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2010.01.31

龍馬伝5 ~黒船と剣~

「嘉永6年6月3日、黒船が浦賀に来港します。幕府の方針は、浦賀奉行に交渉をさせ、時を稼ぐと言うものでした。しかし、ペリーは、大統領親書を受け取らないのなら、兵を上陸させ、江戸に向かうと脅しを掛けます。驚いた幕府は、沿道の防備の強化を命じます。」

「戦になると大混乱の中、鎧、兜を買いに走る龍馬ですが、付け方すら判らない有様でした。」

「龍馬は藩から沿岸警備の任に着くように命じられます。海岸沿いに大筒が並べられる中、釣り鐘を積んだ荷車を押す龍馬。こんなものを何に使うのかと訊ねると、黒船から見れば大筒に見えるという答えが返って来ました。」

幕府は品川沿岸に藩邸を持つ諸藩に沿岸警備を命じ、その中に土佐藩も含まれていました。江戸遊学中の龍馬もまた警備兵として駆り出された様なのですが、直接の記録はなく、後に出てくる彼の手紙に記されているだけです。それにはアメリカ沙汰と記されていますが、具体的に何をしたのかまでは判っていません。

「浦賀。長崎に回れと言う一点張りの回答に業を煮やしたペリーは、ミシシッピ号を江戸湾に向かわせます。」

「槍を手に砂浜に、他の藩士と共に途列する龍馬。好奇心が抑えられない彼は、浦賀に黒船を見に行くと警備の陣を抜け出します。」

「浦賀近くに来たものの、警備する兵士に見つかり、捕まりそうになる龍馬。何とか逃げ切り、海岸に出たところで桂小五郎と出会いました。桂の言う通りだったと感心する龍馬に、松陰先生の受け売りだったと白状する桂。そこに、黒船が現れます。そのあまりの迫力に度を失い、恐怖のあまりに刀を抜いて叫びを上げる龍馬ですが、波に掠われそうになるところを桂に助けられます。」

「桂は黒船は炭を燃やして蒸気を作り、その力で水車を廻している、色が黒いのは錆止めにタールを塗っていせいだと学のある所を示します。あんな巨大なものがこの世にあるとはと驚きを隠せない龍馬。」

「ペリーの脅しに、ついに大統領親書を受け取った幕府。ペリーは来年親書の返事を受け取りに来ると言って帰りますが、幕府のあまりの弱腰に、世間が沸騰し始めます。」

「土佐。ペリー来航の噂に、いきり立つ半平太の門人達。神州を偉人の靴で汚させる訳には行かないと、攘夷を決意する半平太。」

「弥太郎の塾。ここでもペリーの似顔絵を中心に、子供達が騒いでいます。これからどうなるのかと不安がる加尾に、開国を迫るアメリカと、先に開国をした清国は、国を乗っ取られたと説明する弥太郎。これからは、自分の様な優秀な人物が用いられる時代が来ると、自信がありそうです。」

「平井家。弥太郎の塾から戻った加尾を、兄がなぜ塾になど行くと問い詰めます。加尾は、嫁入りを断った自分は一人で生きていくよりない、それには世の中を知らなくてはならず、学問が必要なのだと一蹴します。しかし、彼女の脳裏にあったのは、江戸に出て行った龍馬の言葉でした。」

「千葉道場。なぜか気合いが入らない龍馬。いぶかる佐那に、黒船相手には剣は役に立たない。自分はこんな事をしていて良いのか、判らなくなったと言ってしまいます。それを聞いた佐那は、父や兄の前では決して口外するなと釘を刺します。」

「佐那の部屋。縫い物をしている佐那の下を、兄の重太郎が訪れます。佐那の龍馬への思いを知った重太郎は、龍馬と所帯を持て、そうすれば龍馬と二人で道場をもり立てていけると大乗り気で部屋を出て行きます。」

佐那が龍馬を好きだったという事は、後年の佐那の懐古談から明らかとされています。でも、ドラマの年にはまだ14歳で、恋愛沙汰に及ぶのは2度目の江戸修行からという見方の方が一般的ではないでしょうか。このドラマは、登場人物の年齢が実際よりも高すぎるのが難点ですね。

「長州藩邸に桂を訪ねる龍馬。黒船を見て、何も思わないのかと問いかける龍馬に、開国やむなしと言ったのは佐久間象山、異国と仲良くするなど言語同断と言ったのは斉藤弥九郎、どっちが正しいのかは自分にも判らない、だから学問に励んでいると答える桂。今さら剣を学んでどうなると問いかける龍馬ですが、桂は剣を止めるのは武士を捨てる事だと言い、自分の生き方に係わる大事な事を他人に相談するなと突き放します。」

「大統領親書の和訳が成り、いよいよ対応を迫られた幕府ですが、この切所で将軍家慶が亡くなり、跡を継ぐのは暗愚と名高い家定でした。その家定は、殿中でアヒルを追いかけて遊んでいる始末です。思いあまった阿部老中は、親書の内容を諸大名に公表し、広く意見を集める事にしました。」

家定のアヒル追いが出てきましたね。ここでの家定は篤姫の時とは異なり、全くの愚者として描かれるようです。堺雅人の家定は面白かったのだけどなあ。

「この意見洞開は各地に及び、土佐においても家臣から意見書が集められる事になりました。ここぞとばかりに、意見書を書く半平太と弥太郎。」

「意見書を前に、家臣を抜擢する山内容堂。彼が選んだのは吉田東洋でした。容堂は彼を参政に任命します。そして、半平太もまた容堂の目に止まり、お褒めの言葉を頂いたのでした。」

ドラマの容堂公は白髪の老人、東洋もまたどう見ても60過ぎの様に見えましたが、実際には容堂はこの時27歳、東洋も37歳でした。これって、どういう時代考証なのでしょうね。容貌の表現は自由という事なのかしらん?それとも、悪役にはふさわしい年回りがあるという事なのかな。でも、容堂と東洋に対する印象が大きく変わってしまう訳で、幾ら何でもこれは酷い設定だと思いますね。

「弥太郎の塾。加尾から、弥太郎の意見はどうなったと聞かれますが、自分はもっと世の中が切羽詰まった時に意見を言うのだと応えます。どうやら、彼の意見書は無視されたようですね。」

弥太郎が意見書を書いたという話は伝わりませんが、彼が世に出るきっかけになったのは、東洋の塾に入ったからでした。それはこの翌年の事、同じ塾には後藤象二郎や間崎哲馬らが居ました。

「坂本家。龍馬からの手紙に盛り上がる坂本一家。今度戦になったら、異人の首を討ち取って土佐に帰ってくると勇ましい龍馬の言葉に歓声を上げる人々ですが、一人乙女だけは龍馬の本心は別にあるはずと手紙に書いて送ります。その手紙を読み、あの手紙は嘘だ、自分らしい生き方は何だと悩む龍馬。」

龍馬が異人の首を討ち取って帰ると書いた手紙は実在します。龍馬の手紙では最古とされるもので、嘉永6年9月23日付け、父の八平に宛てたものでした。アメリカ沙汰の事は兄宛に書いて送ったとあるのですが、残念ながらそちらの手紙は残って居らず、具体的な任務については判りません。異国船御手当は解かれたが、来春にまた人数に加わるはずとあり、近く戦になりそうだが、その時は異人の首を討ち取り、帰国すると記されています。

このドラマでは、龍馬は最初から平和主義者だという位置付けの様ですが、実際には最初は単純攘夷主義者であったという見方が一般的ですね。まあ、ここはドラマの演出の範疇という事で流すところですか。

「千葉道場。龍馬の迷いを見抜いた定吉は、龍馬に立ち会いを求めます。懸命に打ち込む龍馬ですが、師匠には及びません。心の在りかを見失った者に剣の修行は出来ないと言う師匠に、黒船相手では剣は役に立たない、何のために修行しているのか判らないと正直に答えます。師匠は、剣の修行をしないのならここに居る必要はない、今すぐ出て行けと破門を言い渡してしまいました。」

「悄然と道場を出て行く龍馬。気遣わしげな佐那。父の言葉を思い出し、とんでもない事をしてしまったとしょげかえる龍馬。」

この下りは全くの創作で、ドラマの演出と言うしか無いでしょう。まだまだ普通の悩み多き青年という設定なのでしょうけど、二度目の江戸修行はどうするつもりなのでしょうね。

龍馬が剣の修行だけでは駄目だと思った形跡は確かにあり、西洋流砲術を学ぶべく佐久間象山の門を叩いています。しかし、剣術の修行をおろそかにしたという事実は無く、土佐帰国後には日根野道場で中伝の免許を与えられている事からも、この頃は剣術一筋だった事が窺えます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎、「「武市半平太伝」 松岡 司

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