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2010.05.02

龍馬伝18 ~海軍を作ろう!~

「幕府の軍艦順動丸に乗って大阪を目指す龍馬。彼に与えられた最初の使命は、新たな同志を集める事でした。」

「大阪、専称寺に置かれた海軍塾。各藩から集められた塾生達が、既に訓練に励んでいました。龍馬は麟太郎に命じられた通り仲間集めを始めます。」

大阪の海軍塾とは神戸海軍繰練所の設立に先立ち、麟太郎が私塾として創設したものでした。海軍繰練所の建設には時間が掛かるため、先に要員の訓練を積んでおこうという狙いがあった様ですね。既に江戸には同様のものがあった様ですが、その大阪版を立ち上げたという事の様です。

「長次郞と共に、大阪の町に出て海軍への勧誘を行う龍馬。道行く人に手当たり次第に声を掛けていく龍馬ですが、まるで相手にされません。ほとほと困り果てている所に、食いはぐれの浪人が現れました。これだと目を付ける龍馬と長次郞。」

ドラマでは、キャッチセールスまがいの勧誘をしていた龍馬ですが、実際にはこんな事をしている暇は無かった様です。この時期の彼は大阪と京都、それに江戸の間を忙しく行き交い、さらには越前にも足を伸ばしています。海軍塾で学んでいる時間がどれだけあったのか、疑わしい気がする程ですね。

「二人が声を掛けると、なんと沢村惣之丞でした。惣之丞に飯を食わせ、これまでの様子を聞く龍馬。彼は辻立ちをしては攘夷を説いて回っていたのでした。龍馬は惣之丞を海軍に誘いますが、攘夷一途の彼は怒ってしまい、龍馬に斬りつけます。なんとか惣之丞を説き伏せ、海軍塾に連れて帰る龍馬。」

惣之丞が龍馬と再会したのはずっと以前、龍馬が脱藩後に大阪に居た頃だった様です。そして、共に江戸向かい、一緒に麟太郎の門人となったとされます。麟太郎の海軍塾に入った事はドラマにあるとおりで、また彼は数学が得意だったらしく、その事も描かれていましたね。

「江戸幕府。本当に攘夷を誓わなくてはならないのかと困惑する家茂。偽って約束すれば良いのだと言上する慶喜。」

「京都、三条邸。いよいよ将軍が上洛して来ると意気の上がる三条達。しかし、半平太は、将軍は攘夷の約束さえすれば江戸に帰れると高を括っているはず、しかしそれでは何にもならない、自分に策があると献策します。」

「早速惣之丞と共に授業を受ける龍馬ですが、何が判らないかが判らないといった有様でした。そのうちに、塾生達は戦争に勝つために訓練に励んでいるのだと気付く龍馬。これでは、外国と闘わないための海軍という構想とは違ってしまうと憂慮する龍馬ですが、佐藤塾頭にそんな事を考えるのは御前の役目ではないと相手にされません。」

「上洛して来た家茂。帝の前で攘夷実行を誓う将軍でしたが、朝廷からはその期日は何時かと下問があります。とまどう家茂と慶喜ですが、期日が決まるまでは江戸には帰さないと釘を刺されてしまいます。すべては半平太の献策でした。」

「四賢候が集まった部屋。何故、半平太の一派の好き勝手を許しているのかと問われた容堂は、あれはもうこれまでだと言い切ります。」

半平太の名が四賢候に聞こえていたかどうかですが、その一人である伊達宗城の日記に、半平太が青蓮院宮に容堂は因循だと言ったと聞いたとあり、四賢候の間で彼の名が出る可能性は確かにあった様ですね。

「土佐藩邸。容堂候に拝謁している半平太。彼は褒美の品として菓子を賜ります。その場で、海軍塾の為に勤皇党からも人を出せと命じられます。そして、勝の下には龍馬が居る、彼の脱藩の罪を許してやろうと言って、半平太を混乱させます。」

文久3年2月17日付けで半平太が妻に宛てて出した手紙に、容堂候に拝謁して、これまでの尽力に報いる御酒を頂いたとあります。そして、その席で、容堂候は半平太は酒は嫌いで菓子が好きだと知っていたので、菓子一箱を頂いた、これは身に余る光栄だと記されています。今回のドラマにおける描写は、この手紙に基づいたものが判りますね。

一方、龍馬の正式な赦免は文久2年2月25日の事です。2月22日に龍馬は藩邸に呼び出され、そのまま3日間の謹慎を言い渡されたのでした。麟太郎が容堂候からの許しを得たのが1月15日ですから、1ヶ月と少し手続きに掛かった事になりますね。一説に拠ると、この赦免には松平春嶽候の口添えがあったとも言われています。

「容堂候との対面を終え、部屋に帰ってきた半平太。彼は感激のあまり、まともに立てない様子です。その横で一緒に喜ぶ収二郎でしたが、使いの者が重役が呼んでいると連れに来ました。」

「大阪、大和屋。龍馬と長次郞が世話になっています。塾の今後をどうしたらよいかと悩む龍馬を尻目に、急速に仲良くなる長次郞と徳。」

大和屋は龍馬の宿と言うより、長次郞の宿と言うべきでしょうね。徳はこの後長次郞との関係を深めていく事になります。

「大阪、海軍塾。土佐藩から望月亀弥太、高松太郎、千屋寅之助の三人が入塾して来ました。長次郞が刀を差している事が気に入らない様子です。彼等は半平太に命じられたと言い、その半平太は容堂候に命じられたのだと説明しました。どこか腑に落ちない様子の龍馬。」

亀弥太ら三名が海軍塾に入ったのは史実にあるとおりで、藩命を受けてのものでした。ただ、その背後に容堂の陰謀があったかというと、かなり疑問でしょうね。このあたりは、ドラマによる脚色だと思われます。

また、饅頭屋の長次郞が武士になったのは、麟太郎に認められたからではなく、容堂候にその能力を買われたからでした。幾ら何でも、幕臣が土佐藩の人間を武士に出来るはずは無いですからね。しかし、以前の半平太の反応も含めて、長次郞への風当たりの強さを表す演出が続いています。史実においても同様だったらしく、通常は長次郞の人柄にその原因が求められるのですが、ここでは町人上がりという身分故の偏見として描かれる様ですね。

「土佐藩邸。攘夷を実行した後の事を考えなければならない、その為に長州、薩摩、越前の同志と協議しなければならないと半平太。そして、収二郎に仲間を連れて先に行ってくれと頼みます。一人取り残された以蔵は、自分には何も命じてくれないのかと半平太に問いかけます。半平太は以蔵に大きな仕事を頼むと答えます。」

「収二郎は仲間を先に遣り、自分は用があると後に残ります。彼は土佐藩の重役に会い、半平太に代わって収二郎こそが土佐藩をまとめていくべきだと唆されます。」

ドラマでは半平太を裏切る収二郎ですが、史実においてはこの時点で容堂の勘気を被って留守居役を免じられ、軟禁状態に置かれていました。裏切るも何もあったものでは無いのですが、こではつまらぬ裏切り者に仕立て上げられ、ちょっと可愛そうな気がしますね。

「京都、麟太郎の滞在先。偽名を使い、面会を申し込んだ以蔵。麟太郎の部屋に通されて、刀に手を掛けた時に、龍馬が一緒だと気付きます。驚いて顔を伏せる以蔵。麟太郎の話は、軍艦で上洛するはずだった将軍が、船が沈んだらどうすると問題になり、結局は供を従えて陸路をやって来た、その費用は100万両も掛かったというものでした。」

麟太郎が言っていた将軍の上洛の経緯とは、一時は麟太郎の建言によって軍艦による上洛が実現する手筈になっていました。ところが、横浜で起こった生麦事件の影響で、江戸湾に英国の軍艦が集まりだした為に、不測の事態を憂慮して陸路に変えたのでした。麟太郎は、この弱腰を非難していたのですね。

「龍馬は以蔵に気付き、逃げようとする彼を引き止めます。麟太郎は地球儀を持ち出し、以蔵を説得に掛かります。麟太郎の説明を聞き、日本の小ささに驚く以蔵。初めて地球儀が役に立ったと喜ぶ麟太郎。」

「龍馬と以蔵を連れて、呑みに出た麟太郎。龍馬から海軍塾生達が戦争をする気で居ると聞かされた彼は、放っておけと答えます。海軍は西洋文明そのものであり、それに触れた者は西洋の偉大さに気付き、戦争を仕掛けようなどとは考えなくなる。そして、藩の隔て、上下の隔ての無い塾で学ぶ内に日本人としての自覚が芽生えるのだと諭します。」

戦争をしないための海軍と龍馬は言っていますが、いざとなれば闘わざるを得ない訳であり、また戦闘力の無い海軍など抑止力とはなり得ないでしょう。訓練は戦闘力を高めるためにあると言って良く、このドラマにおける龍馬の極端な平和主義には、幕末期においては違和感を感じずには居られません。

「以蔵に麟太郎の用心棒になれと頼んで大阪に帰る龍馬。半平太に叱られると困惑する以蔵ですが、麟太郎はよろしく頼むと言って以蔵を丸め込みます。」

以蔵が麟太郎の用心棒をしたのは、史実にあるとおりです。ただし、麟太郎によって感化された訳ではなく、龍馬の立っての願いだった様ですね。

「容堂候に再度拝謁した半平太。彼は、攘夷が実行された暁には、将軍、長州、薩摩と共に日本の舵取りをして貰いたいと言上します。しかし容堂候は、関ヶ原の恩が有る限り、将軍とならぶなどとはおこがましいと相手にしません。そして、明日にも土佐に帰ると言い出します。驚いて引き留める半平太ですが、容堂候は攘夷派が強欲な公家を動かしている事が我慢できないと言って、扇子を半平太に投げつけます。」

容堂候は、収二郎を軟禁状態にしただけではなく、軽格の下横目を次々に罷免するなど、じわじわと土佐勤皇党に対する締め付けを強化していました。その一方で、半平太を京都留守居加役に任ずるなど、硬軟両面で勤皇党に揺さぶりを掛けていたのでした。この時期は半平太に対して露わな感情をぶつける事はまだしておらず、実際の容堂候はもっと巧みに事を運んでいた様です。

「自室に戻った半平太。収二郎の名を呼びますが、彼は居ませんでした。」

先に書いた様に、史実においても収二郎は軟禁状態にあり、半平太の側から姿を消しています。史実と虚構を上手に重ねている訳で、こういうところがこのドラマの巧みなところですね。

「三条候に拝謁する収二郎。彼は土佐藩の改革を命じてくれたら、自分が必ず実現すると言上しています。」

「どうして誰も居ないと嘆く半平太。」

「麟太郎の用心棒となっている以蔵。」

「これで半平太の周囲には誰も居なくなったとほくそ笑む容堂候。」

「文久3年4月20日。帝に実行の期日を5月10日と答える将軍。」

「海軍塾に帰った龍馬。彼は再び修行に精を出すのでした。」

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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