龍馬伝 ~寺田屋事件 龍馬逃走経路その2~
二人が小屋に隠れていた頃、一足先におりょうが薩摩藩邸に駆け込んでいました。おりょうの懐古談に依れば、寺田屋では捕り方と闘う龍馬達の側に居て、二人が欄干を飛び越えて脱出したのを見届けてから、自らも寺田屋を抜け出したとあります。ただ、これもいくつかある懐古談によって描写が異なるため、実際がどうであったかは判りません。
まず「反魂香」では、一度は捕り方に捕まった様なのですが、隙を見て裏の木戸から横町へ飛び出して薩摩屋敷に駆け込んだとあります。
これが「続反魂香」になると、少し描写が具体的になります。
龍馬が逃げた後、捕り方があの女を捕まえろといきり立つのを見て、おりょうはかくし階段から階下へと逃れます。その時、垣根の側に大男が居ておりょうは捕まりそうになるのですが、反対に武者ぶり着いて耳に噛みついたところ相手が怯み、その隙に逃げ出して薩摩屋敷に駆け込んだとあります。
そして、「千里の駒後日譚」になると、さらに足取りが詳しくなります。
まず、おりょうは龍馬達の後を追って欄干を飛び越し、庭へと飛び降ります。ここで龍馬達とはぐれてしまったのですが、誰にも捕まることなく庭の下駄を持って屋外へと逃れたとあります。ところが、おりょうは薩摩藩邸の場所を知らなかったのですね、まるで方角違いの東に走り豊後橋(観月橋)にたどり着きます。ここからすぐに引き返して、今度は西の外れの竹田街道に出てしまいました。さらに引き返した街中で捕り方に出くわすのですが上手く言い逃れ、次に出会った通行人から薩摩屋敷の場所を聞き出してやっと駆け込んだとあります。
どれもが本人が語った事とされており、何が真実だったのかは藪の中状態ですね。何度か語っている内に記憶が蘇ってくるのか、それとも本人も意識しない内に脚色してしまうのか、どちらなのでしょう。
何にせよ、おりょうが薩摩屋敷に駆け込んだのは事実で、その時留守居役を務めていたのが大山彦八でした。大山はすぐに藩邸内の人数、と言っても10人ほどですが、に命じて武装させます。その一方で中間に命じて伏見市内の様子を探らせ、さらに京都藩邸へと伝令を飛ばしました。そして世が明け初める頃、三吉が門内に駆け込んで来たのです。
ここに来る前、三吉は材木小屋の棚の上で、市内に満ちている高張り提灯の明かりを見ました。一緒にいる龍馬は体力を失っていて身動きが取れず、どう見ても絶望的な状況です。三吉はもはやここまでと観念し、武士らしく共に切腹して果てようと龍馬に言います。しかし、龍馬の答えは違いました。
「死は覚悟の上だが、とにかく薩摩屋敷に向かって駆けてみろ。天が自分を生かすつもりなら君は薩摩屋敷にたどり着ける。さもなければ天命に従い、自分もここで果てるまでだ。」
そう言って三吉を送り出したのです。三吉はまず血みどろの着物を堀端で洗い、次いで古草鞋を拾って足に着け、旅人の様子を繕います。そうして走り出したのは良いのですが、三吉は薩摩屋敷の場所を知らなかったのですね。危ない橋とは知りながらも途中で人に道を聞き、町が寝覚め始める中を走りに走って薩摩屋敷に駆け込んだのでした。
待ちかまえていた大山は、三吉から堀端の材木小屋に龍馬が居ると聞くと、薩摩の旗を立てた船を用意させて自ら迎えに行きます。この時大山に同行したのはわずかに二人と言いますから、たった三人ではかなり心細い思いをした事でしょうね。しかし、無事に龍馬を見つけ出し、藩邸内に収容する事が出来たのでした。
この日、生死を共にした3人の結びつきは強くなり、龍馬は頻繁に三吉に手紙を書く様になります。そして、自分に万一の事があれば、土佐から迎えが来るまでおりょうを預かって欲しいと頼んでいました。不幸にも龍馬の予感は現実のものとなってしまいましたが、三吉は龍馬の遺言に従い、下関に居たおりょうとその妹の喜美を自宅に引き取っています。そして、後日おりょうを伴って京都へ行き、龍馬の墓参りを済ませた後、土佐の坂本家まで送り届けたのでした。三吉にとってもおりょうは、他人とは思えない存在だった様ですね。
龍馬を乗せた船が通った濠川の流路は、当時も今もほとんど変わっていません。この川は元は伏見城の西の濠として掘られたものですが、淀川と繋がっていた事もあり、舟運の水路としても使われていました。現在は琵琶湖疎水の流末となっており、滔々とした流れになっていますね。しかし、当時はこれといった水源は無く、おそらくは湧き出た地下水が濠を満たしていたのではないかと思われます。ですから、流れはもっと緩やかだった事でしょうね。
濠川は改修が重ねられ、さらに周囲の開発が進んで景観は大きく変わっていますが、堀端としての風情は残しており、龍馬が救出されて来る様を思い浮かべる事は出来ると思います。
参考文献
「坂本龍馬の妻お龍」鈴木かほる・「龍馬の手紙」宮地佐一郎・「龍馬 最後の真実」菊池明・「龍馬が行く」司馬遼太郎
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コメント
龍馬のふるさと、高知からおじゃまします。
いやあ、よく調べられていますね。参考になりました。想像力をかきたてられるような文章。勉強になります。
投稿: kazu | 2009.12.17 17:23
kazuさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
龍馬は昔からのファンでして、やはりその事績は気になります。
特にこの伏見界隈はわりあい近所になりますから、
余計に知っておきたくなるのです。
実際に何度でも現地を歩けるというのも強みですね。
ところで、kazuさんの「いちの土佐」も拝見しました。
「とさあち」というのは、高知の情報発信サイトなのでしょうか。
私は高知は大好きな土地でして、昨年の夏にも4度目の旅行に行きました。
海に山に歴史にと、見所が満載ですよね。
龍馬の実家跡や水通町にも行きましたよ。
1月に龍馬伝が始まると、高知もまた賑わう事でしょうね。
これから「いちの土佐」の記事も拝見させて頂きます。
高知の情報を楽しみにしていますね。
投稿: なおくん | 2009.12.17 21:14
なおくんさん、ご丁寧なメッセージ、どうもありがとうございました。
私も住んでいるところが、龍馬の生誕地に歩いて5分くらいのところです。龍馬伝が始まるので、調べ直して、いろいろな史跡に取り囲まれていることに改めて気付かされました。
龍馬伝は後半は京都が主な舞台になると思われるので、いろいろ近辺の情報を出していただければうれしいです。京都にもぜひ足を運びたいと考えています。
またぜひ高知へ遊びにいらしてください。時間が合えば、水道町の火曜市はじめ、いろいろご案内させていただきます。
「とさあち」は、高知新聞社の情報サイトで、「市の土佐」は街路市情報を発信しています。
またちょくちょく、こちらに寄らせていただきます。これからもよろしくお願いします。
PS:私も下手の横好きですが、将棋大好きです。
投稿: kazu | 2009.12.18 16:33
kazuさん、
なんと、龍馬の生誕地の近くにお住まいでしたか。
それは良いところに居られますね。
水通町は、去年はあまり時間が無くて良く見る事が出来なかったのですが、
今度はじっくりと歩いて回りたいと思っています。
右のカテゴリー「高知」に去年の旅行記がありますので、
よろしければご覧になって下さい。
龍馬伝は、ドラマの展開に合わせて記事をアップして行く予定です。
これまではその前振りとして縁の地を紹介して来ましたが、
本番はどういう記事を書こうかと考慮しているところです。
高知新聞の情報サイトとは、「とさあち」の記事は参考になりそうですね。
ますます楽しみになってきました。
将棋は、今は実戦は全く駄目ですが、プロの将棋を見るのは大好きです。
これもまた、記事にして行こうとおもっていますので、
その時はお付き合い下さい。
投稿: なおくん | 2009.12.18 21:29