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2010年2月

2010.02.28

龍馬伝9 ~命の値段~

「再び江戸に帰ってきた龍馬。千葉道場を訪ねた龍馬を歓迎する貞吉と重太郎ですが、佐那はよそよそしくあいさつをするばかりです。」

「佐那の態度を責める重太郎。自分でもなぜあんな態度を取ったのか判らないと錯乱する佐那。」

「土佐藩中屋敷。半平太と同宿している龍馬。半平太は桃井道場で塾頭を務めるまでに腕を上げていました。しかし、自らの目的は、各地の攘夷派と交友する事にあると龍馬に念を押す半平太。」

龍馬が2度目の江戸に着いたのは、1856年(安政3年)9月の事でした。龍馬が9月29日付けで無事に江戸に着いたと土佐に出した手紙があり、28日頃の着ではないかと考えられています。一方、一足先に江戸に出ていた半平太ですが、やはり故郷に出した手紙に龍馬と同宿しているとあり、もう一人大石弥太郎と3人で暮らしていた事が判っています。

半平太が桃井道場の塾頭になったのはドラマにあったとおりで、無頼の風があった道場を規律のあるものに変えたと言われます。

「半平太に連れられ、とある居酒屋を訪れた龍馬。そこには薩摩の樺山三円、水戸の住谷寅之助、といった各藩を代表する攘夷派の志士が居ました。とまどう龍馬ですが、そこに桂小五郎が遅れてやって来ます。旧知の桂にあって、やっと元気の出る龍馬。」

半平太は桃井道場の塾頭として各藩の名士と顔見知りであった事は確かでしょうけれども、攘夷派の志士として交流を持つのは4年後に再び江戸に出てからの事と考えられています。一方の龍馬は、千葉道場の繋がりから住谷寅之助と面識はあったものと思われますが、志士としての付き合いは無かった様ですね。後に住谷が土佐にやって来て龍馬と会うのですが、住谷は龍馬を志士ではなく、あくまで撃剣家であるとその日記に記しています。

「彼等の目的は、攘夷派で多数を占めた上で攘夷の風を起こし、幕府が攘夷を実行せざるを得ない様する事にありました。水戸、薩摩、長州それぞれの藩が、既に攘夷を旗頭にしていると聞き、内心あせる半平太。彼は、土佐はと聞かれて、とっさに土佐も攘夷派が主流になっていると嘘をついてしまいます。」

「帰り道、各藩の俊英と対等に話が出来るとは素晴らしいと半平太を持ち上げる龍馬。あんなに恥ずかしい思いをした事はないと悔やむ半平太。彼は龍馬に、いよいよ土佐藩を攘夷に染めなければならない、そのためにもお前も仲間になれと迫ります。しかし、喧嘩はいやだと煮え切らない龍馬。」

「アメリカの要求を呑み、開国に結した幕府。異人は嫌いだと言葉を伝える孝明天皇。」

「土佐藩牢屋敷。10両で買った物を200両で売ろうとして捕まった商人の話を聞く弥太郎。」

弥太郎が牢の中で商売の道に目覚めるという逸話は確かにある様です。それに拠れば、相手は魚梁瀬村のきこりで、弥太郎は彼から商売の仕方を教わり、一ヶ月足らずで全てを理解しました。そしてきこりに、将来天下の金持ちになった暁には飯茶碗一杯の金をやろうと約束したと言われます。ただし、このエピソードが事実かどうかは不明の様ですね。

「千葉道場。稽古を終えた龍馬を、重太郎が呼び止めます。重太郎は酒席を用意し、たまには龍馬と飲みたいのだと言い出します。そして、佐那が龍馬を好いていると告げ、お前はどう思うのだと迫ります。そこに、肴を持ってきた佐那。腹が痛いと言って席を外す重太郎。とまどう龍馬と、杯を交わして飲み始める佐那。彼女は父と兄からは好きな男性の下に嫁げば良いと言われている、私は龍馬さんと一緒になりたいのだと迫ります。とっさに、佐那は酔っていると逃げる龍馬。彼はそそくさと佐那を後にし、逃げ出してしまいました。龍馬は土佐に残してきた加尾が忘れられないのです。」

佐那と龍馬の関係は微妙なものがあり、佐那が語り残した話に依れば、彼等は確かに婚約しており、その証として紋付きの片袖を受け取ったとあります。その一方で、お龍の語り残しでは、龍馬は佐那に世話にはなったが、何だか好かぬから取り合わなかったと言ったとあります。

龍馬の手紙には佐那を褒めちぎったものがあり、好意を持っていたのは確かな様ですが、一方でその同じ手紙には今は加尾と付き合っていると読める一節がある事から、どこまで深い関係にあったのかは良く判らないというのが現状の様です。何とも悩ましいところですね。

「夜の道を行く土佐藩士の山本琢磨と桃井道場の相弟子の田那村。彼等は酔っており、足下も定かではありません。そこに小さな風呂敷包みを手にした商人が通りかかります。その商人に、俺を睨んだと因縁を付ける田那村。驚いて逃げ出す商人。その後には風呂敷包みが落ちていました。開けてみると懐中時計が入っていました。」

「半平太の部屋。集まっている弟子達を前に、藩を攘夷で染めるために、それぞれが立派な武士となって欲しいと発破を掛ける半平太。そこに上士がやってきます。彼等は、商人から時計を奪い、金に換えた人物が居る、時計を買った古道具屋の証言からその人物は土佐藩の山本琢磨という名前だと言います。思わず琢磨を見て、本当かと叫ぶ半平太。その場に崩れる琢磨。上士は、琢磨に責めを負わせるのは半平太の責任であると言い捨てて帰って行きます。」

「攘夷を藩主に訴えるためには不祥事は許されない、だから腹を切って詫びろと琢磨に言い渡す半平太。以蔵が異議を唱えますが、半平太は取り合いません。」

「藩邸に帰ってきた龍馬は、以蔵から琢磨が切腹させられると聞き、半平太に直談判を試みます。たかが時計で切腹させる事は無いと言う龍馬に、攘夷の為には仕方がないのだと聞き入れない半平太。龍馬は時計を返して許して貰うと言って出て行きます。」

「佐州屋を訪れた龍馬。彼は時計を返し、琢磨を許してやってくれと頼みます。しかし、時計が帰ったとしても、訴えは下げられないと渋る佐州屋。龍馬は両手を付いて頭を下げ、琢磨が腹を切らなければならないのだと訴えると、さずかに驚いた様子の佐州屋。」

「半平太の部屋。佐州屋が訴えを取り下げると約束してくれた、琢磨が腹を切る理由は無くなったと報告する龍馬ですが、半平太は訴えが取り下げられたからと言って琢磨を許す事は出来ないと譲りません。なおも食い下がる龍馬ですが、収二郎達が入ってきて龍馬を遮り、半平太を支持します。収二郎は、お前は仲間ではない、土佐に帰っても加尾とは会うなと忠告を与えます。」

「土佐。月を見上げて微笑む加尾。」

「牢の窓から月を見上げて、商売の可能性に思いを馳せる弥太郎。」

「月を見上げながら刀を素振りし、思い悩む龍馬。」

「琢磨の部屋。部屋の扉を叩く音がし、開けるとそこには龍馬が立っていました。」

「琢磨を連れ出し、川縁まで来た龍馬。彼は琢磨を船に乗せ、土佐にはもう戻れないが必ず生きる場所がある、堂々と生きろと言って彼を逃がします。」

「琢磨が逃げた事の責任を問われる半平太。」

山本琢磨が事件を起こしたという事は史実にもあります。大まかな筋はドラマにあったとおりですが、琢磨が田那村に引きずられたという事はなく、二人の共犯というのが正しい様ですね。時計は二つあり、うち一つはロシアからの渡来物で、かつ盗品という曰く付きのものでした。佐州屋は被害にあってすぐに江戸中の時計屋に手配をしていたので、時計屋は後日代金を届けるからと言って、売りに来た相手の名前を巧みに聞き出したのですね。ですから、ドラマで時計が琢磨の手元にあったのは不自然ではありません。なお、琢磨が半平太の妻の従兄弟というのも事実です。

大きく違うのは、半平太が切腹を命じたという事実は無く、問い詰められた琢磨が自分から腹を切ると言い出したというところです。半平太は琢磨を諫めて思いとどまらせ、龍馬と共に佐州屋と掛け合い、訴えを取り下げる様に頼み込みます。折しも佐州屋では、ロシア製の時計は盗品であったために奪われたとは言えずに捨てたと(幕府の)お上に届け出ていたのですが、そのことを疑われて出頭を命じられて困っていたのでした。捨てた以上拾い主が必要であり、拾い主を琢磨として届ける事で一件の落着を図る事で半平太達と佐州屋は合意します。

お上の方は佐州屋が上手く立ち回って藩名も出さずに済んだのですが、今度は藩の目付方から呼び出しがあり、琢磨の身柄を預かると言われます。半平太はやむなく琢磨を迎えに行きますが、琢磨の姿は消えていたのでした。

琢磨が姿を消したのは龍馬が逃がしたと推測されていますが、半平太も共謀していたとする説もあり、少なくともドラマの様に薄情な半平太の姿はありません。

山本琢磨のその後は、龍馬伝紀行にあった様に、日本人初の日本ハリストス協会の正教徒、そして初の司祭となって生涯を終えています。

「帰国の用意をする半平太。側で見守る龍馬に、祖母の具合が悪いと呼び返されたのだと表向きの理由を言う半平太。彼は龍馬に、琢磨を逃がしたのはお前かと聞き、もう自分の邪魔はするなと言い放ちます。自分はもう目先の事には係わっていられないと言う半平太に、琢磨の命が目先か、それでは鬼だと言い返す龍馬。鬼に成らなければこの国は変えられないという半平太に、一輪の花を愛でる心を持っている鬼は居ないと食い下がる龍馬。椿の花を抜き打ちに切り落とし、判った風な事を言うなと遮る半平太。」

半平太が、祖母の具合が悪い為に呼び返されたのは事実です。ただし、あくまでの看病のためであり、琢磨の事件の責めを負ったという事実は無い様ですね。

「千葉道場。子供達の稽古を付ける龍馬を、そっと影から見つめる佐那。」

次週は加尾と弥太郎の身の上に、大きな動きがある様ですね。今回はあまり出番の無かった二人が、どう演じて見せてくれるのか楽しみです。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉 「坂本龍馬の妻 お龍」 鈴木かほる

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2010.02.27

京都・洛北 京都梅事情2010 ~下鴨神社 2.27~

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平成22年2月27日の下鴨神社です。この日は御手洗川の畔にある光琳の梅が、満開・見頃になっていました。

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光琳の梅は、尾形光琳の紅白梅図屏風のモデルになったという謂われを持つ梅で、毎年沢山の綺麗な花を咲かせる事で知られています。

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今日はほぼ花が咲ききっている状態で、厳密には少し色抜けが始まっている様でした。満開の直後に降った昨日の雨で、かなり痛んだのかも知れません。

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それにしても、下鴨神社には若い女性の姿が目立ちます。やはり、縁結びで有名な相生社がある効果なのでしょうか。もう一つの摂社である河合神社もまた縁結びの神であるとされており、良縁を求める女性にはこの上なく魅力的な神社なのかも知れないですね。

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2010.02.26

京都・洛東 京都梅事情2010 ~八坂の塔 2.20~

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早春の八坂の塔です。春になって新調されたのか、括り猿がどこも綺麗になっていますね。本来は願掛けの縁起物ですが、このあたりでは、観光用の装飾にもなっているのでしょう。

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八坂通に面したある家では、玄関に菜の花が飾ってありました。いかにも早春にふさわしく思えたので撮ってみたのですが、雰囲気は出ていますか。

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八坂の塔の近くにある八坂庚申堂では、紅白の梅が咲いています。ここでは白梅の方が早く、かなり見頃となっていました。

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この境内は、舞妓体験客が散策前のレクチャーを受ける場所になっているらしく、良くその姿を見かけます。この門前に人だかりがしていたら、きっと中には舞妓姿の女性達が居ると思って間違いないでしょう。

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八坂の塔周辺で行われている電線地下化の工事は、ようやく石畳が復元されるところまで来ました。電柱が撤去されるまで、あとどれくらい掛かるのでしょうね。電柱に邪魔されない、すっきりとした八坂の塔を撮る事が、今から楽しみです。

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2010.02.25

京都・洛東 京都梅事情2010 ~建仁寺 2.20~

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平成22年2月20日の建仁寺です。この寺では、境内の南東隅に白梅があるのですが、この日でほぼ見頃となっていました。

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ここにある梅は二本で、それなりの樹齢はあるようですが、あまり目立つ程の樹形ではありません。でも、花の美しさはなかなかのものがありますよ。

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建仁寺の塔頭である禅居庵には、見事な古梅があります。売店からガラス越しにしか見る事が出来ませんが、いかにも梅らしい樹形の木で、花も沢山咲いていました。

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こちらは、京都えびす神社で咲いていた源平咲きの梅です。鉢植えではありますが、とても美しい花でしたよ。

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鳥居近くにある紅梅はまだ咲き始めでした。

残念な事に、この神社にあった冬桜は枯れてしまったらしく、姿が消えていました。去年の今頃は元気だったのですけどね、いつ駄目になったのだろう。綺麗な花を見る事が出来なくなって、とても寂しいですね。

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2010.02.24

京都・洛東 京都梅事情2010 ~洛東・白梅 2.20~

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青空に映える白梅です。この輝くような白は、盛りの白梅ならではの色ですね。

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この梅が咲いているのは高台寺公園。一番北側に並んで咲いているのですが、少し奥まっているせいか、見過ごしてしまう人も多い様です。私かカメラを構えていたせいで、初めて気付いたという人も結構居ましたよ。

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こちらは、八坂神社の白梅です。毎年見事な花を見せてくれますが、今年は少し寂しい感じがする様な。

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その東側にあるのが美御前社。美容の神様として、すっかり知られる様になりましたね。ところが、いざ参拝となると気が引ける様で、社前で手を合わせる人は意外と少ないのです。美容水を付ける人は多いのですけどね。

やはり、綺麗になりたいと人前で拝むのは抵抗があるのかな。以前は知る人ぞ知るという存在だったので割と平気で拝めていたものが、これだけ整備されて目立ってしまうと、ちょっとした決心が要るのかも知れないですね。

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2010.02.23

京都・洛東 京都梅事情2010 ~祇園白川 2.20~

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平成22年2月20日の祇園白川です。この日は一本の白梅が見頃を迎えていました。

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祇園白川の梅は、白梅という料理旅館の前にあります。入り口に架かる橋の袂の両側に一本ずつあるのですが、毎年先に咲くのは東側のこの白梅ですね。

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そのさらに東側には、ピンクの枝垂れ梅があるのですが、この日はまだ数輪が咲き出したばかりでした。

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樹齢何年かは判りませんが、幹に苔が乗って、いかにも古木という風情が出ていますね。

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この日で7分咲きくらいでしょうか。今年は少し花付きが悪いようにも見えますが、どんなものなのかな。

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華やかさでは桜には及びませんが、清楚な美しさは梅ならではですね。早春の、ピンと張り詰めたような空気にこそ、よく似合う花です。

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祇園によく似合う花と言えば、やはり舞妓姿でしょう。左の女の子は、ちょっぴり羨ましいのかな。今は本物にならなくても舞妓体験が出来ますから、女性にとっては良い世の中なのでしょうね。

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2010.02.22

京都・洛東 京都梅事情2010 ~智積院 2.20~

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平成22年2月20日の智積院です。この日は早咲きの梅が咲き揃い、ほぼ見頃となっていました。

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智積院には遅咲きの梅もありますが、早咲きの方が数が多いのかな。比較的早くに咲き始め、2月の中頃には見頃を迎えます。

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厳密に言えば、最も早くに咲き出した木では、既に盛りを過ぎていた様です。この紅梅は丁度見頃でしたけどね。

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智積院では、そこかしこに梅が咲いていますが、やはりメインは参道沿いでしょうか。紅梅と白梅の取り合わせが見事ですね。

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明王堂の前の梅は、今年は今ひとつ花付きが悪い様ですね。梅って、桜以上に年ごとの咲き方に差がある様に感じるのは、私だけなのでしょうか。

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智積院の梅も、かなり知名度が上がってきた様ですね。この日も一眼レフを持った人達が、何人も訪れていました。それでも北野天満宮に比べれば静かなもので、ゆっくりと花を愛でながら撮る事が出来ましたよ。

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早咲きの梅はそろそろ盛りを過ぎる頃なので、早めに行った方が良いかも知れません。遅咲きの梅もあるけれど、数が少ないので華やかさに欠けますからね。ここの良さを知るには、今すぐがベストだと思います。

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2010.02.21

龍馬伝8 弥太郎の涙

「八平の死後、家督を継いだ権平と共にあいさつ回りをする龍馬。とある庄屋の前を通りかかった時に、一人の男が袋だたきに合っているところに出くわします。思わず止めに入った龍馬ですが、殴られていた男が弥太郎の父である事に気付きます。」

「念願の江戸留学を果たし、風呂に入る間も惜しんで勉学に励む弥太郎。その弥太郎の下に、父親が重傷を負ったため、すぐに帰国する様にとの知らせが入ります。彼は、通常30日掛かる江戸から土佐への道のりをわずか16日で走り通し、土佐に帰って来たのでした。」

龍馬の父が亡くなったのが1855年(安政2年)12月4日の事、弥太郎が江戸から土佐に戻ったのが同年の12月29日の事とされます。弥太郎がわずか16日で帰って来たのは史実とされていますから、手紙を受け取ったのは12月13日となりますね。当時は、土佐からの飛脚は14日要したとされますから、弥太郎の父が喧嘩をしたのは11月の末となり、ドラマとは微妙に時間がずれますが、概ね史実と重ね合わせた創作という事になりましょうか。

「家に帰った弥太郎を待っていたのは、父を介護する龍馬でした。家族して龍馬に感謝する岩崎家ですが、弥太郎は素直になれません。父が庄屋と喧嘩をしたいきさつとは、川の水を庄屋が独り占めした事に抗議に行き、返り討ちに遭ったというものでした。事情を知った弥太郎は庄屋の家に抗議に出掛けますが、既に安芸奉行所の裁きは下りていると聞き、愕然となります。あまりの一方的な裁きに納得の行かない弥太郎は、奉行所に訴え出ますが相手にされません。そして、既に龍馬が抗議に訪れている事も知りました。」

三菱のホームページにある「岩崎弥太郎物語」に拠れば、庄屋と百姓のもめ事を仲裁した弥次郎が、手打ちの席でつまらぬ理由で喧嘩となり、人事不省となって家に届けられたとあります。ドラマでは、既に奉行所の裁きが下りた事になっていましたが、訴え出たのは弥太郎だった様ですね。しかし、元から酒癖の悪かった弥次郎に味方する者は無く、訴えは退けられたのでした。

「坂本家。弥太郎の家の事に口出しをすれば坂本家もとばっちりを喰うと言う権平ですが、乙女達からそんな事では父に顔向けが出来ないと嫌味を言われ、龍馬に謝ります。」

龍馬が岩崎家のもめ事に関与したという記述はどこにもなく、全くの創作ですね。大体、高知と安芸では相当に距離が離れており、そうそう気楽に行き来出来るほどでは無かったと思うのですが、このあたり高知の人はどう感じているのかな。

「半平太の道場。半平太に、安芸奉行所の不当な裁きを訴える龍馬ですが、弥太郎に荷担して何の得があるのかと相手にされません。そして、半平太から江戸行きが許され、平井収二郎と岡田以蔵と共に剣術修行に出掛ける、しかしそれは建前であり、本当の狙いは各藩の攘夷派志士と交わる事であると聞かされました。」

半平太が江戸行きを認められたのは安政3年7月の事でした。名目は御臨時御用とあり、藩主の出府に先立つ一行に加えられた様ですね。そして、御用期間中は剣術修行に励むようにとあり、そのための費用として7両を下賜されたのでした。ただし、この時期の半平太はまだ勤皇の志士ではなく、純粋に剣術修行の為の江戸行きだったと言われています。

「平井家。出掛けようとした加尾の前に龍馬が現れました。二人して高知城下を歩いていると、饅頭屋の長次郞と出会います。長次郞は龍馬に二度目の江戸行きの祝いを言いますが、それを知らなかった加尾は驚き帰ってしまいます。龍馬は長次郞から、安芸奉行は庄屋から付け届けを貰っているので庄屋贔屓になるのだと教えられます。」

「平井家。家に帰った加尾を収二郎が待っていました。彼はもう龍馬とは会ってはいけない、龍馬は我々と意見が違う、もはや幼なじみではないと加尾に言い聞かせます。」

収二郎は、確かに加尾に対して龍馬との付き合いを止めるように忠告しています。ただし、それはずっと後年になって龍馬が脱藩した直後の事であり、当時京都に居た妹に宛てて、龍馬がその地に行って相談を持ちかけて来るかも知れないが、相手にしてはいけないと手紙に書いたのでした。脱藩という犯罪を犯した龍馬が、妹と係わる事を恐れたのですね。

「江戸に旅立つ半平太と収二郎、岡田以蔵の面々。旅立った息子を気遣う老母。」

半平太の出立は8月7日の事で、江戸では桃井春蔵の道場に入門する事になります。

「祭りなのか、賑わいを見せる高知城下。加尾を見かけた龍馬は声を掛けますが、加尾は逃げてしまいます。後を追った龍馬に、自分が学問をしたのは龍馬に置いて行かれたくなかったからだと言い、また江戸に行くと聞いてはもうどうして良いか判らないと訴えます。龍馬は今でも加尾が好きだ、でも自分はまだ何者にもなっていない、物になるまで待って欲しいと言って聞かせ、やっと加尾も納得した様子です。」

「弥太郎の家を訪れた龍馬。彼は弥太郎に、何度安芸奉行所に訴えても無駄だ、いっそ吉田東洋に奉行の不正を訴え出るのが良いと提案します。東洋は藩主の親戚で直参の松下某が、酒席で乱暴を働いた事に抗議して、蟄居させられていたのでした。その正義感の強い東洋なら何とかしてくれると考えたのです。しかし、下士の言う事を上士が聞いてくれるものかと、弥太郎は乗り気ではありません。」

東洋が山内家の親戚筋にあたる松下嘉兵衛に暴行を働いたのは史実とされます。原因は、酒に酔った松下が東洋の頭に手を掛けた事から、武士の頭に触れるとは無礼であると東洋が怒ったのです。結果として、東洋は職を解かれて、国元で謹慎処分となったのでした。

「龍馬が帰った後、父と母から無念さを訴えられる弥太郎。」

「龍馬の家。二度目の留学が許されたという吉報を聞く龍馬ですが、浮かない顔つきです。弥太郎の事が気になるなら、好きなようにやれ、後は引き受けると励ます乙女。そこに弥太郎が飛び込んできました。彼は父に泣きつかれ、東洋の下に行く気になったのです。」

「東洋の屋敷。3日も門前で座り込んだ弥太郎と龍馬に、やっと東洋が会ってくれました。懸命に安芸奉行所の不正を訴える二人でしたが、東洋は良くある事であり、自分が聞かされる謂われはないとにべもありません。松下某の無礼を許さなかったではないかと訴える龍馬に、自分だから許される、なぜなら自分は天才であり、殿もそれを知っている、しかし御前達は何を持っているのかと突き放します。」

弥太郎と龍馬が東洋に訴え出たという事実は無く、この下りは全くの創作ですね。ただ、弥太郎に関しては、獄から出た後に東洋の塾に入る事で世に出るきっかけを得ており、その事を描くための伏線なのかと思われます。このドラマの描写は冷たい様でも、事をなしたければ力を持つ事だという、東洋流の叱責だというのは穿ちすぎでしょうか。手打ちにされなかった事が、その証という気がするのですが。

「無礼討ちは免れた二人ですが、弥太郎は龍馬に騙された、江戸で何を学んできたのかと罵り、二度と係わるなと立ち去ってしまいます。」

「明け方、安芸奉行所の門前。錆びた刀を抜き、門に落書きを始める弥太郎。そこに龍馬が現れます。弥太郎は、なぜ自分に係わるのかと龍馬を問い詰めますが、龍馬は江戸から飛んで帰って来た弥太郎の姿を見て、その親を思う心に討たれたのだと答えます。彼は再び江戸に行く事を告げ、今度は無駄にするなという弥太郎が落書きをする様子を黙って眺めます。」

「人だかりのする安芸奉行所。門には「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と刻まれていました。それを見て、そのとおりだと感心する長次郞。」

弥太郎がこの落書きをした事は史実の様ですね。この事で弥太郎は獄に繋がれ、さらには村から追放されるという憂き目にあってしまいます。

「弥太郎の家。龍馬が弥太郎が刀を売った金を届けに来ています。龍馬に礼を言う母ですが、父はなぜあんたも獄に入らないのかと余計な事を言います。」

「獄に入れられ、ここからはい上がってみせると龍馬に叫ぶ弥太郎。心の中で弥太郎に決意を告げ、江戸に向かう龍馬。」

龍馬が再び江戸に向かったのは、安政3年8月20日の事とされます。半平太から遅れる事13日で、ほぼ同時期を江戸で暮らす事になるのですね。

次週は龍馬の仲間がある事件を起こします。史実では半平太と共に解決にあたるのですが、このドラマでは半平太との仲が上手く行っておらずどうなるのかな。展開が楽しみですね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司

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2010.02.20

京都・洛東 京都梅事情2010 ~法住寺 2.20~

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平成22年2月20日の法住寺です。山門前の白梅、境内の枝垂れ梅などで知られるこの寺すが、この日は竜宮門前の紅梅が見頃を迎えていました。

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山門前の白梅は、まだちらほら咲き。見頃までにはもう少し時間が掛かりそうです。また、境内の枝垂れ梅もまた、一、二輪が咲いている程度で、こちらも見頃はもう少し先になりそうですね。

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竜宮門前のこの紅梅は、まだつぼみもいくらか残っていますが、今がほぼ盛りと言って良いのでしょう。もう少しすると、痛んだ花が目だって来ると思われます。

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それにしても、この梅の花は良く見る紅梅とは色合いが異なりますね。緋色と言いますか、とても深い感じのする赤い色です。

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法住寺は三十三間堂の東隣にあたります。その塀の色と合わせて見ましたが、あまり成功とは言えないかな?

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紅梅は、青空に良く映えますね。まるで春の訪れを告げるような、鮮やかさでした。

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2010.02.19

京都・洛東 春宵2010 ~石塀小路~

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高台寺で夕景を追いかけた後は、石塀小路を通って家路をたどります。日はすっかり沈んでしまい、文字通りの春の宵ですね。

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薄明かりの中で見る白熱球の色は暖かく、どこか懐かしい様な感じがします。軒灯に照らされた壁の色が何とも美しい。

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まだ街灯は灯っておらず、軒灯だけで仄かに明るい程度なのが良いですね。これが春の宵の風情というものなのでしょう。

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何度来ても、不思議な感覚に襲われるのが、北の端にあるこの一角です。異界と現世を繋ぐ道とでも言いたくなる様な、一種独特の雰囲気がありますね。

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思わず振り向くと、灯籠に照らされた石畳の道がありました。益々暗い闇の世界へはまりこんでしまいそうな錯覚を覚えます。

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最後に行き着くのがこの通路。石塀小路という独特の空間を守る結界の様な場所ですね。

薄暮に歩く石塀小路は、いつもに増して不思議な魅力に溢れていますよ。


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2010.02.18

京都・洛東 春宵2010 ~八坂の塔~

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2月も半ばになると、日の入りが遅くなったと実感出来る様になりますね。そんな早春の日暮れ時に、東山を歩いてきました。

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この日は、梅を求めて京都市内を自転車で走り回ったのですが、夕方近くなっても空が綺麗に晴れている事に気付きました。これは綺麗な夕陽を期待できると思ったのですが。

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残念ながら、日暮れが近づくにつれて西の雲が厚くなり、思った程劇的な空にはならなかったのです。

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まあも八坂の塔の向こうにあったクレーンは消えており、すっきりとした事が判ったのは収穫でしたか。

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真っ赤にはならなかったけれど、それなりの美しさは見せてくれました。特に青空から続くグラデーションはなかなか見事ですね。

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最後にクライマックスが来ないかと待っていたのですが、残念ながら空振りに終わりました。でも、こんな景色もまた、冬と春の狭間という感じがして、素敵ではありません事?

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2010.02.17

京都・洛中 京都梅事情2010 ~京都御苑 2.13~

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平成22年2月13日現在の京都御苑・梅林です。この日は早咲きの梅が咲いていましたが、全体としては蕾も膨らんでいない木が多く、かなり寂しい状態でした。

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比較的綺麗だったのは、梅林よりもむしろ出水口の両側にある梅でした。特に南側のこの紅梅は見事でしたよ。

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そのさらに南へ下った出水の小川の畔でも、白梅が見頃を迎えつつありました。

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毎年思う事ですが、梅を撮るのは本当に難しいですね。桜に比べると花の密度はスカスカでボリューム感に乏しいし、マクロ的に撮ると長いしべがあるために、ピントをどこに持っていこうかと迷ってばかりです。

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とまあ、文句を言いながらも、この時期の花はやはり嬉しく、足繁く通ってしまいます。今週末も梅を追って来ようと思っている私は、我ながら懲りない奴だと実感しています、はい。


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2010.02.16

京都・洛中 京都梅事情2010 ~北野天満宮 2.13~

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平成22年2月13日現在の北野天満宮です。この日は早咲きの梅がまさに見頃となりつつありましたよ。

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京都の東から自転車に乗って行く私が、最初に出会うのがこの梅です。東門の前にあって、清楚な花を見せてくれる白梅ですね。この日はまだちらほら咲きで、盛りになるのはもう少し先の様ですね。

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東門を入ったところにある一連の梅も、まだこれからという木が多かったです。長五郎餅の前にある紅梅が一番早いのですが、それでもやっと五分咲きとっいったところかな。

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今見頃なのは、本殿を取り巻く回廊の南側と西側にある早咲きの梅ですね。

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それと、南西にある摂社の前の一群の梅が、やはり見頃になっていました。

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これは回廊の西南隅にある白梅です。この日、一番輝いて見えていたかな。この木の下では、沢山のカメラマンが花に向かってカメラを構えていましたよ。

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見頃とは言っても咲き具合は様々で、早い木では既に盛りを過ぎていましたし、2分咲き、3分咲きといった木も多く見られました。遅咲きの木は、当然ながらまだ蕾のままですしね。

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こちらは、撫で牛の近くにある枝垂れ梅です。この淡いピンクの花色が、何とも美しいですね。

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楼門近くのお牛さんの梅は、2分から3分咲きといった程度かな。目立つ場所にあるだけあって、記念写真を撮る人の列が絶えませんでした。

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この日は、梅苑には入っていません。もう少ししてから、遅咲きの梅が咲き始めた頃が良いかなと思ったのですが、今行っても綺麗だった事でしょうね。

北野天満宮の見頃はまだ始まったばかり。これから3月の中頃にかけて、2000本と言われる梅が次々に花を咲かせて行きますよ。

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2010.02.15

京都・洛中 京都梅事情2010 ~水火天満宮 2.13~

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堀川通上御霊上がるにある水火天満宮で、梅が見頃を迎えつつあります。

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ここは二本の枝垂れ桜がある事で知られますが、菅原道真公を祀る神社らしく、梅もまた咲いているのです。

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この神社には、鳥居を潜ったところに紅白の梅が一本ずつ、鳥居の南側にピンクの梅が一本あります。登天石の南側にも一本植えられていますね。

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平成22年2月13日現在では、紅梅が3分、白梅が4分咲きといったところかな。このピンクの梅は、まだ咲き始めたばかりでした。

盛りになるのは今週末から来週にかけてでしょうか。25日の梅花祭には、ぎりぎり保つかな。このピンクの梅は丁度見頃になっているかも知れないですね。

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2010.02.14

龍馬伝7 ~遥かなるヌーヨーカ~ 

「1854年(安政元年6月)、土佐に帰えって来た龍馬は、早速もう一度江戸に行きたいと父に願い出ます。とまどう家族を尻目に、藩に伺いを立てる様に権平に指図する八平。」

「半平太の塾。帰国のあいさつに訪れた龍馬は、その盛んな様子に驚きます。以前の様に武市さんと声を掛けると、門弟達から今や半平太は土佐における攘夷の旗頭である、先生と呼べとたしなめられてしまいます。半平太は、この塾はただ剣術や学問を教える場所では無い、攘夷を実現するためにあるのだと言い放ちます。」

「とある神社。加尾と久しぶりに出会った龍馬は、彼女が嫁に行かなかった事、弥太郎の塾で学んでいる事などを聞き、驚きます。」

「弥太郎の塾。加尾に求婚し、断られた事を回想する弥太郎。またしても龍馬にしてやられたと逆恨みする弥太郎の前に、当の龍馬が現れます。これから河田小龍の下に行くという弥太郎に、自分も付き合うと同行する龍馬。」

「小龍の家。新知識として名高い小龍の話を聞こうと、土佐中から人が集まっています。一堂の前に現れたのは小龍の弟子で龍馬の旧知である近藤長次郎でした。長次郞に続いて現れた小龍は、巧みに話をはぐらかし、興味本位の者達を追い返します。最後に残ったのは、弥太郎と龍馬、それに半平太の3人でした。」

「開国でも鎖国でもどちらでも良いと言う小龍に、きっと異国に勝つ術を研究していると思ってやって来たのに期待はずれだ、それでも日本人かと噛みつく半平太。自分も日本がどうなろうと構わない、どうすれば金持ちになれるか教えろと迫る弥太郎。金持ちになりたいのなら、金持ちに聞けとにべも無く言い、厠へ入ってしまう小龍。」

「日本がどうなっても良いとは聞き捨てならんと弥太郎に噛みつく半平太と、懸命に仲裁する龍馬。小龍の言いたい事は、まずは日本を守るという心構えを持つ事が大事と説く龍馬ですが、弥太郎は小理屈が上手くなったと毒づき、自分は江戸に行く、半平太に勝ったと子供の様に勝ち誇ります。弥太郎の慶事に、わが事の様に喜ぶ龍馬。」

「いよいよ江戸に旅立つ弥太郎。」

「龍馬の家。家族揃っての食事ですが、父の食が進まない様子が気掛かりな龍馬。そこに小龍がやってきます。小龍は龍馬に、黒船の波はどんな波だったと聞きに来たのです。その時、八平が胸を押さえて倒れてしまいました。南町に知り合いの医者が居ると飛び出していく小龍。」

「静かに眠っている様子の八平と、その足下で様子を見守っている小龍。」

「父が助かったのは小龍のおかげと礼を言う権平と龍馬。美味しそうに飯を食い終わった小龍は、風呂に入る、これから暫く世話になると事も無げに言います。とまどいながらも歓迎する権平。小龍は、黒船の波はどんな具合だったと、改めて龍馬に訊ねます。龍馬は、小山のごとく迫って来た黒船の迫力と、その鯨波に飲まれて溺れそうになった事を話し、自分で作った黒船の模型を示します。龍馬は黒船を造りたいと言いますが、作った後にどうするかまでは決めていない様子です。」

「日根野道場。腕を上げたと師匠から褒められる龍馬。」

「夜、八平の側で絵を描いている小龍。八平は龍馬は年を取って出来た子であり、その行く末を見届ける事は出来ないと覚悟していたと言い、その花を咲かせてくれる事が親の望みだと語りかけます。小龍は、この家は気分が良い、人の温かみがここには満ちている、その家で育った末っ子だから、あんなに優しい子になったのだろう、けれどもあの子はなかなか太い、きっと大きな花を咲かせると予言めいた事を言います。」

「龍馬の提案で、一家で海に来た坂本家の面々。龍馬は何やら砂浜で絵を描いています。龍馬は父に向かって、黒船に乗ってどうするかが決まった、それは家族を乗せて世界を見て回る事だと語り始めます。清国、インド、エジプト、アフリカ、ヨーロッパ、そしてヌーヨーカへと夢は飛び、いつかアメリカのプレジデントにも会ってみたいと語る龍馬を、嬉しそうに見守る八平。その数日後、八平は静かに息を引き取りました。」

「小龍の描いた絵。それは黒々とした龍の姿でした。」

河田小龍は土佐の絵師で、江戸、京都、長崎に留学した経験を持ち、嘉永5年に土佐に帰国したジョン万次郎を取材してまとめた漂巽紀略を著した事で、新知識として知られる様になりました。龍馬との出会いは、小龍が著した「藤陰夜話」に記されており、帰国してすぐの龍馬が「事態の事について、君の意見必ずあるべし」と訊ねてきたとされています。ドラマでは半平太の台詞ですね。

小龍は、はじめははぐらかしていたのですが、やがて「外国の船を一隻買い求め、同士をこれに乗せて交易を行いつつ費用を稼ぎ、練習を重ねて行けば航海の一端を知る事も出来るのではないか」と、その構想を披露したのでした。龍馬は手を打って喜び、船は自分が何とかするが、同士はどうやって集めるかと問いかけます。小龍は、身分が無くても秀才は居る、自分に心当たりがあると言い、船は龍馬、人材は小龍という役割分担が出来たのでした。

この人材の中に小龍の弟子であった近藤長次郎が居たのですが、彼の入門は龍馬よりも後とされており、ドラマとは違いますね。ドラマでは省略されてしまった様ですが、この年の11月に安政南海大地震があり、藤陰夜話には龍馬の入門は地震の前、長次郞の入門は地震の後と記されているそうです。この長次郞は後に龍馬の同士として、彼の人生に大きく係わって行く事になります。

また、この地震で土佐の町は大打撃を受けており、小龍もまた家を失ったのですが、坂本家はどうやら無事だった様ですね。ドラマで小龍が坂本家に滞在しているのは、このあたりの事情を受けた創作なのかも知れません。

なお、小龍については、現在霊山歴史館において開催されている「大龍馬展」において、その絵や印形などを見る事が出来ます。当たり前の事ながら、なるほど本当に絵師だったんだなと納得してしまう展示ですよ。なんとなく学者というイメージが強いのですけどね。

ただ、龍馬の手紙には小龍の名は一切出て来ず、龍馬との交流があったという記録は「藤陰夜話」にだけにしか無い事から、どこまで龍馬の人生に影響力があったかについては意見が分かれる事も付記して置きます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司

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2010.02.13

京都・洛北 早春の花2010 ~京都府立植物園 2.11~

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平成22年2月11日の京都府立植物園です。まだ季節は冬とは言え、2月も中旬になると咲いている花の数も増えてきます。だんだんと春の足音が聞こえて来るかの様ですよ。

この花はセツブンソウ。1月30日に訪れた時はやっと蕾が顔を出したばかりでしたが、この日は花盛りを迎えていました。ちょっとした群落と言って良い程の数が咲いており、まさに今が見頃ですよ。

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梅林では、早咲きの木がだんだんと咲いてきています。まあ、見頃と言えるのはごく一部なのですが、撮り方によってはあたかも盛りの様に見えなくもありません。

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白梅も、枝によっては結構咲いていますね。

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梅林全体としてはまだまだ寂しい状態と言って良いのですが、早春の雰囲気を味わうには丁度良いのかも知れません。

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こちらはマンサクですね。正確にはシナマンサクかな。ロウバイと同じく、遠目には木全体が黄色く染まって見え、この周りはほんのりと暖かい様な錯覚を覚えます。

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この日はあいにくの雨。2月に、それも雨の日に植物園を訪れる人はさすがに少なく、ほとんど貸し切りの様な状態でした。いつもなら何人ものカメラマンが狙っているこのスノードロップの周りにも誰も居らず、じっくり撮る事が出来ましたよ。

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この赤い実が成る木はアリドオシ。その鋭く細いトゲは蟻をも突き通すという意味らしいですが、確かに見るからに鋭利そのもののトゲですね。

センリョウ、マンリョウ、アリドオシ(有り通し)、と3つ並べると縁起の良い植物とされ、正月の生け花に使われるそうですね。別名はイチリョウとも良い、身近にあるとなんだかお金持ちになれそうな気がして来ます。ベランダでも栽培出来るのかしらん?

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2010.02.12

京都・洛北 紀元祭2010 ~上賀茂神社~

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平成22年2月11日、上賀茂神社において紀元祭が行われました。この行事は建国記念の日に国家安泰と国民繁栄を祈念するというもので、奉祝行事として剣道・空手の演舞と蹴鞠が行われます。

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奉納が行われるのは細殿の前の白砂です。その細殿には、蹴鞠の鞠を松の木の枝に添えて奉納してあります。これを枝鞠と呼ぶのだそうですね。

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ところが、この日はあいにくの雨であったため、急遽場所を庁ノ舎に変えて行われました。鞠が鹿皮で出来ており、水には極端に弱いのですね。ですから、雨の日に屋外で行う訳には行かないのです。

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庁ノ舎は、賀茂競馬の時に儀式の場として使われるほか、こうした行事の場にもなるというマルチスペースですね。結構な広さがあり、こうして蹴鞠も出来てしまうのです。

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とは言っても、鞠庭に比べるとずっと狭いし、天井もあるしで、鞠足の人達はかなりやり難そうでした。

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まあ、厳密なルールがある訳でもなく、天井や壁に当たっても中断するでもなく、そのまま続けられてましたけどね。

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言わば舞台の上ですから、いつもよりも目線が低くなったのは新鮮な感じがしました。それに、鞠足との距離が近かったのも良かったですね。

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難点は、板の間故にどたばたと煩くて、雅さに欠けた事かな。まあ、こればかりは仕方が無いですね。

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蹴鞠の最後は第八の人が鞠を持ち出して終わります。雨は困ったものではありましたが、室内での蹴鞠という珍しい光景を見る事が出来たのは収穫でしたね。寒い中、わざわざ出掛けただけの事はありましたよ。

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2010.02.11

京都・洛北 雪のふりたるは2010 ~寂光院~

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実光院を出て、寂光院へとやって来ました。私的には、三千院から寂光院へと向かう道すがらが、大原の中でも一番好きですね。昔ながらの山里の佇まいが残り、それでいてどこか雅な風情もあるという素敵な道行きです。

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とは言うものの、この日は突然吹雪いて来て前が見えなくなるなど、たどり着くまでが結構大変でした。帰り道に雪が氷っていたらどうしようと心配もしたのですが、幸いな事に道路の雪は溶けていたのは助かりました。

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雪の寂光院は、端正な御堂がモノトーンの世界の中にすっと現れるような感じで、幻想的ですらありますね。

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さらさらとかすかに雪が傘に当たる音以外は、何も聞こえない静かな世界です。いや、雪を踏む、きゅっきゅっという足音は聞こえていたな。

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平家物語には雪の景色は出て来ませんが、建礼門院もまたこんな世界に住んでいたのでしょうか。都では雅な雪も、ここでは厳しい冬の現実だった事でしょう。

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豊臣秀吉が寄進したという雪見灯籠。錆びた鉄の色と雪のコントラストが美しいですね。これが夜で、明かりが灯っていたら、どんなに素敵だったでしょうね。

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ここではマンリョウの赤い実が、雪の中で存在感を見せていました。鳥の目には、素晴らしいご馳走に見えているのだろうな。

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普段は現実が待つ山門の向こうも、この日ばかりは別世界の様でした。雪の大原で過ごした半日は、日常を忘れさせてくれる、とても素敵な時間でしたよ。

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2010.02.10

京都・洛北 雪のふりたるは2010 ~実光院~

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勝林院の南に位置する寺が実光院。宝泉院と共に、勝林院の僧院です。大正8年に同じ僧院であった普賢院と理覚院を併合し、普賢院の跡地に移転したのが今の実光院なのだそうです。

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客殿の南にあるのが、旧普賢院の庭である契心園です。この写真では判りにくいですが、鶴を表す松、亀を表す島、さらには石の五重塔があり、仏の浄土を表現しているのだそうです。

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その庭の左端にあるのが小さな滝組で、この水は律川から引いているのだそうですね。そして、この石組みは蓬莱山をあらわすのだとか。この日の厳しい寒さを表すように、石に当たった滝のしぶきが氷り、つららとなっていました。

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冒頭の写真が、旧理覚院庭園。理覚院の跡地に手を入れて作られた庭で、金比羅山など大原を取り巻く山が借景になっています。多数の花木が植えられているそうで、年中花が絶える事が無いのだとか。

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その代表格が大きな不断桜ですね。秋から春まで咲き続けるというこの桜は、雪が降りしきる中でもその花を散らす事はありませんでした。それにしても、雪と桜の組み合わせの美しい事と言ったら!

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こちらの蹲居の水は、完全に氷っていました。上の手水鉢との差は、吹き晒しと軒下の違いかな。

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山門を入ったところでは、山茶花が咲いていました。この白と赤の対比も美しいですね。

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こちらは、雪に埋もれた十両です。文字通りの紅一点、なんとも鮮やかな赤色でした。

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2010.02.09

京都・洛北 雪のふりたるは2010 ~勝林院~

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三千院の北に忽然と現れる巨大な御堂、それが勝林院です。天台宗に属し、1013年(長和2年)に声明の根本道場としてこの地に建てられました。明治にこの地に移った三千院よりも、はるかに古い歴史を持つ寺なのですね。

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三千院から勝林院に向かう時、途中で渡る川が律川です。三千院の南を流れる呂川と共に、声明の音階にちなんでこの名が付けられています。呂律が回らないという慣用句も、同じ語源から来ている様ですね。

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勝林院の正面には、寺名と共に大原問答と大書した札が掲げられています。この大原問答とは、浄土宗の開祖・法然上人が、南都北嶺の諸宗の僧侶を相手に浄土念仏の正当性を巡って問答し、遂には信服させたという宗論です。天台宗からすれば敗れた歴史となると思うのですが、それを堂々と掲げてあるところが融通無碍なこの宗派らしいところかなという気がしますね。

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勝林院は、いかにも山中の古寺という佇まいがありますね。飾り気が全くないところが、この寺の風情を醸し出していると言って良いのでしょう。

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勝林院から少し西に行ったところに宝泉院があります。額縁の庭園で知られるところですね。三千院に続いてここにも入るつもりだったのですが、受付で思わず足を止めてしましまた。拝観料が800円になっているのですね。以前は600円だったはずで、一気に200円も値上がりしているのです。さすがに気楽に入れる金額では無くなっており、今回は見送る事にしました。

三千院が700円、勝林院が300円、実光院が700円、寂光院が600円ですから、全部入れば3100円となってしまいます。これに往復のバス代が1160円(京都駅発着)掛かりますから締めて4260円ですね。そして、これに昼食代を加えれば半日で5000円は軽く超える事になります。二人で来れば1万円超、大原は決して気楽に遊びに来られる所では無いのですね。

これって、長い目で見れば大原の衰退を招くと思うのですが、どうなのでしょう?大原観光協会さん、ちょっと考えてみられてはどうですか。

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拝観料が高いのは確かですが、棚田を見る分には料金は掛かりません。自衛の方法としては、拝観する場所を1箇所か2箇所に限定して、後は山里の景観を楽しむのが良いと思います。ここが魅力的な場所である事は確かなのですからね。

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2010.02.08

京都・洛北 雪のふりたるは2010 ~三千院~

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雪の大原で真っ先に目指したのが三千院、それもこの景色を見たいが為でした。冬の京都を代表する景色の一つと言っても良い、雪の往生極楽院ですね。凛とした空気の中に佇む、いかにも山寺らしい風情が素晴らしかったですよ。

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この時期の大原は、秋の観光シーズンとは違って訪れる人も少なめです。この庭も貸し切り状態でした、と言いたいところなのですが、タイミング悪く団体客と重なってしまったのです。もう少し時間がずれていれば本当に静かな庭が楽しめたのですけどね、ちょっと残念でした。

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でも、写真からは厳しい冬の空気が判って貰えるかな。がやがや、ざわざわという雑音は入らないものね。

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境内に出てしまえば雑音も消えて、まさに雪の山寺ですね。厳しい空気に、文字通り身が引き締まる思いがします。

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雪に埋もれたわらべ地蔵です。雪のせいで、顔立ちが判らなくなっていますね。

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こちらのわらべ地蔵は、まるで昔話の笠地蔵の様な佇まいですね。思わず笠を被せて上げたくなるような風情です。

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この日の大原は、雪が積もってもすぐに溶け出すといった具合で、それほど深い積雪にはなりませんでした。しかし、断続的に降り続き、時には吹雪になるといった具合でしたので、雪景色が途絶えるという事はなかったですね。そのあたりが、京都市内との大きな違いかな。

でも、この時点では早くも雪が消えてきたという印象が濃く、せっかくの景色を見逃しては大変と急いで勝林院へと向かいました。以下、明日へと続きます。

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2010.02.07

龍馬伝6 ~松陰はどこだ?~

「土佐藩中屋敷。佐那が龍馬を訪ねてきました。門前で佐那と出会った溝渕広之丞は、龍馬が道場に通っていないらしい事を初めて知ります。」

「とある道端で、子供達と遊びに興じる龍馬。夕方になり、子供達は家に帰ってしまい、龍馬は一人ぼっちになってしまいます。彼は仕方なく家路に着き、小走りになって汗をかき、如何にも道場帰りであるかの様に装います。」

「藩邸で待っていたのは佐那でした。師匠の娘の来訪に驚く龍馬。佐那は定吉に謝って道場に帰るように説得しますが、龍馬は合わせる顔がないと言って断ります。」

「千葉道場。重太郎に自分の恋を成就するために龍馬を戻してくれと頼む佐那。どうしようもないと断る重太郎。定吉は龍馬の様な男にこそ、剣の修行が必要なのだと語ります。」

「黒船が頭から離れない龍馬は、桂が言っていた松陰という名を思い出します。自分の悩みに答えてくれるのは松陰しか居ないと思い定めた龍馬は、桂の下を訪れます。しかし、松陰は全国を遊学している最中であり、桂にも居場所はわからないのでした。」

「1954年1月、ペリー艦隊が大統領親書の返事を貰う為に戻ってきました。横浜で交渉の場についた幕府は、断れば戦争になるというペリーの脅しに戦慄します。阿部老中は開国やむなしと決断し、交易で徳川家が富めば、幕府が未来永劫栄える基となるのだと幕閣を説得します。」

「品川で再び警護の任に就いている龍馬ですが、こんな事では黒船と戦えないと焦りの色は隠せません。」

「土佐、高知城。容堂を巧みに持ち上げる半平太の意見書を読む容堂。彼はその文書に感心はしますが、所詮は下士だと吐き捨てました。」

「半平太の家。容堂への意見書を書く半平太の下に、富が反物を貰ったと乙女を連れてきます。殿様に意見書を書いていると聞き、龍馬もまた異人の首を取ってくると息巻いていると伝える乙女。龍馬も攘夷に目覚めたかと感心する半平太。」

「弥太郎の塾。自分の意見が無視されたと腑抜けた様になっている弥太郎に、意見書を見せて欲しいとせがむ加尾。」

「土佐の街角で出会う弥太郎と半平太。商人に呼ばれたと言う弥太郎と、東洋に意見具申に行くという半平太。上士に呼ばれるなどろくな事では無いという弥太郎の声を聞き捨てにする半平太。」

「商人の家。弥太郎を待っていたのは、江戸に留学させてやるという夢のような話でした。商人は加尾から弥太郎の意見書を見せられ、その人物を見込んだのでした。」

「東洋の屋敷。半平太の心意気を認めつつも、本気で異国を討てると思っているのかという東洋に、我らなら出来ると答える半平太。それだけの男だったかと、半平太を見下だす東洋。下士だから無視するのか、そんな扱いには慣れていると見返す半平太。」

「半平太の家。東洋に対する憎しみを露わにする半平太。」

「長州藩邸、桂の部屋。手紙を見て驚き、外に飛び出していく桂の前に龍馬が現れます。どうしても松陰に合わせろとせがむ龍馬に、桂は手紙を見せて、松陰は黒船に乗り込むつもりだ、止めさせないと死罪になると言って、一緒に探すように頼みます。」

「横浜近くのとある海岸。弟子の金子と共に、小舟の側に居る松陰。お互いの顔を殴り合い、大事を前に気合いを入れている様子です。そこにやって来た龍馬と桂。彼等は松陰に思いとどまるように伝えますが、松陰は今のこの気持ちこそが大事であると言って聞きません。松陰の言葉に感化された龍馬は自分も連れて行って欲しいと言い出しますが、松陰は龍馬を殴り飛ばし、まずは自分が何者かを知れと諭します。呆然とする龍馬を尻目に、沖を目指して船を出す松陰。」

「アメリカと条約締結した幕府。」

「松陰の企ては失敗します。松陰は自ら番所に出頭し、長州へと送り返されました。囚人駕籠の中で、自分に良い訳などはないと嘯く松陰。」

「松陰に諭されて、自分を見つめ直すために剣の修行に戻ろうとする龍馬。千葉道場に戻った龍馬は、自分は剣を道具と思っていた、しかし、自分を見つけるためにこそ剣の修行があると言い、許しを請います。彼は、剣で黒船に勝てるかという定吉の問いに、答えは自分の中にこそあると言って遂に許されたのでした。」

「修行期間を終え、土佐に帰る龍馬。戻ってこいという重太郎に、必ずと答える龍馬。」

「道場に雑巾掛けをする佐那。そこに龍馬が別れを告げに来ます。必ず戻ってきて欲しいと願う佐那は、国に帰ればすぐにももう一度江戸修行に行きたいと願いを出すという龍馬に、約束をしてくれと言って指切りを交わすのでした。」

「半平太の塾。門弟達に攘夷の檄を飛ばす半平太。」

「弥太郎の家。江戸に行けると喜ぶ弥太郎の下に、加尾が祝いを言いにやって来ます。弥太郎は加尾に一緒に江戸に行って欲しい、自分の女房になって欲しいと土下座して頼みます。その言葉にとまどいを隠せない加尾。」

今回は、条約締結と松陰の海外渡航騒ぎの他はほとんど創作で、あまり書く事はありません。無論、龍馬が松陰と出会った事も創作ですね。

半平太がこの時期から攘夷を主張していたというのも、東洋と意見が衝突したというのも事実とは異なる様です。半平太が国事に関心を持つようになるのは、安政の大獄で容堂が謹慎させられてから後の事で、はっきりと尊皇攘夷に目覚めるのは江戸に出て水戸藩士と交わるようになってからとされます。東洋と対立するのもずっと後に土佐勤皇党を結成してからの事とされますが、もしかしたら新研究があるのかな、なんて思ってしまいますね。

弥太郎が商人に援助して貰ったという話も聞いた事が無いのですが、そんな口伝でも残っているのでしょうか。

史実と比べると疑問符ばかり付く今回の内容なのですが、ドラマとして見れば、ひと目で龍馬の本質を見抜いた松陰には凄みがありましたね。教育の名人と言われた松陰の面目躍如と言ったところでしょうか。また、片思いを一途に貫き通そうとする佐那もまた、いじらしさが良く出ていると思います。このあたりは、史実とされる佐那の姿をなぞっているのかなという気がしますね。

次回は河田小竜が登場します。いよいよ龍馬の進むべき道が見えて来る様ですね。そろそろ一皮むけてくるのか、展開が楽しみです。

やっと龍馬の迷いが吹っ切れ、本格的な活躍が始まりそうな予感がして来ました。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司


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2010.02.06

京都・洛北 雪のふりたるは2010 ~大原~

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京都にやっと本格的な雪が降りました。とは言っても市内ではすぐに溶けてしまうので、雪景色を求めて大原まで出掛けてきました。その甲斐あって、さすが大原という景色と出会えましたよ。

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その大原も、実は今年初めてと言って良い雪だったらしく、土産物店の人が、余所ばかり降ってここは全然降らないとぼやいてました。つまり、冬は雪景色が大原の売りになっているのに、ここ数年は以前程降らなくなったという事らしいですね。特に今年はさっぱりなのだとか。これも温暖化のなせる業なのかしらん?

そんな中で、丁度週末に降ってくれたのは幸運でしたね。冬の山里の風情を堪能する事が出来ましたよ。

とりあえず今日はイントロダクションまで。詳しいレポートは、月曜日から順次アップして行きます。


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2010.02.05

京都・洛東 冬はつとめて2010 ~音羽の滝~

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朝早くに清水寺を訪れるメリットは、もしかしたらこの音羽の滝にあるかも知れません。いつも長蛇の列 が出来ているこの滝も、朝一番ならご覧の通り誰一人居ないのです。

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三筋の滝にはそれぞれ御利益があり、右から延命長寿、縁結び、学業成就と言われています。しかし、他にも説があって、右から健康、美容、出世とも言われていますね。また、仏法僧、あるいは行動・言葉・心の3業の清浄を表すとも言われ、正確なところは判りません。

公式ページには、古来より「黄金水」「延命水」とよばれ、 ”清め”の水として尊ばれたとあり、どの筋がどういう効能を持つとは書かれていませんね。これからすると、ご利益に関しては俗説というのが正しいのかも知れません。

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滝の裏の中央には、不動明王が祀られています。そして、滝の上の祠にはこの剣に巻き付くという倶利伽羅竜王が祀られていると言いますから、まさしく不動明王によって守られている滝と言って良いのでしょう。

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その傍らには、清水寺の開基と伝わる行叡居士の像が祀られています。年齢200歳と言われ、実は観音の化身であったという伝承を持つ人物ですね。

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この居士が滝行をしていた事から、その伝統を受け継いで水垢離の行場となったとされます。今では参拝者が水を飲む場所として知られていますが、現在でも滝行の為の足場は残されており、実際に修行に励んでいる人も居ると聞きますね。それは観光客の去った夜の事であり、司馬遼太郎の新選組血風録にもそんな記述が出てきます。

夏場ならまだしも、冬の今頃だと大変でしょうね。観光ばかりではない、信仰の場としての清水寺の姿がここにあると言えるのかも知れません。

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2010.02.04

京都・洛東 冬はつとめて2010 ~清水寺~

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早朝の清水寺は、やはり人が居ないの一言に尽きますね。これは奥の院の中から撮らせて貰った写真ですが、普段ならこの前は人混みになっており、とてもこんな具合には写せません。早朝ならではの一枚と言えるでしょうね。

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この日はあまり寒さは厳しくなかったのですが、それでも屋根には霜が降りていました。背後の山の木も白っぽくなていますね。いかにも冬らしい厳しさが垣間見える様な光景です。

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轟門の前の龍も、こんな時にしか撮る事は出来ません。なぜって、ここも常に人混みがしていますからね。こんなにじっくり見たのは、初めてだったかも知れません。

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背後の山には日が当たり始めましたが、舞台は未だに薄明の中にあります。人影がまばらな舞台とあいまって、なかなか見る事が出来ない景色ですよ。

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三重塔は、先端に日が当たって輝き始めました。清水寺に朝が訪れた一瞬ですね。

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すっかり日が当たった三重塔を撮るため、再び戻ってきました。順光で撮る雲一つ無い青空は、何とも美しいものですね。早起きしてきて良かったと思える瞬間です。

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2010.02.03

京都・洛東 冬はつとめて2010 ~二年坂・三年坂~

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朝日が差さない八坂通を二年坂まで上ります。薄ぼんやりとした二年坂には誰も居ない、と言いたいところなのですが、意外と人通りがあるのですね、これが。散歩の人も居ればジョギングをする人も居るという具合で、なかなか無人の光景を撮る事が出来ないのでした。

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三年坂でも事情は同じで、こちらは上の土産物店などに出勤すると思われる方も何人か見かけました。それに、普段はあまり通らない車が良く来るのですよ。この坂の下まで入ってきて、東側の細い道へと入って行くのです。ここは車とは無縁の道だと思っていますから、何とも違和感を感じました。

それでも、暫く待てば誰も居ない、こんな三年坂を撮る事が出来ます。

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清水寺からの帰り道、空がすっかり明るくなっています。それでもまだ日が差さない三年坂は、黎明が続いているかの様ですね。

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坂の中程で咲いている、和久井さんの寒椿です。塀越しに見る花というのも、ちょっと良い感じですね。

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再び二年坂まで帰ってきました。さっきすれ違った人も、仕事に行く途中だった様ですね。昼間は観光客ばかりのこの道も、生活道路としての顔もあるんだと気付かされる一瞬でした。

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路地の向こうに見る八坂の塔です。やはり背景が綺麗だと、絵になりやすいですね。

明日は早朝の清水寺をお届けします。

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2010.02.02

京都・洛東 冬はつとめて2010 ~八坂の塔~

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先週の嵐山・嵯峨野に続いて、早朝の東山を歩いて来きました。冬の朝の空気の爽やかさは、一度味わうと止められないですね。 

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(建仁寺にて)

ただ、出掛けるのが少し遅れた分、朝焼けの一番綺麗な時間帯は逃してしまいました。雲が少なかったのでそれほどドラマチックでは無かったのですが、電車の窓から見た空が一番綺麗だったとは残念な事をしました。

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それでも、早朝の景色はやはり清々しく、似ているようでもどこか慌ただしい夕方とは雰囲気が違います。しんと静まりかえったこの空気が良いのですね。

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振り返ると、西の方から街が明らかになりつつあります。このあたりが嵯峨野とは違うところですね。東山の山裾にあるぶん、夜明けが来るのがとても遅いのです。

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空は既に陽の光を受けて明るくなっていますが、八束の塔はまだ黎明の薄明かりの中に沈んでいます。これって、何でも無いようですが、明け方にしか撮れない写真なんですよね。

東山に朝日が昇るまでには、まだまだ時間が掛かります。薄明かりの中、二年坂へと向かいます。

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2010.02.01

京都・洛北 早春の花2010 ~京都府立植物園 1.30~

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早春の花を求めて、京都府立植物園に行ってきました。前回訪れたのが1月16日だったので、2週間ぶりとなります。1年で一番寒い時期を経た訳ですが、それでも季節は確実に動いていました。

日本原産の草花の中で、真っ先に花を咲かせていたのがバイカオウレンです。梅の花に似ているところから、梅花(バイカ)と付く様ですね。その花に見える部分は実はガクにあたり、本物の花は小さな黄色い部分なのだとか。この写真では小さすぎて判りませんが、白を背景にした黄色はなかなか鮮やかで、虫に対しては良くアピールする事でしょうね。

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こちらは、本物の梅です。ご覧のようにかなり咲いてきましたね。まだ早咲きの一部だけですが、少しずつ華やかさが増しつつあるところです。

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ロウバイの方は盛りを過ぎた感じですが、ソシンロウバイの方はまさに満開となっていました。この透明感のある黄色がこの花の持ち味ですね。

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この日はそれほど冷え込んだという感じはしなかったので半ば諦めていたのですが、幸いな事にシモバシラの霜柱を見る事が出来ました。強烈に冷え込んだ日はもっと大きな霜柱が出来るのですけどね、暖かかった分、ささやかながらあっただけでも良しとしなければならないでしょう。

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この日のお目当ては、実はセツブンソウでした。そろそろ咲き始めているのではないかと思っていたのですが、丁度蕾が出てきたばかりのところでした。同じ思いの人が多かった様で、花を探して回る姿を何人も見かけましたよ。今日辺りは綺麗に咲いている頃でしょうね。

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北山門前広場では、早春の草花展の準備が進められています。このイベントは年々規模が大きくなっているのですが、今年はさらにグレードアップして昨年の倍くらいになるようですね。もはや、ちょっとした温室の様な感じになって来ています。

開始は2月19日からで、今から始まるのが楽しみですね。

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