龍馬伝17 ~怪物、容堂~
「咸臨丸に乗って、はしゃぎまくる龍馬。そこにはジョン万次郎が待っていました。」
「万次郎から、アメリカでは大統領は民が決める、これからきっと世界一になると聞かされ、なぜ戻ってきたのかと問いかける龍馬。万次郎は、自分は日本人である、日本人でもこれくらいの事は出来ると思って帰って来たと答えます。だから、海軍を作るんだと言う麟太郎に大いに共感する龍馬。」
龍馬と万次郎は、同郷の人ながら二人が会ったという記録はありません。万次郎の知識を河田小龍を通じて得ていたのは、以前にこのドラマでも描かれていた事で、アメリカの知識もその小龍から聞いたというのが通説ですね。龍馬の海援隊の構想も小龍から聞いた事がヒントとなっていると言われますが、このドラマではスルーされていました。小龍の扱いが小さい分、万次郎に出番を与えたというところなのでしょうか。
「各藩邸に、海軍の訓練生を出す様に説いて回る麟太郎。その供として一緒に歩く龍馬。」
龍馬が麟太郎と共に大名屋敷をたずねて歩いたかどうか。記録には一切記されていないですね。龍馬が麟太郎の下に訪れたのが文久2年12月9日、麟太郎が江戸を発つのが12月17日ですから、微妙な日数ではありますね。
「千葉道場。麟太郎こそ、自分の探していた人物だと興奮して話す龍馬。そして、3日後に神戸海軍繰練所に向かって旅立つと打ち明けます。いつ帰ってくるとの問いかけに、もう戻らないと言ってしまう龍馬。寂しさを押し隠し、龍馬の為に食事の支度をするという佐那。」
「京都、三条邸。一橋慶喜が将軍の名代で上洛して来ると聞き、自分を慶喜に会える身分に上げる様、藩に働きかけて欲しいと実美に頼み込む半平太。」
「先斗町、土佐藩の宴の席。半平太の活躍で盛り上がる席上、一人不満をぶち上げる望月亀弥太。彼は宴席半ばで立ち去ろうとする以蔵を見とがめ、今夜は誰を斬りに行く、御前は何と呼ばれているか知っているか、人斬り以蔵だと罵ります。その亀弥太を殴り飛ばす収二郎。黙って出ていく以蔵。」
「今夜もまた、天誅に手を染める以蔵。」
「土佐藩邸。黙って半平太の部屋の障子を開ける以蔵。そこには半紙に乗せた金が置いてありました。褒美だという半平太の声に、金を受け取る以蔵。彼は、自分はいつまで人斬りを、と言いかけて止めてしまいます。」
天誅の黒幕であった半平太ですが、実は目明かし文吉殺しと石部宿での同心暗殺の後、時の関白からの要請を受けて天誅の中止を同志に言い渡しています。ですので、彼が直接下知を下したとされる事件はそれ以後はありません。ところが一度始まった天誅は止まるところを知らず、半平太の手を離れて行われる様なっていました。以蔵もまた半平太の下を離れて人斬りを続けていた様です。人斬り以蔵は迷走を始めてしまったのですね。
「江戸、勝邸。明日は大阪に発つという日、麟太郎は土佐藩邸を訪れます。麟太郎の供として、容堂候に初めて会う龍馬。容堂候は繰練所の訓練生を出すと快諾してくれましたが、自分の弟子である土佐藩浪人の脱藩の罪を許して欲しいという麟太郎の頼みはすげなく断ります。」
史実において麟太郎が容堂に会ったのはもう一ヶ月先の文久3年1月15日の事で、場所は江戸ではなく下田でした。容堂は海路上洛する途中、麟太郎は船で大阪から江戸に戻る途中に、それぞれ下田に寄港したのでした。
会談の席上、麟太郎は龍馬以下9名の土佐脱藩の門下生が居る、彼等には元より悪意はなく、その罪を許してやって欲しいと頼み込みました。容堂はこれを許し、その証拠として扇子に瓢箪の絵を描き、その中に「歳酔年360日 鯨海酔候」と書いて渡したと言われます。この時、麟太郎に同行したのは龍馬ではなく、望月亀弥太と高松太郎の二人でした。
この「鯨海酔候」とは容堂が自分で付けた号で、いかにも土佐の豪傑らしさが出ていますね。実際、土佐の怪物と呼ばれるにふさわしい人物で、教養才知さらには胆力に溢れており、幕末の四賢候の一人に数えられるだけの事はあった様です。しかし、半平太とは相容れることなく、彼を重用しなかった事が土佐が薩長の後塵を拝した原因とも言われています。そのあたりに容堂候の限界があったと評される所ですね。
「飲み屋で酔いつぶれる以蔵。彼は藩邸には帰らずに女の部屋に泊まります。その夜、悪夢にうなされる以蔵。度重なる人斬りが、彼の神経を病ませてきた様です。」
「京都、土佐藩邸。茶を飲んで疲れを癒す半平太と酒を飲む収二郎。」
「土佐、武市家。半平太の手紙を読む富子。間もなく将軍が上洛し、攘夷決行を約束させる、そうなれば容堂候もまた将軍と共に攘夷の魁となる、その時には自分も土佐に帰るとありました。その手紙を乙女に見せる富子。」
「土佐、坂本家。乙女から聞いたのでしょう、半平太の活躍が一家の話題になっています。それに引き替え龍馬からは、何の知らせも入りません。不満に思う坂本家の人々の前に弥太郎が現れました。彼は大阪で龍馬会ったと言って座敷に上がり込みますが、龍馬の話はそっちのけで、借金の催促を始めます。せっかく買い込んだ材木が少しも売れなかったのです。あまりのしつこさに、材木を買い取ると言い出す権平。」
弥太郎が材木で商売をしようとしたという逸話は伝わっていない様です。たぶん、このドラマにおける創作でしょうね。ましてや坂本家に借金の申し込みに来たという史実はありません。たぶん、弥太郎の出番を作る為の寸劇なのでしょうね。でも、彼が出てこないと寂しいですから、こういう創作劇は歓迎です。
「江戸、千葉道場。暇乞いをする龍馬に必ず戻ってこいと声を掛ける重太郎。龍馬は餞にと、佐那との立ち会いを求めます。」
「激しい撃ち合いの後、勝ちを収めた龍馬。彼は佐那に礼を言い、道場を後にします。」
「龍馬の去った道場。龍馬への想いを胸に、誰とも結婚しないと決意を語る佐那。そんな彼女を痛ましげに見つめる父と兄。」
千葉佐那が、龍馬の事を想いつつ独身を通したのは史実にあるとおりです。龍馬とは婚約を交わしていたとする懐古談もありますが、どうやら佐那の一方的な思いこみだったというのが事実の様です。ただ、龍馬が佐那の剣の腕、そして人となりを高く評価していた事も事実で、姉の乙女に宛てた手紙からその事が窺えます。しかし、そのことが恋愛感情に変わる事は無かった様ですね。
「大阪に向かう船上。容堂候との対面の場を思い浮かべる龍馬。容堂候は土佐藩の下士が力を付けてはしゃいでいるが、それを何時までも許しはしないと不気味に言い放ちます。」
麟太郎がこの時大阪に向かったのは順動丸という船で、咸臨丸ではありません。また、この船に龍馬も同乗していたとも言われますが、最近の研究では龍馬は陸路京都に向かったのではないかとされています。そして、その旅には千葉重太郎も同行していました。ドラマでは縁が切れた千葉道場でしたが、史実ではもう少し繋がっていたのですね。
「京都、土佐藩邸。半平太を上士に登用し、京都留守居加役とするという沙汰が下ります。」
「江戸、土佐藩邸。上り坂もここまでだと独りごちる容堂。」
「容堂候からの有り難い沙汰に、感激のあまり打ち震える半平太。」
半平太は確かに京都留守居組加役に取り立てられていますが、それは文久3年3月15日の事で有り、ドラマの進行とは合いません。彼が上士となったのは文久2年12月25日の事で、御留守居組に入れられたのでした。留守居加役とは京都における責任者の事であり、一足飛びにそこまで上り詰めた訳ではありません。
何にせよ、この頃が半平太の絶頂期であり、彼は容堂候の覚えが目出度いと信じ切って居た事は確かです。そして、そのことが後の判断ミスを招く元となって行きます。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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