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2009.10.19

龍馬伝 ~寺田屋事件 龍馬逃走経路~

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路上に出た龍馬と三吉は共に駆け出します。しかし、500mも走ったところで龍馬の息が上がってしまいました。ずっと風邪気味で体調が悪かった上に、薩長同盟の立ち会いという大役を務め、さらには徹夜で祝杯を上げるという無理を重ねて来たのですから、当然と言えば当然でしょう。しかもこの時龍馬は袴を履いておらず、着物が足に絡まって走りにくく、気持ちばかりが焦ります。

やがてたどり着いたのが濠川でした。龍馬は土佐の新堀に良く似た所と表現していますが、高知にもこんな景観の水路があるのですね。そこには水門があり、その向こうに材木小屋が建っていました。二人は水門を潜って小屋の裏から上り、材木を重ねた棚の上に隠れたと言います。

その材木小屋があったとされる場所が、上の写真の左手に見える真新しいマンションが建っているあたりだとされています。ここにはつい最近までスレート葺きの倉庫があり、かつての材木小屋の後身だと言われていました。住所で言えば伏見区村上町、銘酒富翁で知られる北川本家の南隣にあたります。

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しかし、候補地はもう一つあり、それがこの写真の右手にある巨大な建物(月桂冠の昭和蔵)の北側とされています。かつてはこちらの説の方が優勢だったんじゃないかな。

実はこの材木小屋については古写真が残っており、すぐ近くに橋がある事、小屋の前に舟入らしい窪地がある事がヒントとなります。ところが明治41年頃の地図を見ると、村上町の近くにある大手橋はまだ出来ていない様なのですね。そして舟入は今の大手橋のあたりと昭和蔵の北側の2箇所にあります。その昭和蔵の北側の橋は記されており、古写真の条件に合うのはむしろこちら側ではないかと思うのですが、どんなものでしょう。

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まあ、そもそも古写真の材木小屋というのはかなり立派なもので、そう簡単に潜り込めたものだろうかという疑いを感じます。それに、昭和蔵のある所は紀州徳川家の藩邸、北川本家の南隣は安芸浅野家の藩邸があった場所であり、どちらにも江戸時代の絵図には舟入は見あたりません。たぶん舟入は藩邸が取り壊され、かつ琵琶湖疎水が開通した後に作られたものではないでしょうか。すると舟入に面して建つ材木小屋自体も、明治期のものではないかという疑問が湧いてきます。

さらには、写真が撮られた時期も不明(明治らしいとは言われています)ですし、写真の位置がどこかという議論にどれだけの価値があるのか判らなくなって来ます。もしかしたら、全く違う簡易な材木小屋があったのかも知れません。

それよりも、水門の方が気になりますね。今は痕跡も無い様ですが、どこにあった何のための水門なのでしょう?それを探った方が、より確実に場所が判る様な気がします。何か手掛かりは無いものでしょうか。

こうした推理の真似事が出来るのも、地形や資料が比較的残っている幕末史の面白さです。しかし、判った様な事を言っても所詮は素人の戯言、専門家から見れば隙だらけの意見なのでしょうけどね。

こんなに長くなるとは思ってなかったのですが、さらに続きます。

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