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2009.10.03

龍馬伝 ~龍馬とおりょうの出会いの場所 大仏騒動跡~

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あまり知る人は居ませんが、三十三間堂の南側には巨大な門があります。これは豊臣秀吉が建てた方広寺の南大門で、かつての威容を今に伝える貴重な遺構となっています。この寺には奈良の東大寺をしのぐ大仏があり、その事から付近一帯の地名も大仏と呼ばれていました。

この南大門の南側に、龍馬とおりょうが出会ったという隠れ家がありました。この隠れ家については、おりょうの懐古談をまとめた「反魂香」に詳しく、また龍馬の手紙にも「(おりょう母子が土佐の志士達を)大仏あたりにやしないかくし」という表現で出てきます。

父親を病気で亡くしたおりょうの一家は、柳馬場通三条南の家を出て、一時木屋町の借家に身を寄せていました。この時おりょうの一家は母の貞をはじめ二人の弟と二人の妹を抱えており、暮らし向きは急迫していた様です。そこに付け込む人が居て、二人の妹が相次いで騙されて連れ出されるという事件が起こり、その都度おりょうが連れ戻すという事がありました。

その頃(文久3年後半から元治元年前半)、天誅組に参加した土佐の残党が、河原屋五平衛という人の隠居処を借りて「水口加藤の家人住所」という表札を表に出し、隠れ家としていました。ここには龍馬を始めとして、中岡慎太郎、北添佶磨、望月亀弥太、池蔵太などが出入りしていた様です。その隠れ家の世話人として頼まれたのが、おりょうの母である貞でした。彼女の夫である楢崎将作は勤皇の志士と繋がりがあり、龍馬が同士と呼んだ人物です。その妻であれば、隠れ家の世話人として申し分ないと思われたのでしょうね。

貞は息子を寺に預けたり、娘を奉公に出したりと始末を付けた上で、末の娘を連れて大仏の家に入ります。おりょうもまた、七条新町にあった扇岩という旅館で住み込みで働く様になりました。この大仏の隠れ家で、龍馬はおりょうと何度か会った様ですね。そして、貞から身の上話を聞く内に情が移り、おりょうを妻に貰い受けたいと切り出した様です。貞もまた龍馬が人物である事を認め、おりょうを嫁がせる事を承知しました。おりょうに異存があるはずも無く、話はすぐにまとまった様です。

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こうして、龍馬とおりょうは夫婦約束が出来たのですが、まだ祝言を挙げぬ元治元年6月2日に、龍馬は勝海舟に会う為に江戸へと旅立ちます。この時、望月亀弥太と大里(近藤?)長次郎が龍馬を見送ったのですが、望月とはこれが今生の別れとなってしまいました。

龍馬が旅立った3日後の朝、大仏の隠れ家は新選組に急襲されます。この時、隠れ家には北添佶磨が居た様ですが、この場は上手く逃れた様です。新選組は隠れ家を隈無く捜索し、家財道具を洗いざらい押収して行きました。その中に槍4本、具足櫃などが含まれており、北添らの犯意の証拠とされた様ですね。そして貞もまた一緒に連行されたのですが、すぐに何も知らない者として釈放されています。

新選組は、大仏の手入れと同時に四条河原町の桝屋を襲い、古高俊太郎を捕らえています。直後の池田屋事件に繋がった事でこちらの方がずっと有名ですが、これらの動きは単なる新選組の捜索活動ではなく、公武合体派に依る京都の一斉捜索の前段として行われていました。龍馬の出立があと数日遅かったら、龍馬もまたこの騒動に巻き込まれていた可能性もあったのですね。

龍馬は危うく虎口を逃れる事が出来ましたが、望月は池田屋で難に遭いました。一度は逃れたものの、力尽きて角倉家の門前で自害して果てた事は以前に書いた通りです。

北添佶磨については、資料によって説が分かれています。大仏の隠れ家の手入れを受けた直後なのに、同志の会合に出掛けるのは不自然だという説(「近藤勇のすべて」新人物往来社、「新選組の二千二百四十五日」伊東成郎など)と、通説となっている池田屋で討ち死にしたという説ですね。

このうち、「新選組の二千二百四十五日」には、(池田屋の近くではない)路上で討ち死にしている北添の死体を、おりょうが目撃したと彼女の後日談にあると書かれているのですが、調べた限りではおりょうが見たのは望月の死体です(「千里の駒後日譚」)。それどころか、おりょうは北添は池田屋で襲われてその場で討ち死にしたと繰り返し言っており、このあたりはどうも良く判らないですね。どこかに、私の知らない資料があるのでしょうか。

この隠れ家のあった場所は、現在の地名で言えば東山区本瓦町となります。地図の上では大仏という名は見あたらないのですが、写真の中程にある変電所は大仏変電所と言い、かつてこの辺りが大仏と呼ばれていた名残を示しています。

隠れ家があった正確な位置は判らないのですが、ここで龍馬とおりょうの出会いがあったと思えば、何の変哲もない町並みも違って見えるというものですね。


参考資料

坂本龍馬の妻お龍(鈴木かほる)、龍馬の手紙(宮地佐一郎)、坂本龍馬(松浦玲)、閃光の新選組(伊東成郎)、近藤勇のすべて(新人物往来社編)

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