龍馬伝19 ~攘夷決行~
「海軍塾で軍艦の機関について学ぶ塾生達。理解が進むにつれて、半平太の下を離れて良かったと言い出す亀弥太ら土佐勤皇党の面々。その声を聞いて複雑な面持ちの龍馬。」
「一人取り残されてとまどう半平太。」
「攘夷実行の日を5月10日と奏上した幕府。」
「麟太郎の護衛を務める以蔵。その以蔵に攘夷派とは言え、国を思う心は同じ、無暗に斬ってはいけないと諭す麟太郎。」
以蔵が麟太郎の護衛をしたのはドラマでの展開より少し前、文久3年3月伏見での事とされます。
麟太郎の懐古談に拠れば、ある日3人の刺客に襲われたのですが、護衛に付いていた以蔵が1人を斬り捨てると残る二人は恐れをなして逃げ出し、危うく難を逃れた事が出来ました。その時、麟太郎は以蔵に人を斬る事を嗜んではいけないと諭したのですが、以蔵から自分が居なければ先生の首は飛んでいたと言い返えされ、それもそうだと一言もなかったと述懐しています。ドラマの台詞は、この出来事を踏まえて言っているのですね。
「そこに現れた龍馬は、攘夷実行の日が決められ、意気の上がる過激派が麟太郎を狙っていると忠告します。その龍馬に、容堂候から脱藩を許されたと聞いたと伝える麟太郎。」
龍馬の脱藩が許された事は、先に麟太郎から龍馬に伝えられ、後に正式に藩から伝達があった事は以前に書いたとおりですが、ドラマではその順番が入れ替わりながらも麟太郎から龍馬に伝わった事になり、辻褄を合わせてきましたね。
「以蔵と居酒屋で飲む龍馬。龍馬が羨ましいという以蔵に、自分らしく生きればよいと諭す龍馬。そこに収二郎が現れます。彼は以蔵を罵り、龍馬と一緒に待っていろと言いかけますが、その収二郎を捕らえに土佐藩の下横目達がやってきました。彼は無断で宮様に取り入ったと収二郎の罪を掲げ、縛に付く様に命じます。以蔵に命じて、収二郎を逃がす龍馬。」
収二郎が青蓮院宮に拝謁し、先の土佐藩主豊資を擁立すべしという令旨を得たのは文久3年1月17日の事でした。これには間崎哲馬と広瀬建太が絡んでおり、彼らは江戸に居た容堂候から命を受け、国元に江戸と上方の情勢を伝えると共に、その途中京に寄って青蓮院宮など要路の公家に会って、関東での見分を知らせる様にとの使命を帯びていました。収二郎はこれを奇貨とし、哲馬達と共に藩政改革の令旨を願い出る事にしたのですね。ドラマでは、このあたりの経緯を捉えて、容堂候の罠に嵌ったと表現したものと思われます。
収二郎が京都留守居役を解かれたのは文久3年2月1日の事ですが、この時にはまだ令旨のからくりは容堂候には知られておらず、職務を越えて国事に奔走していた事が容堂候の逆鱗に触れたのでした。役職を解かれた彼は公家への出入りを禁じられ、家に引きこもってしまいます。
「攘夷実行を決めておきながら、アメリカに対しては友好を約束する幕府。また幕府は諸藩に対して、攘夷を実行するのは長州藩の下に付くも同じ事で、幕府に逆らう事になると脅しをかけます。」
「半平太の下を訪れた久坂玄瑞。彼は土佐藩に攘夷実行を迫りますが、半平太はどこか煮え切りません。玄瑞から容堂候が帰ったのはなぜかと聞かれ、当然攘夷実行の準備の為と答える半平太。そこに急ぎの知らせが入ります。」
「龍馬の下宿に駆けつけた半平太。そこには収二郎と以蔵が匿われていました。以蔵を裏切り者と罵り、収二郎に土佐藩を改革すると朝廷に願い出たのはなぜかと詰め寄る半平太。以蔵はもう人斬りは嫌だと反発しますが、収二郎は魔が差した、申し訳ない事をしてしまったと詫びを入れます。」
「二人を駒の様に扱った事を非難する龍馬に、自分は間違っていない、5月10日が来れば自分が正しかったと証明されると譲らない半平太。彼は、収二郎に潔く罪を認めて土佐に帰れと通告し、以蔵にはもう仲間ではない、どこへでも行くがよいと突き放します。」
半平太が収二郎に自首を勧めたのは文久3年2月25日の事とされます。この日、容堂候に目通りした間崎哲馬が、いきなり令旨の事を容堂候に暴かれて進退に窮してしまったのです。彼は収二郎と相談し、連名で自白書を提出する事にしたのでした。その相談の場には半平太が同席していたと言われ、さらには久坂玄瑞の姿があったとも言われています。
この事件の背後には、薩長土による主導権争いがあったとも言われます。薩摩は長州に勝つために土佐と手を握りたがっていたのですが、薩長とバランスを取りたい土佐はなかなか言う事を聞きません。そこで、今度は土佐を貶めて親長州勢力を弱めようと謀り、青蓮院宮の令旨の件を容堂候に漏らしたのだとされます。これがどこまで真実かは判りませんが、ドラマにある筋書きよりも一層複雑怪奇な事情が絡み合っていたらしい事は確かなようです。
一方の以蔵については、1月の末に土佐藩から離脱し、長州藩に匿われていたと言われます。その理由は不明ですが、半平太の影響圏から離れていた事は確かですね。
「土佐、武市家。収二郎が不始末をしでかして、土佐に帰って来るという噂をする富と坂本家の女性達。半平太も関係しているのではないかと心配する富に、そんなはずはないと否定する乙女達。」
「残った土佐勤皇党の面々に対し、攘夷実行を宣言する半平太。党員達から藩からの命令はまだかと聞かれ、容堂候からの命令は必ず来ると断言する半平太。」
「半平太の意見書を黙殺する容堂候。」
「幕府。ほとんどの藩が幕府に付いたという報せに喜ぶ慶喜。幕府が姑息な事をするなと密かに憤る麟太郎。」
「容堂候からの命令が来ない事に、あせる勤皇党員と苛立ちを隠せない半平太。」
「なつの所に入り浸り、もうどこにも行きたくないとなつに抱きつく以蔵。」
「攘夷実行の前日。どの藩にも動きが無い事をいぶかる海軍塾生達。その方が良いと頷く龍馬。」
「ただ一藩、攘夷を実行に移した長州藩。」
「藩からの命令がなく、動きが取れない土佐勤皇党。党員達の間に失望の色が広がっています。一人になり、絶望の色を浮かべる半平太。」
ドラマでは、半平太は京都藩邸で5月10日を迎えた事になっていましたが、実際には既に土佐に帰っていました。その理由は職務上の必要から帰国の途上にあった容堂候に会うためで、京を発ったのは4月4日、その4日後に土佐と伊予の国境で容堂候に追いつきました。彼はそのまま土佐に帰ってしまったのですが、恐らくは用向き上の必要があった為であり、容堂候から帰国命令を受けたという事は無かった様です。
「幕府。長州敗北の報に接し、喜ぶ慶喜。彼は、あれは各国に長州が勝手にやった事、長州にやられた軍艦があれば幕府が修理すると伝えよと命じます。」
この下りは龍馬の有名な手紙、「日本を今一度せんたくいたし申候」を踏まえている様ですね。龍馬は手紙の中で長州が異国と闘って負け続けている事を憂慮し、その背後では幕府の姦吏が異国と通じており、長州との戦いで傷ついた船を江戸で修復し、その船を再び長州の攻撃へ向かわせていると憤っています。実際にはそんな事実は無かった様ですが、当時そんな風聞は確かにあった様ですね。龍馬はそんな姦人どもを一掃し、日本を洗濯してやると意気込んでいたのでした。
「京都、土佐藩邸。広い部屋に一人佇む半平太。そこに龍馬が現れました。攘夷実行が敵わなかった事で、自分を責める半平太。もし、攘夷を実行していれば日本が無くなっていたと安堵する龍馬。」
「本当の攘夷の為には海軍をと言いかける龍馬を遮る半平太。彼は捕らえられた収二郎を心配し、彼が先走ったのは自分に人徳が無かったからだと自嘲します。攘夷がならなかったのは半平太のせいではないと慰める龍馬。」
「彼は一緒に海軍をやろうと半平太を誘いますが、半平太は収二郎を救う為に土佐に帰ると断ります。龍馬は、容堂候は半平太が思う様な人物ではない、半平太がした事を全て嫌っている、帰れば捕まるだけだとと引き留めます。しかし、半平太は容堂候から菓子を賜わりお褒めを頂いた、嫌われる訳がないと取り合いませんが、東洋を殺した事、そして何より勤皇党は下士の集まりだった事が容堂候に憎まれる理由だと諭す龍馬。」
「龍馬の言う事を認めては自分の人生全てを否定する事になる、そして侍が殿様を疑う事は許されないとあくまで聞く耳を持たない半平太。」
「彼は収二郎を助けたら戻ってくる、それに以蔵にも謝らなくてはならないと言い、本当に日本が守れるのなら海軍に加わっても良いと言って去っていきます。涙ながらにその後ろ姿を見送る龍馬。」
半平太が土佐に帰ったのは、先に記した様に収二郎とは直接の関係はありませんが、確かに助命運動はしています。収二郎、哲馬、健太の三人の行動は忠義から出たものであり、死を賜る筋合いではないという意見書を出したのでした。このあたりは、次回に出てくるかも知れませんね。
「なつの部屋で眠る以蔵。そこに藩の下横目がやって来ました。慌てて屋根から逃げる以蔵。」
以蔵が役人から追われる様になったのは、姉小路公知が殺害された後の事とされます。この事件では薩摩の田中新兵衛が犯人と疑われたのですが、彼が自殺した事(文久3年5月26日)で以蔵に嫌疑が向けられたのです。既に土佐藩から離れ、そして麟太郎の警護をした事で攘夷派からも見放されており、以蔵には身を寄せるべきところはどこにもありませんでした。
「土佐藩。申し開きを願う収二郎に東洋殺しの容疑を告げ、牢に放り込む役人達。」
収二郎が帰国命令を受けて土佐に帰ったのは文久3年4月11日、そして出頭命令が出たのは5月23日の事でした。容疑は東洋暗殺ではなく、あくまで令旨が下る様に工作し、藩政を壟断しようとした事についてでした。
「海軍の修行に明け暮れる龍馬達。」
ドラマでは、龍馬が必死に半平太を説得していましたが、思わず応援したくなりましたね。半平太が帰国すれば捕まるであろう事は当時から言われており、吉村寅太郎も手紙の中で半平太の帰国を危ぶんでいたそうです。
ここで死なせてしまうにはあまりに惜しい、武市半平太はそう思わせるだけの人物だと思います。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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