龍馬伝11 ~土佐沸騰~
「里帰りをしている乙女。岡上の家と合わずにいるらしく、家族に愚痴と亭主の悪口をぶちまけています。笑いに包まれる家族の中にあって、一人心ここにあらずといった様子の龍馬。」
「加尾との別れを思い、海で剣を振るう龍馬。」
「岩崎家。長崎から届いた弥太郎の手紙を読み、その活躍ぶりを喜ぶ岩崎家の人々。そこになんと弥太郎が帰ってきます。驚く家人に、長崎の遊女の誘惑に負け、藩の金100両を使い込み、お役御免になってしまったと泣き崩れる弥太郎。」
弥太郎が長崎で、藩の金を使い込んで免職になったのは史実にあるとおりです。弥太郎が長崎で命じられていたのは、土佐の物産を外国に売る事が出来るかを調べる事、アメリカや諸外国の情勢を探る事、大砲や火薬の製造方法を調べる事などでした。しかし、彼はそのどれをも中途半端にしか遂行出来ず、接待にかまけている内に藩費の大半を使い込んでいたのでした。
一つには、彼が相手をしたのは主として清国の商人だったのですが、彼の得意とするはずの漢文が通じなかった事があった様です。今の日本の英語教育と同じく、当時の日本の漢文は清国で使われているものとは違っていた様ですね。そして、火薬の製造法などは彼の専門外でした。そうした想定外の事にとまどう内に、時間と金ばかりが無くなっていったという事の様です。もっとも、遊びが面白くて止められなかったという面も確かにあった様ですね。
ちなみに、彼が長崎に行っていたのは、1859年10月から翌年の4月頃までの事でした。
「江戸、桜田門外。水戸浪士達に討たれる大老、井伊直弼。」
「大老討たれるの報に接し、謹慎は終わりだと歓喜する容堂。」
「水戸浪士が大老を討ったと聞き、門人達に下士が上士の風下に立っている時代は終わると檄を飛ばす半平太。その話を聞いていた龍馬は、半平太に何がしたいのかと問いかけます。半平太は攘夷の為には土佐をまとめる必要がある、その為には吉田東洋を参政の座から引きずり下ろさなければならないと答える半平太。龍馬は、無暗に皆を刺激して下士が上士を襲ったらどうするつもりか、と詰め寄ります。御前は変わったと言う半平太に、時代と係わらずに生きていけると思っていた自分が甘かった、自分から世の中に飛び込んでいくだけだと悟ったと答えます。」
桜田門外の変が起こったのは、1960年3月3日の事でした。日本中の若者達に衝撃を与えたこの事件は、土佐にもまた大きな波紋を呼びました。そして、半平太もまたその影響を受けた一人です。もっとも、直ちに行動に移したという訳ではなく、史実の彼が明確に攘夷を志すまでには、なお1年の時間を要します。
「池田寅之進の家。半平太の言葉に感激しながら木刀を振る寅之進の下に、急報が入ります。彼の弟が上士に斬られたのでした。虫の息の弟をなおもいたぶる上士に檄高した寅之進は、抜き打ちに上士を斬り殺してしまいました。」
「下士が上士を斬ったと聞き、続々と集結する上士達。その知らせは吉田東洋の下にも入ります。」
「一方、武市道場に集結した下士達。彼等は今こそ上士に報いる時が来たと盛り上がりますが、半平太は自ら謀反人になるつもりかと一堂をと止めようとします。しかし、それでは話が違うと詰め寄られ、言葉に詰まる半平太。」
「そこに龍馬が現れました。彼はいきり立つ一堂に、上士に切り込むと言うのなら、まずは半平太に絶縁状を出すのが先だと言い、機先を制します。そして、上士と話し合いに行くという半平太を引き留め、いきなり半平太が出て行ったのでは斬られてしまう、ここは自分が行くと言って、両刀を以蔵に預けて出掛けます。」
「上士の屋敷。下士が集結していると聞き、切り込みに行こうと盛り上がっています。そこに東洋が現れ、一堂を一喝して鎮めます。東洋は下士の数は何人だと聞きますが、答えられる者は居ません。そこに弥太郎が現れました。彼は50人が集まっていると答え、先の金の使い込みは決して個人的な遊興の為ではない、いずれは何倍もの金にして藩に返す為であると訴えます。東洋は弥太郎を叱りつける後藤を制し、弥太郎を許して郷廻り役に登用し、下士の動きを探る様に命じます。有り難く拝命する弥太郎。」
「そこに龍馬が現れました。下士が現れたと檄高する上士に、今騒ぎになれば土佐藩が二つに割れてしまう、そうなれば土佐藩はお取りつぶしになると脅し、半平太が上士と話をしたがっている、どなたか相手をして欲しいと訴え掛けます。そこに東洋が現れました。東洋は龍馬の度胸の良さを認め、後藤に半平太と話をする様に命じます。それを聞き、喜んで帰る龍馬。」
「後藤と会う半平太。話し合いの結果は一方的なもので、上士は刀を納めるが、寅之進は切腹させると決まりました。」
「見事に腹を切る寅之進。無念さに打ちひしがれる下士達。」
池田寅之進が腹を切ったというこの事件は、汗血千里の駒や土佐勤皇史に記されており、史実とされています。このエピソードは、司馬遼太郎の「龍馬が行く」にも記されていますね。
事件の当事者は、上士が山田広衛と茶道方益永繁斎の二人、下士が寅之進の弟である中平忠次郎と宇賀喜久馬でした。山田は一刀流の達人で鬼山田と恐れられていた人物でした。
事件が起きたのは1861年3月4日の夜の事で、場所は永福寺という寺の門前でした。経過はほぼドラマにあったとおりですが、龍馬が一人で上士の下に乗り込んで行ったかどうかは定かではありません。Wikipediaに拠れば、乗り込んできたのは上士の方で、龍馬はこれに激しく反発したとありますね。また半平太は、攘夷のために寅之進の切腹を主張したとありますが、下士の間の話し合いの中で武士の意地を立てるために切腹に決まったとする説もあります。
結果として寅之進が切腹し、さらには何もしていないはずの宇賀喜久馬までが腹を切らされる事になってしまいました。この寅之進が切腹をした時、龍馬が刀の下げ緒を寅之進の血の中に浸したというエピソードがあり、龍馬が行くの中にも描かれています。
ただし、この事件には龍馬は関係していないという説もあり、私が参照している龍馬関係の本でも一切触れられていないですね。半平太についても同様で、史実としては二人とも関与していなかった可能性もあります。
「坂本家。三味線の弾き語りをする春猪。彼女の上達を褒める龍馬。寅之進の死を仕方がない事だと聞いたという春猪に、どうしてこんな始末しか出来ないのかと憤りを見せる龍馬。彼は春猪から三味線を受け取り、良い声で歌い始めます。門前でその声を聞いている半平太。」
「半平太は、寅之進の死の責任は自分にあると認め、東洋は次に自分たちを標的にするはずと言い、それに対抗するには下士を一つにまとめなければならないと告げます。そして改めて龍馬の度胸を認め、下士達が彼を見直していると言って、龍馬も仲間になって欲しいと頼みます。しかし、龍馬は攘夷と言いながら東洋と喧嘩すると言う半平太を批判し、東洋と話し合うべきだと反論します。半平太は、東洋はそんな男では無いと言い、席を立ってしまいます。」
「浜でたき火をしている龍馬。そこに弥太郎が現れます。彼は東洋に命じられて龍馬を迎えに来たのでした。」
「東洋の屋敷。龍馬に向かって何が御前を変えた、何かを捨てたのかと問いかける東洋。加尾の事を思いつつ、北辰一刀流の目録を得た事だろうかとはぐらかす龍馬。それが嘘である事を見抜き、哄笑しつつ龍馬を新御小姓組に取り立てる、上士にしてやると申しつけます。驚きつつも、即答を避ける龍馬。」
龍馬が上士に取り立てられるという話は聞いた事が無いですね。これは全くの創作と見て良いでしょう。また、弥太郎が郷廻り役に取り立てられたのは長崎に行く前の事で、この騒ぎには直接関係は無かったようですね。
ただこの回の東洋は、能力主義で人材を登用した事を踏まえており、その人物の大きさを表していた様に思います。あまりに憎々しげな様子が、それを削いでいましたけどね。
「坂本家。庭を見つめつつ、ぼんやりと考え込む龍馬の背後に乙女が現れます。なぜ姉がここに居る、岡上の家には居場所が無いのかと案じつつ、自分も一緒だ、土佐には居場所がなくなって来たとつぶやきます。そこに、龍馬を迎えに使いがやって来ました。」
「彼等が連れて行ったのは半平太の道場でした。100名もの下士の前で、土佐勤皇党の結成を宣言する半平太。」
「東洋の屋敷。再び下士が集まっている、今度は100名を越える人数だと注進して来る弥太郎。そこに龍馬は居るのかと問い詰める東洋に、苦しげにはいと答える弥太郎。憎々しげに顔を歪める東洋。」
「半平太は龍馬に、最初に血判状に名を連ねるのは龍馬でなければならないと詰め寄ります。半平太に同調する下士達と困惑を隠せない様子の龍馬。」
半平太が土佐勤皇党を結成したのは1861年8月の事で、場所は江戸でした。半平太はこの年の4月に剣術修行の名目で江戸に出ていたのです。その目的は、ドラマにおいては天皇家の為に尽くす事で下士の結束を図るとありましたが、正確には尊皇攘夷を志しながら謹慎を命じられた容堂の志を受け継ぐと言うものでした。この事について、容堂の名を出したのはあくまで名目の事に過ぎないとする説がありますが、後の半平太の言動から察すると、本気で容堂が攘夷の志を持っていると信じ、その下に集結する事で土佐が一つにまとめられると思っていた節があります。彼の言う「一藩勤皇」の根拠は、そこにあったのかも知れません。
龍馬が土佐における最初の血判者である事も史実とされており、この頃までは龍馬は半平太の同調者であった事がうかがい知れます。
参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉
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