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2010.02.21

龍馬伝8 弥太郎の涙

「八平の死後、家督を継いだ権平と共にあいさつ回りをする龍馬。とある庄屋の前を通りかかった時に、一人の男が袋だたきに合っているところに出くわします。思わず止めに入った龍馬ですが、殴られていた男が弥太郎の父である事に気付きます。」

「念願の江戸留学を果たし、風呂に入る間も惜しんで勉学に励む弥太郎。その弥太郎の下に、父親が重傷を負ったため、すぐに帰国する様にとの知らせが入ります。彼は、通常30日掛かる江戸から土佐への道のりをわずか16日で走り通し、土佐に帰って来たのでした。」

龍馬の父が亡くなったのが1855年(安政2年)12月4日の事、弥太郎が江戸から土佐に戻ったのが同年の12月29日の事とされます。弥太郎がわずか16日で帰って来たのは史実とされていますから、手紙を受け取ったのは12月13日となりますね。当時は、土佐からの飛脚は14日要したとされますから、弥太郎の父が喧嘩をしたのは11月の末となり、ドラマとは微妙に時間がずれますが、概ね史実と重ね合わせた創作という事になりましょうか。

「家に帰った弥太郎を待っていたのは、父を介護する龍馬でした。家族して龍馬に感謝する岩崎家ですが、弥太郎は素直になれません。父が庄屋と喧嘩をしたいきさつとは、川の水を庄屋が独り占めした事に抗議に行き、返り討ちに遭ったというものでした。事情を知った弥太郎は庄屋の家に抗議に出掛けますが、既に安芸奉行所の裁きは下りていると聞き、愕然となります。あまりの一方的な裁きに納得の行かない弥太郎は、奉行所に訴え出ますが相手にされません。そして、既に龍馬が抗議に訪れている事も知りました。」

三菱のホームページにある「岩崎弥太郎物語」に拠れば、庄屋と百姓のもめ事を仲裁した弥次郎が、手打ちの席でつまらぬ理由で喧嘩となり、人事不省となって家に届けられたとあります。ドラマでは、既に奉行所の裁きが下りた事になっていましたが、訴え出たのは弥太郎だった様ですね。しかし、元から酒癖の悪かった弥次郎に味方する者は無く、訴えは退けられたのでした。

「坂本家。弥太郎の家の事に口出しをすれば坂本家もとばっちりを喰うと言う権平ですが、乙女達からそんな事では父に顔向けが出来ないと嫌味を言われ、龍馬に謝ります。」

龍馬が岩崎家のもめ事に関与したという記述はどこにもなく、全くの創作ですね。大体、高知と安芸では相当に距離が離れており、そうそう気楽に行き来出来るほどでは無かったと思うのですが、このあたり高知の人はどう感じているのかな。

「半平太の道場。半平太に、安芸奉行所の不当な裁きを訴える龍馬ですが、弥太郎に荷担して何の得があるのかと相手にされません。そして、半平太から江戸行きが許され、平井収二郎と岡田以蔵と共に剣術修行に出掛ける、しかしそれは建前であり、本当の狙いは各藩の攘夷派志士と交わる事であると聞かされました。」

半平太が江戸行きを認められたのは安政3年7月の事でした。名目は御臨時御用とあり、藩主の出府に先立つ一行に加えられた様ですね。そして、御用期間中は剣術修行に励むようにとあり、そのための費用として7両を下賜されたのでした。ただし、この時期の半平太はまだ勤皇の志士ではなく、純粋に剣術修行の為の江戸行きだったと言われています。

「平井家。出掛けようとした加尾の前に龍馬が現れました。二人して高知城下を歩いていると、饅頭屋の長次郞と出会います。長次郞は龍馬に二度目の江戸行きの祝いを言いますが、それを知らなかった加尾は驚き帰ってしまいます。龍馬は長次郞から、安芸奉行は庄屋から付け届けを貰っているので庄屋贔屓になるのだと教えられます。」

「平井家。家に帰った加尾を収二郎が待っていました。彼はもう龍馬とは会ってはいけない、龍馬は我々と意見が違う、もはや幼なじみではないと加尾に言い聞かせます。」

収二郎は、確かに加尾に対して龍馬との付き合いを止めるように忠告しています。ただし、それはずっと後年になって龍馬が脱藩した直後の事であり、当時京都に居た妹に宛てて、龍馬がその地に行って相談を持ちかけて来るかも知れないが、相手にしてはいけないと手紙に書いたのでした。脱藩という犯罪を犯した龍馬が、妹と係わる事を恐れたのですね。

「江戸に旅立つ半平太と収二郎、岡田以蔵の面々。旅立った息子を気遣う老母。」

半平太の出立は8月7日の事で、江戸では桃井春蔵の道場に入門する事になります。

「祭りなのか、賑わいを見せる高知城下。加尾を見かけた龍馬は声を掛けますが、加尾は逃げてしまいます。後を追った龍馬に、自分が学問をしたのは龍馬に置いて行かれたくなかったからだと言い、また江戸に行くと聞いてはもうどうして良いか判らないと訴えます。龍馬は今でも加尾が好きだ、でも自分はまだ何者にもなっていない、物になるまで待って欲しいと言って聞かせ、やっと加尾も納得した様子です。」

「弥太郎の家を訪れた龍馬。彼は弥太郎に、何度安芸奉行所に訴えても無駄だ、いっそ吉田東洋に奉行の不正を訴え出るのが良いと提案します。東洋は藩主の親戚で直参の松下某が、酒席で乱暴を働いた事に抗議して、蟄居させられていたのでした。その正義感の強い東洋なら何とかしてくれると考えたのです。しかし、下士の言う事を上士が聞いてくれるものかと、弥太郎は乗り気ではありません。」

東洋が山内家の親戚筋にあたる松下嘉兵衛に暴行を働いたのは史実とされます。原因は、酒に酔った松下が東洋の頭に手を掛けた事から、武士の頭に触れるとは無礼であると東洋が怒ったのです。結果として、東洋は職を解かれて、国元で謹慎処分となったのでした。

「龍馬が帰った後、父と母から無念さを訴えられる弥太郎。」

「龍馬の家。二度目の留学が許されたという吉報を聞く龍馬ですが、浮かない顔つきです。弥太郎の事が気になるなら、好きなようにやれ、後は引き受けると励ます乙女。そこに弥太郎が飛び込んできました。彼は父に泣きつかれ、東洋の下に行く気になったのです。」

「東洋の屋敷。3日も門前で座り込んだ弥太郎と龍馬に、やっと東洋が会ってくれました。懸命に安芸奉行所の不正を訴える二人でしたが、東洋は良くある事であり、自分が聞かされる謂われはないとにべもありません。松下某の無礼を許さなかったではないかと訴える龍馬に、自分だから許される、なぜなら自分は天才であり、殿もそれを知っている、しかし御前達は何を持っているのかと突き放します。」

弥太郎と龍馬が東洋に訴え出たという事実は無く、この下りは全くの創作ですね。ただ、弥太郎に関しては、獄から出た後に東洋の塾に入る事で世に出るきっかけを得ており、その事を描くための伏線なのかと思われます。このドラマの描写は冷たい様でも、事をなしたければ力を持つ事だという、東洋流の叱責だというのは穿ちすぎでしょうか。手打ちにされなかった事が、その証という気がするのですが。

「無礼討ちは免れた二人ですが、弥太郎は龍馬に騙された、江戸で何を学んできたのかと罵り、二度と係わるなと立ち去ってしまいます。」

「明け方、安芸奉行所の門前。錆びた刀を抜き、門に落書きを始める弥太郎。そこに龍馬が現れます。弥太郎は、なぜ自分に係わるのかと龍馬を問い詰めますが、龍馬は江戸から飛んで帰って来た弥太郎の姿を見て、その親を思う心に討たれたのだと答えます。彼は再び江戸に行く事を告げ、今度は無駄にするなという弥太郎が落書きをする様子を黙って眺めます。」

「人だかりのする安芸奉行所。門には「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と刻まれていました。それを見て、そのとおりだと感心する長次郞。」

弥太郎がこの落書きをした事は史実の様ですね。この事で弥太郎は獄に繋がれ、さらには村から追放されるという憂き目にあってしまいます。

「弥太郎の家。龍馬が弥太郎が刀を売った金を届けに来ています。龍馬に礼を言う母ですが、父はなぜあんたも獄に入らないのかと余計な事を言います。」

「獄に入れられ、ここからはい上がってみせると龍馬に叫ぶ弥太郎。心の中で弥太郎に決意を告げ、江戸に向かう龍馬。」

龍馬が再び江戸に向かったのは、安政3年8月20日の事とされます。半平太から遅れる事13日で、ほぼ同時期を江戸で暮らす事になるのですね。

次週は龍馬の仲間がある事件を起こします。史実では半平太と共に解決にあたるのですが、このドラマでは半平太との仲が上手く行っておらずどうなるのかな。展開が楽しみですね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司

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