龍馬伝13 ~さらば土佐よ~
「半平太から東洋暗殺を頼まれ、苦悩する龍馬。」
「象二郎から龍馬暗殺を命じられ、苦悩する弥太郎。」
「茶店で茶を飲む龍馬を見つけた弥太郎は、龍馬が厠に立った隙に象二郎から与えられた毒薬を龍馬の茶碗に入れます。そして、一旦は龍馬を置いて立ち去ろうとしますが、龍馬が血を吐いて倒れる姿を思い浮かべ、駆け戻って龍馬の茶碗をはたき落としました。龍馬に問い詰められ、象二郎に命じられた、つまりは東洋の命令であると告白する弥太郎。彼は龍馬を助けたのではない、上士に命じられ下士同士が殺し合う姿があまりにも悲しいと思って思いとどまったのだと吐き捨てます。」
「坂本家。春猪が龍馬を起こしに来ます。眠れぬ夜を過ごした事を隠し、平静を装う龍馬。彼は惣之丞から脱藩を誘われていたのでした。」
弥太郎が龍馬を暗殺しようとした事実はありませんし、龍馬が東洋を斬ろうとした事もなかったでしょう。ただ、東洋暗殺の動きに対し、嫌気が差した事が土佐勤皇党を見捨てた要因の一つではないかとする説はあります。
龍馬が脱藩した時に、沢村惣之丞が係わっていた事は史実です。惣之丞は京都挙兵計画に参加すべく吉村寅太郎と共に既に脱藩しており、同志を募るために再び土佐に戻っていたのでした。その誘いに乗ったのが龍馬だったという訳です。
「東洋の屋敷。象二郎に、昨夜はどこに行っていたと問いただす東洋ですが、象二郎は女の所へ行っていたと誤魔化します。そこに、龍馬が現れたと知らせが入ります。」
「龍馬は東洋に向かって、このままでは土佐が二つに割れてしまう、どうか半平太を城に上げて意見を言う場を作ってやって欲しいと頼みます。東洋は、斬り掛かろうとする象二郎を押さえ、能力が有る者なら下士でも取り上げるが半平太にはその能力がない、だから足蹴にしたと答え、龍馬に自分の下に来いと再び誘い掛けます。龍馬は東洋が自分を毒殺せよと命じるはずは無いと判っていた、しかし、自分はもう土佐だけの事を考える事は出来なくなったと東洋の誘いを断ります。憤然とした様子で屋敷内に戻る東洋。」
この下りは全くの創作ですが、東洋が能力次第で下士でも登用したというのは弥太郎という実例がありますね。東洋が一廉の人物であったと描くこのドラマは、東洋を単なる悪役として描く向きが多い中で、非常に公正な見方をしていると言えそうですね。
「岩崎家。弥次郎がばくちで勝ったと言い、ご馳走を食べています。その中で一人生きた心地がしない弥太郎。彼は、東洋の命令をしくじった、もう土佐には居られない、みんなで出て行こうと口走りますが、誰一人相手にしてくれません。途方に暮れる弥太郎の下に、東洋の使いがやって来ました。平伏して恐れ入る弥太郎に、象二郎の一件をやり遂げなかったのは言語同断であるが、諸般の事情を考慮して不問とするという通知が告げられます。安堵して大喜びする弥太郎。何の事か判らず、あっけにとられる岩崎家の人々。」
やはりこのドラマは弥太郎で保ってるところがあります。この岩崎家でのやりとりは漫才みたいで面白かったですね。中でも、喜勢の反応は秀逸でした。
「半平太の屋敷。半平太に呼ばれた那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人。半平太は彼等に大きな仕事を頼みたいと切り出します。」
「吉村寅太郎が脱藩したという噂で盛り上がる坂本家。まさか龍馬はそんな事を考えてはいないだろうなと権平が質しますが、龍馬は言葉を濁して逃げ出す様に部屋を出て行きます。その顔色のただならぬ様子に、顔を見合わす坂本家の人々。権平は龍馬の部屋を家捜しし、惣之丞から渡された脱藩の道を記した地図を見つけます。見つかれば死罪と、龍馬を止めに行こうとする権平を、龍馬は土佐には収まらない大きな者を持っている、龍馬がやりたい事を見つけたのだと止める乙女。」
吉村寅太郎は高岡郡の庄屋の家の出で、半平太の弟子の一人でした。土佐勤皇党にも所属していましたが、半平太の使いとして訪れた萩で久坂玄瑞と会い、京都挙兵計画に誘われた事がきっかけとなり脱藩しています。彼が土佐で同志を募り、それに応じたのが沢村惣之丞だったのは先に記したとおりです。そしてこの時もう一人、宮地宜蔵という人物もまた仲間になり、3人で脱藩したのでした。
龍馬が土佐に収まりきらない人物だと言ったのは、乙女ではなく半平太でした。龍馬が脱藩した事を聞いた勤皇党の仲間が裏切り者といきり立つのを押さえ、龍馬は土佐にはあただぬ奴と言って、不問に付したのでした。このあただぬという言葉が、土佐弁で収まらないという意味なのだそうですね。
「半平太を訪ねてきた龍馬。彼は東洋の人となりを伝え、決して悪い人間ではないと取りなします。半平太は、龍馬が東洋を斬らなかった事は良かった、龍馬の言う通り考えの違う人間だからと言って斬るのは間違っていると答えます。しかし龍馬は、半平太が本心で言っているのではないと見抜き、どうか思いとどまってくれと懇願します。半平太は、子供の頃にスズメを捕まえようとした思い出話をし、もうあの頃とは違ってしまったと言外に龍馬の頼みを拒否します。」
龍馬が半平太とどういうやりとりをしたかは判っていませんが、これに似た出来事はあったかも知れません。ただ、このドラマへの不満として、半平太を低く描きすぎているいう思いはぬぐいきれません。龍馬を大きく見せたいという意図があるのかも知れませんが、東洋を良く描いているのとは対照的に過ぎますね。
「岩崎家。顔を見に来たという龍馬。そろばんがある事を聞かれ、牢で老人から教わった、商売は面白そうだという弥太郎に、自分の本家も才谷屋という質屋であり、商人の血が流れていると答える龍馬。そのまま帰ろうとする龍馬に、何しに来たのかと不得要領の弥太郎。」
「坂本家に帰って来た龍馬。自分の部屋に明かりが点っている事に不審を覚え、階段を登ると乙女が座っていました。何をしているのかと聞くと、長旅に耐える様に袴を繕っているのだと答えます。そして、母、兄嫁、春猪が用意した旅支度、そして兄権平からという家宝の刀を与えました。家族の気持ちを知り、乙女に抱きつき泣き崩れる龍馬。その気配を感じつつ、眠れぬ夜を過ごす坂本家の人々。」
龍馬が脱藩した時、家宝の刀を渡されたのは史実とされます。その刀を渡した相手は、乙女とする説の他に栄という姉とする説があります。「龍馬が行く」で採用されたのはこの栄の方でしたね。この栄とする説は、実は坂本家に伝わっていた逸話であり、坂本家の子孫の方から司馬遼太郎氏に伝えられたのでした。
この栄は嫁ぎ先を離縁されて坂本家に戻っていたのですが、龍馬が脱藩しようとしているのを知り、嫁ぎ先から形見として贈られた刀を龍馬に与えました。そして、脱藩者に刀を渡した事が知れると大罪に問われるため、自ら喉を突いて命を絶ったとされます。
ところがその後の研究で、栄は龍馬脱藩の17年前に亡くなっていた事が判り、現在ではこの説は否定されています。
一方、乙女とする説は汗血千里の駒にあり、姉から餞別として肥前忠廣を渡されたとあります。それを裏付ける資料として、龍馬が坂本家から姿を消したという届けと共に権平所蔵の刀を紛失したという届け出を出したという記録があります。もっとも、この記録(御用日記)の原本が失われており、その信憑性を疑う向きもありますね。
なお、龍馬の佩刀として有名なのは陸奥守吉行で、暗殺された時に持っていたのはこの刀でした。
「翌朝、いつもの様に春猪が起こしに行くと、龍馬の姿は有りませんでした。」
龍馬が脱藩したのは文久2年3月24日の事されます。脱藩のルートは龍馬伝紀行にあった様に、檮原村から伊予に抜け、川を下って長浜に至るというものでした。ただし一日で土佐を抜けた訳ではなく、25日に那須真吾の家に泊まり、翌26日に国境の宮野々関を越えて伊予に入ったと言われます。
龍馬脱藩の理由は、何度か書いている様に東洋暗殺に反対だったからとする説と、急進的な改革を目指す京都挙兵計画に魅力を感じ、迂遠な一藩勤皇を掲げる半平太に見切りを付けたとする説があるのですが、その両方が入り交じっていたと考えるのが妥当なのかも知れません。
「龍馬の居ない朝食の席で、これから才谷屋に行って来る、上士でも才谷屋に家宝を質入れしている者は多い、その帳簿が手にある限り、おいそれとは坂本家には手を出せないと告げる権平。」
「弥太郎の家。農作業をしていて、急に降り出した雨に降り込められる弥太郎。彼が龍馬の脱藩を知ったのはその日の夕方でした。」
「雨の夜。城から下がってきた東洋を、3人の刺客が襲います。3人に斬り立てられ、半平太の名を叫んで絶命する東洋。」
東洋を暗殺したのは、那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の三人とされます。時は文久2年4月8日の夜の事で、龍馬の脱藩からほとんど時間が経っていません。実は暗殺団は4月1日から2度結成されていたのですが、実行には至っておらず、この時が3回目でした。
当日が雨だったのはドラマにあるとおりで、東洋は城で藩主への講義を終えての帰り道でした。その講義は日本外史で、織田信長が明智光秀に襲われるという段だったと言われ、あたかも東洋自身の運命を予言したかの様でした。城を出た時は何人かと連れ立っていたいたのですが、一人、二人と別れて行き、自宅近くの帯屋町で一人になった所を襲われた様ですね。
東洋を暗殺した三人は、東洋の首を獄門に掛けてから西に走り、脱藩したとされます。如何に半平太が下準備をしていたにせよ、参政を斬ったとなれば土佐には居る事が出来なかったのですね。なお、この夜動いていたのは3人だけにとどまらず、別働隊として13名が居たと言われ、半平太自身も立ち会っていたとも言われます。
この東洋の暗殺により、土佐の実権は半平太の手に落ちる事になって行きます。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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