龍馬伝4 ~江戸の鬼小町~
「溝渕広之丞と一緒に江戸に着いた龍馬。初めての大都会の賑わいに、お上りさんよろしく、心が躍ります。」
龍馬が江戸に着いた日は記録に残って居らずはっきりとはしませんが、嘉永6年4月の事ではないかとされています。土佐出立の日は3月17日とされており、当時の行程が30日程度であった事を考慮すれば、4月中頃となりますね。
「龍馬達は土佐藩中屋敷に落ち着きました。しかし部屋は狭くて寝る場所も満足になく、足を押し入れに突っ込んで寝る有様です。広之丞は、浅草や日本橋の見物に行こうと誘いますが、龍馬は剣術修行に来たのだから、まずは道場にあいさつに行くと言って出掛けます。」
龍馬が江戸のどこに落ち着いたのかも、実は正確には伝わっていません。汗血千里の駒、維新土佐勤皇史などでは土佐藩上屋敷となっているそうですが、下士に過ぎない龍馬が上屋敷に入れるはずもありません。現在では、前後の様子、あるいは千葉道場の推定位置から考えて、土佐藩中屋敷ではないかと言われています。
「やって来たのは北辰一刀流、千葉定吉の道場でした。案内を請い、中にはいると何やら子供達の声が聞こえてきます。大道場に通された龍馬が見たのは、大勢の子供達が竹刀を振る光景でした。その子供達を教えていたのが千葉重太郎、定吉の息子です。」
龍馬が最初に江戸で通った道場にも、大千葉と呼ばれた千葉周作の玄武館という説と小千葉と呼ばれた定吉の道場とする説の二通りがあります。しかし、その後、定吉から免状を受けている事から、小千葉道場とする説が有力ですね。ただ、二度めの留学の際には、玄武館に通っていたという記録も残っているそうです。
「龍馬は重太郎に、道場で太鼓を叩いてはどうかと提案します。その方が楽しかろうと言う龍馬に、一緒に教えてやってくれと頼む重太郎。」
「本道場に案内された龍馬。そこでは大道場とは違って、猛者達が猛烈な稽古に励んでいました。思わず気圧された様子の龍馬。定吉に紹介状を差し出し、入門の許しを請う龍馬に、定吉は娘の佐那と立ち会う様に申し渡します。」
「相手が女と知り、とまどう龍馬。しかし、立ち会うと一方的に打ち込まれ、為す術もなく一本を取られてしまいます。もう一本とやっきになる龍馬ですが、定吉はそれまでと認めません。」
「藩邸に戻った龍馬は広之丞から、佐那は鬼小町と呼ばれる有名な猛者であると知らされます。改めてその凄さを知り、稽古に励む龍馬。」
佐那は天保9年生まれと伝えられ、この年16歳でした。龍馬はこの10年後に乙女宛に手紙を書き、佐那の事を紹介しているのですが、馬に乗り、剣も長刀も強く十四歳で皆伝を受け、力は並の男に勝り、十三弦琴が弾けて絵も描ける、そして心映えは素晴らしく、それでいて物静かな人だと激賞しています。そして面白い事に、加尾と比べて佐那の方が少し美人だとも言っていますね。まさに鬼小町の名が相応しい女性だった様です。
「藩士達に声を掛け、今日から自分の道場で学べと誘い、剣術だけでなく学問も教えてやると誘う武市半平太。彼の教え方は判りやすいと、盛況となりつつあるようです。」
「道で鳥かごを売る岩崎弥太郎。しかし、容易な事では買い手が見つかりません。そこに半平太がやって来ました。弥太郎に自分の道場で学問を教えやるという半平太に、教えて貰う程の事はないとそっけない弥太郎。では、剣術を学べと重ねて誘う半平太に、今の内に道場を大きくしておかないと、江戸帰りの龍馬が道場を開けば負けてしまう、半平太にも嫉妬心があったのか、と毒づく弥太郎。核心を突かれ、苦しそうな半平太。」
半平太が弟子を取り立てたのは、この年の三年前、小野派一刀流の初伝を受けてからの事とされます。その2年後には中伝を受けたとされていてますが、特に道場を大きくしたとは伝わりません。このあたりは創作と思われますが、龍馬に対する半平太の嫉妬心は、今後のドラマの展開に影響を与えそうですね。
「土佐、龍馬の手紙を家族で読む坂本家。元気に修行に励む様子にみんな嬉しそうですが、唯一人乙女だけは納得が行かない様子です。」
「江戸、千葉道場。重太郎から佐那は幼い頃から父に仕込まれ、今では道場で誰も勝てる者は居ないと教えられる龍馬。重太郎は豆を床に撒き、下を見ずに、かつ豆を踏まないようにすり足で動けと稽古を付けてやります。」
「稽古を終えた龍馬が井戸で身体を洗っていると、佐那が身体を拭くのは道場の裏でしなさいと注意します。龍馬は、佐那はいつもそうか、笑ったり酒に酔ったりする事はないのかと問いかけます。そして、自分の姉も仁王様と呼ばれる程の豪傑だが、いつも楽しそうに笑っていると言いますが、佐那は楽しそうな家族ですねと言い捨て、立ち去ります。」
「土佐藩中屋敷。乙女の手紙を読む龍馬。故郷からの便りに嬉しそうな龍馬ですが、乙女は剣術の修行だけで、広い世間を見るという目標はどうなったと責めてきます。自分は剣術の修行だけで精一杯だとうなる龍馬に、自分が世間を見せてやると誘い出す広之丞。」
「やって来たのは、怪しげな店でした。広之丞は、料理を運んでくる女に金を渡せば、二階で添い寝をしてくれるのだと龍馬に教えます。いわゆる飯盛女でしょうか。しかし、龍馬は父の教えがあると言って、飯を食ったら帰るという事を聞きません。そんな龍馬を置いて、女と二階に上がっていく広之丞。」
「一人残された龍馬に、向こうから声を掛けてくる武士が居ました。女より父の教えを取るとは見上げた者だと褒める男は、なぜか顔に髭か書かれています。自分は千葉道場で修行しているという龍馬に、斉藤道場に居る長州藩士桂小五郎と名乗ります。江戸に来て日本の大きさを知ったという龍馬に、日本より世界の方がずっと大きい、その世界に日本が狙われていると叱りつけ、二階で女と添い寝している暇は無いと演説を打ちます。その二階では広之丞が女と拳を討っていました。負けると顔に墨で落書きをされるのですね。すると、桂は?」
桂は斉藤弥九郎の練兵館で修行をしたと伝わります。彼が江戸に来たのは嘉永5年の事で、龍馬に先立つ事1年ですね。
「江戸城中。老中達が、迫り来るペリー艦隊に対する対策を話し合っています。国の大事を世間に知らせたくなという意見が多い中で、一人阿部老中だけが日本に万に一つの勝ち目もない、アメリカに立ち向かうには広く諸侯にも意見を求めなければならないと主張します。」
「土佐、半平太の道場。真剣で剣舞を舞う半平太と門弟達。半平太には師範としての風格が備わってきた様です。」
「弥太郎の家。父が肩を抜けたと言って働かず、いよいよ食い扶持に困った弥太郎は、塾を開くと宣言します。」
「弥太郎の塾。百姓の倅らしい子供達が数人集まっています。彼等の前で素読を教える弥太郎ですが、満足に字が読める子供は居ません。かんしゃくを起こす弥太郎の前に、佐那が現れました。彼女は縁談を断り、花も一弦琴の稽古も止めた、どうか学問を教えて欲しいと頼みます。思わず、夜明けだと叫ぶ弥太郎。」
弥太郎が道場を開いたという記録は無いはずで、これも創作でしょうね。でも、加尾が習いに来るという設定は荒唐無稽ながら面白く、夜明けだと叫ぶ弥太郎の描写は秀逸でした。
「大道場の近くを通りかかった佐那。太鼓の音と共に楽しげな掛け声が聞こえてきます。佐那が道場を覗くと龍馬が稽古を付けているところでした。佐那に気が付き、子供達が騒ぎます。龍馬は佐那に稽古を付けてやってくれと頼みます。佐那は龍馬と並んで竹刀を振り、子供達に稽古を付けてやります。子供達の楽しそうな様子に、思わず笑顔になる佐那。」
「嘉永6年6月。父の下に稽古着を持ってきた佐那。その佐那に、父は自分が仇だとして斬れるかと問いかけます。とまどう佐那に、では龍馬が相手なら斬れるかと重ねて問いかけます。佐那は自分は誰よりも強い、相手が誰でも斬れると応えますが、父は佐那は龍馬には勝てない、女に戻る時が来たのだと告げます。」
「納得の行かない佐那は、道場に居た龍馬に立ち会いを求め、気が乗らないという龍馬に強引に討って掛かります。竹刀を捨て、素手になった龍馬は、打ち込んできた佐那の腕を捉え、足払いを掛けて倒してしまいます。悔し涙を流し、何故自分は女に生まれてきたのかと言う佐那に、あなたは十分魅力的だ、それは剣術の稽古の賜物ではないかと言い聞かせます。そんな二人を陰から見守る重太郎。」
生き生きとした弥太郎の描写に比べて、龍馬の描写はどうも唐突ですね。修行してわずか三ヶ月で佐那を越えたと言うのでしょうか。これって、ちょっと無理がありすぎませんか。
龍馬は北辰一刀流の免許皆伝と言われていますが、実は直接の証拠はなく、残っているのは長刀の免状があるだけです。それを受けたのは二度目の江戸留学の時であり、正真正銘の免許皆伝者である佐那に、この時期の龍馬が勝てたはずはないと思うのですが。この性急な展開は、次を見据えての事なのでしょうか。
「そこに、浦賀に異国船が現れたと知らせが入ります。思わず駆け出す龍馬。浦賀では黒船が現れたと大騒ぎになり、逃げ出した住民達が右往左往していました。」
次回は黒船の来港が描かれるのですね。予告編によると、アヒルを追いかける家定公も出てくる様子です。篤姫で描かれた家定との対比にも注目ですね。
| 固定リンク
「龍馬伝」カテゴリの記事
- 龍馬伝48 ~龍の魂~(2010.11.28)
- 龍馬伝47 ~大政奉還~(2010.11.21)
- 龍馬伝46 ~土佐の大勝負~(2010.11.14)
- 龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か5(2010.11.27)
- 龍馬伝45 ~龍馬の休日~(2010.11.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント