このドラマではなぜか龍馬を見下そうとする吉之助ですが、実際には龍馬をぞんざいに扱おうとした家人に対して、(龍馬は)国の為に命を懸ける大事な人だとたしなめたという話が伝わっており、龍馬を大切に思っていた事が伺えます。
「寺田屋。お登勢に向かって、夜になればここを出て行く、もう自分たちの事は気にしないでくれと告げる龍馬。しかし、お登勢は龍馬の母代わりのつもりで居る、息子の事ーを心配しない母は居ないと縋ります。自分は決して死なない、安心してくれと答える龍馬。彼がなぜ店を閉めているのかと聞くと、新選組から守らなければならないとお龍に頼まれたからだと答えるお登勢。」
「店の裏で井戸を汲んでいるお龍。そもの側に行って、自分は薩摩と長州を結び付け、この国を変えようとしているのだと告げる龍馬。これからは幕府に追われる身となる、自分を心配してくれるのはこれで最後にしてくれと行って背を向けます。何も言えずに飛び出していくお龍。」
「新選組屯所。痛めつけられ、虫の息になっている弥太郎。そこに見廻組がやってきました。将軍家直参の権威を笠に着て、威張りちらす見廻組。薩摩と長州の間に不穏な動きがあると言い出す近藤に、お前達には関わりはない、ただの人斬ではないかと蔑む見廻組。その時、弥太郎が薩長の間に立つのは坂本龍馬に違いないと言い出します。その名を聞いて、怒りを露わにする近藤。」
見廻組と新選組が何かと張り合っていたのは事実です。でもそれは初期の事で、この時期には役割分担も出来、こんな馬鹿げた小競り合いを起こすはずもありません。それにしても、6年前に新選組!を作ったNHKとも思えない偏見ぶりですね。新選組を、未だにただの殺人集団だと言い続ける神経が信じられない。それも見廻組をして言わしめるとは、あまりにも酷い演出です。
「寺田屋。半平太、以蔵、長次郎、そして同志達に心の中で行ってくると告げる龍馬。玄関を出ようとすると、お龍が帰ってきました。彼女は龍馬の到着を薩摩藩邸に知らせに行っていたのです。一緒に来たのは吉井幸輔。小五郎達は小松邸に移ったと言い、自分が案内すると申し出ます。」
吉井幸輔は龍馬と最も親しい薩摩人の一人で、ずっと以前からの知り合いです。神戸海軍繰練所が危うくなった頃から行動を共にしており、その書簡から当時の龍馬の動静を知る事が出来る程の仲でした。
「土佐の侍が新選組に捕まったらしいという情報を伝えるお龍。彼女は握り飯を龍馬に手渡し、私はずっと龍馬の役に立ちたい、かならずここに戻ってきて欲しいと頼むのでした。判った、行って来ると寺田屋を後にする龍馬。」
「京都守護職屋敷。薩長の間に立つのは坂本龍馬であると注進する近藤。見回組に龍馬を探せと命じる容保。恐れながら、龍馬は寺田屋を定宿にしていると言いかける近藤ですが、分を弁えろと遮られてしまいます。悔しさをにじませる近藤。」
新選組は確かに寺田屋での捕り物には参加していません。その理由は判りませんが、もし実戦慣れしている新選組が参加していたとしたら、龍馬の命は無かったかも知れませんね。
「小松邸に向かう龍馬達。その途中で自分と間違えられた者を捨てておく訳にはいかないと言って、龍馬は新選組の屯所に向かいます。」
「新選組屯所前。飛びだそうとする龍馬を慎蔵が引き留めます。ここは自分がと言う慎蔵と龍馬がもめている内に、弥太郎が門から放り出されてきました。倒れている弥太郎を助け起こす龍馬。慎蔵は自分がこの男を寺田屋に連れて行く、龍馬は薩摩藩邸に向かってくれと言い、その言葉を受けて駆け出す龍馬。」
この演出はあまりに馬鹿げていて、理解不能です。
このドラマの龍馬は、自分を万能の人間だとでも思っているのでしょうか。単身で屯所に乗り込んで、一体どうしようというのか知らん。大切な盟約を前に、個人的動機で死地に飛び込むなどあり得ない事でしょう。龍馬はあくまで人命を大事に思っている、また同郷の人間を大切にしている、小事も大事も人の命に関わる限りおろそかにはしないなどと言いたいのでしょうけど、それ以前にこれではただの愚か者ではないですか。
この演出は全く不要のものであり、なぜわざわざこれを入れたのか理由を聞いてみたいですね。
さらに細かい話をすれば、屯所の門前に立番が居ないというのはあり得ない、正規の藩士を痛めつけるだけ痛めておいて、引き取り手もなくただ放り出す事などあり得ない、誰にも見とがめられる事無く屯所(この当時は西本願寺)周辺をうろつける事などあり得ない、不慣れな道を迷うことなく短時間で往復できるなどあり得ない。全ての点でリアリティはゼロです。
「厳しい警護が行われている薩摩藩邸周辺。」
「小松邸。じっと龍馬の到着を待つ小五郎と吉之助。」
「警護の目をかい潜って小松邸にたどり着いた龍馬。龍馬の到着を待ちわびていた小五郎と吉之助。」
「慶応2年1月22日の夜、龍馬の立ち会いの下、始まった秘密会議。龍馬が開始を催促し、吉之助が口火を切ります。幕府と長州が戦になった時には薩摩は2千の兵を京都に差し向ける、薩摩は長州藩の汚名を雪ぐ様に尽力すると次々に要件を挙げていく吉之助。それは徹頭徹尾薩摩は長州に味方して、幕府に対抗して行くという内容でした。」
「最後に、幕府が一橋、会津、桑名と協力して朝廷を取り込もうとしても、薩摩はあくまで戦うと締めくくる吉之助。ところが、これでは長州が薩摩の助けを受けるというだけで対等では無い、このままでは自分は長州に帰れないと言い出す小五郎。」
別記事で書きますが、この盟約においては幕府が朝廷を抱き込もうとするなら戦うとはどこにも謳っておらず、もし長州藩の冤罪を晴らすという薩摩の動きを、一会桑の勢力が邪魔をするのならこれと戦うという内容でした。一会桑(一橋、会津、桑名の三藩)はあくまで京都における幕府方の一勢力であり、幕府そのものではありません。この盟約は長州が蒙った朝敵という汚名を雪ぐ事が主眼となっており、決して幕府と直接戦うとは言ってはいないのです。ドラマはその点飛躍のしすぎですね。
「そこで龍馬がもう一つ加えようと提案します。これまで命を落とした同志の思いも込めて、薩長両藩は誠の心を持って合体し、日本の為に粉骨砕身尽力する。これなら薩長の立場は対等だろうという提案に同意する小五郎と吉之助。これをもって盟約はなったと確認する龍馬。肯き合う両雄。満足げに微笑む龍馬。」
最後の条文は、新選組!でも龍馬が言ったことになっていましたね。そんな記録はどこにも無いと思うのですが、如何にも龍馬が言いそうな事なのかな。原文では日本ではなく朝権となっており、あくまで朝廷の権威を回復する事が目標とされました。それが結果として幕府を否定する事に繋がるのですが、このドラマでは日本と言い換える事で龍馬の先進性を強調しようとしているのでしょう。でも、それは龍馬の過大評価に繋がると思うのですけどね、等身大の龍馬を描くという当初のコンセプトには反しないのかしらん。
「小松邸の前。一晩中槍を手に待っていた慎蔵に、薩長が手を結んだと報告する龍馬。喜びのあまり、泣き崩れながられを言う慎蔵。」
「薩長が手を結んだ事は、すぐさま幕府の知るところとなりました。そこに龍馬が居た事も知れ、直ちに寺田屋に捕り手を出せと命ずる容保。」
「慎蔵と二人、お龍がくれた握り飯を食べながら寺田屋に向かう龍馬。」
ドラマの展開はあまりにも史実とは異なるので、次に別記事として史実編をアップします。
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