京都・洛中 祇園祭宵山~放下鉾・霰天神山~
新町通を北に上がり、四条通へと出ました。さすがに宵山だけあって、この広い道が人波で埋まっていますね。でも、ここまで来る途中で完全に停滞してしまった新町通に比べると随分とましな方で、まだこうして写真を撮るだけの余裕があります。
四条通を横切って再び新町通を上がると、放下鉾が見えてきました。鉾の真木に設けられた「天王座」に放下僧の像を祀っている事からこの名があります。この放下僧とは、神社や寺の境内で曲芸を演じ、勧進興行を行っていた人々の事を指すのですが、今で言えば大道芸人がこれに近い存在になるのでしょうか。
その放下鉾の祇園囃子を動画に納めてきましたので、どうぞご覧ください。
このお囃子を聴くと宵山の風情が蘇りますね。うーん、もう一度宵山に戻りたい。
提灯に描かれた独特の絵柄は州浜模様。海に突き出た洲のある浜辺が曲線を描いている様を表し、初めは宮中において慶事に使う台の形として用いられ、後に和菓子の形にも流用される様になりました。放下鉾の先端の飾りは、日・月・星の三光が下界を照らす形を示すとされるのですが、その形が和菓子の州浜に似ているところから「すはま鉾」とも呼ばれており、その事を表しているのがこの提灯という訳なのですね。
放下鉾を後にして、一度新町通から逸れ錦小路へと入ります。目指したのは霰天神山、菅原道真公を祀り、火除けのお守りを授与してくれる山です。
この提灯は町家の奥にある売り場へと続く路地に吊されている物で、文字通り天神様の細道になっています。
この町会所には2006年に売り子歌に惹かれて入って以来、3年続けて通っています。今年もまた子供達が、「雷除け火除けのお守りはこれより出ます。」と可愛らしい声で歌っていました。
これが霰天神山の提灯なのですが、赤い梅の紋が入っているのが判りますね。この山の由来は永正年間(1504~1521)に遡り、京都で大火があった時にたまたま霰が降り、そのおかげで火が鎮まりました。その時同時に小さな天神が空から降ってきたと言われ、火除けの神様として祀られる様になったのがこの山の始まりとされています。その霊験はあらたかで、天明の大火や元治元年の大火にもこの山は難を逃れていると言いますから、なるほど大したものだと言わなければなりません。
霰天神山で粽を買った後は再び新町通に戻り、さらに北へと辿って行きます。
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