龍馬伝 ~薩長同盟締結の場所 小松帯刀邸跡~
龍馬伝も佳境を迎え、明日はいよいよ薩長同盟の締結ですね。幕末史における転換点として、そして龍馬の事績としても重要なこの盟約は、薩摩藩家老の小松帯刀の屋敷で結ばれたと言われます。
小松帯刀邸があった場所については諸説があるのですが、今石碑が建っているのは一条通堀川東入るのこの場所ですね。現地にある説明書きに依れば、幕末に近衛家の堀川邸があった場所であり邸内には御花畑があったとされます。そして、帯刀は御花畑のある近衛邸に寓居していたとされる事からこの地と推定されるのだそうです。
石碑は一条通の南側にあり、近衛邸があったのはその向かい側だそうですね。ですから、ざっとこの辺りという事になるのかな。今はその面影はどこにもありませんが、ここで歴史の1ページが開いたと思うと感慨深いものがありますよ。
すぐ傍には一条戻り橋があります。ですので、比較的探しやすい場所になりますね。
小松邸跡の候補地としては、同志社大学の新町校舎(ここも近衛家の別邸があったとされる場所の一つ)とする説もあります。地理的には薩摩藩の二本松藩邸(相国寺境内の一角・現同志社大学今出川キャンパス)からほど近い新町校舎の方が自然かなと思うのですけどね。なぜなら盟約の締結の際には西郷や桂、それに龍馬達が二本松藩邸と小松邸の間を何度か行き来しているのですが、相国寺から一条戻り橋までは結構距離があるのですよ。話し合いをするには不便だし、何より幕府の密偵に見つかる危険性が高いと思うのですが、どんなものでしょう?
小松邸があった場所はまだ他にも候補地があり、どことも断定された訳ではありません。これから先、さらに研究が進んで事実が明らかになる日が来るのを楽しみに待ちたいと思います。
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コメント
何度も近くを通っているのに全然知りませんでしたA^^;
京都はまだまだ奥が深いですね~(*^_^*)
一度行ったところもまた違った目線で行くと別の楽しみがあるのが嬉しいです♪
投稿: Milk | 2010.08.29 11:48
Milkさん、
この石碑は民家の敷地の片隅にあるので、その気にならないと気付かないでしょうね。
他にも応仁の乱の洛中における戦乱開始の地だとか、
源頼光一条邸跡だとか、様々な歴史の舞台となったとも記されています。
ここを調べるだけで、日本史の何割かが判りそうな場所凄いですよ。
投稿: なおくん | 2010.08.29 18:47