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2010.02.14

龍馬伝7 ~遥かなるヌーヨーカ~ 

「1854年(安政元年6月)、土佐に帰えって来た龍馬は、早速もう一度江戸に行きたいと父に願い出ます。とまどう家族を尻目に、藩に伺いを立てる様に権平に指図する八平。」

「半平太の塾。帰国のあいさつに訪れた龍馬は、その盛んな様子に驚きます。以前の様に武市さんと声を掛けると、門弟達から今や半平太は土佐における攘夷の旗頭である、先生と呼べとたしなめられてしまいます。半平太は、この塾はただ剣術や学問を教える場所では無い、攘夷を実現するためにあるのだと言い放ちます。」

「とある神社。加尾と久しぶりに出会った龍馬は、彼女が嫁に行かなかった事、弥太郎の塾で学んでいる事などを聞き、驚きます。」

「弥太郎の塾。加尾に求婚し、断られた事を回想する弥太郎。またしても龍馬にしてやられたと逆恨みする弥太郎の前に、当の龍馬が現れます。これから河田小龍の下に行くという弥太郎に、自分も付き合うと同行する龍馬。」

「小龍の家。新知識として名高い小龍の話を聞こうと、土佐中から人が集まっています。一堂の前に現れたのは小龍の弟子で龍馬の旧知である近藤長次郎でした。長次郞に続いて現れた小龍は、巧みに話をはぐらかし、興味本位の者達を追い返します。最後に残ったのは、弥太郎と龍馬、それに半平太の3人でした。」

「開国でも鎖国でもどちらでも良いと言う小龍に、きっと異国に勝つ術を研究していると思ってやって来たのに期待はずれだ、それでも日本人かと噛みつく半平太。自分も日本がどうなろうと構わない、どうすれば金持ちになれるか教えろと迫る弥太郎。金持ちになりたいのなら、金持ちに聞けとにべも無く言い、厠へ入ってしまう小龍。」

「日本がどうなっても良いとは聞き捨てならんと弥太郎に噛みつく半平太と、懸命に仲裁する龍馬。小龍の言いたい事は、まずは日本を守るという心構えを持つ事が大事と説く龍馬ですが、弥太郎は小理屈が上手くなったと毒づき、自分は江戸に行く、半平太に勝ったと子供の様に勝ち誇ります。弥太郎の慶事に、わが事の様に喜ぶ龍馬。」

「いよいよ江戸に旅立つ弥太郎。」

「龍馬の家。家族揃っての食事ですが、父の食が進まない様子が気掛かりな龍馬。そこに小龍がやってきます。小龍は龍馬に、黒船の波はどんな波だったと聞きに来たのです。その時、八平が胸を押さえて倒れてしまいました。南町に知り合いの医者が居ると飛び出していく小龍。」

「静かに眠っている様子の八平と、その足下で様子を見守っている小龍。」

「父が助かったのは小龍のおかげと礼を言う権平と龍馬。美味しそうに飯を食い終わった小龍は、風呂に入る、これから暫く世話になると事も無げに言います。とまどいながらも歓迎する権平。小龍は、黒船の波はどんな具合だったと、改めて龍馬に訊ねます。龍馬は、小山のごとく迫って来た黒船の迫力と、その鯨波に飲まれて溺れそうになった事を話し、自分で作った黒船の模型を示します。龍馬は黒船を造りたいと言いますが、作った後にどうするかまでは決めていない様子です。」

「日根野道場。腕を上げたと師匠から褒められる龍馬。」

「夜、八平の側で絵を描いている小龍。八平は龍馬は年を取って出来た子であり、その行く末を見届ける事は出来ないと覚悟していたと言い、その花を咲かせてくれる事が親の望みだと語りかけます。小龍は、この家は気分が良い、人の温かみがここには満ちている、その家で育った末っ子だから、あんなに優しい子になったのだろう、けれどもあの子はなかなか太い、きっと大きな花を咲かせると予言めいた事を言います。」

「龍馬の提案で、一家で海に来た坂本家の面々。龍馬は何やら砂浜で絵を描いています。龍馬は父に向かって、黒船に乗ってどうするかが決まった、それは家族を乗せて世界を見て回る事だと語り始めます。清国、インド、エジプト、アフリカ、ヨーロッパ、そしてヌーヨーカへと夢は飛び、いつかアメリカのプレジデントにも会ってみたいと語る龍馬を、嬉しそうに見守る八平。その数日後、八平は静かに息を引き取りました。」

「小龍の描いた絵。それは黒々とした龍の姿でした。」

河田小龍は土佐の絵師で、江戸、京都、長崎に留学した経験を持ち、嘉永5年に土佐に帰国したジョン万次郎を取材してまとめた漂巽紀略を著した事で、新知識として知られる様になりました。龍馬との出会いは、小龍が著した「藤陰夜話」に記されており、帰国してすぐの龍馬が「事態の事について、君の意見必ずあるべし」と訊ねてきたとされています。ドラマでは半平太の台詞ですね。

小龍は、はじめははぐらかしていたのですが、やがて「外国の船を一隻買い求め、同士をこれに乗せて交易を行いつつ費用を稼ぎ、練習を重ねて行けば航海の一端を知る事も出来るのではないか」と、その構想を披露したのでした。龍馬は手を打って喜び、船は自分が何とかするが、同士はどうやって集めるかと問いかけます。小龍は、身分が無くても秀才は居る、自分に心当たりがあると言い、船は龍馬、人材は小龍という役割分担が出来たのでした。

この人材の中に小龍の弟子であった近藤長次郎が居たのですが、彼の入門は龍馬よりも後とされており、ドラマとは違いますね。ドラマでは省略されてしまった様ですが、この年の11月に安政南海大地震があり、藤陰夜話には龍馬の入門は地震の前、長次郞の入門は地震の後と記されているそうです。この長次郞は後に龍馬の同士として、彼の人生に大きく係わって行く事になります。

また、この地震で土佐の町は大打撃を受けており、小龍もまた家を失ったのですが、坂本家はどうやら無事だった様ですね。ドラマで小龍が坂本家に滞在しているのは、このあたりの事情を受けた創作なのかも知れません。

なお、小龍については、現在霊山歴史館において開催されている「大龍馬展」において、その絵や印形などを見る事が出来ます。当たり前の事ながら、なるほど本当に絵師だったんだなと納得してしまう展示ですよ。なんとなく学者というイメージが強いのですけどね。

ただ、龍馬の手紙には小龍の名は一切出て来ず、龍馬との交流があったという記録は「藤陰夜話」にだけにしか無い事から、どこまで龍馬の人生に影響力があったかについては意見が分かれる事も付記して置きます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司

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コメント

ご無沙汰しております。
小龍先生はまったく知らなかったのですが、
ドラマでキーパーソンになりそうな人物なのですね。
今回はまだ原作も読んでおらず、
新鮮な気持ちで楽しんでいます。

投稿: ヒロ子 | 2010.02.14 21:41

ヒロ子さん、お久しぶりです。

小龍先生は、龍馬の人生においてはこの時期にだけ現れて、
後は全く登場しないという不思議な人物です。
その著書によって、龍馬の生き方に指針を与えた人と評価されますが、
実のところ、龍馬自身は何も語っておらず、
どこまでが真実かは評価が分かれるところですね。

ドラマでは、小龍が唱えたという船を使った交易と人材育成の案は出ておらず、
次回以降また出てくるのかも知れないですね。

投稿: なおくん | 2010.02.14 22:34

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