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2008年9月

2008.09.06

夏の旅2008~土佐紀行・龍馬伝への期待~

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土佐紀行の最後はやはり龍馬で締めましょうか。ここは龍馬の生涯を蝋人形を使って展示している龍馬歴史館です。まず出迎えてくれるのが龍馬の銅像。手を懐に入れた有名な写真の絵柄ですね。桂浜の銅像も、基本的に同じ写真を元にしています。

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龍馬歴史館では、前半は龍馬の事績が紹介されているのですが、後半は世界の偉人の蝋人形が並べられています。ですから、途中から歴史館はどこへ行ったんだと言いたくなるのですが、立体的な歴史上の人物に出会えるのはここだけですから、それなりに価値はあるのかな。中には郷士の辿った歴史に関するかなりマニアックなコーナーもあり、龍馬前史を知るには良いかもしれません。

では、コアな龍馬ファンにまでお薦め出来るかというと、かなり微妙です。展示の内容が陳腐ですし、新しい発見といえるものは、前述の郷士の歴史を除けば無いと言っても良いでしょう。時間があればどうぞという程度かな。

ただ、蝋人形の出来としてはかなりのものがありますので、純粋に観光目的なら面白いでしょうね。私的には、藤山寛美さんが良かったな。

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さて、2年後の大河ドラマは「龍馬伝」と決まりました。以前に放映された「龍馬が行く」とは違い、岩崎弥太郎の目線で見た龍馬を描くとの事ですから、またひと味違った人物像が見られる事と期待しています。その舞台は当然土佐から始まるでしょうし、家族の姿も描かれる事でしょう。もしかしたら、今回辿った土佐路が現れるかもと思うとたのしみですね。

それに、岩崎弥太郎が中心に来るとすれば、やはり海援隊が軸になるのでしょう。そうなれば長崎が脚光を浴びる事になるのでしょうね。閉鎖されている亀山社中を再開しようという動きがあると聞きますし、長崎の人達もさぞ色めき立っている事でしょう。

後は龍馬が活躍した京都かな。寺田屋はちょっと微妙な事になっていますが、関連する史跡はまだまだ沢山ありますので、また大いに賑わう事でしょう。

龍馬伝によって土佐と京都に繋がりが出来る事を期待しつつ、楽しかった今夏の土佐紀行を終えたいと思います。

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2008.09.05

夏の旅2008~土佐紀行・長尾鶏~

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高知の名物の一つに長尾鶏があります。尾羽が特に長く伸びる事で知られ、特別天然記念物に指定されています。

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長尾鶏は「ちょうびけい」と読むのが正式の様なのですが、一般には「ながおどり」または「おながどり」と呼ばれています。この長尾鶏センターではローマ字表記でONAGADORIと記されており、パンフレットにはカタカナでオナガドリと書かれていました。ですので、ここではオナガドリで通す事と致します。

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オナガドリは見ての通り鶏の仲間で、起源は江戸時代初期に遡り、突然変異によって生まれたと言われます。最初は2mがせいぜいだったのですが、営々と続けられた品種改良の努力によって10mを越える様になり、これまでの最長記録は13m50㎝とされています。

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オナガドリの飼育は思っていた以上に大変で、産卵は年に一度のみであり、しかも孵化率が低くいために、一羽も得られない年もあるそうです。孵った雛の中で尾が長くなるのは雄に限られ、しかもその素質を持ったものは何羽かに一羽しか居ないのだそうです。

さらに条件があり、オナガドリはその長い尾を傷つけない様に、また汚さない様にするため、冒頭の写真の様な木箱(止箱)の中で飼育されています。この箱の中の生活に耐えられる様なおとなしい性格の鶏でなくてはならず、オナガドリとして成長できるのはほんとうにごく僅かの鶏しか居ない様ですね。

写真は母親代わりのチャボとオナガドリの雛たち。オナガドリの雌は、抱卵もしなければ雛たちの世話も出来ないらしく、代理の母としてチャボの雌が使われるのだそうです。

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オナガドリの原種は褐色系であり、白い鶏は白色レグホンと掛け合わせる事によって得られます。と書くと簡単そうですが、どうしても元の褐色が出てしまうので、純白にするには何度も交配を重ねていかなければなりません。この鶏はなんと85代も掛かってやっと得られたものだそうで、気の遠くなる様な作業を一生掛けてようやくたどり着けるかどうかという世界の様です。

ですから、オナガドリを飼育する人は年々少なくなり、今残っている人も高齢者ばかりなのだそうです。つまり、オナガドリはいずれ絶滅する運命にあるという事を意味し、目にする事が出来るのは剥製ばかりという日が来るのかも知れません。そんな事になってしまっては、寂しい限りですけどね。

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2008.09.04

夏の旅2008~土佐紀行・はりまや橋~

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高知において、桂浜と並んで有名な名所と言えば播磨屋橋でしょう。播磨屋とは江戸時代の高知に存在した豪商の事で、今は橋の名前のみが残ります。はりまや橋と表記される事も多く、現地の欄干には全てひらがなで「はりまやばし」と書かれています。

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かつてこの地にあった播磨屋と柩屋は、互いの本店が堀で隔たれていました。その不便を解消すべく私費で懸けられた橋が播磨屋橋で、当時は簡素な木橋でした。その後何度か架け替えがあり、昭和3年の街路整備によって高知有数の目抜き通りに変貌しました。良く知られた朱色の欄干は戦後のもので、南国博覧会に合わせて設置されたと言われます。

この橋が有名になったのは、よさこい節の一節に歌われた事に始まります。そのよさこい節を歌詞にした歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットし、さらに制作された同名の映画の中で赤い欄干がスクリーンに写し出された事により、全国に知られる様になりました。

「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」

ここに出てくる坊さんとは幕末に生きた実在の人物であり、竹林寺の僧・純信という人です。

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当時は僧侶の色恋沙汰は御法度であったのですが、純信は寺に出入りしていたいかけ屋の娘・お馬と道ならぬ恋に陥ってしまいます。純信はひと目を偲んで髪飾りを買うまでになったのですが、やがて周囲に二人の仲を気付かれてしまいました。追い詰められた純信は、お馬とで手に手を取って逃げたのですが、香川の琴平まで行った所で捕まり、関所破りの罪で純信は国外に追放、お馬もまた安芸川から東へと追放されてしまったのでした。このとき、純信37歳、お馬は17歳だったと伝わります。

写真は龍馬歴史館に展示されている蝋人形で、はりまや橋で密会している場面なのでしょうか。はりまや橋の名は知られていても、二人の悲恋については知らない人がほとんどでは無いかという気がします。

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はりまや橋は、高知市で最も賑わう繁華街の一角に存在します。以前は道路の脇に赤い欄干があるだけで、その下には川ならぬ歩行者用の地下通路が通っていました。このため、日本三大がっかり名所の一つとまでに揶揄されていたのですが、平成5年に改修されて面目を一新し、復元された堀の上に橋の架かる現在の姿になっています。

本来の播磨屋橋はこちらの方で、4車線の立派な道路橋ですね。観光用の赤い欄干を持つ太鼓橋は、映画のシーンを元に江戸時代の橋をイメージして作られたものであり、元の播磨屋橋とはまるで異なります。言わば映画が作った名所ではありますが、古き高知を彷彿とさせてくれる貴重な場所でもあると言えそうです。

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2008.09.03

夏の旅2008~土佐紀行・桂浜~

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高知の名所と言えば、まず最初に名前が上がるのが桂浜でしょう。白砂青松を絵に描いた様なこの景色は、高知と言うより日本を代表する景観と言えるのかも知れません。

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左手の岩が下龍頭岬。その上に建つ小さな祠は大海津見神をお祀りする海津見神社で、通称「竜王宮」と呼ばれます。海上の安全を護る神様で、かつては地元の漁師が海に出る時、その妻達が夫の安全と大漁を祈願するため、社前で酒を酌み交わしたと言われています。また、豊玉姫命と山幸彦命の一期一会の神話になぞらえて、恋愛成就の神様としても知られるそうですね。

後でも触れる若宮八幡宮の末社らしく、天気の良い日には神社から神主さんが出向き、社前で恋みくじや龍馬の刺繍が入ったお守りなどを売っているそうです。この日は出張は無かった様ですが、出来れば龍馬のお守りは欲しかったな。

この浜で素晴らしいのはどこまでも続く水平線と波の音。動画で撮ってきましたので、どうぞご覧下さい。

高知・桂浜」のビデオ
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どうです、波の音に癒されましたか。

ここは一見して遠浅の様に見えますが、実は波打ち際からいきなり深くなっており、海流の流れも速い事から遊泳禁止になっています。きれいな海なので入ってみたくなるのですけどね、波も荒いのであまり近づくと危険です。 

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桂浜に来ると食べたくなるのがアイスクリンです。

アイスクリンとは元来アイスクリームの古い呼び方なのですが、高知では独自の進化を遂げて氷菓子の一種として存在しています。アイスクリームが生クリームや牛乳を使うのに対し、アイスクリンは脱脂粉乳を使う事から乳脂肪分が少なく、代わりに卵を使う事で旨味を補っている様です。

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アイスクリンは高知全域で売られており、別に桂浜の名物という訳ではないのですが、最初に食べたのがこの桂浜でして、以来ここに来る度に食べるのが慣わしとなっています。と言っても食べるのは3度目なのですけどね。

今回食べたのは土居冷菓のアイスクリンでした。これまでに食べたアイスクリンと違ってとても滑らかで、なかなかに美味でしたよ。どちらかというとアイスクリームに近く、もしかすると出来てから間もないアイスクリンだったのかも知れません。

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前回食べたのは岩松冷菓のアイスクリンでした。まあ、店の名前ではなく、こじゃんとうまいという看板の方を覚えていたのですけどね。こちらのアイスクリンはシャリシャリとした食感で、アイスクリームというよりシャーベットに近い様に感じました。この方がアイスクリン本来の味わいの様ですね。また機会があれば、もっと他のアイスクリンも食べてみたいところです。

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桂浜からは離れますが、近くの若宮八幡宮に長宗我部元親の銅像がありました。元親は戦国期の土佐に生まれ、一領具足と呼ばれた剽悍な兵を率いて、ほぼ四国全土を統一したという希代の英雄です。私はこの元親のファンでもあり、今回の旅行のテーマの一つにしようと思っていたのですが、残念ながら時間の関係でこの銅像を訪れただけに終わってしまいました。

若宮八幡宮との関係は、元親の初陣に際して戦勝を祈願したところ、見事に快勝する事が出来たというところにあるようです。この銅像はその初陣の姿を表現したものだそうですが、実に凛々しく格好が良いですね。ただ、初陣にしては堂々とし過ぎており、また貫禄がありすぎる様にも思えるのですが、そこは一代の英雄という事で目を瞑るのでしょう。

さしもの元親も龍馬の前では影が薄く、あまり人気は無い様ですね。その生涯を追っていくとなかなか面白い人物なのですが。司馬遼太郎さんの「夏草の賦」を原作にしたドラマでも出来れば人気が出るのでしょうけどね。

もっとその存在を世に知られて良い人物だと思います。

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2008.09.02

夏の旅2008~土佐紀行・坂本龍馬~

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今の高知で、圧倒的な人気を誇っているのが坂本龍馬。高知城周辺ではさすがに一豊と千代が頑張っていましたが、それ以外では一辺倒と言って良いほど龍馬、龍馬で溢れかえっていました。

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かくいう私も龍馬ファンの1人であり、今回の旅行でも主要なテーマの一つに掲げていました。その中で楽しみにしていたのが、龍馬が生まれた町を訪れる事です。

ここがその場所で、本丁筋という高知市の東西を結ぶ大通りに面しています。住所で言えば上町1丁目、隣は上町病院となっていますから、目印には丁度良いですね。

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坂本龍馬生誕地から南に入ったところにあるのが、龍馬の生まれたまち記念館です。高知市が運営する施設で、主として龍馬の生い立ちやその家族、さらには周辺の人物の紹介にスポットを当てているところに特色があります。

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施設にはCGを使って龍馬の少年時代を追体験するコーナーなどもありますが、ここでの一番のお薦めはボランティアの方に依る無料案内かも知れません。私は少しだけお話を伺っただけなのですが、地元の方ならではの情報を豊富に持っておられる様に見受けられました。何よりとても親切で、丁寧な対応をして頂いたのが嬉しかったですね。

写真は記念館の前から龍馬の実家跡を見たところで、この道筋は真ん中に水路がある事から水通町と呼ばれているそうです。

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こちらは記念館から西側を見たところで、龍馬の家の本家筋にあたる才谷屋があったとされるあたりです。少年時代の龍馬は、本家と実家の間をこの水通町を歩いて通っていたのですね。

実のところ、坂本家と才谷屋は裏表の関係にあると何かの資料で読んだ事があり、当然隣接して建っていたものと思っていました。ところが、現地に来てみると案外離れた場所にあったのですね。この事実が判っただけでも、高知にまで来た甲斐があったというものです。

ボランティアの方にはもっとお話を伺いたかったのですが、時間が無かったために長居が出来なかった事が心残りです。

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桂浜にある高知県立坂本龍馬記念館です。ここは龍馬観光の一大拠点であり、龍馬を求めて高知に来た人なら、一度は訪れる場所と言えるでしょう。資料も充実していますし、しっかりとした解説も掲示されています。近江屋のセットの前では、龍馬に扮したスタッフが観光客の質問に答えてくれるのも良いですね。

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ただ、龍馬の事をある程度知っている人にとっては、少し物足りない場所かも知れません。なぜなら、展示してある資料はほとんどが複製であり、本物は京都国立博物館が所蔵しているケースがとても多いのです。つまり、京都で開かれる特別展を訪れた事がある様な人なら、今さらという感じを受ける事でしょうね。

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とはいえ、ここにしかない手紙などの資料がある事は確かですし、龍馬グッズなども豊富に置かれています。また、土佐湾を望む景観は素晴らしいものがありますし、やはりここは桂浜の銅像とセットで訪れておくべき場所の一つだと思います。

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2008.09.01

夏の旅2008~土佐紀行・高知城~

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旅行3日目は、主として高知市内を回る事になります。まずは、高知市のシンボルである高知城から開始です。

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高知城を築いたのは、言わずと知れた山内一豊です。一昨年の大河ドラマでは主役を張っていましたよね。その一豊公の銅像は追手門の近く、県立文学館の前に立っています。ドラマで演じた川上隆也と違って、かなり強面の感じのする古武士の風格を感じますね。

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そして、もう1人の主役である千代の銅像は城内にあります。三の丸の手前、杉の段で名馬「太田黒」の横に立ち、夫に勧めるかの様に手を差し伸べていますね。どことなくふくよかな感じがするのは、「豊かできれいな女性にして欲しい」という、司馬遼太郎さんの助言によるものなのかも知れません。

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天守閣は四層五階建ての望楼式で、江戸初期に建てられた天守にしては古風さを感じます。これは一豊が前任の地である掛川城の天守を模して造ったからと言われ、土佐を治める拠点を短期間で築くには、設計が省略できるなど何かと都合が良かったのかも知れません。

また、近くで見ると案外小さい事にも気付いたのですが、20万石とは表向きの名目で、実質は9万石に過ぎなかったと言われる当時の土佐の経済力を反映しているのかなという気もします。

とはいえ、総塗り込めの白壁は美しく、軽快な感じのする姿は、やはり名城と呼ぶに相応しいですね。

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この城の特徴として天守台が無く、天守閣と懐徳館という本丸御殿が同じ平面上に建っている事が上げられます。多くの場合、天守には専用の石垣を築き、一段高く独立させて建てるのが普通で、こんな例はちょっと他には無い様な気がしますね。

天守の高欄もまたこの時代としては珍しく、一豊のこだわりがあったと言われます。一豊は家臣からこの高欄が目立ち過ぎるのではという助言を受け、わざわざ着工前に家康から許可を貰っており、そこまで気を遣わなくてはならない外様大名の立場の悲しさと、高欄に懸けた一豊の思い入れを感じずには居られません。

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本丸御殿の遺構は高知城の他には川越城にあるだけで、とても貴重な存在と言えます。本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、この写真は正殿にある上段の間で、藩主が家臣と対面する場所でした。もっとも普段使われていた訳ではなく、特別な場合にのみ、正式謁見の場所として使用されたとの事です。

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こちらは、黒潮の波を象ったと言われる「波の透彫欄間」です。うちわけ波の欄間と呼ばれ、土佐の左甚五郎と言われた武市髙朋の作と伝えられています。とてもシンプルで、かつ現代的な意匠ですよね。

ところで、功名が辻で一世を風靡したはずの一豊と千代ですが、早くも過去の人となりつつある様です。この御殿の玄関に千代のレリーフが飾られているのですが、誰だか判らない人がとても多いのですよ。教えて上げると思い出すのですけどね、千代に会うためにこの城に来ている訳ではなさそうです。

大河効果で大いに賑わった高知なのですが、忘れ去られるのも意外な程速かった様です。ちょっと寂しい気がしますね。

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天守からの眺望は前を遮る物がなく、とても素晴らしいものがあります。これは南方向ですが、正面に見えているのが筆山で、その麓には鏡川が流れています。

この鏡川と城の北を流れる江の口川を天然の堀として要害を固めた訳ですが、築城当時は辺り一面が酷い湿地帯で、とても町を作れる様な場所ではありませんでした。城の名もまた、周囲を川に囲まれているという意味で、河内山城と名付け似られました。

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しかしその後洪水が相次いだため、二代目藩主である山内忠義は河内山の名を忌み嫌い、名を高智山と改めました。これがさらに省略されて、今の高知になったとされています。

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本丸の西を護る黒鉄門です。防御力を高める為に小鉄板を貼り付けてある事からこの名があるのですが、確かに見るからに堅固な構えではありますね。

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城の登り口には、板垣退助の銅像があります。幕末の戊辰戦争で土佐藩兵を率いて活躍し、明治新政府では土佐閥を代表して参議となりますが、征韓論で敗れて下野し、以後自由民権運動の指導者となりました。岐阜で演説中に暴漢に襲われて負傷した際に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ事で有名ですね。

今はさほど注目される事はありませんが、往時は自由民権運動の総帥として絶大な人気を誇っていたそうです。そう言えば、肖像が百円札に使われていた事もありましたね。「龍馬が行く」ではそれなりの活躍をしていますが、「龍馬伝」では出番があるのかな。

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高知城は、本丸御殿と天守を除いて、出入り自由の公園となっています。これだけの名城に日常的に接していられるのですから、高知市民は幸せですね。春の桜、そして秋の紅葉も素晴らしいらしく、四季を通して訪れてみたいところです。

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