龍馬伝 薩長同盟史実版
龍馬伝の進行と史実の関係を照らし合わせてよりドラマを楽しもうというのが当ブログのコンセプトなのですが、今回はあまりにも展開が異なる為、史実編を別立てにしました。史実とは言ってもドラマの展開に合わせて区切っているので、細かい箇所は省略してある事をあらかじめお断りしておきます。
龍馬が下関を発ったのは、慶応2年1月10日の事でした。龍馬に同行したのは三吉慎蔵、新宮馬之助、池内蔵太の3人です。本来一緒に行くべきであった桂小五郎は前月の12月27日に出立していますから、10日以上の遅れが生じていまた。しかしこの時間の遅れがドラマを生むのですから、歴史というのは面白いのですよね。
一行が大阪に着いたのは1月18日の事でした。ここで龍馬は幕臣の大久保一翁に会いに行っています。龍馬とは旧知の仲でしたが、この時には無役になっているとは言え、かつては大目付まで勤めた幕府の大物の所へ出かけて行くとは大胆にも程かありますね。このあたりが龍馬の真骨頂と言うべきなのでしょうか。
この時龍馬は、幕府方は既に龍馬が長州人を連れて京都に入ると探知しているから帰れと警告されました。安易に龍馬を売ったりしないところが大久保一翁の度量というものなのでしょうね。また、そういう人物だと知っているからこそ、龍馬も訪ねて行ったのでしょう。警告を受けた龍馬は拳銃を確かめ、慎蔵は手槍を買い込むなどして、用心を固めました。
翌19日は、薩摩の船印を借りて三十石船で伏見に向かいました。伏見での宿は寺田屋です。翌20日は寺田屋に慎蔵を残し、馬之助と内蔵太の二人を連れて京都に向かっています。目指すは先に入京している小五郎の下でした。
この時、小五郎は薩摩藩の家老小松帯刀の邸に居ました。小松邸については昨日紹介したとおり近衛家の別邸を借りていたのですが、まだどこの場所とまでは特定されていません。
龍馬は開口一番、盟約はどうなっているのかと小五郎に問い掛けます。ところが、小五郎の答えは何も決まっていないというものでした。小五郎達が京都に着いてから10日以上が経過していますが、毎日ご馳走ばかり食べていたのみで、肝心の盟約の話は薩摩から何も言ってこないと言うのです。お互いに腹の探り合いになっており、どちらからも言い出せない状況になっていたのですね。
龍馬がなぜ長州から切り出さないのかと詰ると、今窮地にある長州から話を持ち出せば薩摩に助けを求めた事になる、また薩摩も同じ窮地に引き込む事にもなるため、長州の体面上出来る事ではないと言うのが小五郎の言い分でした。そして、このまま長州に帰る、たとえ長州が滅びても薩摩が残って朝廷の為に尽くしてくれるのなら悔いはないとまで言い切ります。
このあたり本当に何も無かったのかというとそうでもなく、慶応2年1月19日に薩長の首脳が話し合いをしたという記録があります。ただ、この席では双方の隔たりが大きく、合意には至らなかった様ですね。
この時何が話し合われたのかは判っていませんが、松浦玲氏の「坂本龍馬」に依れば、薩摩は長州に対して幕府が課してくる処分をとにかく受け入れろと要求したのではないかと推測されています。処分を受け入れれば幕府もそれ以上拳を振り上げる事は出来なくなる為当面の危機は去り、態勢を整える時間が稼げるという目論見でした。
これに対して小五郎は、長州は既に三家老の切腹という処分を受けており、たとえどんなに軽かろうとも二度も処分を受ける言われは無いと突っぱねたと考えられます。対幕府との戦争も辞さないという長州藩の覚悟と意地を示した訳ですが、薩摩藩としてはまだそこまで踏み切るだけの勇気は無かった様です。
ここからが龍馬の出番です。彼はすぐさま二本松(相国寺境内、現同志社今出川キャンパス)にあった薩摩藩邸に駆け込み、西郷と直談判に及びました。彼は長州藩の窮状を汲んでやらない薩摩の無情を責め、盟約を薩摩藩から言い出す様に求めました。しかし、薩摩としても幕府との戦争を覚悟しなければならないという重大な決断ですからすぐには同意せず、恐らく西郷達は龍馬に一晩の猶予を求めて話合ったものと思われます。
その傍証が、この20日の夜に龍馬が書いた内蔵太の家族と姪の春猪に宛てた手紙です。どちらも故郷の人々に宛てたおかしみと暖かみのある手紙で、この夜の龍馬が抱いていた不安と期待、そしてかすかな死の予感が入り交じった心情を表していると言われます。つまり、西郷がすぐに返事をくれていれば、こんな心境にはならなかったという推測が出来るという訳です。
内蔵太の家族宛の手紙には、昨夜から熱があって眠られないとあり、この大事な切所で体調を崩していた事がうかがわれます。そして、眠れぬままに後先を思いめぐらしていると、内蔵太の家族に世話になった事に思い至ったと言うのです。
この手紙には色々と面白い表現があり、内蔵太の母親の話しぶりを「芋畑を猪が掘り返した様な、後も先もない議論」とからかい、姉の乙女については「悪巧みをしそうなやつ、あまり足らぬ知恵で、要らぬ事まで論じよる」とこきおろしています。眠れぬ夜を過ごす龍馬の脳裏に浮かぶのは、なつかしい故郷の人たち、それも女性達だったのですね。
一方春猪宛の手紙は、「春猪どの、春猪どの、春猪どのよ、春猪どのよ。」という不思議な調子で始まり、「近頃は白粉を顔に分厚く塗りすぎて、もし転んだら金平糖の鋳型の様になってしまうのかい」とか、「お前の場合は男がみんな逃げ出すから気遣いも要らない」とか口の悪い冗談でからかっています。そして手紙の最後には「自分が生きていたら4、5年の内に帰れるだろう、けれども露の様な命はどうなるか判らない、お前は長生きしろ」と綴られており、これは愛しい姪に宛てた一種の遺書ではないかと言われています。
やっとここまで築いてきた大仕事がどちらに振れるとも判らず、さすがの龍馬も正常な神経では居られなかったという事なのでしょうか。もし事が破れれば、西郷あるいは桂と刺し違えるくらいの気持ちで居たのではないかという気がしますね。そんな不安の夜が明けた後に待っていたのは、西郷が龍馬の申し出を承諾するという吉報でした。
小松邸における21日(22日とも言われます)の会議には、桂小五郎(木戸準一郎)、西郷吉之助、小松帯刀、そして立会人として龍馬が出席しました。盟約はすべて口頭で確認されたもので、文書を交わす事はしていません。しかし、後日になって小五郎が文書にまとめて龍馬に確認を求めたものが現存しており、その内容を知る事が出来ます。それは6箇条からなっており、主旨を記せばおおむね次のとおりでした。
一.幕府と長州が戦争になったときは、薩摩は中立を偽装しつつ、国元から二千の兵を京都にさしのぼらせ、在京兵力と合流して、強力な軍事勢力を持つ。
二.幕府との戦争で長州の旗色が少しでも良くなった時には、すかさず薩摩は、在京勢力を背景に朝廷に迫り、長州に有利な講和へと導くこと。
三.幕府との戦争で長州の旗色が悪くなったときには、長州は1年や半年は持ち堪えるので、薩摩は時機を見て適切な手を下すこと。
四.幕府との間に戦争が起こらなかった時には、薩摩は朝廷に働きかけ、長州が被っている冤罪を晴らすよう努力すること。
五.前条のような薩摩の働きを、一橋、会津、桑名らが邪魔だてした場合には、決戦に及ぶこと。
六.今日より、薩長双方、心を合し、朝権ご回復の目標に相尽力すべきこと。
一見して判るのは、薩摩藩は長州藩の後方支援をすべく朝廷に働きかける事を主眼としており、決して防長二州において長州藩と共に戦うという内容ではないという事です。その最も大きな目的は、長州藩の被っている冤罪を晴らすという所にあったのでしょう。
龍馬は小五郎が書いたこの文書に裏書きをして、この内容は小松帯刀、西郷吉之助、桂小五郎、そして自分が同席して決めたとおりのもので、少しも相違ないと証明しています。この時の文書が現存しているのですが、雄渾な龍馬の筆跡で赤々と裏書きが記されています。この裏書きこそが、龍馬の歴史的役割を今に伝えている大切な証拠なのですね。
龍馬はこの後一人で寺田屋に帰ります。同行していた内蔵太と馬之助がどうしたのかは判りませんが、寺田屋に着いたのは夜の事でした。そして幕吏に襲われる事になるのですが、それは来週の展開ですね。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
残暑お見舞い申し上げます。
これを読ませていただいてすっきりしました。私はこれ程詳しい史実は知らなかったけれど、昨日の放映を見て「ありえなすぎ」と白けた気持ちになりました。とくに、弥太郎絡みのエピソード! 最重要の盟約締結前に私情ゆえ新選組屯所を訪れるという馬鹿げたエピソードを加えて、龍馬像を小さくつまらなくしています(半平太の罪を被ろうとした話も同じ)。そんなちっぽけな「いい人」キャラにしても、龍馬のスケールの大きさは伝わりません。史実のほうが余程面白く、龍馬の人となりが伝わるのに、まったく理解ができません。
史実の隙をついて「もしかしてこんなこともあったかも?」と思える程度のエピソードにして欲しいものです。
すみません、ひさしぶりにコメントさせていただいたのに、ぶつぶつと長文になってしまいました。「龍馬伝」の解説、これからも楽しみにしています。
投稿: Tompei | 2010.08.30 10:34
Tompeiさん、お久しぶりです。
今回の龍馬伝は、つまらぬ演出をやり過ぎでしたね。
このドラマを素直に楽しんでいる人も大勢いらっしゃるので、
全否定する様な事は書かない様にしているのですが、
今回ばかりは目に余るものがありました。
薩長同盟については史実がそのままドラマになるという程劇的なものであり、
素直に足跡を拾うだけで十分面白いと思うのですけどね。
新しい龍馬を狙いすぎたのでしょうか。
もっとも、私も史実などと書いていますが、
時間の無い中を書き飛ばしているので、かなりの省略や意訳が混じっています。
見る人が見ると突っ込みどころが沢山あると思われますので、
参考程度と思っていて下さい。
おおまかな流れは押さえたつもりですけどね。
正確に知ろうと思えば、参考資料として掲げている本を読んで下さい。
どれを選んでもとても面白いですよ。
投稿: なおくん | 2010.08.30 20:47