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2010.07.11

龍馬伝28 ~武市の夢~

「半平太を救うため、東洋殺しの犯人として名乗り出た龍馬。龍馬の身の上を気遣い、自分たちだけは味方で居てやろうと誓う坂本家の人々。」

「高知城。容堂候の御前に、東洋殺しの犯人は龍馬だったと駆け込む象二郎。興奮する象二郎を尻目に、席を立つ容堂候。」

「半平太の牢。酒に酔い、蹌踉と現れた容堂候は、和助に命じて牢を開けさせて中に入りました。和助を去らせた容堂候は、龍馬が犯人と名乗り出たが自分は信じない、犯人は半平太だと決めつけます。」

「半平太の前に座わり、下士を集めて土佐を勤王の旗頭にし、帝の使いとして幕府に攘夷を迫るなど出過ぎた真似だと叱りとばす容堂候。全ては容堂候の為と答える半平太。容堂候は、半平太と自分はよく似ている、幕府に失望しながらも忠誠心を捨てられない、自分は誰よりも帝を敬っている、この国は幕府のものでは無いと言って、立ち去ろうとします。その背中に向かって、容堂候こそが名君である、この国を動かしていくのは山内容堂候の他は無いと叫ぶ半平太。おまえは良い家来だ、長曽我部侍でなく山内侍であれば、どんなに可愛がったであろうと答える容堂候。」

「容堂候に認められ自分は果報者だと言い、ついに東洋殺しを認める半平太。そして、以蔵は東洋殺しには関係ない、ただし、自分が命じて攘夷を阻む者を暗殺をさせたと白状します。わしにどうして欲しいのだと問い掛ける容堂候。以蔵を楽にしてやって欲しい、そして自分も同様にと答える半平太。おまえを他の者と同じようにする訳にはいかない、腹を切れと言って脇差しを半平太の前に置く容堂候。そして、半平太はわしの家臣だと言って、再び蹌踉と牢から出て行きました。」

「以蔵の牢。半平太から、容堂候に良い家臣だと認められた、良く頑張ったという手紙をもらい、安堵する以蔵。」

「弥太郎の家。龍馬探索に出かける弥太郎に向かって、やめておけと止めに掛かる家族達。形だけだと振り切って外に出る弥太郎。その時、背後から襲い掛かる龍馬。彼は弥太郎に向かって、半平太に会いたいと頼みます。」

「半平太の牢。目の前に現れた龍馬を見て驚く半平太。龍馬が罪を被ってくれたので、牢から出られると告げる弥太郎。しかし半平太は、容堂候に東洋殺しを白状したと告げます。そして、容堂候が自分の前に座ってくれたと歓喜の表情を見せます。」

「半平太は、上士も下士無い国を作ると言った龍馬の言ったとおりになった、容堂候と自分が同じ場所に座る時が来るとは奇跡だと言い、おまえに自分の身代わりをさせられないと龍馬の申し出を断ります。そして、どうやって龍馬が日本を変えるのか楽しみだ、弥太郎には誰よりも出世しろと声を掛ける半平太。悲しみを振り切って、牢を去る龍馬と弥太郎。」

「形場に曳かれて行く以蔵。斬首の場に座った以蔵に向かって、井上佐一郎殺し、本間精一郎殺し、そして不埒な振る舞いがあった事など、罪状が読み上げられます。」

「半平太の牢。死装束に着替えた半平太。牢をを出る時に、和助に向かってこれまで世話になった事に対して礼を言います。」

「切腹の場に付いた半平太。彼に向かって判決文を読み上げる象二郎。」

「半平太の家。和助が半平太の遺品と手紙を持ってきています。」

「罪状を聞きながら、京都で一緒に暮らしたなつの事を思い出す以蔵。」

「判決文を読み終えた象二郎。恐れ入る半平太。」

「半平太の手紙。そこには、来世に生まれ変わっても夫婦になりたい、ずっと一緒に居たいと書かれていました。」

「泣き笑いする以蔵。振り下ろされる刀。」

「沛然と降り出した雨の中、壮絶な三文字割腹を果たした半平太。」

「夫の分まで生きていくと誓う富。」

「とある海岸。龍馬と土佐の仲間達。薩摩に行くと宣言する龍馬。得体の知れない西郷に不安を抱く仲間達に、西郷が目を剥くほど大きく叩いてやれば良い。自分たちには船を操る腕がある、誰にも邪魔されない己の道を進む事が出来る。それは日本を洗濯する事だと叫ぶ龍馬。」

「刑場に倒れた以蔵。」

「半平太の葬儀を営む富達。」

「曼荼羅図の前で呆然と酒を飲む容堂候。」

「龍馬の居ない中、いつもの様に食事をとる坂本家。」

「春路を中心に、幸せを噛みしめる弥太郎一家。」

「寺田屋で仕事に励むお龍。」

「全てを乗り越え、あの坂本龍馬になっていく龍馬。」

半平太が切腹したのは、慶応元年5月11日の事でした。ドラマの展開とは微妙に合わない様な気がしますが、それはここでは触れずにおきます。

半平太への罪状は、家臣の身分を超えて朝廷に働きかけ国を騒がせた事、容堂候へ度々不届きな事を申し上げ、その権威をないがしろにした事が容堂候の不快を招いたというものでした。半平太は最後まで罪状否認を続けたため、この様な罪状にするより無かったのですね。その文面はほぼドラマで朗読されていたとおりですが、判決を言い渡したのは後藤象二郎ではなく、大目付の間忠蔵という人でした。

半平太の最後は三文字割腹という壮絶なもので、要するに自らの腹を三度切るという事ですね。実際にそんな事が出来るものなのかと思いますが、伝えられるところによれば事実とされています。しかも、半平太はその前日までに酷い病気に襲われて衰弱していたと言われ、その弱り切った体力でやってのけたと言いますから、まさに武士としての意地がそうさせたのでしょう。

一方、以蔵に対する罪状は、井上佐一郎殺し、本間誠一郎殺し、幕府の与力殺しなど彼が白状した全ての天誅に対する殺人罪でした。その文面のさわりはドラマで朗読されていたとおりですが、その犯行の手口や共犯者の名前などが詳しく書かれていました。彼の処断は牢内で打ち首の上梟首というもので、首が晒されたのが雁切渡しという場所でした。おそらくは、ドラマが刑場に選んだ河原は、その渡し場のイメージを踏襲したものと思われます。

ここであれっと思うのは、ドラマで以蔵は何も白状していないと描かれていたはずですが、少なくとも2件の殺人のについいては認めていたという事になりますね。史実ではそれに連座して多くの仲間が投獄されてしまったのですが、このドラマでは最初から以蔵の単独犯として描かれていたため、彼以外には処分される者が居なかったという事になるのでしょうか。暗殺シーンではなぜ以蔵一人の働きなんだと思っていましたが、この事に対する伏線だった様ですね。

容堂候については、牢に行った事もなければ、半平太を家臣として認めたという事はありません。ただ、似た様な事実としては、藩主であった豊範が容堂候に対して忠義の士の出獄を伺ったという事があり、これは実現はしなかったものの牢番を通じて半平太の耳に入り、彼を大いに感激させたという事がありました。ドラマはこのあたりを脚色したものなのでしょうか。

その容堂候も明治以後は半平太を殺した事を後悔し、酒に酔っては寝言で半平太許せと言っていたという逸話が残っています。実際、半平太を生かしておけば、明治維新における土佐の地位は史実よりも遙かに重いものになっていた事でしょう。さらには、日本の姿も違ったものになっていたかも知れないですね。

なお、脇差しを渡したのは、ホームページに依れば俳優の近藤正臣さんのアドリブだったそうです。本人も思いも寄らない行動だったそうですね。最近は弥太郎の活躍の場がないぶん、容堂候が一番面白い存在なのかも知れません。でも、今後暫くは出番が減るのかな。

龍馬に関して言えば、前回から引き続いてあまりにも話を作りすぎですね。中でもどうやって土佐を抜け出したかはまるでスルーとは恐れ入るしかありません。いくらドラマだとは言え、ご都合主義にも程があるんじゃありません事?

史実はともかくとして、ドラマの展開から見ても龍馬を土佐に帰す必要はどこにも無く、容堂候と半平太のやりとりだけで十分だったのではないかしらん。この下りは、演出として失敗だったと思います。

次回からは、ようやく本来の龍馬になる様ですね。今ままでがあまりにも過小に描かれていたので、これからの展開には期待したいです。でも、これまでの反動でやたらとスーパーヒーローとして描かれるのも嫌だな。出来るだけ史実の龍馬に近い姿で描いて欲しいと願うばかりです。


参考資料:「武市半平太伝」 松岡 司 

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