京都・祇園祭2009 山鉾巡行~月鉾~
今年鉾の3番目になったのは月鉾でした。月鉾、菊水、鶏の各鉾は、位置関係から見てどこが先になってもおかしくないため、くじ引きで順番を決めているのですね。
月鉾は夜を支配する神、月読尊(ツキヨミノミコト。ツキヨムノミコトとも。)を祀る事からこの名があります。
古事記に拠れば、黄泉の国から逃げ帰った伊弉諾(イザナギ)尊が御祓をした際に、右目から月読尊、左目から天照大御神、鼻から素戔嗚(スサノオ)尊が生まれたとされます。この三柱の神を三貴子(みはしらのうずのみこ)と言い、それぞれ月(夜)、太陽(昼)、海を支配する重要な神様とされています。
月鉾を象徴するのは鉾頭の三日月ですね。函谷鉾にも三日月が付いているのでややこしいのですが、三角の上に月が函谷鉾、真木から直接三日月が月鉾です。過去何度か新調されていますが、現在のものは昭和56年に制作された、幅40㎝、上下24㎝の18金製のものなのだそうです。
月鉾は山鉾の中で最も重量があり、去年行われた計測では9.05トンあったそうです。高さの方は、真木の長さだけで26mあるそうなのですが、見た目では一番高い様な気もします。実際にはどうなのでしょうね。
月鉾はまた、動く美術館と言われる祇園祭の山鉾中でも、最たるものとされています。欄縁や柱を飾る素晴らしい細工はもちろんの事、中でも大屋根の裏側を飾る板には、円山応挙作と伝わる草木図が使われていると言いますから驚きですよね。それだけでも重要文化財級なのではないかしらん?また、天井には金箔地に描かれた源氏五十四帳の扇面散図が描かれており、豪華な事この上無いですね。
などと、見てきた様な事を書いていますが、実はまだ一度も鉾の上には上った事が無く、全てはネット上での情報です。来年は是非とも実地に見てみたいものだと思っています。
そして、美術品はまだ続いていて、軒下にある白い彫り物が判るでしょうか。実はこれは月の使者である兎の木彫りなのですね。作者は左甚五郎と伝えられ、前後に一体ずつが飾られています。
さらには、月と表裏をなす太陽の象徴として八咫烏が軒の先端に取り付けられています。一番上の写真で、黒く写っているのが判るかな。ちなみに、手伝方の半纏の背中に描かれている模様が、その八咫烏になっていますね。
この鉾の音頭取りの仕草は、他の鉾よりも手数が多いですね。それにしても、最大級の鉾が動く様は、やはり迫力を感じます。
辻回しを終えた月鉾では、再出発を前にお囃子が無事に変わっていました。囃子方の人もさぞかしほっとしていた事でしょう。
せっかく動いた鉾が止まったと思ったら、鉾の方向が微妙に違っていた様ですね。懸命に道具を操る車方の動きが見事です。
こんな具合に、進行方向を微調整しているとは知りませんでした。それにしてもわずかとは言え、9トンもある鉾の方向を変えるのですから、かなりの熟練が必要なのでしょうね。下手な事をすると道具が折れるばかりか、大切な車輪も傷めてしまいそうですから。巡行中の車方は、結構大変な仕事をされているのですね。
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コメント
余談です。南観音山で鉦もつかず笛も吹かずただただひたすら回りに手を振っている愛想のいい人がいたのですがお気づきになりましたか?右側の最後列にいた人なのですが。きっと有名人だと思ったのですが・・・・。全くの余談ですいません。
投稿: tommy | 2009.07.28 23:50
tommyさん、
それって、新町でのことですか。
残念ながら南観音山までは見てないので、どんな人かは判りません。
また、河原町での画像では確認出来ないですね。
推測ですが、囃子方には交代要員が居ると聞きますので、
新町で手の空いた人が知り合いに愛想を振りまいていたのではないでしょうか。
他の山鉾でも何人かそういう人は居ましたよ。
もし気になられるのなら、
南観音山のサイトでお聞きになられてはどうでしょう?
http://minakan.blog.shinobi.jp/
投稿: なおくん | 2009.07.29 20:23