龍馬伝26 ~西郷吉之助~
「閉鎖の決まった神戸海軍繰練所。麟太郎から西郷吉之助に会ってみないかと言われた龍馬。」
後に麟太郎が著した氷川清話に依ると、先に吉之助と会った麟太郎からその評判を聞いた龍馬が自分も会いたいと麟太郎にせがみ、その紹介状を持って薩摩にまで赴いた様に書かれています。しかし、実際には順番が反対で、先に吉之助と会ったのが龍馬で、麟太郎は有名なその印象を聞かされていた様です。
「京都・薩摩藩邸。藩邸内で盛んに調練を行っている薩摩藩の兵士達。その中で一人吉之助を待つ龍馬。やがて現れた吉之助は、足を引きずっています。先の蛤御門の戦いで、長州藩の狙撃を受けて怪我をしたのでした。」
「何の話をしに来たのかと問いかける吉之助に、太った女が好きなのかと問いかける龍馬。無礼とも言える問いかけに、如何にもとにこやかに答える吉之助。彼の馴染みの女はコロコロと太っており、豚姫と呼んでいると屈託もなく語ります。坂本さあはと聞かれ、母と似た船宿の女将と、無愛想な気の強い女が気になっていると答える龍馬。」
吉之助が豚姫と呼ばれた仲居と仲が良かった事は、これも氷川清話に書かれています。豚姫は祇園の茶屋の仲居だった人で、文字通り豚のように太った女性でした。
吉之助と麟太郎が会ったのは、元治元年9月11日の事で、吉之助から会いたいと申し出たのでした。彼は長州征伐について幕府の腰が定まらない事に苛立っており、海軍奉行である麟太郎の意見を聞きに来たのです。ところが、麟太郎は幕府内部が腐敗しきっている事を伝え、日本の事を考えるのなら薩摩を初めとする雄藩が方針を決めていくより無い、そしてそこには長州も加えるべきだと語ったのでした。これを聞いた吉之助は驚き、長州征伐に消極的になり、さらには幕府を見限る方向へと転じていく事になったのです。
「本題に入り、長州攻めを止めて貰いたい、そんな事をしていては外国に付け込まれるだけだと詰め寄る龍馬。長州藩ではなく日本人の味方だという龍馬に、自分にとっては薩摩が全てであり、日本人という麟太郎は甘い、あれでは海軍奉行を辞めさせられても仕方がないと吐き捨てます。」
龍馬と吉之助が会ったと推定されているのは、8月後半頃とされています。8月23日の麟太郎の日記に、龍馬が京都から帰り、薩摩藩の長州征伐の方針について聞いたと記されており、おそらくはこの時に二人が会ったものと推測されています。
ですので、二人の話題が長州征伐であった事は想像出来るのですが、このドラマのように単純かつ率直なものであったとは思えません。龍馬が語った吉之助の印象として、
「西郷という奴はわからぬ奴だ、少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口とすれば大きな利口だろう。」
という言葉が残っています。これもまた氷川清話に記されている事ですが、ここから想像されるのは相当な腹の探り合いがあっただろうという事ですね。
「その一方で、後ろ盾を失った龍馬に向かって、薩摩は船乗りが欲しい、麟太郎からも龍馬達を預かって欲しいと頼まれている、全ては龍馬次第だと投げかけるのでした。」
麟太郎が龍馬達を預かって欲しいと吉之助に頼んでいたのは事実です。神戸海軍繰練所が閉鎖されるよりも以前の事ですが、その一方で龍馬は自分たちが乗り込むべき船を見つけるべく江戸に出ていた様です。龍馬は、初めは幕府の黒龍丸を借りようとし、それが駄目なら外国船を借りようとした様でした。結果としてその話が駄目となり、土佐藩の仲間は薩摩の世話になる事になった様です。史実の龍馬の方が、書生然としたドラマよりもはるかに活躍していたのですね。
「土佐、坂本家。上方帰りの商人から、海軍繰練所が閉鎖になったと聞き、龍馬の身の上を案じる家族達。」
「神戸海軍繰練所。閉所式が行われています。掲げられていた日の丸を下ろし、丁寧に畳んで箱に収める龍馬。閉所の宣言をする麟太郎。口々に、麟太郎に付いていきたいと願う訓練生達。そんな彼等に、自分は若い人材を育てる事に尽力してきた、自分はもう年だが御前達は違う、これからの日本を背負って欲しいと頼む麟太郎。意気に感じて、応える龍馬達。」
麟太郎が訓練生達に感動的な訓辞をしたかどうか。記録がないので何とも言えませんが、多分何も無かった事でしょう。でも、話としては金八先生みたいで面白かったです。
「神戸海軍繰練所。旅姿の元訓練生達が集まっています。やがて彼等は三々五々と故郷目指して去っていきます。後に残された龍馬達、土佐の脱藩浪士達。そして、もう一人残った陽之助。どこに行くという当てもない彼等ですが、まずは飯を食いに行こうと励ます龍馬。そして、陽之助にも一緒に来いと声を掛けてやります。」
「二条城。薩摩が長州には攻め入らずに、家老の首だけで始末したいと言い出したと知り、怒りに燃える慶喜。その慶喜に、幕府の財政が逼迫しており、戦は避けるべきだと進言する小栗上野介。」
「薩摩藩邸。兵も連れずに長州に乗り込んで大丈夫かと吉之助を気遣う小松帯刀。薩摩の為なら命も惜しくないと笑う吉之助。」
第一次長州征伐において、西郷の判断によって実際の戦いには至らず、長州藩の三家老の切腹をもって事を納めたのは事実です。ただし、兵を連れて行かなかったというのはあり得ず、実際には諸藩の兵を集めて15万もの兵力を送り込んでいました。吉之助は交渉のために長州藩の支藩である岩国藩に乗り込んでいますが、これも単身という訳ではなく、15万の兵力を擁した使者としてでした。
吉之助が長州藩を攻め潰す事をしなかったのは、麟太郎の話を聞いて考えが変わった事もありますが、そもそも征長に加わった諸藩が財政的に疲弊しており戦意が無かった事、蛤御門の変に勝った幕府が俄に高飛車になり、参勤交代を復活させようとするなど強権的な側面を見せ始めた事、そして長州の次は自分たちが潰されるのではないかと諸藩が疑心暗鬼を抱いていた事などの理由がありました。そして、これらは薩摩藩が抱く疑念でもあったのです。そこで、幕府を助ける様な征長をするよりも、軽い処置で納めておく方が得策と踏んだのでした。
この吉之助が執った処置は当然慶喜を怒らせましたが、すぐにはどうする事も出来ませんでした。しかし、この不満が後の第二次征長を興す元となって行きます。
「江戸。フランスに援助を申し出る上野介。二つ返事で、技術と資金の提供を引き受けるフランス公使。」
「土佐、弥太郎の家。よく眠る春路を見て、幸せそうな家族達。その中で一人ふさぎ込んでいる弥太郎。饅頭があるのを見つけて食べようとする弥次郎から、あわてて取り上げる弥太郎。訝る家族に、半平太から以蔵に渡して欲しいと頼まれた毒饅頭だと白状する弥太郎。人殺しはいけないという喜勢、半平太の気持ちを汲んで以蔵に渡してやれと言う弥次郎。」
「以蔵の牢を訪れた弥太郎。歩けない程に衰弱した以蔵。震えながら、半平太からの差し入れだと言って饅頭を差し出す弥太郎。その様子のただならぬ事に気付きながら、笑って受け取る以蔵。その以蔵から無理矢理饅頭を奪い返し、自分には出来ないと半泣きになりながら出ていく弥太郎。自分には舌をかみ切る力も残っていない、饅頭を渡してくれとつぶやく以蔵。」
「半平太の牢。和助に首尾を聞き、以蔵が生きていると聞いて落胆する半平太。」
この下りが全て創作である事は前回に書いた通りです。でも、ドラマとして見ればそれぞれの苦悩が描かれていて、見応えはありましたね。
「奉行所で半平太を取り調べる象二郎。彼もまた、頑として否認する半平太にいささか疲れた様子です。容堂候に会わせろと檄高する半平太と、うんざりした様子の象二郎。」
「高知城。曼荼羅図の前に蝋燭を灯しています。その部屋からよろめくようにして出てきた、なにやら憔悴した様子の容堂候。」
相変わらず訳の判らない容堂候ですが、ホームページに書かれている事から推測すると、容堂候は先が見えすぎる事から、日本の行く末が判ってしまい、それでいてどうする事も出来ない為に憔悴しきっているという設定の様です。でも、ドラマだけを見ていては、そこまで理解するのは無理ですよね。どう見ても、訳の判らぬ愚かな君主が、酒の飲み過ぎでおかしくなったという程度にしか見えません。
「神戸村近くの海岸。途方に暮れたように海を見つめる龍馬達の一行。吉之助からの申し出を思い出している龍馬。その思いを振り切るように、皆を励まし出立を促す龍馬。」
彼等はこれから大阪に向かう様ですね。実際にも彼等は一度大阪に行き、そこから薩摩へと向かった様です。もっとも、その中で龍馬は上方に残り、大阪、京都、江戸の間を行き来していた様ですね。
次回は龍馬が土佐に帰ったという設定になる様です。確かにこの頃の龍馬の足取りには不明な所が多いのですが、いくら何でも土佐に帰っていたというのは無いでしょう。何だかなあという気はしますが、ドラマの展開を待つ事としますか。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
「氷川清話」勝海舟
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