龍馬伝 ~龍馬とおりょうが祝言を挙げた場所 金蔵寺跡~
龍馬の妻と言えばおりょうですが、なしくずしに内縁関係になった様に言われ、内縁の妻、あるいは愛人と呼ばれる事が多いようです。しかし、おりょう自身の懐古談に依れば、二人はちゃんとした祝言を挙げた正式な夫婦でした。
おりょうの懐古談をまとめた「反魂香」という資料があり、そこには元治元年8月1日に、京都の金蔵寺において内祝言を挙げ、新枕をして幾千代までもと契りを交わしたと記されています。この日付については、他の資料から龍馬は神戸に居たと推定される事からかなり怪しいのですが、祝言自体は本人の言ですから、事実としてあったと見て良いのでしょう。
金蔵寺とは青蓮院の塔頭の一つで、明治以前は三条白川の近くに建っていました。この寺の御本尊が米地蔵で、今は尊勝院に安置されています。また境内には庚申堂もあり、そこにあった三猿の像もまた尊勝院で見る事が出来ます。
おりょうの父親である楢崎将作は青蓮院宮(中川宮朝彦親王)御内の侍医を務めており、恐らくはその縁で金蔵寺の住職知足院とは旧知の仲であったのでしょう。おりょうの一家が離散した時、弟の太一郎がこの寺に預けられており、親類というものが無かったというおりょうの一家にとっては、頼れる存在であった事が伺われます。
平成21年9月6日に、その金蔵寺の跡地と推定される東山ユースホステルの前に、「坂本龍馬 お龍 結婚式場跡」という石碑が建てられました。今までほとんど知られていなかった場所ですから、道行く人達は立ち止まって見入っていく事が多いです。これから龍馬伝が始まると、新しい名所として知られて行く事になるのでしょうね。
ただ古図を見ると、厳密には金蔵寺があったのは三条通に面したこの場所ではなく、ユースホステルの裏手だった様です。そんなところに石碑を建てても誰も見に来ないという事で目立つ場所にしたのでしょうけど、後日の混乱の種になるのではないでしょうか。せめて、説明文に書いておけば良いと思うのですが何も書いていませんね。
たった一言、「この裏手にあたる」と加えるだけで、後日に偽造だとか文句を付けられないで済むと思うのですが、どんなものでしょうか。石碑を建ててくれるのは嬉しいのですが、わずかに配慮が欠けている様な気がします。
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