夏の旅2008~土佐紀行・はりまや橋~
高知において、桂浜と並んで有名な名所と言えば播磨屋橋でしょう。播磨屋とは江戸時代の高知に存在した豪商の事で、今は橋の名前のみが残ります。はりまや橋と表記される事も多く、現地の欄干には全てひらがなで「はりまやばし」と書かれています。
かつてこの地にあった播磨屋と柩屋は、互いの本店が堀で隔たれていました。その不便を解消すべく私費で懸けられた橋が播磨屋橋で、当時は簡素な木橋でした。その後何度か架け替えがあり、昭和3年の街路整備によって高知有数の目抜き通りに変貌しました。良く知られた朱色の欄干は戦後のもので、南国博覧会に合わせて設置されたと言われます。
この橋が有名になったのは、よさこい節の一節に歌われた事に始まります。そのよさこい節を歌詞にした歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットし、さらに制作された同名の映画の中で赤い欄干がスクリーンに写し出された事により、全国に知られる様になりました。
「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」
ここに出てくる坊さんとは幕末に生きた実在の人物であり、竹林寺の僧・純信という人です。
当時は僧侶の色恋沙汰は御法度であったのですが、純信は寺に出入りしていたいかけ屋の娘・お馬と道ならぬ恋に陥ってしまいます。純信はひと目を偲んで髪飾りを買うまでになったのですが、やがて周囲に二人の仲を気付かれてしまいました。追い詰められた純信は、お馬とで手に手を取って逃げたのですが、香川の琴平まで行った所で捕まり、関所破りの罪で純信は国外に追放、お馬もまた安芸川から東へと追放されてしまったのでした。このとき、純信37歳、お馬は17歳だったと伝わります。
写真は龍馬歴史館に展示されている蝋人形で、はりまや橋で密会している場面なのでしょうか。はりまや橋の名は知られていても、二人の悲恋については知らない人がほとんどでは無いかという気がします。
はりまや橋は、高知市で最も賑わう繁華街の一角に存在します。以前は道路の脇に赤い欄干があるだけで、その下には川ならぬ歩行者用の地下通路が通っていました。このため、日本三大がっかり名所の一つとまでに揶揄されていたのですが、平成5年に改修されて面目を一新し、復元された堀の上に橋の架かる現在の姿になっています。
本来の播磨屋橋はこちらの方で、4車線の立派な道路橋ですね。観光用の赤い欄干を持つ太鼓橋は、映画のシーンを元に江戸時代の橋をイメージして作られたものであり、元の播磨屋橋とはまるで異なります。言わば映画が作った名所ではありますが、古き高知を彷彿とさせてくれる貴重な場所でもあると言えそうです。
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