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2010.08.01

龍馬伝31 ~西郷はまだか~

「坂の町長崎を小曽根英四郎の案内で歩く龍馬達。行き着いた先は、とある一軒家でした。彼らは小曽根乾堂の好意でこの家を借り、根拠地とする事が出来たのです。龍馬は陽之助を連れてすぐに長州に旅立つ手筈になっていました。彼は吉之助の説得に成功し、長州と手を組むと言わせたのです。」

「龍馬達が旅立つ前に、自分たちの名前を付けてはどうかと提案する長次郎。いくつか案が出た中で、龍馬が考えた亀山社中とする事に決まりました。」

龍馬が最初に作った結社を一般に亀山社中と呼びますが、これは正式な名称ではなかった様です。文書で確認出来るのは単なる社中という呼び名だけで、それ以上のものは出てきません。後に地名の亀山を付けて呼び習わす様になったらしいですね。

ドラマでは薩摩が完全にスルーされてしまいましが、実際には鹿児島経由で長崎に来たのであり、彼らの世話をしていたのも薩摩藩でした。ちなみに社中の者には月々の手当として3両2分が支払われていたそうですが、その資金の出所も薩摩藩だったそうです。

「陽之助と長崎の坂を下っていく龍馬。彼の胸には、しかし、一抹の不安が宿っていました。吉之助に対して一筆を書いてくれと迫ったのですが、すげなく断られてしまっていたのです。薩摩の藩論は依然として佐幕であり、長州と手を組むというのはあくまで吉之助の一存でしか無かったからでした。また、幕府にも漏れてはいけないという配慮もあったのです。」

「薩摩へ向かう汽船の中で、薩長和解案を小松帯刀に打ち明ける吉之助。あまりの突拍子もなさに驚く帯刀。」

薩長和解が吉之助の一存だったかと言うと、そんなはずは無かったでしょうね。少なくとも家老の小松帯刀は承知していたはずであり、その同志の間では了解事項だったのでしょう。ただ、藩主とその実父の島津久光侯が大の佐幕家であり、これとその周辺の勢力をどう説得、と言うよりどうカモフラージュするかが大きな課題だったのでしょう。

「龍馬達がまず向かったのは、太宰府天満宮 延寿王院でした。そこには京を追われた三条実美達が住まいしており、高杉晋作も居るはずだったのです。彼らが着いた時には既に夕方近くとなっており、延寿院の門は閉じられていました。門を叩いても応答する者はなく、仕方なしに垣根を乗り越えて入っていく陽之助。その気配を察して、密かに出てきた一人の武士。龍馬が陽之助が開けた門を潜ると、いきなり刀が襲ってきました。高杉に会いに来た土佐の龍馬だと名乗ると、ここには居ないと答える武士。彼は急に親しみを込めて龍馬の名を呼び、刀を納めながら中岡慎太郎だと名乗りました。思わぬところで旧知に出会い、驚く龍馬。慎太郎は土佐勤王党の仲間の一人で、龍馬より後に脱藩していたのでした。今は三条卿達の護衛をしていると言う慎太郎。」

龍馬は確かに下関に向かう前に太宰府を訪れています。でも、それは三条達に会う事が主目的ではなく、そこに居るはずの長州藩士と連絡を取るためでした。

また、龍馬は三条卿達にも拝謁していますが、彼ががいかに行動力に富んでいるとは言っても、ドラマの様にいきなり宿所に忍び込む様な真似をするはずもなく、まずはこの地に居る薩摩藩士に連絡を取り、三条卿達の衛士を務める人物に紹介してもらうという手順を踏んでいます。そして、この衛士を通じて長州藩士小田村素太郎という人物に会い、桂小五郎と会う段取りを組んで貰ったのでした。

慎太郎は確かに五卿の護衛を務めていましたが、この時は独自に薩長和解の為に動いており、たぶん薩摩に向かっていた頃ではないかと思われます。それにしてもこのドラマは相変わらず出会いの描き方が荒っぽいですね。土佐勤王党の同志である事は確かで、顔見知りであった事も間違い無いのですが、それならそれでドラマの前半に顔出ししておけば良さそうなものではありませんか。池内蔵太もそうだったけど、予備知識無しにドラマを見ていたとすれば、一体どこに出てきていたのかと混乱してしまうのではないかしらん?

「慎太郎の案内で、三条卿達に拝謁する龍馬と陽之助。日本を救うには幕府を倒すしか無く、その為には薩摩と長州が手を結ぶ他はないと、ここに来た目的を話す龍馬。既に吉之助の了解を得たと言う龍馬に、証拠があるのかと急き込む慎太郎。残念ながら持っていないと言う龍馬の返事を聞き、冷ややかに席を立つ三条達。」

この時期に太宰府に居たのは七卿のうちの五卿で、一人(錦小路頼徳)は病気で亡くなり、もう一人(澤宣嘉)は生野の変で挙兵て破れ、長州に潜伏していました。ドラマでも確かに5人になっていましたね。

「土佐、岩崎家。材木の商売が軌道に乗り、忙しく働く弥太郎。喜勢のお腹には、二人目の子供が宿っていました。そこに後藤象二郎が現れます。彼は土佐藩も外国との商売に乗り出す、その商品として樟脳を選んだと言い、弥太郎に藩内に楠木が何本あるのか調べる様に命じます。気乗りはしないものの、象二郎に強引に頼まれ、引き受けてしまう弥太郎。」

「太宰府。所在なげに庭を歩く龍馬。そこに酒を持ってきた慎太郎。昔なじみ同士で、一杯やろうと言うのです。その頃陽之助は、公家達を相手に面白可笑しく自分たちの航海の話をしていました。巧みな話術で三条達を引き込み、さりげなく龍馬を持ち上げる陽之助。その仕掛けに乗り、龍馬の話も聞きたいと言い出す公家達。」

「太宰府。龍馬と酒を組み交わしつつ、これまで長州の為に東奔西走して来たという中岡。彼の脳裏にあるのは、半平太の無私の志でした。自分もまた日本の事だけを考えていると言う龍馬に、実は同じ事を考えていた、長州を救うには薩摩の手を借りるしか無いと打ち明ける慎太郎。そこに、やったと言って、大喜びで駆けつける陽之助。」

太宰府に陽之助が同行したかと言えば、手持ちの資料では確認出来ません。たぶん創作ではないかと思いますが、否定出来るだけの材料も持っていません。ですので、ここではスルーとさせて頂きます。

「三条達の部屋。三条が書いた桂小五郎宛の手紙を受け取る龍馬。彼は陽之助の話を聞いて、龍馬が嘘も詭弁も使わない真っ直ぐな男だと理解したのでした。感激に震える龍馬に、先に下関へ行け、自分が薩摩に行って吉之助を説得して来ると言う慎太郎。必ず成功させると三条卿に誓う龍馬。」

龍馬が五卿達に感銘を与えたのは事実で、彼に単独での拝謁を許した東久世道禧は、「偉人なり、奇説家なり」とその日記に記しています。この一事をもってしても、当時の龍馬がただ者では無かった事が伺えます。無論、薩摩という背景を持っていた事が大きく作用していた事も確かでしょうけど。

「大阪城。第二次長州征伐に向けて、将軍家茂を出陣させた慶喜。戦は嫌だと渋る家茂に、既に勝ったも同然である、長州に向かって降伏を勧告せよと命ずる慶喜。」

「長崎、引田屋。卓を囲むグラバー、オールト、乾堂、慶の面々。イギリスはもう幕府相手にしか交易はしないのかと聞く乾堂に、どこの藩も金がない、薩摩でさえもと答えるグラバー。日本は幕府のものになるのかと聞く慶に、判らないと答えるグラバーですが、これからも徳川の世は栄えると言う乾堂。」

「引田屋玄関。宴を終えた乾堂と慶が出てきます。幕府が栄えると言った割には亀山に龍馬達を住まわしている、それは世の中が変わると見ているからではないかと乾堂に探りを入れる慶。ただの脱藩浪士に何が出来るかと取り合わない乾堂。その後ろ姿を見送りながら、つばを付けたのは自分の方が先だと舌を出す慶。」

「下関。臨戦態勢となり、訓練に励む諸隊。そこに捕らわれてきた龍馬達。彼らは小船で上陸しようとしていたところを、見とがめられたのでした。取り押さえられながら、小五郎に取り次いで欲しいと頼む龍馬。」

龍馬は先にも書いた様に手順を踏んで長州に入ったのであり、ドラマの様に無茶をした訳ではありません。第一、あの場に小五郎が居なければどうするつもりだったのかと言いたくなりますね。

「知らせを受けてやって来た小五郎。彼は龍馬を認めると、彼は友人であるので縄を解けと命じます。自分たちはこれから芸州口の守りに出るところだ、一緒に行こうと誘う小五郎。それを渋る龍馬を見て、長州の加勢に来たのではないのかといぶかる小五郎。その小五郎に、自分たちがここに来たのは、薩摩と長州を結び付けるためだと打ち明ける龍馬。騒然とする諸隊の兵士達。驚きながらも、龍馬の話を聞く小五郎。吉之助は既に同意していると言う龍馬に薩賊と書いた草鞋の裏を見せ、長州人は皆薩摩を憎んでいると凄む兵士。薩摩は考えを変えたと言う陽之助に、今更自分たちに同情したのかと憤る小五郎。同情ではない、薩摩も幕府に追い込まれている、薩摩と長州が共に生き残るには両藩が手を組んで幕府を倒すしかないとぶち上げる龍馬。吉之助が同意したという証拠はと聞かれ、それは無いと答える龍馬。騒然となる諸隊の兵士達。証拠の代わりにと三条卿の手紙を出す龍馬。それを読み、自分が承知したらどうなるのかと問い掛ける小五郎。今、吉之助は藩論をまとめるべく薩摩に居る、そこには慎太郎が行っており、全てがまとまれば吉之助を下関に連れてくる手筈になっていると説明する龍馬。熟慮の末、西郷殿を迎える支度をする様にと命ずる小五郎。」

当然別室で話をするのかと思いきや、いきなり諸隊の前で話を始めましたね。これって無茶も良いところで、実際にそんな事をすれば、小五郎の制止も効かずに兵士達に殺されてしまっていた事でしょう。長州人が薩賊と言って憎んでいた事は確かであり、小五郎ですらその感情は濃厚でした。ましてや、一般の兵士に政治的な駆け引きが判るはずもなく、うっかり漏らせば命に関わる程に沸騰していました。史実における龍馬もこの長州行きは命がけの事だったと言われます。こういう状況だからこそ薩摩人が表に出るには支障があり、第三の勢力である土佐人が使われたのでしょうね。

もっとも薩長和解の話は対馬藩、そして筑前福岡藩から既に打診されていた事であり、長州側としては特に目新しい事ではありませんでしたので念の為。

「薩摩。吉之助の仕事の結果を待つ慎太郎。しかし、藩主は佐幕家であり、容易な事では藩論はまとまりそうにはありません。その様子にあせりを感じる慎太郎。」

この時の慎太郎と龍馬は行き違いっており、直接は話をしていません。けれども、彼らの目指すところは偶然ながら一致しており、龍馬が長州藩を担当し、慎太郎が薩摩藩を担当するという役割分担になっていました。この二人の動きを繋いだのは土方楠左衛門(久元)という慎太郎の同志の土佐藩士です。楠左衛門は長州藩に渡りを付けるべく慎太郎と分かれて下関に入り、龍馬が滞在している事を知って訪ねて来たのでした。龍馬はこの時初めて慎太郎の動きを知り、彼らの計画に乗る事にしたのです。

「長崎、丸山。芸者を上げて宴会に興じている社中の面々。内蔵太と一緒に踊っているのはお元。彼らは新たに仲間に入った内蔵太の歓迎会を開いていたのでした。懸命に出費を抑えようとする長次郎ですが、仲間達は言う事を聞いてくれません。そんな中、内蔵太に近づくお元。彼女は内蔵太に探りを入れ、薩摩の力があれば長州は負けないと叫ぶ声を聞き出します。」

「長崎奉行所。内蔵太の言葉を奉行に伝えるお元。慎太郎が薩摩に入ったという知らせと合わせて、何か不審な動きがあるのかも知れないといぶかる奉行。」

「長州、下関。龍馬が来てから既に15日が経過しているにも関わらず、何の音沙汰も無い事に苛立つ長州藩士達。内心の焦りを隠せない様子の龍馬。その龍馬に向かって、この仕事を果たせたら薩摩に取り立てて貰えるのかと聞く小五郎。そんな約束はしていない、長州に日本を守ってもらわないとこの国に将来は無い、日本が独立して西洋諸国と肩を並べる事が望みであり、その為には命は惜しまないと答える龍馬。その一方で、自分には家族に外国を見せてやるという約束があり、むやみに死ぬ事は出来ないとも言う龍馬。のんびりとした龍馬の言葉に、思わず笑い出す小五郎。しかし、自分の肩には長州の命運が掛かっている、何時まで待ってれば良いのかと龍馬に問い掛ける小五郎。どうか、自分と吉之助を信じてくれと懇願する龍馬。」

「下関の海に立ち、吉之助が来るのを待つ龍馬。」

「薩摩。あせりを感じながら待つ慎太郎の下に、殿の許しが出たと笑顔でやって来た吉之助。彼は今すぐ下関に向かうと言って、慎太郎の肩を叩くのでした。喜びのあまり、叫び声を上げる慎太郎。」

「下関に向かう汽船。その船内の一室で書類を漁る怪しい二人の男達。その部屋にやって来た吉之助は、一人を取り押さえますが、もう一人には逃げられてしまいます。彼らは幕府の隠密でした。」

この二人が隠密だという事ですが、ずいぶんと乱暴な隠密もあったものですね。あれだけ盛大に書類を荒らせば、誰かが調べたとすぐに判りそうなものではありませんか。第一、ここは船の中なのでしょう?だとしたら逃げ場所があるはずも無く、もっと慎重に行動しそうなものですよね。それに、一人取り逃がしたと言ってましたが、海の上でどうやったて逃げ出すと言うのでしょうね。この事が下関に寄らなかった理由だという事らしいのですが、あまりにも杜撰な設定と言わざるを得ません。

「下関。吉之助を待ちわびる龍馬の下に、薩摩の船がと言って飛んで来た陽之助。その様子がおかしい事をいぶかる龍馬。その後からやって来た慎太郎は、呆然となっている様子です。彼はいきなり地面に突っ伏すと、済まないとあやまり始めました。吉之助が急に下関には寄らずに京都に行くと言い出し、遂には素通りをしてしまったのでした。なぜだと問い詰める龍馬ですが、理由は慎太郎にも判らないのでした。冷たい声で、君を信じた僕が馬鹿だった、西郷にはそれしきの志しか無かったのだと吐き捨てる小五郎。待ってくれと追いすがる龍馬に刀を向け、二度と目の前に現れるなと突き放す小五郎。なぜだと叫ぶ陽之助。どうしてだがじゃと泣き叫び、仰向けにひっくり返った慎太郎。苦渋の色を隠せない龍馬。」

吉之助が慎太郎との約束を反故にして、下関に寄らずに京都へ行ってしまったというのは史実にある通りです。しかしその理由は良く判っておらず、幕末史における謎の一つですね。一説には、龍馬が依頼されていたのは長州藩に渡りを付ける程度の事で、一気に頂上会議まで進める予定は無かったのだと言います。それが慎太郎の動きによって一気に加速してしまい、準備が整いきらないうちに首脳会談を行う羽目になり、それを嫌って約束をすっぽかしたのではないかと言われます。まあこの場合は、吉之助にすれば約束をした覚えもないという事になるのでしょうけど。

哀れなのは龍馬達でした。激怒する小五郎に対してひたすら謝罪するしか無く、暫くは打つ手も無いという状態でした。しかし、ここから状況を立て直していくのが龍馬の真骨頂となるのですが、それは来週に描かれる事になる様ですね。

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いよいよ本格的に倒幕に向けた動きが活発化し、その中で龍馬の存在感が大きくなっていくのを肌で感じます。今まで神戸操練所のメンバーと同じような動きをしてきた龍馬ですが、今回から明確にそれらのメンバーとは違った動きをしていくことになります。 もともと、目的が操練所のメンバーとは違ったところにあったということなのでしょう。小曽根乾堂の斡旋によって長崎の亀山というところに新たな活動拠点を得たメンバーは、その名称を「亀山社中」とします。このネーミングも原点が龍馬なのかどうかはさておき、船乗り侍などという名前より... [続きを読む]

受信: 2010.08.02 00:32

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