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2010.07.18

龍馬伝29 ~新天地、長崎~

「冒頭、お灸をされながら坂崎紫瀾の取材を受ける弥太郎。その鍼灸院の主は、なんと千葉佐那でした。明治になって剣術は廃れ、千葉道場も無くなってしまったのです。龍馬に一方的に思いを寄せていただけと言う佐那に、あいつは酷いやつだと切り出す弥太郎。彼が言うには、海軍への道を絶たれ、半平太を失った龍馬は変わってしまった、もう佐那の知っている龍馬では無くなったと語り始めます。」

オープニングがまた変わりました。良く言えばドラマチック、正直に言えばCG臭くて、サイボーグみたいな感じがしません事?

「長崎。鹿児島に向かっていた龍馬達は、その途中で長崎に立ち寄りました。初めて見る長崎の文物に目を丸くする龍馬達一行。その中で、商談をする外国人達に興味を惹かれる龍馬。」

龍馬達が鹿児島に行く前に長崎に立ち寄ったというのはフィクションですね。彼らは先に鹿児島に行って、その後に長崎に出る事になります。龍馬に関して言えば、彼は一度勝麟太郎の供として長崎を訪れた事があり、初めての訪問という事ではありませんでした。

「龍馬達の宿になったのは小曽根邸でした。当主の乾堂は豪商で、薩摩はその得意先でした。吉之助とも懇意であり、龍馬達が操船の技術を持っていると聞くと、是非当家との取引に使って欲しいと頼みます。それに対して、彼の者達は軍艦に乗せるつもりだと答える吉之助。そこに、乾堂の弟である小四郎が龍馬達を案内したと報告に現れます。そして、小四郎の後から龍馬がやってきました。」

小曽根家は代々質屋を営んでいたとされる豪商で、乾堂はその当主でした。薩摩藩との繋がりは判りませんが、龍馬との繋がりは深く、多大な援助をした事で知られます。後の亀山社中の本拠地となった家は小曽根家が提供したとされ、さらに海援隊の本部もまた小曽根家に置かれたと言います。そして、お龍もまたこの家に住む事になり、今でもお龍が使ったとされる月琴が小曽根家に残されています。

「吉之助に向かって、自分たちをこのままここに置いて欲しいと切り出す龍馬。薩摩に雇われた事を忘れて貰っては困ると答える吉之助。自分達はどこの藩のしがらみを持ちたくはない、自分たちの食い扶持は自分で稼ぐと言い、薩摩も幕府の下から飛び出してはどうかと持ちかけます。しかし、吉之助は一介の脱藩浪士が薩摩のあり方について口を出すとはおこがましいと相手にしません。」

龍馬が自分たちの船を探していたというのは史実にあるとおりです。ただし、それは神戸海軍繰練所が廃止になる以前からであり、薩摩藩にもその事は伝わっていました。ドラマの様にいきなり西郷に切り出しても相手にされないのは当然でしょうね。

龍馬は、どこの藩にも縛られない独立した存在になりたいと言っていましたが、実際にはその時のスポンサーの意向に沿った働きをしたのが龍馬達でした。つまり、最初の亀山社中は薩摩藩がスポンサーであり、その意向に沿う形で薩長同盟の橋渡しをしましたし、その後土佐藩がスポンサーとなって海援隊を結成した後は、土佐藩の意向に沿って大政奉還路線を支援したのでした。無論、龍馬が日本を洗濯したいという意志には変わりなかったのですが、今の会社と同じくスポンサーの意向には逆らえなかったのですね。むしろ、その制約の中でも進路を誤らなかったところに龍馬の凄みがあるのではないかという気がしています。

「自分たちの船が欲しいと悔しがる長治郎達の声を聞き、船を借りる算段を考える龍馬。」

「フランスの援助を受け、威信を回復し始めた幕府。対外貿易はすべて幕府の了解無しには出来なくなってしまいました。薩摩でさえ、その制約を受けて貿易額が半減してしまうほどでした。」

「グラバー邸。対日貿易で巨万の富を築いたこの商人の元に、龍馬達がやってきました。蒸気船を貸して欲しいという龍馬の頼みに、一月1200ポンドでなら貸すと答えるグラバー。とても払えないと驚く龍馬達を尻目に、丸山でぼろ船でも探せば良いと言い捨てて席を立つグラバー。」

龍馬が異国の船を借りようとしていた事も史実のとおりです。詳しい事は判りませんが、彼は長く江戸に居て船を借りる算段を続けて居た様です。ただし、グラバー相手に船を貸せと言ったことは無いはずです。

「グラバーの言葉を聞き、丸山にやって来た龍馬達。そこは長崎きっての花街でした。彼らは一番の大店である引田屋に入ります。」

「引田屋では、一足先に吉之助に率いられた薩摩藩士達が「椿の間」に上がっていました。幕府による長州再征の噂に、長州憎しの声を上げる藩士達。今長州を滅ぼしても、幕府が得をするだけと取り合わない吉之助。」

ドラマで長州によって薩摩の船が沈められたと言っていましたが、調べてみると史実にあるとおりの様ですね。文久3年12月24日に薩摩の商船が下関海峡で沈められたのですが、それは8・18の政変に対する恨みと、異国との交易を計る事への憤りから、一部の過激派が暴発した事件だった様です。詳細はこちらのページに記載されていますので、よろしければどうぞ。

「竹の間に通された龍馬達。丸くて赤い卓に驚く彼らに、長崎のしっぽく料理を、上下の隔たり無く楽しく食べて貰う為だと答える仲居。先に話がしたいからと言って、料理も酒も断る龍馬達。彼らは薩摩に知られる事なく、商売が出来る相手を探そうとしていたのでした。」

「梅の間。芸者のお元が「長崎ぶらり節」に乗って舞っています。その舞を見るとでもなく、沈痛な顔つきで酒を飲む四人の武士達。舞が終わり、ざんぎり頭の一人が良かったぞと声を掛け、こっちに来いと命じます。しかし、後の三人はイライラしている様子で、松田という男に良くのんびり出来るなと怒鳴りつけます。彼らは今日会うはずだったイギリス商人に約束をすっぽかされたのでした。グラバーを知るお元は、彼らは用心深い、相手が攘夷派だったら命が無いからだと教えてやります。津和野藩士を名乗る彼らもまた、得体の知れない相手だと思ったと言うお元。」

「グラバー邸。商人仲間のオールトと酒を飲んでいるグラバー。なぜ津和野藩との商談に行かないと聞かれ、長州藩と関わりのあるかも知れない相手に銃を売る事を、幕府が許すはずが無いと答えるグラバー。」

「引田屋、梅の間。また出直そうと言う松田に、我々はまだ何もしていないと苦々しげに答える山田。そこに龍馬達が突然現れました。驚いて身構える三人の武士。落ち着いて龍馬達を見据えている松田。陽気に振る舞い、しっぽく料理の席に座りつつ、グラバーに何の用があったのかと切り出す龍馬達。いきり立つ山田達を尻目に、自分たちは味方だとなだめる龍馬。話だけでも聞こうという松田に、自らを脱藩浪士だ、脱藩者ゆえ奉行所の目には止まらない、津和野藩の船を一隻貸してくれたら、代わりに異国と交易をしてやると言う龍馬達。その言葉を聞いて土佐者かと見破る松田。出自を言い当てられ名乗りを上げる龍馬以下の面々。彼らが幕府の海軍繰練所に居た者だと聞き、色めき立つ山田達。その様子を見て、津和野藩士では無いだろうと探りを入れる龍馬。あっさりと自分たちは長州人であると明かす松田こと高杉晋作。彼は桂小五郎から、土佐の龍馬は信用出来る男だと聞いていたのでした。自分たちの味方になってくれるのかという晋作に、もちろんだと答える龍馬。その龍馬に長州は攘夷派だ、異国と戦をするつもりだと懸念を表す惣之蒸と長次郎。龍馬はとにかく席を変えて話をしよう、ここには薩摩藩が来ていると言うと、三人の武士はいきり立って出て行こうとします。その三人を押さえ、話はここでしようという晋作。敵を前に逃げるのはいやだというのがその理由でした。」

「お元に向かって、薩摩藩士とかち合わない様に女将に取りはからってくれと頼む龍馬。殊勝にはいと言って出て行くお元。しかし彼女は、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらと言って、店を出て行きます。」

「グラバー邸。オールトに向かって、稼ぐだけ稼いだら日本から逃げろと忠告するグラバー。彼が言うには、フランスと組んだ日本をイギリスが許すはずが無いからでした。」

「引田屋、梅の間。自分たちが欲しいのは軍艦10隻とミニエー銃1万挺と切り出す晋作。驚く長次郎達に、50万両もあれば十分だろうと軽く言い切る晋作。馬関海峡を持つ長州には沢山の金が入って来る、金なら腐るほど持っていると嘯く晋作。後の二人は伊藤俊輔と井上聞多でした。」

「武器を持ってまた外国と戦をするつもりかと聞く長次郎に、外国と戦って力ずくの攘夷は無理だと悟ったと答える晋作。よく判ってくれたと感激する龍馬。では1万挺の銃を何に使うつもりかという問い掛けに、幕府と戦うためだ、長州は独立すると宣言する晋作。」

「梅の前を通りかかった薩摩藩士。彼は部屋の中から聞こえてきた長州人という声に反応し、自分たちの部屋へと戻っていきます。」

「グラバー邸。本国はすでに日本上陸案を練っており、それが実行されれば日本は1日で降伏するだろうと見通しを語ります。その事を知らないのは日本人だけだとあざ笑うグラバー。」

「長州人が梅の間に居ると聞き、一斉にいきり立つ薩摩藩士達。駆けだしていく彼らの後から、仕方が無いといった様子でついて行く吉之助。」

「梅の間に乱入した薩摩藩士達。迎え撃つ長州藩士達。間に入ってとまどう龍馬達。刀を抜いて両藩士が向かい合う最中に、西郷吉之助であると名乗りながら出て行く吉之助。西郷の名を聞き、斬りかかる聞多。その腕をねじ上げて、止めろと叫ぶ龍馬。その姿を見て驚く吉之助。一番恐ろしい敵は異国だ、日本人同士で殺し合っている場合かと一喝する龍馬。」

「そこに駆けつけた長崎奉行所の役人達。その騒ぎを聞きつけ、ピストルを放つ晋作。その晋作のざんぎり頭を見て、奇兵隊を作った高杉と見破る吉之助。その吉之助に銃を向けながら、邪魔が入らなければ存分のに相手にしてやるのにと捨て台詞を残して去っていく晋作達。後を追う薩摩藩士達。奉行所に見つかってはと逃げる龍馬達。」

この下りは全て創作ですが、高杉晋作が良く描かれていたと思います。如何にも風雲児らしくて、格好良いですね。最後のピストルが余計だった気もしますけどね。

晋作と龍馬に関しては、おそらくは江戸での修行時代に面識があったものと思われます。文久2年11月に久坂玄瑞と武市半平太、それに龍馬と晋作が一同に会したらしい事が、玄瑞の日記に記されているそうです。これが事実なら、維新の立役者が顔を揃えていた事になり、さぞかし凄い光景だった事でしょうね。

龍馬に関して言えば、無理な展開が目立ちはしますが、ようやく龍馬らしくなって来たという気がします。実際にはもっと早い段階でこんな感じになっていたはずなのですけどね。今後の展開に期待が持てそうな気がして来ました。

「長崎奉行所。長州藩士を取り逃がしたという報告に、苦り切る奉行。彼は今度はもっと早く知らせよとお元に言いつけて席を立ちます。はいと答えて、静かに顔を上げたお元。」

お元については、龍馬が贔屓にした芸者という程度しか判りません。司馬遼太郎の「龍馬が行く」では、かなり詳しく出てきますが、どこまでが創作なのかは見当が付かないですね。一説には龍馬がお元から恋文を貰って、それをお龍に見つかったとも聞きますが、本当のところはどうなのでしょうね。ドラマでは謎めいた存在として描かれる様ですが、今後の展開が楽しみな一人です。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎

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