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2010.03.22

龍馬伝12 ~暗殺指令~

「半平太に懇願され、また下士達の熱意に押されて、土佐勤皇党の連判状に署名し、血判を押す龍馬。彼に続いて勤皇党に加盟した下士達の数は200名あまりの人数になりました。」

土佐勤皇党に加盟した人数は、名簿で確認出来るのが192名、この他に様々な理由で名簿から名前が削られた同士も存在するので200名を超えていたとされています。ほとんどが下士と庄屋層からなり、上士は数人を数えるのみでした。この他に、結盟には参加しないもののその動きに同調する者が300名程存在し、半平太の勢力は500名を超えていたと考えられています。

「我らの目的は京におわす帝の為に攘夷をなす事と檄を飛ばす半平太に、鬨の声を上げて答える勤皇党の面々。その中で一人どこか醒めている様子の龍馬。」

「居酒屋で気炎を上げている以蔵、収二郎、それに龍馬の三人。上士は勤皇党に一目を置き始めていると喜ぶ以蔵と、加尾に関する非礼を侘び、自分たちはもう仲間だと龍馬に仲直りを申し出る収二郎。そこに沢村惣之丞が現れます。彼は龍馬が他の仲間とは違ってどこか醒めていると見抜き、次いで半平太の優柔不断をなじります。彼は、半平太の悪口を聞いて色めき立つ収二郎と以蔵を尻目に、長州では久坂玄瑞が要となって今にも攘夷を決行しようとしているとぶち上げます。久坂は吉田松陰の一番弟子と聞いて驚く龍馬。」

沢村惣之丞は1843年(天保14年)に、土佐郡潮江村の地下浪人の家に生まれました。龍馬よりは7歳年下ですが、これより後の龍馬の生涯に大きく係わって行く事になります。ただ、ドラマでは初対面であるかの様に描かれていましたが、彼は龍馬と同じ日根野道場で修行していたと言われており、少なくとも以前からの顔見知りであった可能性が高いものと思われます。

「藩に対して攘夷の意見書を書く半平太。その意見書を無視し続ける吉田東洋。その事を敏感に察知し、名指しで東洋を非難する半平太。彼は何故自分が攘夷と言うかを判って欲しいと龍馬に訴えかけます。その半平太の誘いに乗るがごとくに、攘夷のなんたるかを知るために長州に行って久坂に会いたいと切り出す龍馬。ついにその気になったかと喜び、二つ返事で引き受けて紹介状を書く半平太。」

ドラマでは龍馬から萩行きを願い出た事になっていましたが、実際には半平太の命により、龍馬が使者として萩を訪れたのでした。実のところ半平太が萩へ送った使者は龍馬が2回目であり、この後3回目の使者として吉村寅太郎が派遣されています。つまり、半平太は腹心と言える同士を藩外に派遣し、情報交換を図りつつ連帯を強化しようとしていたのですね。

「長州に向けて旅立つ龍馬。彼が剣術修行でない旅に出るのは初めての事でした。そして、後の会いたいと思う人物には労を惜しまず出掛けていくという龍馬の生き方の始まりでもありました。」

この萩行きは、表向きは丸亀藩への剣術修行という名目でした。高知を出発したのは文久元年10月11日の事で、樋口真吾という郷士はその日記に「坂龍飛騰」と記しています。正確には単に龍馬が旅立ったという意味なのでしょうけど、この萩行きがその後の龍馬の運命を変えるきっかけとなった事から、龍馬の飛躍を象徴的に表す言葉としてこの「坂龍飛騰」が使われる様になっています。

「岩崎家。喜勢を嫁に迎える婚礼の宴で盛り上がっています。そのなれそめは、肥だめに落ちてもがいている弥太郎を、喜勢が助けたのがきっかけなのでした。周囲から何と言われようとも、美しい妻を迎えた弥太郎の上機嫌は変わりません。」

「朝、仕事に出掛ける弥太郎とそれを見送る喜勢。何度も振り返る弥太郎をあきれた様に見送る岩崎家の人々。」

弥太郎が喜勢と所帯を持ったのは、文久2年2月1日の事です。喜勢は髙芝玄馬という郷士の娘で、早くに父を亡くし、その後は叔父夫婦によって養育されました。二人のなれそめが肥え溜めにあるというのは、多分創作なのでしょう。それとも、地元にはそんな伝承が残っているのでしょうか。

なお、これに先だって、弥太郎は借財をして郷士株を取り戻していますが、郷廻り役は先の長崎での失敗によって解職されており、この時は無役の浪人でした。

「文久2年1月14日、萩に着いた龍馬。草莽崛起、飛耳長目など様々な警句が掲げられた久坂の部屋を、物珍しげに見回す龍馬。その前で半平太の紹介状を読む久坂。久坂の背後には、「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂」という松陰の辞世の歌が書かれていました。松陰の無念さを偲んで泣き叫ぶ久坂を前に、少々持て余し気味の龍馬。」

ドラマでは省略されていましたが、10月に土佐を発った後の足取りは、実は明確になっていません。大筋としては丸亀を経て一度長州に渡ったのですが、久坂が江戸に行っていて留守であったために、彼の帰りを待つべく大阪に向かったとされます。そして再び萩に向かい、ようやく面会出来たのが1月14日という事になっています。しかし、この間の行動には不明な点が多く、一説には合間を縫って宇和島へ赴いていたとも言われます。

「龍馬は5歳年下の久坂に、攘夷のなんたるかを教えて欲しいと頼みます。龍馬はアメリカは日本と交易がしたいだけであり、侵略の意図は見えないと切り出します。久坂は、日本の小判1枚に付きアメリカの銀貨5枚という交換レートを示し、本当の価値は銀貨15枚に相当する、これは幕府の無知が招いた結果であり、このままでは日本が破滅する、だから攘夷を行わなければならないのだと答えます。」

「土佐藩では吉田東洋という開国派の参政が居ると言いかける龍馬を遮る様に、「一君万民」と叫ぶ久坂。それは我らも徳川も帝の一家臣に過ぎないという松陰の教えでした。攘夷は日本のため、帝の為に行うものと言われ、尊皇攘夷の意味がやっと飲み込めた様子の龍馬。久坂はさらに、日本をこんな有様にした幕府などもう要らぬと言い放ち、龍馬を驚かせます。そして、藩など無用のもの、脱藩してでも立ち上がるべきだ、行動あるのみという松陰先生の教えを忘れたのか、共に立ち上がりましょうと龍馬に詰め寄ります。そして、遂には松陰の名を呼び、泣き叫ぶのでした。」

龍馬の萩滞在は10日に及んでおり、久坂から半平太に宛てた返書を持って土佐へと帰って行きます。その返書には、龍馬と腹蔵無く話し合ったので委細は龍馬から聞いて欲しいとあり、久坂と話が出来る程に志士として龍馬が成長している事が窺えます。

実のところ、東洋が実権を握る土佐藩と同じ様に、長州藩においても長井雅楽が実権を握って藩論を公武合体にまとめている時期であり、久坂にとっても非常に苦しい時期でもありました。半平太への返書の中でも、もはや大名や公家は当てに出来ず、草莽の人が集まり決起するしかないと記しています。そして、尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからずとあり、天皇の意向が通らないのであれば、藩などは無用の存在だと言い切っています。現状に対する苦し紛れと受け取れなくも無いですが、この久坂の過激さが龍馬に与えた影響は小さなものでは無かったと思われます。

「土佐、半平太の屋敷。いつまで待てば良いのかと半平太に詰め寄る勤皇党の面々。もう暫く待てと懸命に押さえる収二郎。既に薩摩は京に向かっている、自分たちも行こうと唆す惣之丞。その声に答える様に立ち上がる勤皇党員達。彼等を一喝し、自分たちだけが立ち上がってもどうにもならない、藩を動かしてこそ攘夷は実行できると押さえる半平太。」

惣之丞の言う薩摩の動きとは、島津久光の率兵上洛と呼応した京都挙兵計画を言うのでしょう。この計画は清河八郎が絵を描いたもので、久光が千人の薩摩藩兵を率いて上洛するのは朝廷の命を受けて幕府を討つためであり、有志の者は全て京都に集結し、この挙に参加せよと呼びかけたのでした。

久坂もまたこの計画の賛同者であり、龍馬の後に萩を訪れた吉村寅太郎にこの事を打ち明け、同志に引き入れています。惣之丞はこの吉村から話を聞いてその仲間となったのですが、ドラマの進行と時系列的に整合が取れているかは、少し微妙の様な気がします。

それはともかくとして、この挙兵計画が吉村と惣之丞の脱藩に繋がり、さらには龍馬をも巻き込んでいく事になるのです。

「開国を非難し、幕府から謹慎を命じられたという経歴を持つ容堂候。半平太は容堂候は攘夷の志を持っているに違いないと確信していたのでした。」

容堂は確かに攘夷派でした。しかし、それ以上に幕府に対して恩義を感じており、幕府の威光を傷つけ様とする尊皇攘夷派とは相容れない立場を取っていました。しかし、半平太はあくまで容堂は尊皇攘夷主義者であると信じており、そこに行動の基礎を置いた半平太の悲劇があったのです。

「柴田備後から、東洋の失脚はまだかと責められる半平太。京都からの情報では、都は攘夷の色に染まりつつある、その波がやがて土佐にも押し寄せ、東洋も考えを改めざるを得なくなると説く半平太。その情報源は三条家に奉公に出ている加尾でした。」

「京都、三条家。奥女中として商人の相手をする加尾。すっかり京言葉に染まっています。加尾は商人から三条家宛の手紙が入った箱を受け取ります。箱を開けて手紙の束を宛名別に仕分けていると、その中に半平太から届いた手紙がありました。」

「半平太は加尾の活躍を称えつつ、東洋を狼狽させる様な情報が欲しいと言って来たのでした。同時に、龍馬が自分たちの仲間に入り、加尾の活躍に期待していると伝えてきました。その言葉に半信半疑の様子の加尾。」

「土佐に帰って来た龍馬。その脳裏をよぎるのは、志があれば実行あるのみと言った久坂の言葉でした。」

「吉田邸。半平太の意見書を東洋に取り次ぐ象二郎ですが、一々持ってくるなと叱りつける東洋。半平太に変わって龍馬が出てこない限り土佐勤皇党は潰れると言う東洋に、なぜ東洋の誘いを袖にした龍馬を放っておくのかと詰め寄る象二郎。東洋は、龍馬は半平太の下に収まる様な男ではない、いつか自分の腹心にしてやるとつぶやきます。それを聞いて、面白くなさそうな様子の象二郎。彼は半平太の意見書を叩き付けて部屋を出て行きます。」

「半平太の家。勤皇党の面々を押さえておくのは限界だ、事を起こして欲しいと訴える収二郎。黙して語らない半平太。」

「海を見つめて思い悩む龍馬。」

「登城しようとする東洋の下に、下士達が門前に集まっているという知らせが届きます。象二郎が出てみると、土下座してかしこまる勤皇党員達が居ました。その先頭に居るのが半平太。」

半平太が藩の上層部にその意見を具申したのは史実であり、実際に何度か東洋とも面会したとも伝えられます。しかし、それはドラマにある様な直訴とは違い、もっと穏当な面会だった事でしょうね。

「半平太は、都におわす帝も、容堂候も攘夷を望んでいる、にも係わらず何故開国策を東洋は進めるのかと訴えます。しかし、東洋は帝の考えがどうして御前に判る、帝が異国と闘えと命じたとは聞いていない、容堂候もまたそんな事は言っていないはずだと切り返します。言い返そうとする半平太を遮り、山内家は関ヶ原の戦いに勝った事によって土佐を賜ったのであり、その大恩人である徳川家に楯突く事など考えもしないと言い切ります。」

東洋が言った関ヶ原の恩とはまさしく山内家の家訓であり、容堂の行動哲学でもありました。しかし、東洋がこういう事を半平太に向かって言ったのかどうかは定かではありません。もし言ったとしたら、それはかなり微妙な影を持っていた事でしょうね。なぜなら、東洋の祖先は被占領者たる長宗我部氏の家臣であり、徳川氏が恩人と言えるかはかなり微妙なところがあるからです。ましてや郷士にとっては徳川氏は仇以外の何者でもなく、それを忘れて山内氏に尻尾を振る東洋は憎悪の対象にしかならなかった事でしょう。

「半平太は、明君の呼び名高い容堂候であるなら、日本が開闢以来の危機に立っている事は判るはず、恩義よりも先の事が大事と訴えますが、恩義を忘れよと大殿様に指図するとは、武士にあるまじき言いぐさと一喝し、その場を去ろうとします。その足にすがりつき、容堂候への取り次ぎを懇願する半平太ですが、東洋はその半平太を足蹴にし、狭い了見しか持たぬくせに自分は正しいと思いこんでいる半平太など嫌いだ、二度と自分の前に姿を見せるなと罵ります。さらにすがりつこうとする半平太を足蹴にする象二郎。彼は土佐勤皇党などとっととやめろと言い捨てて、城に向かいます。血まみれの顔で泣き叫ぶ半平太。その彼を心配そうに見つめる収二郎達。」

ドラマでは半平太は足蹴にされていましたが、彼はお目見えの権利を持つ白札であり、幾ら何でも顔を蹴飛ばすなどという乱暴は受けなかった事でしょう。後に獄に下された時も、彼だけは白札の身分を重んじられて、拷問を逃れているのですからね。

東洋が半平太の意見を受け入れなかった背景の一つとして、この時期はまだ容堂の謹慎が解けておらず、下手な行動を起こしては容堂の身が危ないという事情もありました。容堂の志を受け継ぐと言いながらその身の安全を考慮しない半平太の意見書は、東洋にしてみれば片腹痛いといったところがあったのでしょう。

「半平太の叫び声を尻目に登城を急ぐ東洋達。身の程知らずとののしる象二郎に、今は坂本が居なかったと答える東洋。その言葉を聞き、顔を歪める象二郎。」

このドラマに共通する行動原理の一つには、男の嫉妬心がある様ですね。半平太が無理な行動を重ねる様になったきっかけは、龍馬に江戸留学を越された事にあった様に描かれていましたし、ここでは象二郎が東洋の龍馬びいきに嫉妬しています。まあ、社会を動かす要因としてそういう側面もあるのでしょうけど、大河ドラマとしてはどうなのかしらん?如何にも安っぽい設定という気がしますね。

「喜勢の名を叫びながら、上機嫌で帰ってくる弥太郎。喜勢と言いながら家に飛び込んだ彼を待っていたのは、祝言祝いに駆けつけた龍馬でした。」

「その夜、喜勢を褒めちぎる龍馬に、魂胆を含みつつ上機嫌を装う弥太郎。龍馬は東洋が新御小姓組に誘ってくれた事を断った事が、弥太郎の顔に泥を塗る結果になったのではないかと気に掛けていました。そんな事はどうでも良いとあくまで上機嫌を貫く弥太郎。」

「龍馬は萩に行った事で、勤皇党の面々とは考えが違う事にはっきりと気付いた、自分は土佐人である前に日本人だ、土佐で良い目をする事など意味はないと言います。一方、そんな話は半ば聞き流し、龍馬から新御小姓組には自分こそが相応しいと推挙してくれと頼む弥太郎。その言葉が聞こえないがごとく、土佐を出たいと思った事はないか、上士も下士も無い国に行き、自分の志を遂げたいと思った事は無いのかと問いかけます。弥太郎は、人が羨む様な妻を貰ったばかりの自分には、出世して妻に良い暮らしをさせてやる事こそが男の生きる道だと答えます。そして、勤皇党の連中が東洋の屋敷に駆け込んだが、半平太が足蹴にされた、もう御前の出世の道は無いと言って、新御小姓組を自分に譲れと再度迫ります。弥太郎の言葉を半ばまで聞いた龍馬は、半平太の無念を思いやり、弥太郎を置いて飛び出して行きます。」

この設定は無論創作ですが、二人のやりとりは見ていて面白く秀逸でした。話が通じている様な、通じていない様な訳の判らない会話でしたが、弥太郎の軽妙な演技が光っていましたね。特にわしの顔を見ろという仕草が子供の様で面白かったです。

「半平太の家。傷の痛みに顔を歪めて叫ぶ半平太。彼を介護する妻の富。富が水を換える為に部屋を出て行くと、半平太はもう一人の自分の声を聞きます。御前と東洋は水と油、ここで終わっては土佐も日本も、そして御前もお仕舞いだ、収二郎や以蔵に見下され、加尾に恨まれると言われ、どうすればよいと嘆く半平太。自分にまかせよ、わしは御前の味方という影の声に、思わず笑みを浮かべる半平太。」

またしても、ダークサイド半平太が現れましたね。史実の半平太は、謹厳でありながら家族や仲間には優しいという表の顔を持つ一方で、天誅に手を染めて京洛の地を恐怖のどん底に沈めたという側面も持っていました。このダークサイド半平太は、まさしく後者の半平太の姿を表しているのでしょうね。

「夜道の中、半平太の下に駆けつけた龍馬。事情が判らず、何があったのかと龍馬に問いかける富。」

「龍馬に去られ、やけ酒をあおる弥太郎。そこに象二郎が現れます。」

「部屋の外から声を掛け、半平太の部屋に入る龍馬。そこに待っていたのは、落ち着きを取り戻して、静かに座っている半平太でした。」

「象二郎の用事は龍馬の事でした。思わず、新御小姓組を龍馬が譲ってくれたのかと喜ぶ弥太郎ですが、象二郎は龍馬の命が欲しいと言い出します。思わぬ言葉に驚く弥太郎。」

「東洋に足蹴にされたというのは本当かと問いかける龍馬に、こんな良い事をどうして思いつかなかったのかと答える半平太。その様子を背後から窺っている富。」

「東洋を斬ってくれと懇願する半平太。当惑する龍馬に、斬ってくれと狂気のごとく迫る半平太。」

「龍馬を殺せと命ずる象二郎。困惑する弥太郎に、龍馬を殺せと顔を歪めて迫る象二郎。」

龍馬が東洋の暗殺に係わったという事実は無い様ですが、一説には東洋暗殺の動きに嫌気が差した事が脱藩の動機の一つになったとも言われ、もしかしたら相談を持ちかけられた事はあったのかも知れません。ただし、直接刺客となってくれと頼まれたという事はなかったでしょう。

一方の象二郎の動きは気になりますね。後の龍馬暗殺の黒幕は象二郎であるとする説があり、もしかすると龍馬を殺すのは彼という役回りになるのかも知れません。でも、その動機が嫉妬からとすると何だか嫌だなあ。この二人は、もっと壮大な働きをするのですからね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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龍馬伝」カテゴリの記事

コメント

確かに、嫉妬心というものが、強く感じられて、気に障りますね。
映像的には、臨場感や歴史が大きく変化してゆく空気を感じさせるような演出があるように思うのですが、男の人の根本的な部分が、いささか、こんまいがやないかと思います。
象二郎の感じも確かに気になります。ちくっとイメージが違うような・・・。

投稿: zuzu | 2010.03.23 10:07

こんばんは
龍馬伝も一つの山場に差し掛かりましたね
東洋暗殺で土佐はどう変わるのでしょうか、そして龍馬は!?
目が離せないです

投稿: ぱる | 2010.03.23 20:16

zuzuさん、

おお、土佐弁で来ましたか。私も土佐弁が操れたらなあ。

このドラマ、東洋の描き方は斬新で面白いと思うのですが、
半平太と象二郎が小さく描かれて過ぎているのが不満ですね。
二人とも、もっと大きな人物なのですが。

龍馬を大きくみせるための演出なのでしょうけど、ちょっと不満が残ります。

投稿: なおくん | 2010.03.23 21:02

ぱるさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

龍馬伝も佳境を迎えましたね。
これまではっきりしなかった龍馬の未来像が見え始め、
いよいよその活躍が始まりそうです。

成長していく龍馬を福山雅治がどう演じていくのか、楽しみです。

投稿: なおくん | 2010.03.23 21:06

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