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2010.04.11

龍馬伝15 ~ふたりの京~

「文久2年8月25日、京都・土佐藩邸。上洛を果たした土佐藩主。その筋書きを書いた半平太とその配下にある土佐勤皇党は、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。」

「三条邸。半平太の働きを褒める実美に、半平太は自分の望みは出世ではない、朝廷の力で幕府に攘夷を実行させる事にあると答えます。どうすればよいという問いかけに、将軍を京に呼びつけ、帝の前で攘夷実行を約束させればよいと答える半平太。」

「三条邸。加尾の下に兄の収二郎が訪れています。上機嫌でこれまでの加尾の働きを褒める収二郎。加尾は龍馬が収二郎達の仲間になったと聞いたと言いますが、収二郎は龍馬は自分たちを裏切って脱藩したと吐き捨てます。」

「祇園。舞妓、芸妓をはべらした豪華な宴席。意気揚々とした勤皇党の面々の中にあって、一人以蔵だけは都の女が眩しいと言って顔を上げられません。賑やかな宴の最中に、芸妓が本間精一郎の名を出します。彼女が言うには、土佐藩主が京にに上ったのも、吉田東洋を失脚させたのもすべて本間がやった事と吹聴して回っているとの事でした。」

「半平太の部屋。勤皇党の面々が集まり、本間の事を話題にしていました。放っておけという意見もある中で、半平太はもしお上の耳にでも入ったらやっかいな事になる、捨てては置けないと言いました。その言葉を黙って聞いている以蔵。」

「三条邸。外から帰ってきた加尾。そこに龍馬が現れました。兄から龍馬に会ってはいけないと言われていると一度は背を向けた加尾でしたが、堪えきれずに龍馬の後を追いました。やっと龍馬を見つけ、何をしに来たのかと問いかける加尾に、おまんに会いに来たのだと答える龍馬。」

「三条邸、加尾の部屋。龍馬が来ています。ここなら誰にも気付かれないという加尾。お互いの気持ちが変わっていない事を確かめ合い、一夜を共に過ごす二人。」

龍馬が加尾に会うために京都に来たという事実はありません。

龍馬は、脱藩する半年前の文久元年9月13日に、京にいる加尾に対して「羽織や袴、それに頭巾と大小の刀を用意して欲しい」という不思議な手紙を出しています。これがいったい何を意味しているのかは判らないのですが、一説には加尾を男装させて一緒に脱藩するつもりだっのではないかとも言われています。

加尾は不審に思いながらも、言われたとおりの品を用意して待っていたのですが、結局龍馬は現れませんでした。この事について加尾は後に、龍馬に会えなかった事は一生の遺憾であったと語っています。つまりは、土佐を後にしてからは、龍馬と会う機会は永遠に訪れる事が無かった事を意味しています。

「本間を待ち伏せ、斬り殺した以蔵。」

本間精一郎は越後の人で、江戸において清河八郎と知り合い、攘夷運動に目覚めました。長州の久坂玄瑞とも交流があり、早くから攘夷を志したいわゆる草莽崛起と呼ばれる志士の一人です。清河と共に京都挙兵計画を企て、各地を遊説して回ったのですが、その先の一つが土佐でした。彼は吉村寅太郎や那須信吾を通して土佐に働きかけ、京都挙兵計画への参加者を募ったのです。土佐勤皇党にとっては仇とまでは言わないまでも、迷惑至極な働きをした男として記憶されていました。

寺田屋事件によって本間が参画していた京都挙兵計画は潰えたのですが、本間自身はその前に詰まらぬ理由から仲間から除名されており、皮肉な形で生き残る事が出来ました。

その後も本間は過激な攘夷派としての活動を続けますが、性格に軽薄な面があり、また虚言癖を持っていた事から、次第に仲間からうとまれて行きます。そして、煮え切らない公家達の悪口を言った事が攘夷運動を批判し幕府に寝返ったと受け取られて、命を狙われる羽目に陥ったのでした。

彼を襲ったのは以蔵のほか島村衛吉、田辺豪次郎、平井収二郎ほか数人、そして半平太自身も加わっていた様です。ドラマにあったように、本間は土佐藩主を上洛させた事、吉田東洋を失脚させた事はすべて自分が指揮した事だと吹聴しており、また先に土佐勤皇党を揺さぶる様な真似をした事が半平太には許せなかったのでしょうね。そこに幕府に寝返ったという噂が出た事は、まさに追い風でした。もしかしたら、それも半平太の仕業だったのかも知れません。

当日は祇園で飲んでいた本間を以蔵達が連れ出し、木屋町四条上がるまで来た時に襲いかかり、止めは島村の一太刀でした。胴体は高瀬川に流し、首は青竹に突き刺して四条大橋の30mほど上流のところに晒し、次のような斬奸状が掲げられていました。

「この者の罪状、今更申すまでもなく、第一虚喝をもって衆人を惑わし、その上高貴の御殿方へ出入り致し、詭弁をもって薩長土の三藩を種々讒訴致し、有志の間を離し、姦謀相巧み、あるいは非理の財富を貪り、そのほか筆舌に尽し難し。このまま差し置いては無限の過害を生ずべきにつき、かくのごとく梟首せしむるものなり。
閏八月二十一日」

半平太のこの日の日記には、「以・豪・建・熊・○・収・孫・衛、用事あり」と記されており、本間殺しの事だとされています。この中の○が半平太自身、以は岡田以蔵、収は平井収二郎を指していると言われます。この暗殺が、土佐藩による天誅の始まりでした。

「翌朝、上機嫌の加尾。そこに朋輩が木屋町で本間という男が殺されたと伝えて来ます。嫌な予感を覚える加尾。」

「半平太の部屋。昨日自分たちが噂していた本間が殺されたと知り、驚く勤皇党の面々。以蔵の働きと知り、以蔵にだけ判るように感謝の言葉を発する半平太。いぶかる収二郎に、半平太は以蔵は使えると告げます。」

「土佐、弥太郎の家。立派な大根が出来たと喜ぶ弥太郎に、百姓が似合う様になったと褒める父。その言葉に、自分は武士だと反発する弥太郎。荒れる弥太郎を喜勢がなだめると、たちどころに機嫌が直ります。」

この時期、弥太郎は故郷に籠もりきりで、百姓仕事の傍ら郷内の世話役の様な事をしていたようです。言わば弥太郎の雌伏の時期であり、彼の活躍が始まるにはまだ時間を待たなければなりません。これから暫くは、こんなコントでしか弥太郎は出てこないのかも知れないですね。

「加尾の下がり宿。龍馬が来ています。半平太が将軍を呼びつけるために江戸に下る、龍馬も一緒にやっらどうかと水を向ける加尾ですが、龍馬は日本は今さら攘夷など出来ない、どうすれば良いかを教えてくれる人を探して日本を旅しているのだと答える龍馬。」

「再び、祇園の宴席。自信を付けたのか、女達に臆することなく、土佐を動かしているのは半平太と褒めそやす以蔵。自分たちは殿の家臣に過ぎないとたしなめる半平太。その言葉に意気消沈した以蔵を尻目に、目明かし文吉の名を出す半平太。文吉とは、安政の大獄の時に活躍した目明かしでした。そんな者が生きているのは許せないという声を聞き、黙って席を立つ以蔵。その後ろ姿を見送る半平太と収二郎。」

「三条邸。文吉が殺されたという噂がささやかれています。胸騒ぎを抑えきれない加尾。」

目明かし文吉は、これもドラマにあった様に安政の大獄で辣腕を振るった目明かしでした。彼を恨んでいたのは土佐藩に限らず、攘夷志士共通の目標になっていました。このため、文吉に対する刺客の志願者は各藩にまたがって多人数となり、半平太はくじ引きで実行者を決めたとされます。実行者は3人で、その中に以蔵も居ました。

半平太の宿舎での会合で、あのような犬猫同然の者を斬るのは刀の汚れである、絞め殺すのがよいという意見が出され、そのとおりに三条河原にて絞め殺されました。彼の遺体は全裸にされて、その場に晒されたのでした。

半平太の指揮による天誅はこの他にもあって、江戸に逃げようとした同心4人(安政の大獄に係わっていました)を30人の刺客団が追いかけて、近江の石部宿で襲って殺すという事件にも半平太が係わっています。これには久坂玄瑞も係わっていたとされますが、ここまで来るともはや無政府状態と言っても良く、この後は半平太の手を離れて天誅事件が頻発する様になります。後に力で志士達を押さえる新選組が結成された理由が良く判るというものですね。要するに、半平太はやり過ぎたのでした。

「三条邸。勅許が下りたと上機嫌の実美。彼は半平太に警護の任に就くように命じます。」

「居酒屋で酒を飲んでいる以蔵。その背後で、半平太の悪口が聞こえてきます。最近の土佐藩の躍進ぶりを見た、他藩士達のやっかみでした。不機嫌そうに席を立つ以蔵。」

「店を出て、さっきの客を待ち伏せする以蔵。そこに現れたのは、なんと龍馬でした。あまりのなつかしさに飛び出す以蔵。見つかってはまずいと隠れる龍馬ですが、大喜びの以蔵に抱きつかれ、逃げるのを止めます。」

「三条邸。加尾の下に収二郎が訪れています。収二郎は自分たちは江戸に行く、加尾の役目は終わったので土佐に帰れと言います。それを聞き、勝手な事を言わないでくれと反発する加尾。攘夷の為なら何をしても良いのかと食いつく加尾に、妹を犠牲にしても、邪魔する奴は殺しても良いと口を滑らせる収二郎。それを聞き、あの人殺しは土佐がと驚き、飛び出していく加尾。」

ドラマでは収二郎に反発していた加尾でしたが、実際には龍馬と付き合うなという兄の指示に素直に従い、帰国の際には両親の事は自分が預かるので、天下の為に働いて欲しいと兄に手紙を出しています。龍馬に思いを寄せてはいても、そこは封建制の世であり、家長である兄に逆らう事はなかったのですね。

「加尾の下がり宿。龍馬と以蔵が酒を飲んでいると、加尾が帰ってきました。本当に加尾が来たと喜ぶ以蔵。加尾の酌で酒を酌み交わす龍馬と以蔵。以蔵は半平太のために今凄い仕事をしている。本間と文吉という名を出しかけた以蔵を、龍馬が止めます。龍馬は、人の道に外れた事をしてはいけないと釘を刺し、世間には色んな意見を持つ人間が居るが、日本を異国に渡したいとは誰も思っていない、日本人同士が争っている時ではないと以蔵に説きます。」

「帰り際、龍馬はあんなやつだったか、こんなに楽しくて気が軽くなったのは久しぶりだと言って去っていく以蔵。」

「以蔵が居なくなった後、半平太は以蔵に人斬りをさせている、このままでは日本が滅びてしまうと憂慮する龍馬。どうすれば止められるかと苦悩する龍馬に、勝麟太郎の名を出す加尾。実美から、日本の事を真剣に考えている数少ない幕閣と聞いている、きっと龍馬に生きる道を教えてくれるに違いないと言われ、すっかりその気になる龍馬。加尾は龍馬は変わってしまった、もう自分とは道が違っていると言い、夫婦の様な時を過ごせただけで幸せだったと別れを告げます。」

勝海舟を龍馬に紹介したのが加尾だったという事実はありません。この下りは、幾ら何でも不自然に過ぎますよね。でも、加尾を思い切って江戸に行かせるには、こうした虚構が必要だったのかも知れません。

「文久2年10月12日、江戸に向かう勅使の行列。その警護役に就いている半平太。彼は以蔵の名を呼び、自分の側に居るように命じます。あまれの嬉しさに身を震わす以蔵。」

半平太が、江戸に下る勅使の列に加わったのは、史実にあるとおりです。ただし、土佐藩士としてではなく、実美の雑掌という身分で柳川左門という名を借りての事でした。以蔵もこの行列に加わっていたのも史実です。

ドラマと少し違うのは半平太の扱われ方で、彼は公家の家来として駕籠に乗っていたのでした。脇に供が付くという言わば大名並みの扱いで、確かに土佐での下士の生活からは考えられない大出世と言えるでしょうか。

「三条邸での勤めを終え、京都を後にする加尾。」

「勝に会うために、江戸に向かう龍馬。」

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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