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2010年7月

2010.07.31

祇園祭2010 山鉾巡行 ~北観音山~

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新町通においては、殿を勤めるのは北観音山です。ここはまさに町会所の前、巡行を終えた山が帰って来る場所なのです。

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町会所の二階にしつらえられた階段が見えて来ました。長かった巡行もいよいよ最後、お囃子にも力が入ってきます。

笛の高調子が巡行の終わりを告げました。楽しかった祭りの終幕を告げるどこかもの悲し気な音ですね。

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巡行は終わりましたが、まだ最後の一仕事が残っています。それが祝い締めですね。

この時ばかりは、町衆と観客が一体となっていました。最後まで見ていて良かったと思う瞬間ですね。

北観音山では、このあと柳の葉の授与が行われました。要するに、柳の葉っぱをちぎって落とすだけの事なのですけどね、受け取る人が多すぎて近寄れなかったのが残念でした。

さて、今年の山鉾巡行の記事はここまでとさせて頂きます。皆様には長々とおつきあい頂き、ありがとうございました。また来年も取材に行って記事をアップ出来たら良いなと思っていますので、その時はよろしくお願いいたします。

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祇園祭2010 ~疫神社夏越祭~

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平成22年7月31日、祇園祭最後の神事である疫神社夏越祭が行われました。疫神社とは八坂神社の摂社の一つで、祇園祭と縁の深い蘇民将来を祀ります。

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蘇民将来とは「備後風土記」の説話に出てくる人物です。

昔、素戔嗚尊が南海に旅をした時、一夜の宿を求めようとしました。その地で最も富み栄えていたのは巨旦将来でしたが、彼は尊の頼みをすげなく断ってしまいます。一方、巨旦の兄である蘇民将来は貧しかったのですが、尊の願いを聞き入れて宿を貸し、心を込めてもてなして、粟飯をふるまいました。後にこの地に疫病が流行したとき、素戔嗚尊は蘇民将来の子孫には茅の輪をつけて災から免れさせたのですが、その他の者はことごとく死に絶えたのでした。

この故事にちなみ、祇園祭では「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕するとされています。

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蘇民将来を祀る疫神社において行われる夏越祭は、厄気を祓う神事とされます。いわば、祇園祭の最後の総仕上げと言うわけですね。

神事は午前10時から行われるのですが、これに参加出来るのは祇園祭の関係者とされています。一般の参拝者が参加出来るのはこの神事が終わった後からですね。

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参拝者は、神社の前に設けられた茅輪を潜り、神前に詣でる事になります。これとは別に、千円以上の初穂料を納めればお祓いを受ける事も出来ます。たぶんですが、このお祓いを受けた人には茅野和守が授けられ、さらに粟餅が振る舞われるのではないかな。

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この茅輪は直径が2mと言われる立派なものですが、大きさとしては標準的な物でして、取り立てて言う程ではありません。でも、この丁寧な作り方は他には見あたら無いかも知れませんね。

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境内には沢山の茅が供えられてあり、参拝者は厄除けの印として持ち帰る事が出来ます。どれだけ持って帰るかは自由なのですが、一束を丸ごと持って行く人も多く居ました。私は貰っても扱いに困るので遠慮をしましたが、見ているとこれを縄の様になっている人が多く、最終的には自分で茅輪を作って祀るという事なのでしょうか。

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神事の後の宮司さんの挨拶に、祇園祭はこの行事で終焉を迎えたとあったのですが、舞殿にあった御輿も既に片づけられてられており、境内はすっり仕舞い支度になっていました。祭りの熱気が高ければ高い程、終わった後は寂しく感じられるものですね。

今は祭りの後の感慨に浸っている様な状態ではありますが、祇園祭にはまだまだ知らない部分が多く、また一年後の夏にこの祭を追えたら良いな思っています。

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2010.07.30

祇園祭2010 山鉾巡行 ~南観音山~

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山鉾巡行も大詰めを迎え、残すところは二つの観音山だけとなっています。巡行中は北観音山の方が前を行くのですが、新町通には南観音山の方が先に入る事になります。これは二つの山の位置関係のせいで、先に南を通しておかないと会所に帰れなくなってしまうからですね。

一見混んでいる様に見えますが、この頃にはかなり人は減っていました。やはり暑いのと、行列が終わるまでには長時間掛かりますから、皆さん疲れてしまうのでしょう。

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面白い事に南北の観音山は、行きと帰りでは向きが逆になって帰って来ているのです。山建で建てられた時は北向きになっており、出発する時は後ろ向きに曳かれて出て行くのですが、帰って来る時には巡行中の方向のまま帰ってくるので、南が正面となるのですね。

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後祭が健在だった頃は北向き一方通行だったはずで、こういう事は無かったものと思われます。巡行の方法が変更になった時は、さぞかし混乱した事でしょうね。でも、そこに柔軟に対処してしまうのが、町衆の祭ならではなのでしょうか。

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この場所は北観音山の会所の前でして、新町通の中でも最も趣のある場所の一つです。電線が無ければ、江戸時代そのものと言っても良い景色なのかも知れませんね。

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見送りは加山又造氏が下絵を描いた「龍王渡海図」で昭和63年に新調されたものです。巡行の掉尾を飾るのにふさわしい迫力を持っていますよ。

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普段は人の居ない松坂屋も、この日は解放されている様ですね。たぶん、町内会とか得意先の人たちでしょうか。さすがに隣の町内だけあって、囃子方と知り合いの人が多かった様です。

明日は最後の山鉾、北観音山の様子をお届けします。山鉾巡行がどうやって締められるかが判りますよ。

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2010.07.29

祇園祭2010 山鉾巡行 ~岩戸山 船鉾~

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新町通では東側に陣取っていたのでずっと日陰になっていたのですが、正午を過ぎるころから日差しが当たる様になり、ついには耐えきれなくなったので場所を移動しました。それにしても、梅雨明けがしたとたんに強烈な暑さになりましたね。

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移動したのはこの看板のある会社の駐車場でして、わずかな日陰の中に避難させて頂いたのでした。丁度隣の家との境が瓦屋根になっていたので甍越しの鉾を狙ったのですが、残念ながら全高の低い岩戸山では絵にならなかったですね。

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少し奥まった場所に居たので、全体を見るには丁度良かったですね。特に岩戸山はコンパクトですから、写真にも上手く収まってくれます。他の鉾では大忙しの屋根方も、幅の狭いこの山ではのんびりムードが漂っていますね。

次に船鉾の動画をアップします。

今年は宵々山に登らせて頂いた鉾だけに、自分も一緒に乗っているかの様な感慨がありますね。まあ、あの狭い中に入ってみたいとは思いませんが。

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真後ろから見ると、船鉾は案外スリムなのですね。なんだか人の海に浮かぶ船みたいに見えません事?

明日はさらに場所を移動して、南観音山を迎えます。

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2010.07.28

祇園祭2010 山鉾巡行 ~四条傘鉾 綾傘鉾~

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鉾の中でも特異な形態を保つのが傘鉾です。山鉾の原型とも言われ、囃子方を持ち、稚児を伴うという点で他の鉾と共通していますね。

傘鉾は二つあり、巡行の順番はやはりくじで決められる様です。今年は四条傘鉾の方が先にやってきました。

この鉾にも実は棒振り囃子があるそうなのですが、残念ながら一度も見た事がありません。四条通でやっている様なのですけどね、一度は拝見したいものです。

四条傘鉾が子供の棒振り囃子なのに対し、綾傘鉾は大人が演じる棒振り囃子です。この踊りは四条河原町、三条河原町など道中のポイントで演じられるだけでなく、新町通においては有力者の家の門前で演じられる様ですね。

実は座っていた場所がそのポイントにあたっており、昔流に言えば旦那衆の家の前だったのですね。急に隊列が止まって展開を始めたと思ったら、場所を空けてくれと言われてしまいました。ここで踊るからとの事なのですが、左右はすでにぎっしりと人で埋まっていたので移動する事も出来ず、どうしたものかと困っているうちに時間切れで始まってしまったという次第です。かなり邪魔だっと思うのですが、どうにか避けながら踊って頂きました。踊り手の人には迷惑を掛けてしまった様ですね。

:結果としては迫力のある動画となりました。それにしても、巡行の間に何度この踊りを踊るのでしょうね。炎天下の中大変だったと思いますが、良く体力が保ったものだと思います。

この踊りには厄除けの意味があるそうですね。お祭りに協力したてもらったお礼に、厄払いをして回っているという事なのでしょうか。それとも最初から厄払いをお願いしてあるのかな。何も知らずに座っていたおかげで、ご相伴に預かったという次第です。

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2010.07.27

祇園祭2010 山鉾巡行 ~月鉾~

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最大にして最長の鉾と言われるのが月鉾です。何より象徴敵なのがその長大な真木ですね。鉾頭として月を頂くこの真木は、まるで鞭のごとく撓る様に出来ています。見ていて驚いたのですが、鉾が止まる時などの衝撃によって、40度くらいにまでは曲がっていたのではないかな。

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月鉾は、蛤御門の変による被害を免れた事から、数多くの装飾品が今に伝わります。それ故に、最も豪華な鉾とも言われますね。ぱっと見えるところでは、破風の下のを飾る蛙股の波と兎の彫刻は左甚五郎の作と言われています。その下の天水引「双鸞霊獣図刺繍」の下絵は、円山応挙の孫応震が描いたものとされます。

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稚児人形の名は於菟麿(おとまろ)と言い、明治45年に制作されたものなのだとか。太平舞の姿を意識しているのでしょう、衣装の袖を前に垂らしてあるのが独特ですね。

ちなみに、鉾頭の月は三日月と言われていますが、実は新月(最初に現れる月。理科で習う見えなくなる新月とは異なります。)なのですね。やはり一度姿を消した後、最初に現れた姿というところに意味があるのでしょう。

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前掛は17世紀インド、ムガール王朝製の「メダリオン緞通」、世界に数枚しか無いという貴重なもので、オリジナルは重要文化財級の値打ちがあるそうです。この巡行に使われているのはレプリカですけどね。また、ここからならかろうじて見えますが、屋根裏の「金地彩色草木図」は円山応挙の筆になるものなのだそうです。


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見送りは、皆川月華作の染織繍「黎明図」。湖畔の夜明けを表したもので、中央には立葵などの花、下部には白鷺や鴨などの水鳥、上部には遠くに見える山と朝焼けに染まる空を飛ぶ鷺の群れが描かれています。

動く美術品とも賞される月鉾は、この程度ではとても紹介仕切れていません。来年の宵山は月鉾をメインに取材させて貰おうかなと思っているところです。

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2010.07.26

祇園祭2010 山鉾巡行 ~鶏鉾~

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鉾として4番目にやって来たのは鶏鉾です。古代中国の堯の時代に、訴訟用の太鼓を叩く者が誰もおらず、鶏の巣になってしまったという故事に基づく鉾です。要するに、治世の象徴という事なのでしょう。

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鶏鉾は、音頭取りの浴衣が青いのが特徴の一つですね。放下鉾もやはり青なのですが、あちらが裾をからげているのに対して、こちらは着流しという違いがあります。ちょっとしたところですけど、こんな所にも各鉾の個性が表れていますね。

時間と共に新町の観衆も増えてきて、この鶏鉾の頃がピークだったかも知れません。観客を整理する声が一段とうるさいですね。艶消しではあるけれど、これだけ混んでいてはやむを得ないよなあ。

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鶏鉾の稚児人形は、幕末に制作されたものだそうです。ただ、なぜか名前が不詳なのだとか。他の鉾の人形にはあるのに、ちょっと不思議ですね。

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鶏鉾の水引(横に細長い懸装品)のうち、天井から吊されている天水引は、文政8年作の「瑞雲、日輪と麒麟図」綴錦です。四条派の画家、下河辺玉鉉の手による下絵が使われているそうです。

囃子方の下にある下水引(人物が描かれている懸装品)は松村呉春下絵の金地綴錦「唐宮廷楼閣人物図」、赤地の懸装品が二番下水引で松村景文(呉春の弟)が下絵を描いた「春秋蝶図」、その下の三番水引は「生花図」綴錦で円山応挙の下絵と伝えられています。

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そしとて、この鉾で一番見たかったのがこの見送りですね。トロイ戦争でトロイの王子ヘクトルが妻子と別れを告げる場面を表現した壁掛の左半分とされ、16世紀のベルギー製なのだそうです。何でも、長浜曳山祭の鳳凰山見送幕と対をなすものなのだとか。

重要文化財に指定されているそうですが、これはオリジナルなのでしょうか。ネットで調べた限りでは、レプリカを作成したという情報は無いのですが、どんなものなのでしょう。16世紀の物にしては、ちょっと鮮やか過ぎる気もするのですけどね。

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2010.07.25

龍馬伝30 ~龍馬の秘策~

「元治元年12月、奇兵隊を立ち上げて長州独立を叫ぶ晋作。その動きに不安を感じ、第二次長州征伐を決意した慶喜。幕府支援を決めた列強諸国。」

「小曽根邸。船の手当が付かなかった事で困り果てている龍馬達。そんな中で要らぬ事を言い、もめ事の種を作る陽之助。騒ぎの中に突然現れた池内藏太。彼は土佐の仲間で、早くから脱藩し、長州藩と共にあらゆる戦場を渡り歩いてきた強者でした。」

わしの顔が判らないかと現れた池内藏太でしたが、このドラマでは初登場でしたよね。どうにもこのドラマでは、こうした唐突さが目に付きます。伏線がなさ過ぎるというか、荒っぽいと言うのか。

それはともかく、内蔵太は郷士の出で、龍馬よりも5歳年下ですが比較的近所に住んでいた様です。岩崎弥太郎の塾で学んだ事があり、近藤長次郎とは同門になるそうですね。土佐勤王党の立ち上げにも尽力したのですが、文久3年に突然脱藩し、長州に向かった様です。その後はドラマにあった様に、下関で外国船を砲撃し、天誅組に加わって大和で戦い、蛤御門の変では忠勇隊に加わって活躍し、長州藩の内戦にも参加するなど文字通りの歴戦の勇士でした。龍馬は内蔵太に大いに期待し、彼の後継者とまで思い定めて居た様ですね。

ただし、ドラマの様に長崎に現れたという事実はありません。と言うより、この下りそのものが創作ですから当然なのですけどね。

「内蔵太に案内されて、長崎の町を歩く龍馬。その先には晋作達が待っていました。薩摩との和解を説く龍馬に、上海で見た清国の悲惨な様子を話す晋作。俊輔と門多もまたイギリスに留学した事があり、西洋の力を知り尽くしていたのでした。敵は長州に戦いを挑む相手全てである、しかし正義は長州にあると信じていると言って立ち去る晋作。」

「長崎、薩摩藩邸。長州攻めに加わるしかないという帯刀に、長州を滅ぼしては下関を幕府に押さえられてしまう、そうなっては薩摩も干上がる、次は薩摩が狙われると反対する吉之助。そうならない様に幕府と上手くつきあっていくしか無いと言う帯刀。」

「土佐、岩崎家。材木の商売が上手く行き、高知城下に新居を構えた弥太郎。」

弥太郎はこの時期ずっと故郷の井ノ口村に居たはずですが、相変わらず弥太郎の寸劇は面白いですね。出番が少ないのが寂しいです。

「小曽根邸。皆の下にカステラを持ってきた長次郎。彼はこれを作って売ってはどうかと提案します。」

「カステラ職人の家。長次郎が読み上げるレシピに従って、カステラを作る龍馬達。しかし、出来上がったカステラは、とても食べられたものではありませんでした。」

龍馬とカステラについては、龍馬をはじめとする海援隊士達が記したとされる「雄魂姓名録」の末尾に書かれています。そこにはカステラ仕様として、卵100目、うどん70目、砂糖100目、これを合わせて焼く也とあるのですが、あまりに大雑把に過ぎて、とてもレシピとは呼べそうには無いですね。雄魂姓名録は様々な事が書き込まれた雑記帳であり、そこに書かれたこのカステラ仕様が何を意味するのかは判りませんが、関心を持った隊士が居た事は確かな様ですね。

「丸山。お座敷で長崎ぶらぶら節を踊るお元。」

「隠れキリシタンを見つけるために、踏み絵が行われています。マリアの絵をそっと踏み、笑顔で誤魔化すお元。」

「小曽根乾堂ら長崎を支配する豪商達が囲む麻雀の卓。そこに現れた龍馬と陽之助。彼はカステラを売るために5両の金を貸してくれと頼みます。しかし乾堂は、西郷はこの事を知っているのかと相手にしません。そんな中で、大浦慶は龍馬を引き寄せ、麻雀の捨て杯をどれにすれば良いかと聞きます。当てずっぽうに答えた龍馬ですが、そのおかげで慶は見事に上がります。」

大浦慶は、お茶の輸出で財をなした商人でした。龍馬や陽之助と親交があったとされ、「龍馬が行く」では陽之助が愛人の様な関係になっていますね。この時期には満37歳のはずですから、ドラマよりはもう少し若かったのかな。

「金は無理と諦めて出てきた龍馬達。茶店に入った龍馬は失意の一方で、商人達のたくましさに希望を見いだしていました。そこに現れた慶。彼女は国の仕組みを変えるという陽之助の言葉に関心を持ち、かつ彼の運の良さに惚れたと要って金を貸してくれました。そんな龍馬達をずっと見ていたお元。」

「お元と出くわした龍馬。気まずい所を見られたと弱る龍馬。日本の仕組みを変えるとはどういう事かと聞かれ、みんなが笑顔で暮らせる様にするという事だと答える龍馬。」

「龍馬と別れた後、奉行所に長州人と会っていた土佐者が居たと報告するお元。大した情報ではないが、よく知らせてくれたと褒美を与える奉行。」

「奉行所を後にして、長崎の町を歩くお元。とある建物の地下に降りていくと、そこは隠れキリシタンの隠れ家でした。踏み絵をした事を懸命にマリアに謝るお元。」

お元が隠れキリシタンというのは、全くの創作でしょう。もっとも、良く判らない事が多い人ですから、設定も自由が効くのでしょうけど。この設定が今後どういう意味を持っていくのかは注目したいところですね。

「グラバー邸。ミニエー銃千挺を買いたいと交渉する薩摩藩。3万両払えるのかと懐疑的なグラバー。砂糖や樟脳などいくらでも換金商品があると強気な薩摩藩。いつまでも砂糖が高値とは限らないと乗り気ではないグラバー。」

「カステラが上手く出来ない事でいらつく仲間達に、自分たちの志は日本を守る事、しかし志だけではどうにもならない事を学んだはずだと説く龍馬。」

「小曽根邸。明日薩摩に発つという吉之助。龍馬達はカステラを作っている、彼らはなかなか面白いという乾堂。そこに現れた龍馬。自分たちが薩摩を助けてやる、幕府に勝つには長州と手を組む事だと吉之助に説く龍馬。そんな事は聞けないという吉之助に、自分に任せてくれれば説得してみせると食い下がる龍馬。」

ここまで等身大の龍馬を描いて来たはずの龍馬伝でしたが、ここに来て急にバランスを崩しているかの様です。なんだか、龍馬がスーパーマンとして描かれていく様な予感がするのですが。

そもそも、昨日まで書生に過ぎなかった男が、突然政治に目覚めたからと言って薩摩や長州を動かせるはずも無いでしょう。このドラマって、リアリティがなさ過ぎると思いません事?本筋以外の描写はとても面白いのですけどね、肝心の龍馬の描き方に無理が有りすぎます。

今回の表題にある秘策ですが、薩長同盟の事だったのですね。でもこれって、秘策も何も龍馬の独創などではなく、当時の公論と言って良いほど知れ渡った案でした。薩長が手を結べば幕府に対抗出来る勢力になるとは誰しもが思い浮かべる事で、具体的には対馬藩や筑前福岡藩が既に周旋に乗り出していたし、同じ土佐藩の中岡慎太郎も独自の路線で動いていました。龍馬は薩摩藩と行動を共にしている中でこの構想を知り、薩摩藩の意向を受ける形で周旋に動き始めたのです。そうでなければ、こんな大仕事を出来る訳が無いでしょう。無論、それまでの龍馬の働きぶりが評価されての事であり、その人柄も大いに役だったものと思われます。

ただし、龍馬独自の構想は持っており、単なる薩摩藩の使い走りだった訳ではありません。そのあたりが龍馬の凄みと言えるのでしょうね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉、2010年NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」目録


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祇園祭2010 山鉾巡行~菊水鉾~

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3番目にやって来たのが菊水鉾です。今年は鴨川べりで祇園囃子を聞いて以来何かと縁のある鉾でして、宵山にもお邪魔しています。

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その宵山で売られていたのが、このちまきの携帯ストラップですね。たしか今年から商品化されたはずで、持っているだけでご利益がありそうな気がしますね。

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菊水鉾は幕末に焼失して以後長く休み山だったのですが、昭和27年に88年ぶりに再建されたのでした。それゆえ昭和の鉾と呼ばれ、懸装品は現代作家の手によって年々充実している様です。

菊水鉾は音頭取りの衣装が独特で、他の鉾が浴衣姿であるのに対し、袴姿で烏帽子を被っているところに格式を感じます。

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前掛けは飛鶴図、洞掛けは唐獅子図ですね。この鉾の飾りは動物で統一されているらしく、その藤一感に如何にも新しい鉾らしさが出ている様な気がします。

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この見送りは孔雀図、そしてその下にあるのが鯉の図柄の織物です。

そう言えば、屋根が唐破風なのも他に例を見ないですね。何かと独自の路線を行く面白い鉾だと思います。

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京都・洛北 御手洗祭2010 ~下鴨神社~

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土用の丑の日に健康を祈願する行事、下鴨神社のみたらし祭が今年も行われています。足漬け神事とも言われ、文字通り御手洗池に足を漬けて歩き、神前に灯明を供えて健康を願うという行事です。

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みたらし祭は午前5時30分から午後10時30分まで行われているという時間帯の長い行事で、訪れやすいのが特徴ですね。我が家はいつも早朝に行く事にしているのですが、今年は祇園祭の花傘巡行と重なったため、時間を合わせるべく少し遅めの参拝となりました。それでも朝の境内は清々しく、清浄な空気で満ちています。

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みたらし祭に参加するには、灯明代として200円が必要です。片手に竹串に刺したロウソク、もう片方の手には靴を入れた袋を持つ事になるので、あまり大荷物を持って行くとちょっと困る事になりますよ。

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池の源泉は、井上社の下から汲み出した井戸水です。ですから身を切る様に冷たく、震え上がってしまいますよ。でも、水から上がって暫くすると足先がほかほかと暖かくなり、とても気持ちが良くなるのです。

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あまり風がある訳では無かったのですが、どういうものかロウソクの火は消えやすく、皆さん苦労していた様です。本来は池の脇に3カ所ある種火から火を分けて貰うのですが、ここまで保たなかったので他のローソクで火を付けさせて貰いました。

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池から上がった後に振る舞われるのが、池の源泉と同じ井戸水ですね。とても冷えていて美味しいですよ。

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こちらが足形祈祷木です。この裏に名前と年齢を書いて井上社の前の水槽に浮かべておけば、無病息災・健脚祈願が出来ると言うわけですね。一人一枚ずつで、1枚につき200円が必要です。

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毎年奉納されている夏野菜です。昔は地元の農家からだったのでしょうけど、今は周辺に畑なんてありませんよね。とすると、上賀茂か西加茂あたりの農家からなのかしらん?今年は青物が少なめな様な気がするのですが、あまりに雨が多すぎたからなのでしょうか。

みたらし祭は明日26日までです。先にも書いた様に午後10時30分まで行われていますので、京都周辺の方なら仕事帰りでも十分に間に合います。冷たい水に浸かれば暑さも吹っ飛びますし、暑気払いにはもってこいの行事ですよ。

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2010.07.24

祇園祭2010 ~花傘巡行~

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平成22年7月24日、祇園祭の後半を彩る行事「花傘巡行」が行われました。

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花傘巡行は、かつて先祭と後祭に分かれていた山鉾巡行が一本にまとめられた事を期に、後祭に代わる行事として行われる様になったものです。始まったのは昭和41年の事で、八坂神社祇園太鼓など13の団体からなる祇園花傘連合会によって運営されている様です。

次に動画をアップします。

最初に現れたのが神饌花傘、次に現れたのが祇園太鼓です。以下、銀獅子、金獅子、幌武者と続きます。

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幌武者に続いて現れたのが児武者です。なんとも可愛らしい騎馬姿ですね。

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この行列の中での華と言うべきなのが花街の花車です。まずやって来るのが宮川町お茶屋組合花車。揃いの白い衣装が涼しげですね。この後、この衣装でコンチキ音頭を奉納されたはずです。

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続いてやって来るのが祇園甲部お茶屋組合花車です。こちらは雀踊の衣装なのですね。

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この独特の衣装は鷺踊ですね。鷺踊はかつて存在した笠鷺鉾に付属し、巡行中に鉾の周囲で舞っていた踊りだったそうです。しかし、笠鷺鉾の消滅と共に鷺踊も途絶えてしまったのですが、寛政年間に津和野藩に伝わっていた鷺踊を元にして復興されたのだそうです。その後再び途絶えていたのですが、戦後に至って復活した様ですね。

なお、平成18年まで奉納されていた鷺舞は大人が演じるものですが、今の鷺踊は子供が演じているそうです。

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こちらは、万灯おどりの行列です。昭和34年に出来た踊りなのだそうですが、残念ながらまだ一度も見た事がないですね。

花傘巡行が終わった後に、八坂神社にて参加団体による奉納が行われたので、そこまで頑張っていれば見る事が出来たのですね。しかし、あまりの暑さに参ってしまい、そこまで頑張る事は出来ませんでした。踊りの奉納は、また次の機会に見せて頂こうと思っています。

巡行の掉尾を飾ったのは、綾傘鉾の祇園囃子でした。一週間前の山鉾巡行を思い出しますね。ただ、棒振りばやしが付いていないのが物足りなかったかな。

今夜は御輿が帰って来る還幸祭があり、それが終われば28日に2度目の御輿洗い、そして31日の疫神社夏越祭をもって祇園祭はフィナーレを迎えます。長い夏祭りもいよいよ大詰めですね。

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祇園祭2010 山鉾巡行 ~函谷鉾~

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長刀鉾に続く鉾2番として知られる函谷鉾です。長刀鉾に比べると真木が長く、趣が違って見えますね。

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この鉾にも見所は沢山ありますが、その一つがこの前掛けで、旧約聖書創世紀の説話「イサクに水を供するリベカ」を題材にした毛織物です。現在のものは平成18年に復元されたものですが、オリジナルは16世紀のもので重要文化財に指定されており、宵山の町会所で見る事が出来るそうです。

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稚児人形もなかなか凝ったもので、その名を嘉多丸と言います。この鉾は天明の大火で一度焼けてしまっているのですが、天保10年(1839年)に復興を果たしています。その際に、時の左大臣一条忠香卿の御令息実良君をモデルに制作されたとされる、なかなか由緒正しい人形なのですね。
 
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こちらの見送りは「エジプト天空図」。昭和55年に皆川泰蔵氏によって制作されたものだそうですね。前掛けと同じくおよそ京都とは縁遠い画題の様な気がしますが、祭りの中になじんでしまうのが祇園祭の凄いところです。

良い物なら何でも取り入れて来た京都人の進取性の表れでしょうか。頑固さと柔軟性を併せ持った京都らしい一面が現れている光景だと思います。

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2010.07.23

祇園祭2010 山鉾巡行 ~長刀鉾~

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今日からは、新町通における山鉾巡行のレポートです。

新町通は、四条通~河原町通~御池通の順に巡ってきた山鉾が最後に通る道でして、各鉾町に戻るための帰り道でもあります。何より狭いですから、ご覧のとおりに体すれすれのところを行列が通って行く事になり、迫力満点の観覧となります。

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他の通りでは比較的行儀の良い行列なのですが、ここに来るととたんに素顔が現れて来ます。言葉使いもぞんざいになり、荒っぽい言葉が飛び交ったりします。でも、それこそが祭りの熱気というものですね。

次に動画をアップします。

どうです、河原町通で見るのとは違って、臨場感があるでしょう?

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ここで見る鉾の重量感と言ったら、それは凄いものがあります。特に車輪が目の前を過ぎていく時はちょっと怖いくらいですよ。

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宵山でもこういう光景は見る事が出来ますが、一番の違いは鉾が動いているという事ですね。あたかも目の前を巨大な壁が過ぎて行くという印象です。

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通り過ぎた後に見えるのが見送りです。宵山に見せて貰った「雲龍波濤文様」綴錦が、実に良く映えています。どの鉾もこの部分には贅沢な品を奢っているのですが、その理由が判る様な気がするシーンですね。

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長刀鉾は、非常に均整の取れたフォルムをしていますね。ミニチュアの鉾の中で長刀鉾が一番多いのは、このバランスの取れた姿ゆえなのでしょう。

明日以降も、新町通での山鉾巡行をレポートします。

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2010.07.22

祇園祭2010 宵山~膏薬図子~

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新町通と西洞院通の間に細い路地があります。その名を膏薬図子と言い、町中とは思えない風情がある事で知られます。

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この通りでは、宵山に合わせてライトアップが行われています。鉾町ではないので山鉾も祇園囃子もありませんが、そのぶん静かで落ち着いた空間が広がっています。

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静かとは言ってもすぐ近くに鉾町がありますから、その賑わいがさざ波の様に響いて来ます。その音もまた心地良く感じるのですね。

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この地は平将門の首が晒された場所とされ、その祟りを沈めるために空也上人が供養を行ったと伝えられます。その空也供養図子がなまっていつしか膏薬図子と呼ばれる様になったのだとか。なんだか駄洒落みたいですね。でも、将門の霊を慰めるための神田明神という神社が今でもあって、ごく最近に整備されたばかりの様でした。あまり知られる事のない史跡の一つですね。

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この通りでは、16日に「夜宵作(よいやさ)」というイベントが行われていました。私が見たのは音楽ライブだけでしたが、似顔絵やアートパフォーマンスなども行われていた様です。

鉾町の人混みに疲れたらこの通りに寄り道をして、ほっと一息を付くのも悪くはないですよ。

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2010.07.21

祇園祭2010 宵山~北観音山~

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南観音山の北に位置するのが北観音山です。この山の周囲には町家が多く残っており、ここもまた宵山の風情を感じられる場所の一つです。

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惜しいのはロウソク売りの童歌が無い事ですね。せめてロウソクの明かりだけでもあったらもっと風情が増すと思うのですけどね、なかなか難しいのだろうなあ。

次にその北観音山の祇園囃子をお聞きください。

童歌の無い、シンプルな祇園囃子もやはり良いものですね。

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この山に登れるのは町内会と関係者だけだそうで、一般客向けの拝観は行っていないそうです。という事は、たぶん内実が豊かなのでしょう。なにしろ町内にはあの松坂屋があるものね。これって、山の保存には理想的な事なのだろうなと思います。

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やはりこの町内に有力者が沢山居るからでしょうか、屏風祭が一番多いのもこの界隈です。

こちらのお宅では、金地に大きく鶴を描いた屏風と、絵や手紙らしきものを貼り合わせた屏風が飾ってありました。正直言ってその値打ちは判りませんが、相当な物なのだろうなという見当は付きます。

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次は松坂屋さんです。さすがに豪華絢爛たるもので、どれもが一級品ですね。特に右の甲冑は加藤清正が所用していたものとして伝わっているそうで、もしかしたら文化財級なのでしょうか。

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こちらは去年の夏に訪れた無名舎です。ここも屏風の値打ちまでは判りませんが、とても風情のある展示で、センスの良さが伺えますね。涼しさを感じさせるところがポイントなのかな。

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こちらのお宅では、関係者なのでしょうね、会食が行われていました。向こうの方に舞妓さんが居るのが判るでしょうか。そのせいで、ここは大人気のスポットになっていましたよ。

山鉾巡りの合間に、屏風祭を見て歩くのもなかなか楽しいものですね。

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2010.07.20

祇園祭2010 宵山~南観音山~

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宵山において最も情緒のある場所はどこかと言えば、南観音山がそうでしょうね。江戸時代から続く宵山の風情をどこよりも色濃く残しているのがこの山なのです。

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その理由は、このロウソクが灯った屋台と売り子達の存在にあります。この二つに祇園囃子を加えた三拍子が揃った場所は、他には無かったんじゃないかな。

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江戸時代においては無論電気なんてありませんから、ロウソクを沢山灯して明かりとしていたのですね。それがキラキラと輝いて、とても風情があったものなのだそうです。その光景を彷彿とさせてくれるのが、ここ南観音山なのですね。それに、売り子達が頻繁にロウソク売りの童歌を歌ってくれるのも嬉しいところです。その様子を動画に撮ってきました。

ねえ、とても風情があって良いものでしょう。次に、祇園囃子との競演バージョンをお届けします。

どうです、宵山の風情を味わって頂けたでしょうか。

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午後9時前になると、明日の天気を祈るという日和神楽が出発して行きました。これから鉾町周辺を巡り、最後は御旅所でお囃子を奉納するのですね。

実は私、この日和神楽が出ると山のお囃子は止まるものと思っていました。だって、囃子方が神前に出張してしまう様なものなのですからね。ところが、囃子方にはちゃんと二つのユニットがあるらしく、日和神楽が出た後でも、祇園囃子は鳴り響いていました。

ぱっと見た感じでは、日和神楽のユニットは若手中心だった様でした。ベテランは本拠を守り、体力を要する日和神楽は若手に任せるという事なのでしょうか。

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南観音山のある新町通は北行きの一方通行になっており、必ず南から上がって来なければならないのが難点ですね。つまり三条方面からはとてもアクセスしづらいのですが、たとえ回り道になるとしても必ず押さえて置きたい場所の一つです。宵山に行く時には道順をよく考えて、ここが入る様に工夫してくださいね。

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2010.07.19

祇園祭2010 宵山~長刀鉾~

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宵山のレポートは長刀鉾から始めましょうか。長刀鉾は一番東に位置する鉾で、毎年巡行の先頭を切る事で知られます。その名は鉾頭に取り付けられる長刀に由来し、その長刀は三条小鍛治宗近作と伝えられています。

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鉾に上がる方法はそれぞれ異なりますが、長刀鉾の場合は鉾の周辺で売っているグッズを買う事が条件となります。グッズは何でも良く、私はこの蒔絵の根付けを買いました。値段は500円で少し高めですが、鉾の拝観券と考えれば安いと言えます。大抵のところは1000円は取られますから、実は一番安く鉾に上れるのは長刀鉾となるのです。(南観音山は300円らしいですが。)

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ただし、長刀鉾は昔からの習慣を守っており、女性は鉾に入る事が出来ないので注意が必要です。上がれるのは二階までですが、そこには巡行当日に使用される懸装品や、鉾に関する資料が展示されています。また、タイミングが合えば目の前で祇園囃子を聞く事も出来ますよ。

この豪華な織物は平成16年に新調された「雲龍波濤文様」綴錦です。間近で見ると、実に鮮やかかつ精緻に出来た織物ですね。17日の巡行時にも、素晴らしく映えていました。

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鉾の上は他と同じ様に狭く、あまり快適とは言えないですね。ここに40~50人の囃子方が入ると言うのですから、さぞかしムンムンとした世界なのでしょう。

天井には赤字に金糸で雲形が刺繍された幕「彩雲紋刺繍」が張られており、その周囲には古代の星座である二十八宿が描かれています。

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床は素っ気のない白木のままですが、外から見える部分には凝った装飾が施されています。山鉾が動く工芸品と言われる所以ですね。

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そして、ここが鉾の正面にあたる部分です。稚児はずっとここに乗っているのですね。それにしても、太平の舞の時には窓の外に体を乗り出す訳ですが、いくら後ろから支えて貰っているとは言っても、さぞかし怖い思いをしている事でしょう。

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長刀は悪疫を祓う力を持つとされ、常に先頭を行くのはその力故なのでしょうね。ただ、進行方向に向かって真っ直ぐに取り付けられているのではなく、右向きになっています。こうすると巡行中は常に外側を向いている事になり、御所には決して刃を向けないという事を意味します。

オリジナルは町家の中に厳重に保管されているそうで、今使われているのはレプリカという事になりますね。しかし、たとえレプリカと言えども神通力には変わりなく、毎年悪疫を切り払いつつ先頭を進みます。その事は、この鉾を守る人たちの大きな誇りとなっている事でしょうね。

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2010.07.18

龍馬伝29 ~新天地、長崎~

「冒頭、お灸をされながら坂崎紫瀾の取材を受ける弥太郎。その鍼灸院の主は、なんと千葉佐那でした。明治になって剣術は廃れ、千葉道場も無くなってしまったのです。龍馬に一方的に思いを寄せていただけと言う佐那に、あいつは酷いやつだと切り出す弥太郎。彼が言うには、海軍への道を絶たれ、半平太を失った龍馬は変わってしまった、もう佐那の知っている龍馬では無くなったと語り始めます。」

オープニングがまた変わりました。良く言えばドラマチック、正直に言えばCG臭くて、サイボーグみたいな感じがしません事?

「長崎。鹿児島に向かっていた龍馬達は、その途中で長崎に立ち寄りました。初めて見る長崎の文物に目を丸くする龍馬達一行。その中で、商談をする外国人達に興味を惹かれる龍馬。」

龍馬達が鹿児島に行く前に長崎に立ち寄ったというのはフィクションですね。彼らは先に鹿児島に行って、その後に長崎に出る事になります。龍馬に関して言えば、彼は一度勝麟太郎の供として長崎を訪れた事があり、初めての訪問という事ではありませんでした。

「龍馬達の宿になったのは小曽根邸でした。当主の乾堂は豪商で、薩摩はその得意先でした。吉之助とも懇意であり、龍馬達が操船の技術を持っていると聞くと、是非当家との取引に使って欲しいと頼みます。それに対して、彼の者達は軍艦に乗せるつもりだと答える吉之助。そこに、乾堂の弟である小四郎が龍馬達を案内したと報告に現れます。そして、小四郎の後から龍馬がやってきました。」

小曽根家は代々質屋を営んでいたとされる豪商で、乾堂はその当主でした。薩摩藩との繋がりは判りませんが、龍馬との繋がりは深く、多大な援助をした事で知られます。後の亀山社中の本拠地となった家は小曽根家が提供したとされ、さらに海援隊の本部もまた小曽根家に置かれたと言います。そして、お龍もまたこの家に住む事になり、今でもお龍が使ったとされる月琴が小曽根家に残されています。

「吉之助に向かって、自分たちをこのままここに置いて欲しいと切り出す龍馬。薩摩に雇われた事を忘れて貰っては困ると答える吉之助。自分達はどこの藩のしがらみを持ちたくはない、自分たちの食い扶持は自分で稼ぐと言い、薩摩も幕府の下から飛び出してはどうかと持ちかけます。しかし、吉之助は一介の脱藩浪士が薩摩のあり方について口を出すとはおこがましいと相手にしません。」

龍馬が自分たちの船を探していたというのは史実にあるとおりです。ただし、それは神戸海軍繰練所が廃止になる以前からであり、薩摩藩にもその事は伝わっていました。ドラマの様にいきなり西郷に切り出しても相手にされないのは当然でしょうね。

龍馬は、どこの藩にも縛られない独立した存在になりたいと言っていましたが、実際にはその時のスポンサーの意向に沿った働きをしたのが龍馬達でした。つまり、最初の亀山社中は薩摩藩がスポンサーであり、その意向に沿う形で薩長同盟の橋渡しをしましたし、その後土佐藩がスポンサーとなって海援隊を結成した後は、土佐藩の意向に沿って大政奉還路線を支援したのでした。無論、龍馬が日本を洗濯したいという意志には変わりなかったのですが、今の会社と同じくスポンサーの意向には逆らえなかったのですね。むしろ、その制約の中でも進路を誤らなかったところに龍馬の凄みがあるのではないかという気がしています。

「自分たちの船が欲しいと悔しがる長治郎達の声を聞き、船を借りる算段を考える龍馬。」

「フランスの援助を受け、威信を回復し始めた幕府。対外貿易はすべて幕府の了解無しには出来なくなってしまいました。薩摩でさえ、その制約を受けて貿易額が半減してしまうほどでした。」

「グラバー邸。対日貿易で巨万の富を築いたこの商人の元に、龍馬達がやってきました。蒸気船を貸して欲しいという龍馬の頼みに、一月1200ポンドでなら貸すと答えるグラバー。とても払えないと驚く龍馬達を尻目に、丸山でぼろ船でも探せば良いと言い捨てて席を立つグラバー。」

龍馬が異国の船を借りようとしていた事も史実のとおりです。詳しい事は判りませんが、彼は長く江戸に居て船を借りる算段を続けて居た様です。ただし、グラバー相手に船を貸せと言ったことは無いはずです。

「グラバーの言葉を聞き、丸山にやって来た龍馬達。そこは長崎きっての花街でした。彼らは一番の大店である引田屋に入ります。」

「引田屋では、一足先に吉之助に率いられた薩摩藩士達が「椿の間」に上がっていました。幕府による長州再征の噂に、長州憎しの声を上げる藩士達。今長州を滅ぼしても、幕府が得をするだけと取り合わない吉之助。」

ドラマで長州によって薩摩の船が沈められたと言っていましたが、調べてみると史実にあるとおりの様ですね。文久3年12月24日に薩摩の商船が下関海峡で沈められたのですが、それは8・18の政変に対する恨みと、異国との交易を計る事への憤りから、一部の過激派が暴発した事件だった様です。詳細はこちらのページに記載されていますので、よろしければどうぞ。

「竹の間に通された龍馬達。丸くて赤い卓に驚く彼らに、長崎のしっぽく料理を、上下の隔たり無く楽しく食べて貰う為だと答える仲居。先に話がしたいからと言って、料理も酒も断る龍馬達。彼らは薩摩に知られる事なく、商売が出来る相手を探そうとしていたのでした。」

「梅の間。芸者のお元が「長崎ぶらり節」に乗って舞っています。その舞を見るとでもなく、沈痛な顔つきで酒を飲む四人の武士達。舞が終わり、ざんぎり頭の一人が良かったぞと声を掛け、こっちに来いと命じます。しかし、後の三人はイライラしている様子で、松田という男に良くのんびり出来るなと怒鳴りつけます。彼らは今日会うはずだったイギリス商人に約束をすっぽかされたのでした。グラバーを知るお元は、彼らは用心深い、相手が攘夷派だったら命が無いからだと教えてやります。津和野藩士を名乗る彼らもまた、得体の知れない相手だと思ったと言うお元。」

「グラバー邸。商人仲間のオールトと酒を飲んでいるグラバー。なぜ津和野藩との商談に行かないと聞かれ、長州藩と関わりのあるかも知れない相手に銃を売る事を、幕府が許すはずが無いと答えるグラバー。」

「引田屋、梅の間。また出直そうと言う松田に、我々はまだ何もしていないと苦々しげに答える山田。そこに龍馬達が突然現れました。驚いて身構える三人の武士。落ち着いて龍馬達を見据えている松田。陽気に振る舞い、しっぽく料理の席に座りつつ、グラバーに何の用があったのかと切り出す龍馬達。いきり立つ山田達を尻目に、自分たちは味方だとなだめる龍馬。話だけでも聞こうという松田に、自らを脱藩浪士だ、脱藩者ゆえ奉行所の目には止まらない、津和野藩の船を一隻貸してくれたら、代わりに異国と交易をしてやると言う龍馬達。その言葉を聞いて土佐者かと見破る松田。出自を言い当てられ名乗りを上げる龍馬以下の面々。彼らが幕府の海軍繰練所に居た者だと聞き、色めき立つ山田達。その様子を見て、津和野藩士では無いだろうと探りを入れる龍馬。あっさりと自分たちは長州人であると明かす松田こと高杉晋作。彼は桂小五郎から、土佐の龍馬は信用出来る男だと聞いていたのでした。自分たちの味方になってくれるのかという晋作に、もちろんだと答える龍馬。その龍馬に長州は攘夷派だ、異国と戦をするつもりだと懸念を表す惣之蒸と長次郎。龍馬はとにかく席を変えて話をしよう、ここには薩摩藩が来ていると言うと、三人の武士はいきり立って出て行こうとします。その三人を押さえ、話はここでしようという晋作。敵を前に逃げるのはいやだというのがその理由でした。」

「お元に向かって、薩摩藩士とかち合わない様に女将に取りはからってくれと頼む龍馬。殊勝にはいと言って出て行くお元。しかし彼女は、面倒ごとに巻き込まれるのはまっぴらと言って、店を出て行きます。」

「グラバー邸。オールトに向かって、稼ぐだけ稼いだら日本から逃げろと忠告するグラバー。彼が言うには、フランスと組んだ日本をイギリスが許すはずが無いからでした。」

「引田屋、梅の間。自分たちが欲しいのは軍艦10隻とミニエー銃1万挺と切り出す晋作。驚く長次郎達に、50万両もあれば十分だろうと軽く言い切る晋作。馬関海峡を持つ長州には沢山の金が入って来る、金なら腐るほど持っていると嘯く晋作。後の二人は伊藤俊輔と井上聞多でした。」

「武器を持ってまた外国と戦をするつもりかと聞く長次郎に、外国と戦って力ずくの攘夷は無理だと悟ったと答える晋作。よく判ってくれたと感激する龍馬。では1万挺の銃を何に使うつもりかという問い掛けに、幕府と戦うためだ、長州は独立すると宣言する晋作。」

「梅の前を通りかかった薩摩藩士。彼は部屋の中から聞こえてきた長州人という声に反応し、自分たちの部屋へと戻っていきます。」

「グラバー邸。本国はすでに日本上陸案を練っており、それが実行されれば日本は1日で降伏するだろうと見通しを語ります。その事を知らないのは日本人だけだとあざ笑うグラバー。」

「長州人が梅の間に居ると聞き、一斉にいきり立つ薩摩藩士達。駆けだしていく彼らの後から、仕方が無いといった様子でついて行く吉之助。」

「梅の間に乱入した薩摩藩士達。迎え撃つ長州藩士達。間に入ってとまどう龍馬達。刀を抜いて両藩士が向かい合う最中に、西郷吉之助であると名乗りながら出て行く吉之助。西郷の名を聞き、斬りかかる聞多。その腕をねじ上げて、止めろと叫ぶ龍馬。その姿を見て驚く吉之助。一番恐ろしい敵は異国だ、日本人同士で殺し合っている場合かと一喝する龍馬。」

「そこに駆けつけた長崎奉行所の役人達。その騒ぎを聞きつけ、ピストルを放つ晋作。その晋作のざんぎり頭を見て、奇兵隊を作った高杉と見破る吉之助。その吉之助に銃を向けながら、邪魔が入らなければ存分のに相手にしてやるのにと捨て台詞を残して去っていく晋作達。後を追う薩摩藩士達。奉行所に見つかってはと逃げる龍馬達。」

この下りは全て創作ですが、高杉晋作が良く描かれていたと思います。如何にも風雲児らしくて、格好良いですね。最後のピストルが余計だった気もしますけどね。

晋作と龍馬に関しては、おそらくは江戸での修行時代に面識があったものと思われます。文久2年11月に久坂玄瑞と武市半平太、それに龍馬と晋作が一同に会したらしい事が、玄瑞の日記に記されているそうです。これが事実なら、維新の立役者が顔を揃えていた事になり、さぞかし凄い光景だった事でしょうね。

龍馬に関して言えば、無理な展開が目立ちはしますが、ようやく龍馬らしくなって来たという気がします。実際にはもっと早い段階でこんな感じになっていたはずなのですけどね。今後の展開に期待が持てそうな気がして来ました。

「長崎奉行所。長州藩士を取り逃がしたという報告に、苦り切る奉行。彼は今度はもっと早く知らせよとお元に言いつけて席を立ちます。はいと答えて、静かに顔を上げたお元。」

お元については、龍馬が贔屓にした芸者という程度しか判りません。司馬遼太郎の「龍馬が行く」では、かなり詳しく出てきますが、どこまでが創作なのかは見当が付かないですね。一説には龍馬がお元から恋文を貰って、それをお龍に見つかったとも聞きますが、本当のところはどうなのでしょうね。ドラマでは謎めいた存在として描かれる様ですが、今後の展開が楽しみな一人です。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎

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祇園祭2010 宵々山~保昌山から四条通~

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大荒の天候の中で迎えた2010年の祇園祭でしたが、宵々山のこの日も夕方まで強烈な雨に見舞われていました。このため客の出足が鈍く、寂しい祭の夜になりそうだったのですが、幸いな事に日が暮れる頃にはさしもの雨もほぼ上がり、時間と共にいつもの賑わいが戻ってきました。

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この日、最初に訪れたのが保昌山です。このところお気に入りの場所になっていまして、私の宵山巡りはここから始める事にしています。

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この山を最初の訪問地にしているのは、五条からここを目指して歩けば途中の混雑が避けられるという利点がある事が理由の一つですが、ご神体の藤原保昌という人物が気に入っているからでもあります。高貴な身分にありながら、恋いしい女の願いとあらば御所の梅を盗んで来るという無茶をする、なんとも面白い人だったのですね。

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その保昌の逸話からこの山には縁結びのご利益があるとされており、どこよりも若い女性の比率が高い事でも知られます。町会所の様子はご覧の通りでして、私が入り込む余地など少しも無かったのでした。

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この山でも、ちまき売りの歌を歌っていました。何とも風情があって良いのですが、そうどこでもやっているという訳ではもありません。私が他で知っているのは、南観音山、八幡山、霰天神山、白楽天山あたりですね。船鉾も子供が売り子をしていますが、歌は無い様です。

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保昌山の次は岩戸山を目指します。これも定番のコースになっていまして、なるべく混雑を避けたいという配慮から来ています。それにしても、道行く人が少ないですね。

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岩戸山は、山でありながら鉾に準じた形式を持つ曳き山です。つまり、まず囃子方が組織され、山の上部にその囃子方が乗る座敷と屋根を持ち、さらには担ぐのはもはや無理ですから車輪が付けられたのですね。決定的に違うのは、山には稚児が居ないという点です(そう言えば船鉾にも稚児は居ませんが)。

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岩戸山もその上部に上る事が出来ます。宵山でも割合拝観者が少なく、入りやすい場所ですよ。ただ、この日は船鉾を目指していたので、寄らずに済ましました。

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船鉾にお邪魔した後は新町通を上って行きます。この日は本当に空いていて難なく歩けたのですが、次の日には大混雑になっており、30分近く渋滞に巻き込まれてしまいました。ここは混んでいる方が普通でして、のんびりと歩けたこの日の方が異常だったのですね。

その途中では、大船鉾の祇園囃子が演奏されていました。大船鉾は、江戸時代の末に焼失してしまった休み山でしたが、平成9年にお囃子が復活し、今また本体の復元に向けて動き出したそうです。復活した暁には、行列にも加わるのでしょうね。まだまだ先は長いでしょうけど、頑張って頂きたいものです。

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四条通に出ると、西の空の雲が切れて赤くなっていました。長かった梅雨の末期を思わす空模様でしたが、この二日後に梅雨明け宣言が出されています。

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この日は仕事帰りだった事もあって、ここまでで体力が尽きてしまいました。翌16日はお休みを貰ったので、昼過ぎから宵山へ出かけてきました。その様子は明日以降アップする予定です。

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2010.07.17

祇園祭2010 山鉾巡行 ~放下鉾~

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平成22年7月17日、祇園祭の山鉾巡行が行われました。今年は土曜日だったせいもあってか、昨年よりも7万人多い20万人の観客が押し寄せたそうです。新町通の人出もそれに比例して多く、昨年よりもかなり賑わっていましたよ。

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昨日までの梅雨空とは打って変わり、今日はいきなりの夏空となりました。以前は良く言われていた様に、山鉾巡行と共に梅雨が明けましたね。それにしても日差しが強烈だった事!日なたにいると、文字通りジリジリと焼かれる思いがしましたよ。

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これまでは河原町通での観覧が主だったのですが、今年は最初から新町通と決め打ちしていました。文字通り身動きが取れなくなる河原町通と違って、新町通は比較的自由が効きますからね。ただ、今年はかなり混雑しており、特に前半の内は立錐の余地もないといった感じになっていました。

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ここの良さは、まず迫力の凄さにあります。なにしろ目の前を巨大な鉾が通り過ぎて行くのですからね、向こうから近づいて来る時には軽い恐怖を感じる程ですよ。それに場所を選べば、昔ながらの町屋を背景にした情緒溢れる写真を撮る事が出来ます。

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そして、地元の人たちがこの祭に掛ける情熱を感じ取れたのも収穫でした。やはり祇園祭は、町衆の手による祭りなのですね。

今日はまずイントロまで。明日以降、宵山と山鉾巡行の様子を順に追ってお届けします。動画も沢山撮って来たので、お楽しみに!

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2010.07.16

祇園祭2010 宵々山 ~船鉾~

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祇園祭も宵々山を迎え、祭ムードが一気に高まっています。宵山の楽しみの一つが町会所を巡り、鉾に乗る事ですね。数ある鉾の中で、今年は船鉾にお邪魔して来ました。

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船鉾は独特の造形を持つ事から、人気の高い鉾の一つですね。ですから、毎年鉾に乗るには順番待ちで大変な事になります。ところが、この日は少し事情が違いました。折からの強烈な雨のせいで、人出が極端に少なかったのですね。

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私が行った時はほとんど人が居ない状態で、すぐに入る事が出来ました。とんでもなく迷惑な雨ですが、この時ばかりは有り難かったですね。

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鉾の上はと言うと、意外な程狭いです。船鉾は広い方ではないかと思っていたのですが、他と鉾とあまり変わらないのですね。ここに囃子方が40~50人も入るとは、ちょっと信じられない程ですよ。

船鉾は天井に特徴があって、20枚の花の絵が描かれているのです。金地に彩色で描かれており、天保5年に制作されたものなのだそうです。毎年1枚づつ拝観券のデザインに使われており、今年は桔梗が選ばれていました。

次に、町会所の二階で聞いた祇園囃子の動画をお届けします。

祇園囃子は宵山の町に溢れていますが、町会所で鉾を眺めながら聞くのは、とても贅沢な気分になりますね。今度は2階から眺めた鉾町の景色をご覧ください。

雨のせいで人の流れは少な目ですが、雰囲気は良い感じでしょう?

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私が町会所に入った時はガラガラだったのでのんびり過ごしていたのですが、いつの間にやら順番待ちの行列が出来ていた様で、最後は追い立てを食らってしまいました。まあこれが普通で、狭い町会所にはそう長居は出来ないでしょうね。

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1階には、船鉾のご神体が飾られています。もう一体、神功皇后のご神体があるのですが、そちらは上手く撮る事が出来ませんでした。これらが巡行時には鉾の上に乗せられるのですね。そうすると、ますます鉾の上は狭くなるのだなあ。

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外に出た時には雨も上がり、空が異様な色に染まっていました。今年の異常な梅雨を象徴しているかの様な空模様ですね。

雨上がりの宵々山の様子は、明日以降もアップしていきます。

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2010.07.15

祇園祭2010 ~鱧祭~

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祇園祭は別名「鱧祭」とも言われます。この時期に鱧が良く食べられる事から来た呼び名ですが、その鱧を求めて錦市場に来てみました。

その錦市場で人気の「まねきねこのて」も、祇園祭仕様になっていましたよ。

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鱧はとても生命力の強い魚で、例えば24時間水から上げられていても生きている程らしいですね。それほどの魚ですから、輸送に時間の掛かった時代でも活け魚として運べた事から、海から遠い京都では珍重されて来たのでした。

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錦では活け魚から焼き魚まで、様々な状態で売られています。中でもこの開き身は、白い身がとても綺麗で美味しそうですね。でも、よく見ると本当に小骨が多く、ここからの加工が大変そうです。

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一番多く見られるのが、骨切りをして焼き魚にした鱧ですね。普通の家庭では、骨切りなんてやってられないものなあ。それにしても、結構高いですね。開き身に比べて千円ほど高いのは、難易度の高い加工賃という訳ですか。

祇園祭に行って鱧を食べるのなら、室町周辺の料理屋さんの昼のランチがねらい目ですよ。競争が激しいからでしょうか、夜行くと高い店でも800円くらいからあって、しかも水準が高いです。町中に取材に行く時の、私の密かな楽しみの一つになっています。

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2010.07.14

祇園祭2010 鴨川べりの祇園囃子~菊水鉾~

祇園祭は今日から宵宮が始まっています。私も明日行く予定ですが、天気の事もあるし、果たしてどうなっている事やら。無事に行けていたらその様子は明後日アップしますね。

今日は、7月10日に鴨川縁で聞いた祇園囃子をお届けします。どういう趣向かは判りませんが、鳥彌三「ちもと」さんの三階座敷で演奏されていました。鴨川の流れと祇園囃子は、最高の京情緒ですね。納涼床で楽しんでいる気分になってみて下さい。

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2010.07.13

祇園祭2010 ~鉾建~

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平成22年7月10日に行われた鉾建の様子です。この日は早朝から4基の鉾が組み立てられていました。

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まずは長刀鉾です。鉾建が始まるのは午前7時から8時にかけてなのですが、午前11時頃に訪れた時にはすでに本体部分がほぼ出来上がっていました。思っていたより早いピッチで作業は進むのですね。

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次は函谷鉾です。作業の進め方は各鉾によって流儀があって、この鉾では冒頭の写真の様にあらかじめ縄を長く伸ばして地面に並べていました。長年の間に出来た習慣なのでしょうけど、お互いに真似し合わないのが不思議な気もします。

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こちらは月鉾です。鉾の中でも最大と言われますが、本体部分だけを見ていると、ほとんど違いは判りません。

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その月鉾の石持です。本体の下に取り付けて、車軸を受ける部分ですね。見るからに重くて頑丈そうなのは、最も負荷が掛かる部分であるのと同時に、重心を下げる役割も持っているからなのだとか。月鉾では2年前に更新されている様ですが、きっと相当な費用が掛かっているのだろうなあ。

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最後は鶏鉾です。ここは四条通と違って交通量が少ないですから、のんびりムードが漂っていますね。とは言っても、職人さんの手が早い事は他の鉾と同様ですが。

鶏鉾は収蔵庫がすぐ横にあり、開け放たれた扉から中の様子を見る事が出来るのが興味深かったです。

各鉾では、昨日曳き初めが行われた事でしょう。出来るものなら行きたかったな。次に土曜日になるのは4年後かあ。

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2010.07.12

祇園祭2010 ~神用水清祓式~

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平成22年7月10日午前10時、祇園祭の行事の一つである御輿洗いに先立ち、神用水清祓式が行われました。

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御輿洗いとは祇園祭の御神輿を鴨川の水で清める儀式であり、そのための水を鴨川から汲み上げる儀式が神用水清祓式です。実は私もこれを見るのは初めてであり、知らない事ばかりでした。

八坂神社を出発した一行は、まず目疾み地蔵で知られる仲源寺を訪れます。おそらくですが、この寺の本尊である地蔵尊は鴨川の氾濫を沈める為に祀られたものである事から、鴨川の水を使うにはお許しが必要という事なのでしょうか。このあたりは、かつての神仏混交の名残が濃厚に残っていますね。

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四条大橋の上には斎竹によって結界が張られています。ちなみに、上流側にも同じように斎竹がしつらえられていました。ここでお祓いの後、神用水と書かれた木桶を使って鴨川の水が汲み上げられるのですが、その様子は動画でご覧下さい。

ちょっとカメラアングルが悪くて、川の中の様子が写ってなかったですね。そのぶん、トップの写真をご覧になって頂く様、お願いします。

それにしても、今はきれいになった鴨川ですが、昭和40年代から50年代にかけては、御輿洗いに使うのも憚られるような汚れた水でした。その頃にも同じ様に儀式は行われていたのだろうけど、相当に抵抗は感じていた事でしょうね。

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水を汲み上げた一行は、今度は宮川町沿いの堤へと場所を移します。ここで神水を祭壇に供え、祝詞が奏上されました。こうして清められた水が、この日の夜に御輿に掛けられ、御輿洗いが行われるのです。

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神水の桶は全部で6個あり、うち3個がこの場所に安置されました。残りの3個はというと、仲源寺に保管されるのですね。

ちなみに、鴨川の中でも四条大橋から松原橋までの間は宮川とも呼ばれるのですが、それはこの行事が元にっなている様ですね。花街の一つである宮川町の名もまた、ここに由来している様です。

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桶の前にはここが聖域である事を示す盛砂が築かれ、さらに大麻が立てられていました。

御輿洗いは7月28日にもう一度行われ、神用水清祓式もまた同じ様に行われます。興味のある方は見に行かれれると良いですよ。

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2010.07.11

龍馬伝28 ~武市の夢~

「半平太を救うため、東洋殺しの犯人として名乗り出た龍馬。龍馬の身の上を気遣い、自分たちだけは味方で居てやろうと誓う坂本家の人々。」

「高知城。容堂候の御前に、東洋殺しの犯人は龍馬だったと駆け込む象二郎。興奮する象二郎を尻目に、席を立つ容堂候。」

「半平太の牢。酒に酔い、蹌踉と現れた容堂候は、和助に命じて牢を開けさせて中に入りました。和助を去らせた容堂候は、龍馬が犯人と名乗り出たが自分は信じない、犯人は半平太だと決めつけます。」

「半平太の前に座わり、下士を集めて土佐を勤王の旗頭にし、帝の使いとして幕府に攘夷を迫るなど出過ぎた真似だと叱りとばす容堂候。全ては容堂候の為と答える半平太。容堂候は、半平太と自分はよく似ている、幕府に失望しながらも忠誠心を捨てられない、自分は誰よりも帝を敬っている、この国は幕府のものでは無いと言って、立ち去ろうとします。その背中に向かって、容堂候こそが名君である、この国を動かしていくのは山内容堂候の他は無いと叫ぶ半平太。おまえは良い家来だ、長曽我部侍でなく山内侍であれば、どんなに可愛がったであろうと答える容堂候。」

「容堂候に認められ自分は果報者だと言い、ついに東洋殺しを認める半平太。そして、以蔵は東洋殺しには関係ない、ただし、自分が命じて攘夷を阻む者を暗殺をさせたと白状します。わしにどうして欲しいのだと問い掛ける容堂候。以蔵を楽にしてやって欲しい、そして自分も同様にと答える半平太。おまえを他の者と同じようにする訳にはいかない、腹を切れと言って脇差しを半平太の前に置く容堂候。そして、半平太はわしの家臣だと言って、再び蹌踉と牢から出て行きました。」

「以蔵の牢。半平太から、容堂候に良い家臣だと認められた、良く頑張ったという手紙をもらい、安堵する以蔵。」

「弥太郎の家。龍馬探索に出かける弥太郎に向かって、やめておけと止めに掛かる家族達。形だけだと振り切って外に出る弥太郎。その時、背後から襲い掛かる龍馬。彼は弥太郎に向かって、半平太に会いたいと頼みます。」

「半平太の牢。目の前に現れた龍馬を見て驚く半平太。龍馬が罪を被ってくれたので、牢から出られると告げる弥太郎。しかし半平太は、容堂候に東洋殺しを白状したと告げます。そして、容堂候が自分の前に座ってくれたと歓喜の表情を見せます。」

「半平太は、上士も下士無い国を作ると言った龍馬の言ったとおりになった、容堂候と自分が同じ場所に座る時が来るとは奇跡だと言い、おまえに自分の身代わりをさせられないと龍馬の申し出を断ります。そして、どうやって龍馬が日本を変えるのか楽しみだ、弥太郎には誰よりも出世しろと声を掛ける半平太。悲しみを振り切って、牢を去る龍馬と弥太郎。」

「形場に曳かれて行く以蔵。斬首の場に座った以蔵に向かって、井上佐一郎殺し、本間精一郎殺し、そして不埒な振る舞いがあった事など、罪状が読み上げられます。」

「半平太の牢。死装束に着替えた半平太。牢をを出る時に、和助に向かってこれまで世話になった事に対して礼を言います。」

「切腹の場に付いた半平太。彼に向かって判決文を読み上げる象二郎。」

「半平太の家。和助が半平太の遺品と手紙を持ってきています。」

「罪状を聞きながら、京都で一緒に暮らしたなつの事を思い出す以蔵。」

「判決文を読み終えた象二郎。恐れ入る半平太。」

「半平太の手紙。そこには、来世に生まれ変わっても夫婦になりたい、ずっと一緒に居たいと書かれていました。」

「泣き笑いする以蔵。振り下ろされる刀。」

「沛然と降り出した雨の中、壮絶な三文字割腹を果たした半平太。」

「夫の分まで生きていくと誓う富。」

「とある海岸。龍馬と土佐の仲間達。薩摩に行くと宣言する龍馬。得体の知れない西郷に不安を抱く仲間達に、西郷が目を剥くほど大きく叩いてやれば良い。自分たちには船を操る腕がある、誰にも邪魔されない己の道を進む事が出来る。それは日本を洗濯する事だと叫ぶ龍馬。」

「刑場に倒れた以蔵。」

「半平太の葬儀を営む富達。」

「曼荼羅図の前で呆然と酒を飲む容堂候。」

「龍馬の居ない中、いつもの様に食事をとる坂本家。」

「春路を中心に、幸せを噛みしめる弥太郎一家。」

「寺田屋で仕事に励むお龍。」

「全てを乗り越え、あの坂本龍馬になっていく龍馬。」

半平太が切腹したのは、慶応元年5月11日の事でした。ドラマの展開とは微妙に合わない様な気がしますが、それはここでは触れずにおきます。

半平太への罪状は、家臣の身分を超えて朝廷に働きかけ国を騒がせた事、容堂候へ度々不届きな事を申し上げ、その権威をないがしろにした事が容堂候の不快を招いたというものでした。半平太は最後まで罪状否認を続けたため、この様な罪状にするより無かったのですね。その文面はほぼドラマで朗読されていたとおりですが、判決を言い渡したのは後藤象二郎ではなく、大目付の間忠蔵という人でした。

半平太の最後は三文字割腹という壮絶なもので、要するに自らの腹を三度切るという事ですね。実際にそんな事が出来るものなのかと思いますが、伝えられるところによれば事実とされています。しかも、半平太はその前日までに酷い病気に襲われて衰弱していたと言われ、その弱り切った体力でやってのけたと言いますから、まさに武士としての意地がそうさせたのでしょう。

一方、以蔵に対する罪状は、井上佐一郎殺し、本間誠一郎殺し、幕府の与力殺しなど彼が白状した全ての天誅に対する殺人罪でした。その文面のさわりはドラマで朗読されていたとおりですが、その犯行の手口や共犯者の名前などが詳しく書かれていました。彼の処断は牢内で打ち首の上梟首というもので、首が晒されたのが雁切渡しという場所でした。おそらくは、ドラマが刑場に選んだ河原は、その渡し場のイメージを踏襲したものと思われます。

ここであれっと思うのは、ドラマで以蔵は何も白状していないと描かれていたはずですが、少なくとも2件の殺人のについいては認めていたという事になりますね。史実ではそれに連座して多くの仲間が投獄されてしまったのですが、このドラマでは最初から以蔵の単独犯として描かれていたため、彼以外には処分される者が居なかったという事になるのでしょうか。暗殺シーンではなぜ以蔵一人の働きなんだと思っていましたが、この事に対する伏線だった様ですね。

容堂候については、牢に行った事もなければ、半平太を家臣として認めたという事はありません。ただ、似た様な事実としては、藩主であった豊範が容堂候に対して忠義の士の出獄を伺ったという事があり、これは実現はしなかったものの牢番を通じて半平太の耳に入り、彼を大いに感激させたという事がありました。ドラマはこのあたりを脚色したものなのでしょうか。

その容堂候も明治以後は半平太を殺した事を後悔し、酒に酔っては寝言で半平太許せと言っていたという逸話が残っています。実際、半平太を生かしておけば、明治維新における土佐の地位は史実よりも遙かに重いものになっていた事でしょう。さらには、日本の姿も違ったものになっていたかも知れないですね。

なお、脇差しを渡したのは、ホームページに依れば俳優の近藤正臣さんのアドリブだったそうです。本人も思いも寄らない行動だったそうですね。最近は弥太郎の活躍の場がないぶん、容堂候が一番面白い存在なのかも知れません。でも、今後暫くは出番が減るのかな。

龍馬に関して言えば、前回から引き続いてあまりにも話を作りすぎですね。中でもどうやって土佐を抜け出したかはまるでスルーとは恐れ入るしかありません。いくらドラマだとは言え、ご都合主義にも程があるんじゃありません事?

史実はともかくとして、ドラマの展開から見ても龍馬を土佐に帰す必要はどこにも無く、容堂候と半平太のやりとりだけで十分だったのではないかしらん。この下りは、演出として失敗だったと思います。

次回からは、ようやく本来の龍馬になる様ですね。今ままでがあまりにも過小に描かれていたので、これからの展開には期待したいです。でも、これまでの反動でやたらとスーパーヒーローとして描かれるのも嫌だな。出来るだけ史実の龍馬に近い姿で描いて欲しいと願うばかりです。


参考資料:「武市半平太伝」 松岡 司 

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2010.07.10

京都・洛中 祭りの始まり ~新京極~

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7月も10日になり、鉾町では今日から鉾立が始まりました。いよいよ祭りの気配が盛り上がってきましたね。

ここ新京極では駒形提灯が飾られ、一足先にお祭りモードに入っています。夏服姿の修学旅行生と浴衣姿の女性達は、この季節の風物詩と言って良いでしょう。

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錦市場でも祭り提灯が飾られ、控えめながらも祭りムードが漂っています。魚屋さんの店先では、鱧が沢山並んでいる事でしょうね。

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四条河原町では、8月22日での閉店が決まっている阪急百貨店が、売り尽くしセールを行っていました。鳴り物入りで開店した時を知っている者としては、感慨深いものがありますね。時代の流れと言うには、あまりにあっけないという気がします。

何にしても、この夏に記憶されるべき一景色ではありますね。


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2010.07.09

京都・洛東 東山雨情 ~養源院 7.3~

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養源院、梅雨闇の参道です。

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雨も小やみになると、木の滴に目が行くようになりますね。中でも赤いもみじの種に付いた水滴は、レンズの様にふくらんでますね。つい触って落としたくなるのは、私だけかしらん?

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参道のもみみじは雨を受けて大きく枝が垂れていました。一滴の重さなんて知れたものなのに、全ての葉に付いた滴を集めると枝を撓わせる程になるのですね。うーん、こうしてみると、たかが雨粒と言えども馬鹿には出来ないんだなあ。

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帰り際、視界の隅をよぎった白い影に惹かれて門の脇に逸れてみました。そこに咲いていたのは大輪のクチナシ、八重咲きの花が満開になっていました。

雨の日は甘い香りがより一層強くなりますね。心地よいと言うより、むしろ息苦しく感じる程でした。この花もまた、梅雨が似合う花なのかも知れません。

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2010.07.08

京都・洛東 東山雨情 ~東福寺 7.3~

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雨に煙る東福寺です。

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梅雨の雨を受けた洗玉澗のもみじが瑞々しい。

それにしても、この天気のせいでしょうか、それとも時期が悪いのか、通天橋に人影が見られません。ちょっと寂しい気もしますが、雨の日の静けさを感じさせる光景ではあります。

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池のほとりでは、赤い葉のもみじが雨に打たれていました。秋の紅葉を思わす色ですが、終焉を迎えた秋の葉とは違い、生命力に溢れた力強さを秘めているという気がします。

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紫陽花は雨の風情を増幅させる効果がある様ですね。雨の日にこの花を見ると、如何にも今が梅雨の最中であると感じてしまいます。

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その一方で、私ごとではありますが、子供の頃には星咲きの紫陽花が周囲にはなく、手まり咲きの花しか知りませんでした。ですので、未だに星咲きの花を見るとどこか新鮮な気分がします。梅雨らしさを感じるのは同じなのですけどね。

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今年は花期が遅れる花が多い中で、蓮は順調に咲き始めた様です。また、この花を追いかける季節がやって来たのですね。

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この季節、厚い雲に覆われて昼なお暗いという日が続きます。その暗がりを梅雨闇と呼ぶのだそうですね。

暗くて静かで美しい、しかしどこか恐ろしげな雨の日の木の下道です。

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2010.07.07

京都・洛東 桔梗2010 ~智積院 7.3~

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桔梗を求めて、今度は智積院にやって来ました。ここも桔梗が多く咲く事で知られているのですが、今年はどうした訳かかなり少ないです。

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参道の入り口付近は例年通りの咲き方なのですが、石段を登った参道の両側にはほとんど咲いていないのです。ここは年によって当たり外れがある様ですが、今年は特に寂しいですね。

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庭園の中にも一群れの桔梗が植えられているのですが、そちらはまだ咲き揃ってはいませんでした。今年は桔梗にとっては、あまり良い気候では無いのかも知れません。

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それでも、雨の似合う花である事は変わりなく、こうして一輪だけ咲いている姿もまた、風情が感じられるものでしたよ。

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桔梗よりもすごい事になっているのが紫陽花ですね。数年前から金堂の東と北側に植えられているのですが、かなり見応えのある状態になって来ました。まだ少し株が小さいので見栄えが悪いのですが、もうすぐ紫陽花の名所と呼べる様になるかも知れません。

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この日の境内で一際鮮やかだったのが、この木に生えた苔でした。正確には地衣類に属するローソクゴケでしょうか。

地衣類なんて地味な印象でしかないのですが、中にはこうした派手な色彩を放つ仲間も居るのですね。改めて自然の造形のおもしろさを感じた次第です。


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2010.07.06

京都・洛東 桔梗2010 ~東福寺塔頭 天得院 7.3~

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桔梗の庭で知られる天得院です。この日(平成22年7月3日)はほぼ花が咲き揃い、丁度見頃となっていました。

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門を入ってすぐに出迎えてくれるのが、八重の桔梗です。以前見たのは青花だったと思うのですが、この日は咲いていませんでした。

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天得院の庭は本堂の南から西にかけてL字型になっているのですが、これはその西側にあたる部分です。良く整備された廬山寺とは違って、野趣に富んだ咲き方をしているのがこの庭の特徴ですね。

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桔梗は背が高く伸びるのが普通ですが、中にはこんな小さな姿で咲いている株もあります。これって、たまたまなのか、それともこういう品種なのか、どちらなのでしょうね。

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この日は雨にも関わらず、結構な人で賑わっていました。たぶん、桔梗が見頃という情報が行き渡っていたのでしょうね。今年は開花が遅れたぶん、待ちわびた人たちが多かったという事もあるのでしょう。

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心残りは座る場所があまりなかったので、抹茶を飲むのを断念した事ですね。桔梗の和菓子を楽しみにしていたのだけどな、ちょっと残念です。

桔梗の庭の公開は7月17日までです。日没後はライトアップとなり、午後8時まで開かれていますよ。

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2010.07.05

京都・洛東 桔梗2010 ~東福寺塔頭 光明院 7.3~

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平成22年7月3日の光明院です。この日は梅雨らしく朝からずっと雨模様、小雨になったかと思えば突然強く降り出すといった気まぐれな天気でした。

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この時期に光明院を訪れたのは、桔梗を見るためでした。毎年波心の庭の一角に、一群の桔梗が咲くのですよ。苔と白砂、それに庭石が主役のこの庭にあって、桔梗は際だった存在感を見せてくれます。

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桔梗は、玄関前の雲嶺庭でも咲いています。美しさには変わりないけれど、間近で見られるという点ではこちらの方が上ですね。

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そして、同じく雲嶺庭で咲いているホタルブクロです。さすがに蛍の時期は終わってしまったでしょうけど、一度はこの花の中で蛍が光っているところを見てみたいものです。

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6月の初めに来た時は好天に恵まれていましたが、雨の日には同じ窓から眺めてもまた違った風情を感じます。

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白砂という見かけによらずこの庭は水はけが悪い様で、雨の日には州浜模様が本当の池になってしまいます。それを知っているからでしょうね、何人ものカメラマンが来てはシャッターを切っていました。

なかなか風情はあるのですが、これって偶然なのか、それとも計算された演出なのかどちらなのでしょうね。何にしても、枯山水が池泉式に変わる庭というのは、他には無い事は確かです。

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2010.07.04

龍馬伝27 ~龍馬の大芝居~

「神戸村を後にした龍馬と土佐の仲間達。」

「京都・伏見の寺田屋を訪れた龍馬。登勢に薩摩藩士の評判を聞きますが、悪い人たちでは無いと言います。その龍馬に何故かつっけんどんな態度を取るお龍。」

「仲間に薩摩藩に世話にならないかと相談する龍馬。薩摩は信用出来ないと反発する惣之蒸。」

「大阪、大和屋。長男を抱いている長治郎。幸せそうな彼ですが、実は志半ばにして道を失った事にあせりを感じているのでした。」

「突然大和屋を訪れた広之蒸。彼は弥太郎から龍馬に宛てた手紙を持って来たのでした。」

「弥太郎の手紙には、半平太と以蔵が捕らえられ、殊に以蔵は酷い拷問を受けている事、その以蔵を楽にしてやってくれと半平太から毒まんじゅうを手渡されたが失敗に終わった事、本当なら二人と仲の良い龍馬がすべき事だ、早く帰って来いと記されていました。衝撃まのあまり惑乱する龍馬。」

「土佐、拷問を受けている以蔵。どれだけ責められても頑として口を割りません。」

「牢の中で眠れぬ夜を過ごす半平太。」

「夫の身を思い、板の間で眠る富。」

「土佐、坂本家。広之蒸につれられて龍馬が帰ってきました。突然の出来事に驚き喜ぶ家族達。」

「翌朝、朝餉の膳に向かう坂本家の人々。突然、兄に向かって自分を離縁して欲しいと頼む龍馬。彼は半平太と以蔵を助けるために戻って来たのでした。」

「土佐、弥太郎の家。暗い顔で出かけようとする弥太郎に、以蔵の拷問に手を貸しているのかと詰め寄る弥次郎。好きでやっているのではないと反発する弥太郎。おまえは優しいのが取り柄だ、やりたくないのなら断ればよいと言う母。その言葉に同意する家族達。」

「役所への道をたどる弥太郎。その背後から声を掛け、振り向いたところを拉致する龍馬達。驚く弥太郎に、吉田東洋殺しに関する奉行所の吟味書を見せて欲しいと頼み見ます。」

「牢で絵を描く半平太。いつになく静かな様子をいぶかる半平太に、昨夜以蔵が死にかけたために、今日の拷問が取りやめになったと教える和助。こんな仕打ちを受けるのは、すべて大殿様の命令なのかとつぶやく半平太。」

「高知城の茶室。茶匠の深山宗林と二人で茶を点てています。宗林に、生まれが良い上に頭の良い人間は痛ましく見える。先の事が他人より見えてしまうからだと言われ、寂しげな笑みを浮かべる容堂候。」

「奉行所の書庫に忍び込み、東洋関係の吟味書を探す弥太郎。」

「やっと見つけた吟味書を龍馬の下に届けた弥太郎。その調書に目を通し、東洋殺しのあらましを知った龍馬。」

「これを藩に提出して下さいと離縁状を兄に返す龍馬。半平太を助けるために書いた、本当に縁を切るつもりは無いと権平。権平の言うとおりだと続ける乙女達。家族に別れを告げ、出て行く龍馬。」

「供を一人連れて登城する象二郎。その背後から声を掛ける龍馬。供に命じて役所に知らせる象二郎。その象二郎に東洋を殺したのは自分だと告げる龍馬。初めは信じなかった象二郎ですが、当夜の状況を詳しく語る龍馬を見て、顔色が変わります。あれほど龍馬を買っていた東洋を何故斬ったと刀を抜いて迫る象二郎を、子供扱いにしてねじ伏せた龍馬。彼は東洋を斬ったのは開国派だったからだと言い捨てて、現場から立ち去ります。」

「その様子を陰から見ていた広之蒸と弥太郎。すぐに発つという龍馬に、泣いて縋り付く弥太郎。彼を振り切り、再び土佐を後にする龍馬。」

今回はほぼ全編が創作であり、あまり書く事がありません。

神戸海軍繰所が閉鎖された元治元年11月から翌年の4月に掛けては、龍馬の足取りが良く判らない時期です。やはり寄って立つべき場所を失ったためか明確な資料が残っていないからですが、間接的な資料から判るのは、薩摩藩に身を寄せて彼らと行動を共にしていたらしいという事です。幕府の探索が厳しく、潜伏生活も容易では無かった様ですが、京都、大阪、江戸、それに鹿児島などの間を行き来していたらしいですね。

一方、龍馬の仲間は一足先に鹿児島に向かっていたらしく、薩摩藩では彼らの操船技術を買って藩の船に乗せるつもりだったと言います。この点ではドラマで惣之蒸が語った、攘夷の志士が一介の船乗りになってしまったという台詞は、この時期の彼らの悲哀を良く表していると言えるのかも知れません。

そういう状況の中でも、龍馬が土佐に戻ったという事実はありません。そんな事をすればたちどころに捕まってしまうからですが、そもそも誰にも気づかれずに土佐に入れるはずが無いですよね。後に脱藩が許された龍馬が船に乗って高知に帰った時には、罪が消えた事を知らない藩士に会うと何をされるか判らないからと、夜になってから人知れず上陸したと言われています。それほど、脱藩は重罪だったのですね。

それにしても、龍馬の大芝居とありましたが、どう見ても三文芝居だったと言うと怒られるかな。これはドラマですから創作が許されるのは当然ですが、もう少しましな設定は無かったのかしらん?英雄化された龍馬ではなく、等身大の悩める若者としての龍馬を描くというのがこのドラマのコンセプトですが、史実の龍馬よりも矮小化して何を表そうと言うのでしょう。仲間を助けるために罪を被って名乗り出るなんて、これじゃ本当に金八先生の中学生と同じレベルではないですか。

なお、史実においては東洋殺しの実行犯の名は早くに知れており、半平太が取り調べを受けていたのは彼らに命令したのかどうかという点でした。龍馬はごく初期の頃に犯人ではないかと疑われていましたが、後に嫌疑は晴れています。

それにしても、こんなに後藤との仲をこじらせてしまって、海援隊はどうやって作るつもりなのでしょうね。まさか後藤ではなく、弥太郎の尽力で出来たという事にするのでは無いだろうな。

などなど、つい愚痴が出てしまいましたが、設定を除けば達者な役者が揃っており、見応えのあるドラマではあります。

今週でなるほどと思ったのは、容堂候ですね。このところ彼が惑乱していたのは、やはり先が見えすぎる故の苦悩を表していたのでした。聡明な彼の目には、徳川幕府には先がない事、その徳川に恩義のある土佐藩は身動きが取れなくなる事などが見えていたのでしょうね。そう考えると、このドラマの容堂候は、今までになくその内面を描かき出れているのかも知れないなと思えて来ました。これから先、容堂候には要注目ですね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
「氷川清話」勝海舟

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2010.07.03

京都・洛中 桔梗2010 ~廬山寺 7.3~

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昨日に続いて、廬山寺の桔梗です。前回は今ひとつだった桔梗も、一週間が経って見頃になっているだろうと期待していたのですが、あまり変わらなかったのですね、これが。

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写真を見比べれば少しは花数が増えていますが、まだ見頃とまでは言えません。やはりある程度は日の光に当たらないと咲き進まないのでしょうか。

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そんな中でも、このあたりだけに限ればそれなりに咲いている様に見えなくもないですね。

今日は朝からずっと雨だったのですが、元三大師堂で護摩供養が行われる日(毎月3日)だった事もあってでしょう、拝観者が途切れる事はありませんでした。それでも、雨の源氏の庭は静かなもので、聞こえるものは雨音だけでした。その様子を動画に撮ってきたので、ご覧ください。

動きはないけれど、雨の日の雰囲気は判って貰えたでしょうか。

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それにしても結構な降り方の雨で、加茂川もかなり増水していました。出町デルタの飛び石は完全に水没していましたよ。もう雨はいいやと言いたいところなのですが、まだ来週もずっと梅雨空が続くようですね。

この天気で喜んでいるのは苔ばかり、という訳でもないのでしょうけど、いい加減青空が恋しくなるこの頃です。

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2010.07.02

京都・洛中 桔梗2010 ~廬山寺 6.26~

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平成22年6月26日の廬山寺です。桔梗を求めて訪れたこの寺でしたが、まだ開花したばかりの様子で、期待したほどではありませんでした。

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白砂に苔で州浜模様を描いた源氏の庭です。6月から9月にかけては、沢山の桔梗が株立ちし、この雅な庭に野趣を添えてくれます。

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例年なら見頃になっていても良い頃なのですけどね、今年はかなり遅れています。天候不順の影響は、ここにも現れているのですね。

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数は少なかったとは言え、そのすらりとした草姿と清楚な花はやはり素晴らしいものがあります。梅雨の時期、雨が似合う花でもありますね。

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この日はあいにくの雨で、廬山寺を訪れる人はほとんど居ませんでした。独り占めという程では無かったにせよ、とても静かで穏やかな時間を過ごす事が出来ましたよ。

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今の時期は桔梗が主役ですけど、本来この庭のベースになっているのは苔ですね。この独特の風合いと微妙なアンデュレーションが、この庭の風情を演出しています。見た目は地味ですけど、源氏の庭には欠かせない名優ですね。

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2010.07.01

京都・洛中 梅雨の風景 ~加茂川~

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如何にも梅雨らしい雨が降る日に訪れた加茂川です。

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いつもは飛び石を渡る人で賑わう鴨川デルタですが、さすがに雨の日は静かなものでした。それほど増水していた訳ではないのですが、わざわざ傘を差して渡る場所ではないという事かな。

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北山を蔽う陰鬱な雨雲と、水嵩が増えて水しぶきが上がる堰堤の様子が、如何にも梅雨らしい景色とは言えます。この勢いの増した水の中でも、冒頭に掲げた写真のごとく、獲物を狙うアオサギは微動だにせず獲物を狙っています。どんな時でも、餌を採らなきゃ生きていけないものね。

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その一方で、河原の通路を歩く見慣れぬ鳥を見つけました。何だろうと近づいてみると、鴨だったのですね。他にも何羽も河原に上がっていたところを見ると、彼等は速い流れは苦手なのかも知れません。それにしても、鴨が歩くとペタペタと音がして、結構ユーモラスですね。

近づいてもあまり逃げようとしないのは、襲われる事は無いと慣れきっているためでしょう。でも、猫だの野良犬だのは襲ってこないのかな。文字通りのカモになりはしないかと、余計な心配をしたくなる様な光景でした。

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