龍馬伝16 ~勝麟太郎~
「4年ぶりに千葉道場に帰ってきた龍馬。重太郎は佐那に会うために帰って来たと妹のためにはしゃぎますが、龍馬の願いは勝麟太郎に会いたいという事でした。それは難しいという大師匠の答えに沈む龍馬ですが、重太郎が越前藩の剣術指南役である事を思い出し、越前藩邸に連れて行って欲しいと言い出します。承諾したと言わない内に、龍馬に引きずられて行く重太郎。」
龍馬が江戸に戻ったのは、文久2年8月の事とされます。維新土佐勤皇史には千葉道場に草鞋を脱いだとありますが、それを事実と裏付ける資料は無い様です。一方、龍馬が春嶽公に面会したのは史実で、同年の12月5日の事でした。一介の浪人者が幕府の要人に面会出来た事は如何にも不可解であり、その理由として千葉重太郎の介添えがあったのではないかと言われていますが、これも確証はありません。
「越前藩邸。応対に出た藩の重役に対し、いきなり藩主である春嶽公に会いたいと申し出る龍馬。」
「千葉道場。真新しい羽織袴を身につけた龍馬。彼は佐那に向かって、坂本家の紋まで入れた羽織を作ってくれた礼を言います。その言葉を、面はゆそうに聞いている佐那。」
佐那が贈ったという羽織は、史実とは微妙に違っています。佐那、と言うより千葉家が作ったのは紋付きの着物で、父の定吉が龍馬に贈るべく染めさせたものでした。しかし、その着物を龍馬に渡す機会は永遠に訪れる事はなく、龍馬の形見として佐那が大切に保管していたと言われます。ドラマはこのエピソードを上手くアレンジしたのですね。
「越前藩邸。龍馬の願い通り、拝謁を許した春嶽公。彼は龍馬に御前は何者かと問いかけますが、龍馬は自分は坂本龍馬である、昨日は橋の下で寝ていた自分が、今日は羽織袴で春嶽公に拝謁している、これほど面白い人生を送っている者は居ないと煙に巻きます。そんな龍馬を気に入ったらしい春嶽公ですが、裏では定吉師匠が動いてくれていたのでした。大師匠に促され、勝麟太郎に紹介状を書いて欲しいと願い出る龍馬。」
越前藩の記録に拠れば、春嶽公に面会したのは龍馬と間崎哲馬、それに近藤長次郎の三人でした。この時の話題は大阪近海の海防策だったと記されています。一方、明治後に語った春嶽公の回顧録では、龍馬は突然訪れて勤王攘夷の志を篤く説いたとあります。そして、龍馬が江戸に下ったのは、勝海舟と横井小楠が暴論を吐いて政を妨害しているという噂を信じたからであり、この二人に紹介状を書いてくれと頼んできたのでした。春嶽公はその願いを聞き入れ、紹介状を認めたと言います。
いずれにしても、龍馬の訪問は突然の事であり、千葉道場の関与については触れられていません。このあたりは、謎としか言い様が無いですね。
「一週間前の江戸城。実美達勅使が将軍に勅書を授けに来ました。かしこまって勅書を受け取る家茂公。」
「対面を終え、廊下に控える半平太に、首尾は上々だった、土産として銀200枚も貰ったと上機嫌で伝える実美。」
ドラマでは廊下で控えていただけの半平太ですが、史実では実美の雑掌として将軍に拝謁しています。そして銀10枚を賜ったと言い、半平太の絶頂期であったと言えるのでしょうね。
「銀200枚はやり過ぎだと憤る幕閣達。上洛して攘夷の約束をしなければならないのかと困惑する家茂に、断ってしまえばよい、京には自分が行くと申し出る一橋慶喜。」
「勝の屋敷。海舟書屋という額が掛かった書斎に通された龍馬。所狭しと並べられた異国の文物を物珍しそうに眺め、毛皮の臭いまで確かめています。そこに麟太郎が現れました。彼はいきなり、春嶽公は面白い奴だと書いているが、面白いところを見せてみろと迫ります。とまどう龍馬に、何をしに来た、何を求めていると矢継ぎ早に問いを重ねる麟太郎。話がかみ合わず、答えに詰まる龍馬を尻目に、帳面に×印を書き込んでいく麟太郎。弟子入りを願う龍馬に、こんなに×を付けたのは初めてだとあきれます。」
龍馬がいつ麟太郎に面会したのかについては実は明確ではなく、麟太郎の12月9日の日記に「有志両3名来訪。形勢の議論あり。」と記されており、時期的に見ておそらく龍馬達の事だろうと推定されています。この両3名とは、龍馬と長次郞、それに門田為之助の3人だろうとこれも推測されています。ただし、長次郞については、ドラマにある様に既に麟太郎の門下生になっていたとする説もあり、このあたりもかなり曖昧なところがありますね。
「そこにお茶を運んできた書生が居ました。土佐弁を操るその男は、饅頭屋の長次郞にそっくりです。驚く龍馬を無視する様に別室に下がる書生。麟太郎は龍馬に失格を言い渡し、帰るように促します。」
「勝邸の玄関。見送りに来た書生は、自分は紛れもなく長次郞であると明かします。訳を聞く龍馬に、土佐で弥太郎から江戸での学問修行の価値を聞かされ、自分も一念発起して留学に来た、今は麟太郎の下で修行していると語ります。」
長次郞については、麟太郎の12月11日の日記に門生とあり、確かに麟太郎の門下に居た事が判ります。これについては諸説があり、12月9日に龍馬と一緒に訪れた時に門下生となったとする説、河田小龍の紹介で文久元年に麟太郎の弟子となったとする説があります。ドラマでは後者の説を採っている様ですね。ただし、彼が江戸に出たのはこの3年前の安政6年の事とされています。
「千葉道場。落ち込む龍馬に、期待しすぎたんだと慰める重太郎。彼は千葉道場の苦境を語り、佐那と一緒に助けて欲しい、佐那の気持ちは知っているだろうと龍馬に迫りますが、自分は国も家族を捨ててきたのに何事も成し遂げていない、今はその話は聞く事が出来ないと言って飛び出していく龍馬。」
「勝の屋敷。長次郞が麟太郎の肩を揉んでいます。御前が言う程面白い奴では無かったという麟太郎に、あの人は簡単には計りきれないと答える長次郞。そこに、半平太が面会を申し込んできたと知らせが入ります。」
「半平太の用件は、麟太郎に将軍自ら上洛する様に働きかけて欲しいというものでした。渋る麟太郎に、重ねて迫る半平太。断ったら斬るつもりかと、刀を引き付けた以蔵の前に行き、斬る前に俺の話を聞けと機先を制します。そして、地球儀を持ち出し、日本が如何に小さいかを説明しようとする麟太郎ですが、そんな事は知っていると遮る半平太。なんだ、御前達も龍馬と同じかと言う麟太郎に、龍馬がここに来たのかと驚く半平太。彼は、龍馬は幕府も藩も不要と言い放った男で、もはや自分たちとは何の関係もないと吐き捨てます。その言葉を聞き、長次郞の言う事が正しいのかとつぶやく麟太郎。彼は話を打ち切り、半平太達を追い返します。」
半平太が麟太郎に面会したという史実はなく、彼が実際に会いに行ったのは春嶽公でした。用件は将軍自ら上洛して誠意を見せる事が大切というもので、概ねドラマと重なりますね。ただし、春嶽公には直接会う事が出来ず、重役を通じての言上となりました。
麟太郎が断ったら斬るつもりかと言ったのは、麟太郎の回顧録に「面会に来た龍馬は自分を殺しに来たのだった」と記されている事をアレンジしたものでしょう。つまり、半平太は史実における龍馬の役回りを与えられたという事になりますね。ただし、龍馬が本当に麟太郎に対して害意を持っていたのかについては、定かではありません。
ドラマでは、もはや龍馬とは縁が切れたと言っていた半平太ですが、久坂玄瑞の11月12日の日記に、高杉晋作と共に半平太を訪れた際に万年楼で龍馬と酒を酌み交わしたとあり、おそらくはこの4人で酒席を共にしたと推測されています。土佐を脱藩する事で半平太と袖を別った龍馬でしたが、完全に縁が切れた訳ではなく、依然として交流はあったという事なのでしょう。そしてこの時期の龍馬は、半平太や久坂と歩調を合わせられる程の攘夷志士だったと推測されます。
「勝邸の玄関。見送りに出てきた長次郞に、饅頭屋風情の御前がこんなところで何をしていると詰る半平太。そんな事を言う様になってしまたのか、自分にも志というものがあると言い返す長次郞。」
「品川のイギリス領事館を焼き討ちした攘夷志士達。中心となったのは長州藩士で、そこには久坂玄瑞の姿もありました。」
「再び龍馬を呼び出した麟太郎。彼は龍馬に何でも良いから聞けと言い、日本はこれからどうすれば良いのかという問いかけに、御前の考えはと聞き返します。思いつくままに、これまで見聞きした事から、自分なりの意見を紡ぎ出していく龍馬。それは開国し、異国の進んだ文明を積極的に取り入りれる、そして自前で軍艦を建造して強大な海軍を持てば、異国も日本に戦を仕掛けなくなるというものでした。その答えを聞き、龍馬の弟子入りを認める麟太郎。」
このドラマで違和感を感じるのは、龍馬が全くの平和主義者として描かれている事です。彼は幕末最後の段階で大政奉還を成し遂げ、いわば無血革命をやってのけたとされますが、それは当時のスポンサーである土佐藩の意向に沿って動いた結果であり、もし慶喜が受け入れない場合は武力倒幕もやむなしと言っていました。
それ以前についても、日本人同志の無駄な争いについては否定的だったものの、後の第二次長州征伐の際には自ら軍艦に乗り込んで幕府海軍と戦っており、必要ならば戦争もやむなしという立場でした。まあ、無暗に人を斬らなかったという事は事実ですけどね。少なくとも、ドラマの様な単純な平和主義とはかなり様相が違っていたと思われます。
「彼は咸臨丸でアメリカに渡った経験を振り返り、船を懸命に操っている内に乗員は皆日本人になった、徳川も藩も無くなったのだと語ります。咸臨丸を見たいという龍馬の願いを聞き、さっそく海に出掛ける麟太郎。」
麟太郎が咸臨丸の艦長として太平洋を渡ったのは史実にあるとおりです。ただし、実際には体調を大きく崩しており、ほとんど何の働きも無かった様ですね。そして、乗員についても大半が船酔いで倒れてしまい、実際に船を動かしていたのは補助として乗り込んでいたアメリカ人だったと言われます。そうは言っても、日本の船が太平洋を渡ったのは事実であり、日本人の手によって成し遂げられた快挙とはしゃぐ気持ちも理解出来るというものです。
「咸臨丸に乗り込んて黒船だと驚き、訓練生を見ては日本人じゃとはしゃぎ回る龍馬。そんな彼を嬉しそうに見つめている麟太郎。彼はある人物を龍馬に紹介します。それは土佐で聞いたジョン万次郎その人でした。」
史実ではジョン・万次郎には会っていないとされる龍馬ですが、ドラマでは出会ってしまいましたね。この二人がどういう会話を交わすのか、次週の展開が楽しみです。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
| 固定リンク
「龍馬伝」カテゴリの記事
- 龍馬伝48 ~龍の魂~(2010.11.28)
- 龍馬伝47 ~大政奉還~(2010.11.21)
- 龍馬伝46 ~土佐の大勝負~(2010.11.14)
- 龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か5(2010.11.27)
- 龍馬伝45 ~龍馬の休日~(2010.11.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント