龍馬伝23 ~池田屋に走れ~
「大阪、大和屋。長次郞と徳の祝言が行われています。一座が盛り上がる中、京都から麟太郎が駆けつけました。長次郞に祝いを言う一方で、神戸海軍繰練所の完成を告げる麟太郎。新婚早々、花嫁と離れて暮らさなければならないと知り、驚く長次郞。」
長次郞が大和屋のお徳と結婚したのは文久3年9月の事で仲人は海軍塾塾頭の佐藤与之助でした。長次郞はドラマではあまり活躍していませんが、麟太郎の使いとして春嶽公に面会したりと、龍馬と同等の働きをしています。それだけ優秀であり、麟太郎の信頼も篤かったのでしょうね。
ドラマでは、神戸海軍繰練所が完成したとありましたが、長次郞が結婚して間もなくの事ならば、それは海軍塾の事だったはずです。神戸海軍塾が出来たのが文久3年10月の事であり、海軍繰練所の完成はその翌年の5月まで待たなければなりません。
「新築なった繰練所。真新しい施設と共に、沖合には練習艦が停泊していました。その練習生の中に陸奥陽之助が居ました。」
「長州。主役の座を奪われ、巻き返しを焦る久坂玄瑞達。玄瑞は、京都で桂が挽回を図っていると望みを掛けます。」
「京都、扇岩。桂小五郎を座長として、善後策が練られています。しかし、万策尽きて、思い切った手を打つしかないと切り出す小五郎。薩摩から力づくで帝を奪い返すのだと言った時、お龍が酒を持って来ました。今の話を聞いたかという問いに、何も聞いていないと無愛想に答える龍。小五郎はその様子にむっとし、ここは攘夷派を贔屓にする宿ではないかと言われますが、私は志士が嫌いだと答えるお龍。」
ドラマでは、小五郎が過激な案を言い出したとされていましたが、実際には逆でした。彼は地道に勤皇派の藩を説いて廻り、少しでも長州藩の立場を良くしようとしていたのでした。当時はようやくその実が揚がり始めた時であり、過激な動きは邪魔以外の何ものでもなかったのです。彼は何とか、過激派の動きを牽制しようと必死だったのです。
また、扇岩が志士達の会合の場だったという話は聞かないですね。たぶん創作ではないかと思われます。
「土佐、半平太の牢。今日は拷問に苦しむ衛吉の声が聞こえてきません。食事を運んできた牢番に聞くと、拷問は取りやめになったとの事でした。ほっとして、座り込む半平太。その牢番和助は、自分も下士の出である、半平太の志は知っており、何なりと力になると申し出ます。その和助が牢番から以蔵が捕まり、土佐に送られて来たと聞く半平太。」
実際にも拷問は、始終行われていたものでは無かった様です。一定期間集中して行われ、その後は半年ほど間が置かれた様です。その理由は判りませんが、やはり殺してしまっては何にもならないという事なのでしょうか。
「象二郎の尋問を受ける以蔵。しかし、頑として口を割りません。彼は半平太に会わせてくれと叫びます。」
以蔵に関して言えば、京都で幕吏に捕まった際に土井鉄三という変名を使っていました。幕府ではこの名で土佐藩に紹介を掛けたのですが、土佐側はその正体が以蔵と知りながら、当藩の者では無いと答えました。そこで、幕府側は彼を無宿人として扱い、入れ墨をした上で京都から所払いをするとして紙屋川で召し放ちました。そして、そこには幕府と打ち合わせの出来ていた土佐藩の役人が待ち受けていて、以蔵を再度捕らえたのです。以蔵は無宿鉄三として捕らえられ、元の足軽身分すら認められない事になりました。言わば人外の者となりはてた訳で、土佐に送り返された彼には容赦のない責め苦が加えられる事になったのです。
「高知城。象二郎からの取り調べを強化したいという申し出を退ける容堂候。彼は一橋慶喜から送られた極楽図を前に、酒を飲んでいるのでした。」
「弥太郎の家。長女春路が生まれて、幸福感に包まれている一家。」
「神戸。測量の難しさを話す亀弥太達に、自分は一日で出来たと挑発的な言葉を吐く陸奥陽之助。むっとして突っかかる亀弥太を止める長次郞ですが、亀弥太はかえって長次郞に、せっかく武士にしてもらったのに町人の娘を嫁にしたのかと絡みます。見かねて止めに入る龍馬。その龍馬に、一緒に闘ってきた半平太達が捕まっているというにのに、何もしないでいて良いのかと食ってかかる亀弥太。その様子を見て、これは大変だと他人事の様な陽之助。彼は紀州藩の家老の家柄でした。良くここに来る事を許して貰えたなという問いかけに、許して貰えるはずがない、脱藩して来たのだと言い捨てて去る陽之助。」
陽之助が海軍繰練所に居たのは確かです。しかし、その経緯については諸説がある様ですね。つまり、先に京都に出て勤皇活動をしていた時に龍馬に会い、その引きで麟太郎の門下生となって繰練所に入ったとする説と、紀州藩から他の若者と共に派遣されて来たのだとする説が有るようですね。
彼が才子ぶりを発揮して、他の練習生から孤立していたのはドラマにあったとおりの様です。そんな陽之助を龍馬が庇い、土佐藩のグループに引き入れてやった事が、後の海援隊へと繋がったとも言われています。
「海辺に一人座る亀弥太。そこに龍馬がやって来ます。消沈する亀弥太に、時が経てば時代も変わる、今は海軍を作るべき時であり、後戻りは出来ないと諭す龍馬。」
ドラマでは海軍一辺倒の龍馬ですが、実際には8.18の政変で身の置き所を失った過激志士達の行く末を憂いて、一計を案じていました。つまり彼等を集めて蝦夷に行き、その地を開拓し、合わせて北の守りを固めようと考えていたのです。この構想はかなり具体化していたらしく、麟太郎の日記には龍馬の言葉として、過激人数十名(あるいは200人)ばかりを集め、神戸から黒龍丸に乗って蝦夷地に向かう。この事については老中の水野和泉守にも了解を得ており、またそのための費用として三千ないし四千両は既に同志から集めていると記されています。北添佶馬はこの計画に賛同し、実際に蝦夷地にまで行って現地調査を行った事がある様ですね。
ドラマではあたかも書生のごとく麟太郎の庇護の下に居る龍馬ですが、実際には自分の足で歩き、その構想の実現に向けて奔走していたのです。彼は海軍塾でひたすら勉強していたのではなく、麟太郎と連携しつつ何度も江戸と大坂の間を行き来しており、船便も使っていた様ですね。どうしてこのドラマの龍馬はいつまでも半人前のままなのかなあ。いい加減に自立させてやってもらいたいものです。
「横浜。さらなる利益を求めて、長州を攻撃しようと謀る列強各国。」
この4カ国の攻撃は無理難題をふっかけるというものではなく、依然として攘夷の姿勢を改めない長州によって封鎖されている関門海峡を開放させるためのものでした。結果として、幕府は莫大な賠償金を支払う羽目に陥るのですが、その非は理由もなく一方的に外国艦隊を攻撃している長州側にあると言うべきでしょうね。
この動きに対して、麟太郎は4カ国の攻撃を中止させる様にと幕府から命令を受け、長崎に出張しています。そして、そこには龍馬も同行していました。麟太郎が命令を受けたのは文久4年2月5日の事で、14日に神戸を発って九州に向かっています。この途中、龍馬は麟太郎と別れて、熊本に帰っていた横井小楠に会いに行きました。この会見の時、小楠は麟太郎に宛てて、海軍の将来像を描いた海軍問答書を送りました。それは現実を見据えた卓越した論理で、麟太郎が小楠に一目置く事になった理由の一つなのかも知れません。
長崎において麟太郎はオランダ総領事と交渉し、下関の封鎖を幕府が解いてくれるのなら、二ヶ月は攻撃を待とうという回答を得ました。ところが朝廷に押された幕府は態度を一変し、関門海峡を開放するどころか、横浜を鎖港するという方針に転換してしまいます。何の事はない、列強の無理押しと言うより、日本側の自滅と言った方が正しかった様ですね。
「半平太の家。乙女が様子を見に来ています。そこに、弥太郎がやって来ました。彼は家の悪いところはないか、只で修繕してやると言って、家の中を見て回ります。弥太郎にも人らしい心があったのかと見直す乙女。あまりに良い事が続き、ここで損をしておかないと幸運が逃げるからだと嘯く弥太郎。」
「そこに、牢番が半平太の手紙を持ってきました。牢の中にありながら、妻の健康を気遣う半平太。涙ぐむ富をいたわる乙女と弥太郎。」
牢番が半平太に心服して、何かと便宜を図ってくれたというのは前回に書いたとおりです。手紙のやりとりは自由で、富は毎日半平太の食事を差し入れていたと言われます。
「半平太の牢に以蔵を連れてきた象二郎。以蔵の無事を喜ぶ半平太と、半平太すら牢に入れられているのかと驚く以蔵。二人だけになった時、半平太は決して東洋殺しの真相を語ってはならないと以蔵に言い聞かせます。それを立ち聞きして象二郎は怒りに震え、以蔵を引き立てていきます。」
あまり書きたくはないけれど、以蔵が捕まったと知った時、半平太は愕然となった様です。彼は以蔵がこらえ性の無い事を知っており、ひとたまりもなく全てを白状してしまうだろうと見抜いていたからでした。実のところ、彼は以蔵の死すら願っていたのです。人斬りの運命は、どこまでも悲惨極まりないものでした。でも、ドラマでは以蔵を最小限にしろ救ってやりましたね。
「神戸。練習生が訓練に励む中、亀弥太が居なくなったという知らせが入ります。同室の高松太郎に事情を聞く龍馬。亀弥太は京都で長州藩士達が事をなすと聞き、夜中に出て行ったと答える太郎。」
「今から亀弥太を連れて帰るという龍馬に、亀弥太も覚悟の上のはずだと反対する練習生達。そんな彼等に、軍艦を動かす為には200人の仲間が必要だ、誰一人欠けてもいけないと叫び、飛び出して行く龍馬。」
亀弥太については、いつ海軍塾を離れて攘夷運動に身を投じたのかは判っていません。確からしいのは、池田屋事件の前には、北添佶馬らと共に大仏裏の隠れ家に潜伏し、長州藩士らと連絡を取り合っていたらしいという程度です。そして、龍馬もまたこの隠れ家に出入りしており、そこでお龍と出会ったのは以前に書いたとおりです。
「京都、扇岩。以蔵を訪ねて龍馬がやって来ました。客の事は話せないと渋っていたお龍ですが、龍馬の真剣な様子に折れて、池田屋に行ったらしいと伝えます。」
池田屋事件の前、龍馬は確かに扇岩に顔を出しています。しかし、それは事件の4日前、元治元年6月1日の事で、勝先生に会うために江戸に行くとお龍に告げる為でした。お龍は龍馬と別れの杯を交わしたのですが、その席には亀弥太も同席していたものと思われます。ドラマでは亀弥太と初対面の様だったお龍ですが、実は良く知った間柄でした。真偽は不明ですが、龍馬とお龍それに亀弥太の三人で、一力で豪遊したという話も残っています。
龍馬は翌2日に大仏の隠れ家を後にして江戸に向かっており、それを長次郞と亀弥太が伏見まで見送ったと言います。つまりは、龍馬は池田屋事件が起こった時には、江戸行きの旅の途中だったのですね。事件の発生を知ったのはずっと後、おそらくは6月の下旬頃、江戸においてではないかと推測されます。ですので、龍馬が池田屋事件に係わったかのようなドラマの設定は、全て創作という事になりますね。
「祇園祭の宵々山の雑踏の中、池田屋に急ぐ龍馬。」
「池田屋。宮部禎蔵を座長に10数人が集まり、京都に火を放ち、さらには御所にも火を放って、帝を長州に連れ出すという策が謀られています。その話に熱心に聞き入る亀弥太。その時、部屋の外で物音がしました。桂さんが来たとい言って出て行く北添佶磨。ほっとした空気が流れる中、響く切り合いの音。色めき立つ志士達。」
以前にも書いた事がありますが、池田屋で話し合われていたのは、この日の朝に捕らわれた古高俊太郎をどう奪還するかだった様です。京都を火の海にして天皇を長州に動座するという動きがあった事は当時から流布されていますが、実際にそこまで計画していたという証拠は無い様ですね。古高の自白と押収された文書から明らかになったのは、8.18の政変の主役であった中川宮(青蓮院宮)を襲撃するという事だけでした。あくまで噂が先行してあり、そこに古高の自白と店から押収された武器類とが重なって、事実と認定されてしまった様です。
「池田屋近くまで来た龍馬。そこで彼はうずくまっている亀弥太を見つけます。傷ついた彼は、腹に刀を突き刺していました。驚いて介護しようとする龍馬。虫の息の中、龍馬の言う通り後戻りなどしなければ良かったと後悔する亀弥太。懸命に励ます龍馬の腕の中で、あんなやつらにやられる位ならと自分で腹を切ったと言い、息を引き取る亀弥太。」
亀弥太の遺体を見たのは、実はお龍でした。彼女は事件の当日か翌朝かは判らないのですが、捕らえられた母の事が気掛かりで町に飛び出したのでした。そして、道端でむしろを掛けられている亀弥太を目撃したと後日談で語っています。
亀弥太が死んでいたのは角倉家の屋敷の前でした。彼は池田屋から脱出して長州藩邸まで逃れて来たものの、事態の拡大を恐れた桂小五郎によって入邸を拒まれ、絶望のあまり隣の屋敷の前で切腹して果てたと言われます。
「池田屋にやって来た龍馬。凄惨な現場と化した池田屋。」
ドラマでは新選組が問答無用に志士達を斬り殺したように見えましたが、実際には「御用改めである、手向かいすれば容赦なく切り捨てる」と宣言しており、決して一方的に斬り掛かった訳ではありません。彼等の目的はあくまで捕縛にあり、多人数の相手に斬り掛かられた事から切り捨て御免の特権を行使して闘ったに過ぎません。最初に踏み込んだのはわずかに4人だったのですからね、10数人相手では捕まえるのは無理な状況でした。後に土方隊と井上隊が到着して人数が増えてからは、切り捨てを止めて捕縛に方針を転換しています。
「沖田が詩を吟じる中、悠々と引き上げる新選組。」
「騒然とした雰囲気の中、新選組という名を聞く龍馬。彼等は壬生に居ると聞き、駆け出して行きます。」
どうでも良いけど、血を吐いたはずの沖田が随分と元気ですね。このドラマでは、池田屋ではまだ結核の症状は現れておらず、あまりの環境の悪さに体調を崩しただけという説を採っているのかしらん?それにしても、詩を吟じる沖田というのは、初めて見ました。
池田屋事件について龍馬がどう思ったかについては、直接の資料は残っていません。一方、麟太郎については、「壬生浪士輩、興之余無辜を殺し土州藩士又我が学僕望月生なとこの災に遭う」とその日記に記しており、新選組が無実の者達を殺したと憤っています。後に陸軍総裁として新選組を死地に追いやるのは、こうした感情も伏線としてあったのかも知れません。
一方の新選組としては京都の町の治安を守るべく任務を遂行した訳で、殺された志士達が如何に国を思っての行動を取っていたとしても、麟太郎の言うように「無辜」とまで言い切るのにはちょっと無理がある様です。京都を火の海にするという容疑は行き過ぎとしても、少なくとも中川宮の襲撃は計画していたのですからね。
龍馬達の無念は判りますが、新選組の立場も重んじたい私としては複雑な気持ちです。歴史の多面性と言って逃げておきましょうか。
ただ、このドラマの描き方はちょっと雑に過ぎるなあ。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
伊東成郎「閃光の新選組」、松浦玲「新選組」、子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組と沖田総司」
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